第7話 夢の時間
待ちに待った放課後は気づけばあっという間にやってきた。授業中は今か今かと待ち望んでいた時間も、いざ憧れの人を目の当たりにすると、まるで昼休みのあの時から瞬間移動をしてきたみたいな感覚だ。
「ヒカリ君、お疲れさま」
にっこりとほほ笑んでくれる姿は一瞬にして授業の疲れも右往左往していた不安も吹き飛ばした。胸が高鳴り過ぎて「はぅ」と変な声が出てしまいそうになったが、それは飲み込んでこらえておいた。
時刻はまだ夕方。太陽は少し傾いてきてはいるがまだ明るい。進学の準備で色々と忙しいであろう久代先輩をあまり長く外出させてしまうのはよくないだろうから、夜を迎える前に過ごせる時間としては限りがあってちょうどいいかもしれない。
一時間でも、長くて二時間でも。先輩と一緒にいられるなんて夢のようだ。
久代先輩は使い古した革の学生カバンを脇に抱えながら「ヒカリ君、どこか行きたいとこある?」と聞いてきた。
先輩とならどこでも行きたい……いや、そう答えてしまったら変に思われるだろうから「どこでも大丈夫です」と答えておいた。
「じゃあ、あそこにしようかな。ヒカリ君とゆっくり話ができそうなところ」
そう言われ、スクールバッグの手提げ部分をギュッと握りしめ「どこですか」と聞くと。先輩は「あっちだよ」と遠くの方を指差した。
その先には、わりと新しいマンションが立ち並ぶエリアと、さらに少し歩いた先には大きなショッピングモールがある。ブランドものやファストファッション、かわいいから面白いものなど雑貨の店が入っているそのモールは室内に噴水も置かれ、デートにおすすめのスポットとしてテレビでも紹介されている。さらにそこには大きな観覧車もあるのだ。
さすが先輩、選ぶ場所もオシャレだなと思った。
そのショッピングモールには歩いて十五分ほどで行くことができる。道中は先輩と進学先である超有名大学の話や勉強のコツなど、他愛ない会話をした。
けれど先輩の話す言葉の一つ一つが自分の胸を踊らせてくれ、楽しくてたまらない。このままモールにつかなくてもいいな、終わってほしくないと願いたくなる。歩いているだけなのにとても心躍る時間だった。
そんな時間も終わってしまい……けれど先輩が「ついたね」と嬉しそうに言うから。さらなる楽しみがあるのではという期待を抱かずにはいられない。
ショッピングモールの外壁はレンガ調のオシャレな造りをしていて、絶えずに多くの人がガラスの両開き自動ドアから出入りをしていた。
ヒカリたちも人の流れに乗り、中に入る。そこには円形の大きな噴水が優しい水の音を奏でて来訪者を出迎えていた。何か匂いを混ぜた水なのか、花のような優しい匂いが漂っている。
「うわ、人もすごいけど素敵な場所だね。俺も入るのは初めてなんだけど。その様子だとヒカリ君もだね」
久代先輩の問いにうなずき、ヒカリはぎこちない動きで周囲を見渡す。視線の先には噴水を囲むように仲良さそうな恋人たちが手をつないだり、腕を組んだりして。甘い思い思いの時間をそれぞれが堪能しているところだ。
そんな姿を見ていたら、ヒカリは一気に恥ずかしくなってしまった。自分と隣を歩く先輩はどう見られているんだろうと、自意識過剰なことを考えてしまった。
恋人なんか作ったことのない自分はもちろん、こんなところに来たことがない。ソウタと出かけようと思っても、こんな甘さ漂う空間に足を運ぼうとは思わない。ソウタとはワイワイしている場所の方が似合うし、落ち着くだろう。
だからか、こんな慣れない場所にいて周囲を傍観していると身体が強張ってしまう。緊張なのか不安なのか、胸がザワザワしてしまう。せっかく先輩と訪れているのに帰りたいかも、という気持ちがちょっとだけ湧いてしまう……なぜだろう。
そんな自分を見かねたのか、このオシャレな雰囲気に全く違和感のない先輩はヒカリの腕に優しく触れてくると、そのまま手を下に移動させ、手を握ってくれた。
しかもさりげなく指を組み合わせて、いわゆる恋人つなぎというものをしてくれて。
驚いて先輩を見上げると先輩は照れたように笑っていた。
「せっかくだから、こういう方がなんとなく馴染むかなと思って……イヤかな」
イヤなんかじゃない、イヤなわけがない。先輩の細長い指が自分の指をしっかりと絡めてつかまえてくれている。それだけでわずかに湧いた帰りたいという気持ちも心配も吹っ飛んだ。
どうしよう、これは本当に夢なんじゃないか。目が覚めたらいつもの自宅の白い天井が見えるんじゃないか。心臓が速く動きすぎて口から出てきてしまうかもしれない。
そんな不安に襲われたが目の前の先輩が緊張する自分を安心させてくれるようにほほ笑む姿を見て、これは夢じゃないと納得した。
「ヒカリ君、行こう」
そんな声が噴水の、水音の合間で聞こえた。
先輩とつないだ手はそのままにエスカレーターを乗り継ぎ、向かった先は最上階の広々とした屋上。そこは点々とあるランプの形をしたオレンジ色の街灯によって、少し紺色に染まっている空の下、人々と観覧車とテラスを淡い光で照らし出していた。
オシャレだなぁ……自分が味わったことのない世界にため息が出てしまう。
「先輩は観覧車とか、たまに乗るんですか?」
「いや、小さい頃以外はほとんどないな。ここのことはテレビとかで情報を知ってたけど。こういうところはさ、やっぱり大切な人と来てみたいと思うよね」
その言葉を聞いてヒカリは息を止めた。今すごいことを言われた気がする。それは意図的なのか、それとも自然な先輩の気持ちなのか。
言葉の真意を確かめる間はなく、先輩は自分の手を引いたまま、観覧車の受付で二人分の支払いを済ませ、二枚のチケットを購入した。
「先輩、お金――」
「それぐらい年上の役目だよ、行こう」
そこからは流れるように導かれ、チケットを係の人に渡し、通路を通ってゆったりと動く観覧車の下へ。そして誘導員の指示に従って順番を待つ人々が案内をされていく。
もう順番が来た。大好きな先輩と二人きりという空間へ。ど、どうしよ、心臓がもう止まるかも。
お二人様どうぞ、と。案内された先――観覧席である球体の開かれたドアの中に入り、席に座るとガチャリと外側からドアが閉められた。
室内にはゆったりとしたオルゴールのような曲がかかっている。室温も調整されていて寒くない、風もないから揺れない快適な空間。
それがゆっくりと上昇していく。四方のガラス窓から見える景色が一定の速度でスクロールをしていくと、先輩の顔も光や影によって様々な表情を見せてくれる……いや、どんな表情でもかっこいいんだけど。
この大きな観覧車は一周二十分ほどかかるらしい。 それまでは当たり前だがこの空間には自分と先輩しかいない。表情も見え、息づかいも感じられる二人だけの空間。
向かい合わせに座ってお互いに顔を見合わせて、なんとなく笑ってしまった。
「ヒカリ君ってよく笑うよね」
「え、そ、そうですか」
だって、それはそうだろう。好きな人がいるんだから。そんなことは言えないけど。
「ヒカリ君と話をすると、いつも君が笑ってくれるから。俺も自然と笑っちゃうんだ。いつも元気がもらえる」
先輩はそう言いながら窓の外を眺める。その横顔を見ながら「元気がもらえるのは俺もです」なんて言おうかと思ったが、それを口には出さなかった。
あからさまに先輩のことが好きなんです、と伝えるのは気が引けてしまうから。それは自分の決断がまた揺らいでいることを意味する。
こんなじゃ、またソウタに怒られちゃうな……決めたことはちゃんとやらなきゃ。なんなら本当に、このまま勢いで告白してしまおうか。別に玉砕覚悟だったんだ、何が起きてもかまわないじゃないか。
初めて助けてもらった時から好きだったんだ。なんでもできるその姿に、ずっと夢中になっていたんだ。胸の中には先輩への想いがたくさんあるんだ。
言え、言ってしまえ、こんなチャンスなかなかないよ。
ヒカリは一度目を閉じてから膝の上に置いた拳を握りしめた。そして「あの、先輩」と声をかけ、前を向いた、その時。
「ヒカリ君」
同時に動いた久代先輩も真剣な眼差しをこちらに向けていた。
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