第20話 なぜ名前が、君はどこに
『今日はみんなの卒業式だよ』
自室のベッドに腰掛けながら。ヒカリはメールの文章を打ち、送信した。
「ちょっとだけ見に行こうかなぁ」
今日はバイトもないから。せっかくの同級生の卒業という舞台を、少しだけ感じてみようかなと思い立ってみた。同級生たちからは『ぜひ来て』という内容や『そのあとに飲み会やるから来い』という内容のメールを、前日に何通かもらっている。
「……飲み会って、まだ飲めないけどな」
でも飲み会は遠慮しておこうと思っている。それに参加するのは、ちょっと不謹慎だ。周囲の人々には「あまり気にしないで」と言われてはいるけれど。
「そうだ、たまには紀和神社にも行ってみよ」
卒業式が終わったら。みんなが帰ってしまう前に橘学園に寄って、それから紀和神社に行こう。
そうと決めたら、ヒカリはすぐに準備を始めた。身なりを整え、寝癖を直して。
なくさないようにタンスの上に――自分のお気に入りの赤いミニタオルの上に置かれた、とっておき五円玉も手にして。
現在の持ち主だった者のところから、再び自分の元に戻ってきてから一年が経つものの、五円玉はまだまだ輝きを失ってはいない。ちゃんと自分が手入れをしているからだ。お酢で洗ったり歯ブラシで磨いたり。だってとっておきだもの。
ヒカリはもう一度スマホを手にした。メール画面を開いて『今から同級生の顔を見てから紀和神社に行ってくるよ。そのあとでそっちに行くね』と送信した。
ここ一年、返ってくることがないメールは送信履歴ばかりが連なっていく。でも毎日細かく送り続けているのは日々に何が起きたとか。ちょっとしたことでも一緒に共有したいと思ったから。
よし、と立ち上がり、ヒカリは橘学園に向かう。
同級生たちが、みんな旅立っていく。もうこの学園で会うことはないけれど。ふとした時に、また会う機会はあるかもしれない。
ついこの前、久代先輩には会った。大学生になった先輩は私服でまたかっこよくて。素敵な笑顔で「頑張ってる?」と聞いてきてくれたのだ。
その隣には瀬戸川先輩もいた。不敵な笑みでたたずんでいたけれど、久代先輩との仲はどうなったのかはわからない。でも瀬戸川先輩も楽しそうに見えた。苦しい時があっても好きな人のそばにいられるのは、やはり幸せなのだ。
だからこの学園の出入り口である校門で、笑顔でみんなを見送れる、頑張れとエールを送れる。
「ヒカリ、あの、あいつのことは……」
卒業証書を納めた筒を持ち、校門から去ろうとする同級生たちがためらいがちに口にするのは、自分と同じ、もう一人の同級生のことだ。本当なら今日の卒業式でみんなと一緒に旅立つ予定だったのだけど。
「大丈夫だよ」
心配そうに語りかけてくる同級生たちに向かって、ヒカリは笑顔で言い切った。すると同級生達も笑顔を見せたり、うなずいたり、涙ぐんだり。大切な仲間のことを思いながら「またね」と行って校門を離れていく。
「……大丈夫」
同級生たちが全員出て行くのを確認してから、ヒカリは目を閉じてつぶやく。その言葉は大事な人が自分に言ってくれた言葉だ。
大丈夫、大丈夫だから。
「大丈夫だから」
その言葉を口にすると本当に大丈夫と思える。
ヒカリはスマホを開き『みんなを見送ったよ、またみんなに会えるといいね。みんな、お前を心配していたよ』と送信した。
みんなを見送ったら、次は紀和神社へと足を運んだ。鳥居は神様の通り道だと聞いたことがあるから鳥居の脇を通り、境内を通り、拝殿を訪れて参拝を済ませた。
今日は一年ぶりに絵馬をかけるつもりだ。
相変わらず、そこそこの参拝客が訪れているためか、新年に絵馬のお焚き上げをやったと思ったのだが、絵馬掛所にはすでにたくさんの絵馬が風に揺れている。この前テレビでも放送されたせいもあるだろう。
『紀和神社の絵馬への願掛けは本当に願いが叶う!!』という内容で放送されていて。その番組の翌日は参拝客がごった返して大変だったらしい。
でも俺の願いごとは、叶ってはいないような気はする――真相はわからないのだけど。あいつの願いも叶ったのかなぁ。
そんなことを考えながら、ヒカリは絵馬を購入し、去年と同じようにペンを握り、願いごとを考える。
去年は彼が幸せになりますように、そう絵馬に書いたんだ、今回はどうしようか。
「うーん……」
なんて書いたらいいのだろう。自分のこの思いをどう言い表したら……って、また迷っていると彼に怒られてしまいそうだ。早く決めろ、と言われるだろう。うるさいよ、ゆっくり考えたい時もあるでしょ。
心改めようと思い、ヒカリは顔を上げて揺れる絵馬を眺めた。多くの人たちが自分のため、誰かのためにと願いや決意を書いた大切な想いの数々。
そんな中に一つ、注目する絵馬があった。ヒカリという文字が見えた。もちろん世の中に同じ名前の人なんてたくさんいるのだけど。
ヒカリはその絵馬を手に取り、書かれた文字を見た。
『ヒカリが幸せになりますように』
「えっ」
思わず声に出てしまう。そばにいた知らない女性が一瞬ビクッとしたのが見えたが、すぐにどこかへと行ってしまった。
これは、なんだ。
ヒカリの視線は絵馬に集中し、何度見返しても同じ文字に、次第に心臓が高鳴ってくる。いやいや同じ名前の人なだけだ、自分のことじゃない。
けれど名前が、書いた人の名前が……ソウタってなっているんだ、これはどういうことなの。これも偶然なの。
こんなにも驚いているのは書かれた名前だけではない、絵馬の端に書かれた日付だ。
それは今日――今、この日なのだ。
「なんで」
いや待て、と自分に言い聞かせる。世の中には同じ名前の人がいるんだ、たまたま自分と彼と同じ名前の人が書かれていただけに違いない。
だから、このソウタは別の人物だ。
だってソウタは。
気持ちが焦った途端、気持ちを落ち着かせようと五円玉に触れたくて、ヒカリは上着のポケットに手を入れた、その時だった。
五円玉と一緒のポケットに入っている自分のスマホが何かの通知音を鳴らす。また同級生の飲み会の誘いか。そう思ってスマホは見ないつもりだったが、なんとなく頭の中で本能的なものが察したのかもしれない。
見なければ、という気が起きた。
ヒカリは片手に絵馬とペンを持ち替え、スマホを手に取る。何が通知されたのかはトップ画面からでも確認ができる。
「――っ!!」
声が出ないまま、ヒカリはすぐさま表示されたポップアップを押した。そこから開いたのは、最近使っていなかった、あのアプリ。
自分の方向音痴対策として、離ればなれになって迷子になった時のために入れておいた居場所通知アプリ。互いが許可した時だけ、互いの居場所を知らせてくれるそれは、しばらく使っていなかった。
ずっと通知は鳴らなかった、のに。
「なんで……?」
ありえない……いや、ありえなくはない?
それともこれは誰かがソウタのスマホをいじっているから通知が鳴ったのか? なぜそんな必要がある? なんで通知が鳴るんだ?
だってソウタは一年前の事故で、頭を打ったせいで眠り続けているのに。
もしかして?
ヒカリの胸の中に大きな期待と、違うかもしれないという不安が生まれる。
ソウタ、目が覚めたのか。
ヒカリは震える指でゆっくりと画面をタップし、電話をかけてみたが。電話はコール音が鳴るだけでつながりはしない。
ならばメールと思って『ソウタ、起きたの?』と送ってみたが、そのメールに対する返事もなく。
しばらく待ってみたが。ドキドキする胸を押さえ、緊張に口が乾いてきながらも、静かに待っていたが返信はなかった。
けれど先程の居場所通知アプリの履歴は残っている。場所は当然ながら、ずっと動けないから、そこにいるであろう場所――病院。
ソウタに、何が起きているのだろう。
はやる気持ちが抑えきれず、ヒカリは絵馬をカバンに突っ込むと病院へと走った。
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