第21話 暗い、たった一人の家
俺は知らなさすぎた。
一番近くにいながらも彼のことを何もわかっていなかったのだ。
目が覚めたらすぐにでも謝りたい。
何も知らなくてごめん。
気づいてあげられなくてごめんって……。
病院の待合室。他には誰もいない、無音と薄暗い空間。壁にそった長イスに座り、時折通路の奥にある閉じられた手術室の両開きドアを見つめたりして。ただ彼の無事を祈るしかできない。
隣には心配して駆けつけてくれた自分の母親が座っている。
ソウタはまだか、そう思っていた時。
閉じられたドアを開け、落ち着いた動作で歩いてきた中年の医者から告げられたのは。
「彼の状態としては命には別状はないでしょう」
その一言に心がすぅっと軽くなった。
だが次の言葉で、また心はズンと重くなる。
「ただ、まだ意識が戻りません。そして戻るまでには時間がかかるかもしれません、頭を打っていますからね。もしかしたら――いえ、そこはまた落ち着いてから話しましょう。とりあえず彼のご家族に連絡を取って欲しいのですが、お二人はご存知でしょうか。警察も連絡先がわからないと言っていて」
医者からの言葉を聞き、母親と目を合わせたがヒカリは首を横に振った。ソウタの両親には会ったことはないのだ、もちろん自分の母も知るわけがない。でもソウタのスマホを調べればあるかも。
だがソウタは所持品を何も持っていなかったらしい。あの時は部活の打ち上げの帰りではなかったのだろうか、なぜ手ぶらなんだ。脱がされた汚れてしまった衣服にも何も入っていなく、家の鍵すら持っていないという。
「……俺、ソウタの家に行ってみる」
立ち上がったヒカリに母が声をかけてくる。
「ヒカリ……あなた、明日も学校で卒業式あるんでしょ、大丈夫なの?」
ヒカリは彼がいる手術室の方に――再び閉まっているドアの方に目を向ける。
それだけで母は自分の気持ちを察してくれたのか「そうよね」と納得したようにうなずいた。
「ヒカリ、きっと大丈夫。ソウタ君、あんなに元気な子なんだからね。きっとすぐに元気になるわ」
母の言葉に、思わず目がジンとしそうになる。目に力を入れ、涙が出ないように耐えた。今は泣いている場合じゃないから。
「うん……ソウタにはたくさん助けてもらったから今度は俺がソウタのために、何かしてやりたいんだ」
「何か手伝えることある?」
「いや、大丈夫。今んところ……すぐ戻るから、ちょっと待っててくんない?」
「わかった、焦らなくて大丈夫だからね。もう夜も遅くて暗いんだから、ヒカリも気をつけてね」
ソウタを一人にするわけにはいかないから、少しの間、母に待機をお願いした。入院に必要な物を聞いて、タクシーを使って向かったのは何度も訪れたことのあるソウタの家――大きな一軒家。
リビングには明かりがついていて、いつものように閉められたカーテンの隙間から光が漏れている。
もしかして家の中にいるのだろうか、誰かが。
タクシーを降り、タクシーのエンジン音が過ぎ去ってからヒカリは深呼吸をした。会ったことがないソウタの家族に、まずは事故の件を伝えなければならないのだ。
ゆっくりと玄関まで足を進め、ヒカリは壁に備え付けられたインターホンを押した。静かな夜にピンポンという音が響く。
いつもならソウタがすぐに「あいよー」と出てくるのだが、今日はいないから。
はい、という知らない声がインターホンから聞こえるかと思って身構えていたのだが。
数秒経っても、何十秒待っても。一分近く待っても何も返事がない。
その間にもう一度、さらにもう一度とインターホンをしたが変わらず返事はない。
あれ、と思ってドアノブに手をかけて引っ張ると、ガチャッといつものように開いた。
「開いちゃった……」
室内にいる住人に「誰だ」と怒られるかもしれない、けれど開いちゃったから。恐る恐る玄関に足を踏み入れて「こんばんは」と挨拶をしてみた。やはり返事はない。
「すみませーん」
リビングからは明かりが漏れているが廊下は暗く、中は無音だ。何か変だと思って「お邪魔します」と言って玄関を上がらせてもらい、廊下を通ってリビングへ。
閉じられたリビングのドアを押し開けると中の空気はいつもと違って冷たかった。 エアコンが点いてないのと、誰もいないから。電気だけが点いているのはソウタが点けていったのだろうか。
でもこれは、なんだろう。何かが変だ、いつも変だと思っていたけれど、やはり変だ。ソウタがいないせいもあるのか。リビングは本当に静かで、それこそ誰も住んでいない、という言葉が似合う。
けれど室内は綺麗に掃除されていて床にはゴミも落ちていないし、台所にも――いや台所の流しには洗い物があった。ソウタがいつも学校の給食で食べているお弁当箱だ。中身は当然空っぽで水につけられたまま放置されている。
今日の昼食、お弁当がなかったよな……洗ってなかったから?
疑問に思いながら、ヒカリはリビングを見渡してから上の階はどうなっているんだろうと思いつく。二階には上がったことがない。ソウタの部屋があるらしいが彼の部屋に入ったことは一度もない。いつもリビングで過ごしていた、ゲームをする時も漫画を読む時も、何をする時も……なぜだったんだろう。
廊下に戻り、疑問を解決するために二階への階段を上がる。
すると一階に比べ、さらにひんやりとした空気が肌を震わせ、言い知れぬ不安が強くなってきて心臓が早く動き出してくる、唇が乾いてくる、怖い。
嫌な予感に身を強張らせながら暗闇の中を進んでいく。二階の廊下はフローリングで、周囲は真っ暗だった。壁のスイッチに手を触れてみたが押しても電気は点かない、切れてるのだろうか。
仕方なくスマホのライトで照らし、廊下に二つのドアがあるのを確認した。どちらも中で誰かが寝ているのではと思うほど静かな空間で、しっかりと閉じられている。とりあえず手前のドアからと思い、ドアノブに手をかける。
ゆっくりドアノブを回し、ドアを押し開く。ドアがキーキーとあまり使われていないような鈍い音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
途端にずっと換気をされていない、こもっていたようなカビ臭い空気が鼻を通り抜けた。
スマホのライトで室内を照らし、中を見たヒカリは「嘘」と、思わずそんな言葉が口をついて出た。
ここは何、なんなのだ。本当に四人家族が住んでいる家なのか、嘘でしょ。
室内は真っ暗で、そして荒れていた。埃の積もった床、斜めに傾いたタンス。外の世界を遮るように閉じられたボロボロのカーテン。ひっくり返った小さいテーブルに椅子。布団がぐしゃぐしゃのベッド。
壁際には至って普通の学生机がある。そこには破れた本や埃の積もった本が散乱している。長い間、使われていないだろう教科書もあったが、それには中学一年と書かれている。
ということは、ここはソウタの……。
ヒカリが言葉を失ったのは室内だけではない。 壁にもある。壁には大きな傷がたくさんあった。
引き裂いたような壁紙、何かをたたきつけたような無数の穴、液体でもかけられたような染み。
それらを見ていたら吐く息が震えた。怖くて自分の首の襟元を手で抑えながら、ヒカリはもう一つの部屋を、なんとか見てみることにした。
そっちは書斎のような部屋になっていた。大きめの本棚があるが中はほぼ空っぽで、いらなそうな本だけが数冊ポツンと残っている。デスクには何もなく、厚めの埃だけが積もっていた。
誰もいない部屋、荒れた室内……普段のソウタの陽気さからは考えられない、家の中。
恐怖が極限に達したヒカリは階段を駆け下りて明るいリビングに戻った。なんとなく音が聞きたくなってリモコンでテレビを点けた。ちょうどソウタもよく見るお笑い番組がやっていた。笑い声が聞こえ、自分が現実に戻ったような安心感が生まれる、けれどそれも束の間のことだ。
ヒカリの脳裏には先程の光景が残っていて。自分の記憶と今の状況のギャップに頭を抱えた。
嘘だ、さっきのあんなの。
ソウタに何があったんだ。この家にはソウタ以外の人は最初からいなかったのか。
ソウタはずっと一人だったのか? いつから?
だから今までずっとソウタの家族に会ったことがなかったのか。家族は、どこに行ったんだ。
何か手がかりがないか、家族の名前とか連絡先はと思って視線を巡らせると。ソファーの上に投げ捨てられたようなソウタの手提げスクールバッグが目に入った。そこには彼のスマホも入っていたが、あいにくロックがかかっていた。
次にテレビボードの引き出しや棚を調べてみた。
すると引き出しの中に古びた書類が色々重なっていて、その中に公共料金の契約書みたいなものがあった。そこに見たことない名前が書いてある――ソウタと同じ苗字だ。男性の名前ということはソウタの実父かもしれない。
その下には携帯の連絡先も書いてあった。
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