第18話 また、助けてくれた

 瀬戸川先輩のその一言は、まるで胸をズンと突かれるような衝撃を感じた。


 近くにいればいるほど気づかない。身近な存在でなんでも知っているような存在であればあるほど。そんな想いを抱いていても気づかない。

 ……そう、なのだろうか。


「ま、それでも俺はあいつのそばを離れるつもりはないんだけどよ、あいつが呆れて突き放してくれるまではな」


 そう言う瀬戸川先輩には、やはりさびしさというものが漂っている気がする。だからいつも久代先輩と一緒にいたのか。

 そばにいて見守ったり。想いを馳せたり、身近な存在として心苦しくなりながらも……瀬戸川先輩が久代先輩を大事に想っていたことが今ならわかる。


「お前にも、そんなヤツがいるんじゃないか?」


 ヒカリは、はじかれたように顔を上げた。


「少しは気づいてやれよ? 結構、これでも……見てるだけっていうのも、ホントは辛いもんだからな」


 それは誰のことを指しているのか。ヒカリはいつも身近にいる存在を思い浮かべる。ここ数日だ。卒業式で告白する、と宣言した時から彼の様子は変だった。告白の練習をさせたり、いきなり押し倒してきたり、練習と言ってキスしたり。


 まさか、でも……でも同じ立場である瀬戸川先輩なら、わかるのかもしれない。同じ立ち位置にいる人物のこと、彼の気持ちが。


 どうしよう。

 ヒカリの頭の中に、またその言葉が浮かぶ。また迷ってしまう、ダメだよ、そんなの。迷っていたら、ソウタに怒られてしまう。

 ソウタに……ソウタ、そういえば君はいつも自分のそばにいるよね。


「ヒカリ、一つ運試しでもしねぇか?」


 落ち着かない胸のうちに戸惑っていると突然、瀬戸川先輩がそんなことを言ってきた。先輩は手に何かを握っているのか、握った拳をヒカリの前に出した。


「この中にメダルが一枚入ってる。コイントスして表が出ればお前の勝ち。裏が出れば俺の勝ちだ。別に意味はねぇんだけど、そんだけのこと」


 不思議なことを言われ、ヒカリは首を傾げる。それは負けても勝ってもどっちでもいいという意味なのか。勝ち負け以上の意味はなく、ただの運試し、ということなのか。


 ヒカリが返事をしないうちに、先輩の手は動き出していた。親指の上に乗せたゲームメダルらしき物がピンとはじかれ、空中に漂う。

 それは一瞬の動きであるのに、なぜかゆっくり見える気がした。メダルはクルクルと何回転もして、そして重力に乗って落ちてくる。

 落ちてきたメダルは見事、瀬戸川先輩の手の甲の上に落ちてきた。


「さて、どっちかな」


 はたしてメダルはどちらを向いたのか。正解はメダルが乗った手の甲とは反対の手で隠されている。

 ヒカリは先輩の手をジッと見つめる。


 表が出て勝ったら?

 裏が出て負けたら?

 自分はどうするべきなのか。それを今、必死に考える。どうする、どうしたい、自分は。

 そんな自分の焦りを感じ取ったのか、瀬戸川先輩は小さく笑った。


「心のままに決めればいいんだよ」


 先輩の手が、どかされる。

 メダルが向いた、その先は――。






 バイクの音が遠ざかっていく。今の今まで一緒にいた瀬戸川先輩は「また明日な」と言い、去っていった。

 それを見送ったあとの公園の入り口で。ヒカリは長いため息をついた。身体は動かしていないはずなのに、どっと疲れたような気がする。


 二度目のため息をつきながら天を仰ぐ。黒の広がる夜空、小さな星の明かり、半分だけの月。それらを観察しながら自分の中で「決めよう」と思い立った。


 ヒカリはジャケットのポケットに入れていた五円玉を取り出した。鏡のように光っている、元は自分の大事な物であり、今は彼のとっておきの五円玉だ。


 今しがた終わったばかりのコイントス。

 出た結果には瀬戸川先輩も自分も「ほぉ〜」と変な声が出ただけで終わった。

 なんとも言い表せない謎の勝負だったが、なんだかアッサリしていたのが、逆に悩みが吹っ切れる感じがしてよかったと思う。


 今度は一人でやってみる、そして決めるつもりだ。

 “また”表が出たら――告白の相手はあの人物だ。その選択は、その決断は。自分の心が本当に望んでいるものだと、そう思うから。


 ……いや、ちょっと増やしてあと三回、表が出たらにしよう。自信があまりないから。

 ここまできて情けないけれど、と思いつつ。


 ヒカリは五円玉を親指の上に乗せ、思い切りはじいた。光沢のある五円玉だからか、夜空に舞うと色々な明かりが反射して、よりきれいに感じる。チカチカ、クルクルと。光を放つ星の欠片のようだ。


 それが流れ星みたいに、スッと落ちてくる。下手すれば夜空に消えてしまうか、地べたに落ちてなくしてしまうかもしれない五円玉。なくしたら大変だ――そう気合いを入れて。

 ヒカリは見事に手の甲の上にそれを乗せ、キャッチした。


「……表だ、よしっ」


 二回目も同じようにやる。

 クルクルと回り、落ちる。

 そして出たのは、また表。


「あと一回っ……!」


 手の中で一度グッと握りしめてから。親指に乗せ、高く五円玉をはじいた。力みすぎて、ものすごく高く飛んでしまったが見逃すわけにはいかない。


 表が出れば。

 決まる。自分のこの先が。

 これでいいんだ、と思える結果にしてみせる、だから、だからっ……!


 だが五円玉は予想以上に高く上がってしまった。そのせいでクルクル光る物体を一瞬、見落としてしまう。

 ヒカリは目をこらしながら手をかざした。手に乗ってくれ、と願いながら。


 ない、ない……。


「――あった‼」


 間もなく落ちてくる。でも高く上げすぎたせいで、ちょっと距離が離れてしまっている。

 ヒカリは上を見ながら歩き、移動した。五円玉に夢中になっていたから辺りのことに気がつかないでいた。


 車の音がする。それはものすごい速さで走っているのか、アクセルをベタ踏みし、激しく回るエンジン音を響かせている。

 すごい音、それが近づく。

 車のライトが見える。自分のことを捉えているのか、そうでないのか、わからないライト。

 でもスピードが落ちていない。


 ヒカリは落ちてきた五円玉を手の平でキャッチし、落とすまいと握りしめた。

 だが天をずっと見ていたせいでバランスがおかしくなった。足が、身体が、己が、車道に出ている、眩しいライトに照らされている。


「え……」


 車が真っ直ぐに突っ込んでくる。それがわかっているのに、脳が動けと指令を出さない。出されたとしても動けないのだろう。

 なすすべなく身体が地面に倒れそうになる、このままではあの車に――。


 その時、身体がものすごい力に。何かに押し出された。


 視界が暗転し、暗闇の世界になる。硬い物がものすごい勢いで何かにぶつかるような音――まるで爆発でも起きたような音がし、車のクラクションがけたたましい音を上げる。


 身体が痛い。勢いよく転んでしまい、アスファルトの地面に叩きつけられたようだ。けれど腕や足だけだ。頭は痛くないからよかったかもしれない。


 何があった、何が起きた、車はぶつかってしまったのか、どこに?


 混乱していた頭で何が起きたのかを整理していく。車が突っ込んできたのだ、自分は五円玉に夢中になってしまい、車道に出ていた。

 ぶつかる寸前に自分は何かに押し出されたのだ。何かに……。


 配線が切れたのか、クラクションが鳴り止む。まだ周囲には誰もいないのだろう、人が騒いでいる様子はない。でも事故の音を聞きつけ、今から人がたくさん来るだろう。運転手は大丈夫かな、生きているかな。


 色々なことを考えながら、ヒカリは目を開け、横たわった身体を起こす。車のライトが点きっぱなしになっているから、周囲の様子がよく見える。さっきまで立っていた公園の入り口から離れ、完全に自分は車道に出ている、そして――。


 すぐそばに誰かが横たわっている。顔を伏せている。これは橘学園のジャケット。


「うぅ……」


 倒れた誰かが呻く。地面に投げ出された手足が痛そうに、ゆっくりと動いた。


「ヒカリ、だい、じょうぶか……?」


 ヒカリは言葉を失った。目の前に倒れている人物は、いつもの身近な存在だ。

 車にひかれそうだった自分を助けてくれたのは、いつも自分を叱咤してくれる親友だった。


 そんな人物が弱々しい声を出している。今、一体何があったの。彼に何があったの。

 どうしてそんなに声が小さいの、ねぇ。


「……オレの足が、速くて、よかったな……さすがだろ……」


 ヘヘッと、彼はいつもの調子で笑おうとしていた。だが笑いにも苦しげな感じが混じっている。


「……五円玉、使わなかったのか? なんだ……」


 そして残念そうにつぶやくと「でも、それが見えた、から……お前がそこにいるって、わかった……」と言った。


 それはコイントスをしていたから五円玉が見えた、ということだろうか。あんな小さな物が離れた場所から見えたなんて奇跡じゃないだろうか。

 でもソウタが来てくれなければ、今頃自分は。


「ソウタっ……!!」


 やっと動けるようになり、ヒカリはソウタの元へ移動する。ソウタは地面にうつ伏せに倒れたまま「大丈夫だよ」と笑っていた。


「でも、ちょっとだけ、頭打った……だからちょっと痛い……ちょっとだけ、休むな……ヒカリ、大丈夫だから、大丈夫だから――」


「ソウタっ!? ――ソウタっ!!」


 ソウタの声が聞こえなくなる。

 動悸で息苦しくなり、自分の胸を押さえながら、震える手でスマホの緊急通報をなんとか押した。


「待ってよ、ソウタ! な、なんで、なんでだよ……! 車にひかれるなんてヘマしないんじゃなかったの……! ねぇ、ソウタっ……!」


 横たわるソウタの手を握りしめる。無我夢中で通話して、色々なことを自分は叫んでいた。

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