第19話 さようなら

 天気は最高だった。表現するなら晴れていて雲のない空、輝く太陽の下の咲き誇る桜、日が差していて暖かな空気。

 そんな中、行われる卒業式……なんて、全てから門出を祝福されているようで最高じゃないか。

 あの人の、卒業式。それがこんな最高の日和になったことをとても嬉しく思う。


 橘学園の卒業式は滞りなく終わったことだろう。卒業式自体はスムーズに終わっただろうけど、二年生のクラスでは悪いニュースが流れ、クラスメイトには動揺が走ったかもしれない。


 さっきから自分のスマホのメール受信ランプはずっと光り続けている。きっとクラスメイトや友人たちだと思うが、今はまだメールを見る気がしないから。音を消してそのままにしている。

 ごめんね、みんな。もうちょっと落ち着いたら見るから。


 ヒカリは私服で帽子を目深にかぶり、橘学園の校門の陰に隠れていた。

 卒業式も終わり、卒業生たちの写真撮影もそろそろ終わる頃。在校生はまだやることがあるから、じきに卒業生が先に出てくるだろう。


 本当なら卒業式にも出て、憧れのあの先輩の卒業証書授与を見て、心ときめかせて。

 そのあとでこの前の返事を、と思っていたけれど。昨日の今日でそうはいかなくなってしまったから。


 返事をくれるなら連絡をしてと言われ、そのためのアドレスも教えてもらっていた。

 けれど自分はあえて直接会えるように、あの人をこうして隠れて待っている。

 今思えば久代先輩は自分の返事を聞くのがとても怖かったのかもしれない。直接聞くのは苦い過去を彷彿とさせるから。瀬戸川先輩は久代先輩のことを「本当は意気地がない怖がりなんだ」と言っていたから。


 自分と同じで実は久代先輩も迷っていたのだ――告白をするという、あなたを選びたいという選択をするのを。だって断られたら、そのダメージは胸をガンッと殴られるぐらい……いやそれよりも痛いと思う。

 それでも自分の心を奮い立たせて告白をしてくれたのだ。勇気を出してくれたのだ。

 そんな久代先輩の想いには、しっかりと返事をしたい。だから久代先輩には申し訳ないけれど、直接伝えることを自分は選んだ。


 柱の陰から中の様子を伺っていると、笑い声や別れを惜しむ声が聞こえてきた。

 そして手には卒業証書の入った筒、花束を抱えた生徒たちがぞろぞろと歩いてくる。


 ヒカリは目的の人物を探した。三人組、四人組と話を交わしながら歩く生徒たちの中に――ひときわ目立つ二人組が歩いてくるのが見えた。


 瀬戸川先輩の姿は目立つからわかりやすくて助かる、と。初めて強面である瀬戸川先輩の容姿に感謝をしたかもしれない。その隣には当然、久代先輩の姿がある。白いフィルムに包まれた花束を抱えた姿が雑誌のモデルみたいだなと見惚れてしまう。


 久代先輩は視線を周囲に巡らしていた。まるで誰かを探しているかのようだ。

 そんな先輩が校門の近くまで歩いてくるのをヒカリはジッと待った。深呼吸をする。もう伝えることを決めた言葉を頭の中で反復する。

 もう迷わないんだ、その決断をしっかりと胸の中に揺るがないように打ちつける。


「……久代先輩っ」


 二人が校門まで歩いてきたところで。ヒカリは前に出て、久代先輩を呼び止めた。


「……ヒカリ君?」


 制服を着ていない自分が一瞬誰だかわからなかったようで先輩は目を丸くしていた。だが誰だかわかると「どうしたの?」と心配そうな声を発した。

 その心配には「なぜここにいるのか」と「なぜ卒業式にいなかった」のかが含まれている気がする。


 三年生には昨日の事故のことはきっと公表されていないのだろう。その方がいいと思う、せっかくの門出だ。スッキリとした気持ちで卒業ができなくなってしまうから。


「久代先輩、少しお話があるのですが」


 ヒカリがそう言うと久代先輩がためらうように、足を一歩後ろに引いたのがわかった。

 けれど隣にいた瀬戸川先輩が、その背中をそっと押していたのが見えた。

 大丈夫だから行って来いよ、小声でそう伝えている。


「んじゃ、俺は先に行ってるからな」


 そう言って瀬戸川先輩はその場を離れた。


 この場で話すわけにはいかないと思い、ヒカリは久代先輩を連れて、近くにある公園を訪れた。昨日の瀬戸川先輩といた公園ほどではないが少しだけ遊具があり、きれいな芝生と一本の桜の木が生えた公園は、今日は運のいいことにまだ誰も来てはいなかった。


 ここはほんの数日前に、自分の身近な人物と夜に訪れた公園だ。焼肉を食べたあとに芝生で寝転んで。告白の練習をして騒いで警官に怒られて。

 不思議とずっと前のことのように感じるけれど……いや、それは今考えることじゃないな。


 桜の木の下にはいくらか花びらが散り、芝生の間に隠れている。淡い香りが漂う中で、ヒカリは久代先輩と向き合った。

 先輩の表情は不安そうだった。


「久代先輩、ごめんなさい」


 結論を先に述べたのは、先輩の気持ちを無駄に引っ張ってはいけないと思ったから。


「久代先輩の想いはとても嬉しかったんです。でも俺は先輩を選ぶことはできません」


 まだ大した言葉も言っていないのに目頭が熱くなってしまう。別れを言葉にするのは辛い、だって自分はこの人を好きだったはずなんだ。卒業式で告白すると決めていたんだ。それなのに。


 ヒカリは唇を引きしめ、泣くまいと耐える。泣いたらダメだ。

 先輩は自分を見つめてはいるが心ここにあらず、といったふうになり。降ってくる桜の花びらにまぎれて消えてしまうのではと思うぐらい、悲しそうに、儚げになっていた。


「俺、久代先輩のことは素敵だなとずっと思っていました。なんでもできてカッコイイ完璧な先輩……でもどこかで失敗を恐れているようなところもある。そんな、実は怖がりな先輩が、とても素敵だと思いました」


 久代先輩の目が見開く。

 ヒカリは瀬戸川先輩に聞いたことは言わないように、と考えながら。言葉をつむいでいく。


「先輩、俺、気になる人がいるんです。でもそいつは全然、完璧じゃないんです。先輩とは比較できないぐらい勉強はできないし、ちょっと運動ができるだけなんですけど……でもそいつ、俺のことをいつも怒ってくれたり、心配してくれたりするんです。バカがつくぐらい。


そしてそいつは自分の身がどうなろうと、そいつは俺を選んでくれていたんです。俺はそれにずっと気づきませんでした……自分でもずるいと思いますけど気づいた途端、そんな彼に少しでも何かしたいと思いました」


 声が震えそうになるのを、ヒカリは一回言葉を飲み込んで耐えた。


「だから先輩、ごめんなさい……でも先輩も無理はしないでください。先輩は先輩らしく、そのままでいてくれれば、それが一番いいと思うんです」


 ヒカリは口角を持ち上げ、ほほえんで見せた。

 すると黙っていた久代先輩は眼鏡を取って目の端を指で押さえた。


「ヒカリ君、君は本当に優しいね、本当に」


 久代先輩の前を、一枚の桜の花びらが落ちる。花びらは先輩が目元を拭った指に――付着した涙にくっついた。

 久代先輩は眼鏡をかけ直すと、小さくため息をついた。


「もう少し時間があったなら。もう少し君と一緒にいる時間があったなら、ヒカリ君ともっと親しくなれたかもしれないな……そう思うと、くやしいよ。もっと近くにいたかったな、と思うよ」


「先輩、でも近すぎると、逆にその人の想いって気づかなくなるんですよ」


 久代先輩は「えっ」と驚いていた。

 これは昨日、瀬戸川先輩が言っていたセリフだ。自分も言われなければわからなかった。だから久代先輩にも伝えておきたいと思った。


「久代先輩の近くにも、きっとあなたをとても強く想っている人がいます。きっと不器用だけど、どんな時も先輩を見ていて、そばにいて、全力で支えてくれる人だと思います」


「近く……」


 久代先輩は自身の両腕をさすりながら黙ってしまった。何かを考え込んでいるようだ。

 別にその人の想いに応えてほしい、なんてことは言わない。だってそれは自分が決めることだから。その人の想いを知ったとしても選ぶのは自分だから。


「久代先輩、卒業おめでとうございます……先輩のこれからの活躍、応援しています」


「ヒカリ君……」


 すみません、先輩。あなたを選べなくて、ごめんなさい。

 俺は自分の心が本当に望むことを選択します。先輩のことは好きです、大好きです、憧れです。


 でも先輩への気持ちに俺は安らぎというものを感じることはありませんでした。

 俺はいつも緊張していました、好きだから、嬉しいから。憧れのあなたといるのは嬉しいけれど、いつも不安もありました。

 だから迷ってしまいました、あなたを選んでいいのか。中途半端な選択をしては結局あなたを傷つけてしまうような気がしたから。


 俺は、やっと決められました。

 だから、先輩もどうか、これからも――。 


「先輩といられた時間は楽しかったです。先輩、これからもずっと素敵な先輩でいてくださいね」


 久代先輩はさびしそうに目を細めながらも「ありがとう」と、いつも見せてくれる優しい笑顔を浮かべた。

 それを見てヒカリは安心した。


「さようなら」


 その言葉と共に風が流れる。勢い良く木々に咲く花びらを散らせていく。

 それは新しい桜を咲かせるために必要な、桜の選択なのだ。

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