第28話 俺の決断
「ふーん、それで結局仲直りできたわけか。よかったじゃねえか。やっぱり相手が弱ってる時がつけ入り時ってやつだな」
「瀬戸川先輩、その発言……なんだか最低じゃないですか」
客の使った食器を流しでガチャガチャと洗っている瀬戸川先輩に突っ込みを入れると。先輩はその隣で洗い物をしている自分に対して「うるせえなぁ」と言いながら肘で小突いてきた。
だってねぇ……と思ったが。瀬戸川先輩にああだこうだ言うと仕事量を増やされるから、これ以上は言うべきではない。ヒカリは洗い物を熱心にする振りをして話をごまかした。
瀬戸川先輩とは、こうしてバイトの時間を共にするようになってから、すっかり冗談を言い合えるまでに打ち解けることができた。去年まであんなに怖い存在だと思っていたのが嘘のようだ。
「そういやお前、あと二週間もすれば橘学園に復学すんだろう。復学しても週三くらいでシフト入るっていうのホントかよ、ぶっ倒れんぞ?」
その話は責任者にでも聞いたのだろう。ヒカリは「はい」と即答した。
「でも二学期とか三学期になったら、わからないです。俺、栄養士を目指そうかと思って。とりあえずは勉強もして、働きながら少しずつ大学とか探してみようかと思ってます」
「へぇ栄養士か、なんでまた?」
瀬戸川先輩のその問いは、ヒカリは笑ってごまかした。なんとなく口にするのは照れくさい。
好きな人のためになる気がするから、なんて。
だが瀬戸川先輩は何かを察したのか「あーヤダヤダ、うらやましいな」とボヤいていた。
「俺ももうちょっとあいつに無理やりアタックしてみるかね。でもあいつ、すぐ逃げちまうんだよな、臆病だから」
先輩の言葉を聞き、ヒカリは苦笑いする。
瀬戸川先輩は大好きな久代先輩のことを今でもあきらめてはいない。久代先輩も瀬戸川先輩を嫌いではないのは見ればわかるから。もしかしたらそのうちにはうまくいくかもしれない。結構いいかもしれないんだけどな、この二人。
「ま、俺らのことはいいんだよ。別に待つのは嫌いじゃないからな。それよりお前らも頑張れよな。お前のダチも身体が良くなったら、ここに食べに来いよ。その時は俺が作ってやるから」
先輩の申し出に「ありがとうございます」と返してから。ヒカリは「料理配ってきますね」と、お客の注文の品を持って厨房を離れた。
瀬戸川先輩にはああ言ったが、あと一つ問題がある。それを考えながらヒカリは「どうしようかな」とポツリとつぶやいた。
ソウタはあのあと、病院に戻った。病院で検査をしてリハビリをして、もう少し身体が回復したら自分と同じように二週間後には復学する予定だ。
復学してもまだ定期的に検査やリハビリはするらしいが、元から身体能力に優れたソウタは回復が早いらしい。食欲も出ているから一、二ヶ月頑張れば、ほぼ元の身体に戻れるのではないかと言われている。
そこはいい、そこはいいんだ。けれどそれでは根本的な解決にはなっていないのだ。
ではどうするべきか。自分なりにこうすればいいかなという答えは一応出ている。
とりあえずそのことについては、あとで母さんに相談して。それまでの間は変わらず、日中はソウタのところに行ってリハビリを応援してあげて。夜はこうしてバイトをして復学に備えておくんだ。
ソウタは懸命にリハビリを頑張っていた。 一年間も眠っていた身体を回復させるのはなかなか大変なものだったが、活気を取り戻したソウタはあきらめない心も強い。
リハビリの先生に筋力アップや身体の柔軟性を取り戻す指導を受ける姿は陸上部で走っていた時のように真剣そのもので、その姿を見ながら「やっぱりカッコイイな」なんて思ってしまった。
ソウタは日に日にその身体を回復させていき、顔色もすごく良くなった。
たまにこっそり差し入れに家で作った料理を持っていくと、ソウタは「うまいうまい」と言いながら喜んで食べてくれていた。
特に彼の大好きなナポリタンは喜び過ぎて騒いでしまって「ソウタ君、ちょっとうるさいよ」と通りすがった看護師に叱られていた。
あらためて思う、ソウタの笑顔が大好きだ。ソウタがおいしそうに作ったものを食べてくれる姿が自分は大好きだ。
この笑顔を消さないためにも、ソウタにまたさびしいという感情を抱かせないためにも自分はあることを決めている。
そしてそれは、すでに実行に移していた。あとは退院の日を待つばかり。
ソウタがそれを喜んでくれるかはわからない。 イヤだって言われたらどうしようかと思うけど、
でもソウタなら、きっと受け入れてくれると思う。
そして迎えた退院の日。ちょっと前まで車椅子で過ごしていたソウタは難なく歩けるまでに回復した。
まだ以前のように陸上競技で走るまでにはいかないけれど、高校生活を普通に送っていくうちに戻るから大丈夫だと病院の人にも太鼓判押されたので一安心だ。
「ソウタ、いよいよ退院だね」
すっかり荷物も片付いた病室で着替えを終えたソウタに言う。久しぶりにソウタがシャツとジーンズと上にジャンパーを着たラフな格好を見た気がする。一年間、見れなかった姿だ。新鮮で嬉しい。
「そうだな。オレ一年も眠ってたんだよな……ちょっと寝坊しすぎたな」
へへへ、と笑い、感慨深げにベッドを見つめながらソウタがつぶやく。
ソウタは自分を助けて、そしてずっと眠っていた。それがようやくこうして再び歩き出すことができたのだ。 もう自分はソウタと離れないという思いと共に。
「あ、ソウタ、これ渡しとく」
ヒカリはズボンのポケットに手を入れると、取り出した小さな物をソウタに手渡した。
受け取ったソウタが「あっ」と声を発する。
それは自分のお守りであり、ソウタにとっては、“とっておき”の五円玉だ。眠っているソウタの代わりにちゃんと磨いておいたから五円玉は相変わらず鏡のようにピカピカしている。
「最初はさ、ソウタが良いことないからって言って俺があげたんだよね。これを渡しておけばソウタにまた良いことが起こるかもしれないから」
ソウタは五円玉を見て手を伸ばしかけると、チラッとこちらを見て「いいの?」とたずねてきた。
もちろん、これはソウタにあげた物だ。自分たちの関係性を変えてくれるきっかけを色々起こしてくれたものだ。
ソウタに持っていてほしい。ソウタに幸せになってほしいから。
……そこまでは言わないけどさ。
「ソウタが持っていて」
「……ありがとな、ヒカリ」
ソウタはそれを受け取ると大事そうにシャツの胸ポケットにしまう。そしてあらためて病室を見渡してから「戻るかな、自分の家に」と言った。
そんなソウタがさびしそうに見えた。
自分の家――それはソウタにとって実は戻りたくない場所なんだと今の自分はわかっている。見せかけのみの幸せな家。しかし中は孤独なのだ。
着替えや道具の入ったボストンバッグをお互いに一つずつ持ち、看護師たちに別れを告げて。二人で用意されたタクシーに乗り込む。
ソウタが小さく息を吐き、自分の家の住所を言おうとした時、ヒカリは声を発して彼の言葉を遮った。
「ソウタ、ちょっと俺の家寄っていい?」
「え、なんだよ、いきなり」
「ソウタに見せたいものがあるんだ」
急な申し出にソウタはちょっとびっくりしたように「いいけど」と言った。
ヒカリは自分の家の住所を告げ、 タクシーをそこに向かわせた。
程なくして自分の見慣れた家に着くとソウタの荷物を降ろし、タクシーを帰らせた。
ソウタは「あれっ、タクシーいいのか?」と。ちょっと戸惑っていたが「いいの」と短く答え、ヒカリは自分の家へと入る。
母は今仕事に出ているから家には誰もいない。
ヒカリはソウタの荷物を持ちながら「ソウタ、こっちに来て」と彼を中に招き入れた。
「どこ行くんだよ」
ソウタの言葉に答えないまま、ヒカリはまっすぐに自分の部屋へと向かう。ソウタの家よりウチは広くないから。リビングからちょっと歩けばもう自分の部屋のドアがあるのだ。
そこを開けると見慣れた自分の部屋があって、「どうぞ」とソウタを部屋に入れると。
ソウタは「へ?」と驚きの声を上げた。
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