第22話 みんな選択して生きている

 電話をかけてもいいものだろうか。時刻は、まだ深夜にはなっていないけど割と遅い時間。

 本当ならこういうのは病院の関係者とか警察から伝えてもらった方がいいのかもしれない。相手は大人だ、その方が事情を飲み込めるだろう。


 けれどソウタのことは自分が伝えたい。自分は他の誰よりもソウタのことをわかっている。ソウタといる時間は他の誰よりも長かったと思う。


 それでも近くにいたが気づかなかったことも多かったのだ。ソウタが置かれた状況を自分は全く知らなかった。ソウタはこんな状況で、どんな思いを日々抱いていたのだろう。


 近くにいるものほど気づかないものだ。

 瀬戸川先輩の言葉を今、強く思い知る。一緒にいる時間はとても楽しくて、けれど気づかれなかった他の時間はどんなに辛いものだったろう。

 そんな生き方を選択していたソウタは、そんな日々を幸せだと感じていたんだろうか。本当のことを言えないのは、ただ辛かったんじゃないか。だからこそのあの明るさだったなら……本当のソウタはどんな感じなのだろう。


 ヒカリは目を閉じ、深呼吸をした。隣にあるテレビがバラエティ番組の内容を伝えてくれているが耳には入らない。ガヤガヤとにぎやかな音が聞こえてくるだけ。

 それを聞きながらヒカリは目を開け、契約書類の電話番号を眺めてから、自分のスマホの数字のボタンを一つずつ押していく。

 そして通話を押すと――ピピピという音のあとにコール音が鳴った。


 コールが三回、じっくり耳を澄ます。まだ続くかと思ったら音が途切れ「もしもし」という控えめな男性の声。少し怪しんでいるように感じるのは遅い時間帯ということと、見知らぬ携帯番号からということがあるだろう。

 けれど出てくれたのは仕事関係者とか知らない番号からでも電話がかかってくることが多いのかもしれない。


「や、夜分すみません。俺はソウタの友達でヒカリって言います」


 電話の向こうの声が間を置く。今、電話向こうの人物は一瞬にして色々なことを考えているような気がする。だってこの状況を見るや、ソウタの父親はこの家にはいなくて、しかもずっと帰ってきてはいない。そして息子には会っていないのだと思う。


『……何か、ありましたか』


 ソウタの父親と思われる男性は、そう聞いてきた。何かあったかという聞き方は『ソウタが何かしたか』というふうにも聞こえる。


「ソウタが、ソウタが事故に遭ってしまって。今、病院に運ばれています。頭を打ってしまったので意識がない状態です。病院の人から家族に連絡を取りたいと言われて、俺、ソウタの家を知っていたので番号とかを調べさせてもらって――」


 ヒカリは乾燥する唇を一回、ペロッと舌で舐めた。


「ソウタは、あいつは俺の親友です。実は俺がちょっとヘマして、それでソウタは俺を助けてくれて、代わりに事故にあってしまったんです。ごめんなさい、俺が、俺が悪いんです。本当にすみませんっ」


 電話の向こうでソウタの父は深く息を吐いていた。緊張する沈黙、怒られるかもしれない。そう思っていたヒカリの耳に届いたのは予想外の言葉だった。


『こちらこそ申し訳ない、そんなことになっているとは……』


 ソウタの父からの謝罪。なぜ謝るんだろう。


『けれど私は、そちらに行くことはできません。ソウタがそれを許さないでしょう』


 それはどういうことなのか。ヒカリは息を飲み、ただ言葉を待つ。 今なら全てがわかるかもしれない、秘密にされてきた、ソウタのことが。


『ヒカリ君は、ソウタとはいつ頃から友達なんですか』


「中学二年です」


『二年ですか……よく友達になってくれましたね。ソウタにとってあなたは最高の友達なんだと思います。それまでのソウタには友達はいなかったですから』


 ヒカリの脳裏に中学の時のことが思い浮かぶ。ソウタと出会った時のことだ。

 ソウタは他人を寄せつけない空気を出していた、決して笑わなかった。近づこうとすると離れて行こうとした。


 けれど強引に接してみると、とても優しかった。それが彼の本当の性格なんだと思って、自分は彼にどんどん近づいた。そして気づけば、ずっとそばにいるような存在になっていた。


『ソウタはね、私の選択を恨んでいるんです。あの子の母が病で小さい頃に亡くなり、私一人であの子を育ててきましたが、私が新しい家族を作ってしまったから』


 ソウタの母親も、だったんだ。自分が失ったのは父親だったけど。


『もちろんソウタも私の大事な息子ですし、家族として一緒にいたかった。けれど思春期の子にそれはキツかったのでしょうね……こちらに引っ越して、みんなで暮らそうとしてからソウタは荒れてしまって。新しい母や弟には手を上げませんでしたが自分自身と、そして私には――』


 そんな、あのソウタが、嘘だ、と思いたい。

 しかしソウタの腕や腹に切り傷のようなものがあったのを思うと、それは現実なのだ。


『どうにかしたかったのです。でも新しい家族にも手を上げられたら、それこそソウタの人生を棒に振ってしまう。だから中学のあの子を残して私たちは別の場所で暮らすことを選びました。ソウタには生活するお金だけは不自由のないようにしていました……電話もしましたが拒否されていて、ずっと話ができずに』


「そう、だったんですか」


 ソウタが苦しんでいた。それに全然気づかなかったなんて、自分はなんてヤツなんだと拳を強く握りしめた。

 自分は、自分のことばかり考えていた。自分の幸せばかりを考えていた。ソウタは俺のことを考えてくれていたのに。

 なんでだよ、ソウタ。なんで俺のことばかり。


『……子供にお話する内容じゃありませんでしたね、申し訳ないです。けれどヒカリ君ならソウタのことを一番わかってくれると思って……いえそれも押し付けですよね』


 ソウタの父の何度目かと思うため息。それだけ息子を心配していたんじゃないだろうか。本当はすぐにでも会いたいんじゃないか、それはソウタが許さないのだろうけど……ならば自分に何かできないかな。


『あの、俺、ソウタが起きたら、ソウタと話してみます。お父さんが心配しているって。すぐにはどうにかならないかもしれないけど……俺はソウタと一緒にいるって――決めたから』


 それが自分の決断だった。口にしてみてから決めちゃうのか? と少しだけ疑問に思いそうになったが。いや、これがいいんだと、自分の心が望むものを選んだのだと、納得してうなずいた。

 もう迷わないよ、気づいたんだ、本当に自分が望むもの。心の底から楽しくて安心できて、これからもずっと一緒にいたいと思うことに。

 自分のこの選択がもう遅いかもしれない、のだとしても。


 ソウタの父は『ありがとう』と言った。今の自分にはお金以外の支援は何もできないけれど、何かあれば言ってほしいと言って電話を終えた。


 それからはソウタの必要な荷物を準備して病院に戻り、とりあえず病院の人にはソウタの父に教えて大丈夫と許可はもらったから連絡先を教えて。今日はまだ面会はできないということで母と共に帰宅した。


 ソウタの元には明日も来るつもりだ。明後日もその次の日も。ソウタが目覚めた時に、そばにいられるように。


 とりあえず明日は卒業式だ。

 自分は久代先輩に返事をするつもりだ。しっかり想いを伝えてくれた先輩に、こちらもしっかりと返さなくてはならない。


 そしてソウタにも伝えたいことがたくさんある。まずは謝りたい。何も知らなくてごめんねって。ソウタのこと、気づかないでごめんね……って。彼の父のことも伝えてあげたい、心配しているよって。

 そして聞きたいこともたくさんある。何より今強く知りたいことがある、それは――。


 ソウタの好きな人って誰なんだよ。


 自分はそれも聞き出せていない。どうか目が覚めたらそれも教えてほしい。

 だって気になるじゃん。

 想い人の、想い人なんて。

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