第6話 ナポリタン

 気を取り直したヒカリはダッシュで屋上からの階段を駆け下りると教室に飛び込んだ。

 昼食を買いに行こうとしていたのか、ちょうど席を立ち上がっていた毎度おなじみの親友の元へたどり着くと、気持ちを抑えきれないまま抱きついていた。


「うわっ、なに、なに⁉」


 驚いたソウタが変な声を上げる。

 そして抱きついてきたのが自分だとわかると、細身だがしっかりと筋肉のついた身体をビクつかせた。


「な、なにっ、ヒカリ、どうした」


「ソウター、ソウターっ。大変なんだって。大変なことが起きたんだってっ」


 ソウタに早く教えたくて「実は」なんて言おうとしたところで、ヒカリは気づいた。ここでそんなことを言うわけにはいかないじゃないか、クラスのみんなに聞かれたら恥ずかしいし。


 動揺していたソウタもそれを察してくれたのか「わかったわかった」と自分をなだめながら、


「今から購買に行くから、そしたら聞いてやるからな」


 そう言って抱きついたままの自分を、抱きついた体勢のまま、ズルズルと引きずっていた。

 相変わらず仲良しだねぇ、とクラスメイトがからかうように言っていたのは、ヒカリには聞こえなかった。


 校内にある購買で調理パンを数個買うと「どこで話をするかねぇ」とソウタに連れられてきたのは。生徒たちの食事休憩場所としても勉強用としても使える丸いテーブルとイスがセットされた一階中庭のテラスだった。


 いつも適当な場所で食べるソウタがこんなシャレたところを選ぶなんて珍しいなと思いつつ、イスに座ると。ソウタから「あいよ」とビニール袋に入ったパンが手渡された。


「それ、いつもの生クリームパンな。お前もまだ昼飯食ってないだろう。さっさと食わないと昼休み終わっちまうぞ」


 いつも思うがさすがソウタだ、気づかいがすごい。自分がさっきまで久代先輩と話していたことを見越してのことだろう。

 パンと一緒に手渡されたストロー牛乳を口にしつつ、ヒカリは久代先輩とのことをソウタに話した。


「へぇ、お前すごいじゃん、いきなり大躍進じゃん。もしかしたらお前が言う前に本当に先輩から――いや、お前に変な期待を持たしたら可哀想だし、それ以上は言わないけど」


 ソウタはそう言いながらも買ってきたコロッケパンを頬張りながら「でもよかったな」と、口をもごもごと動かしていた。


 確かによかった、よかったけれど。

 でもなぁ……と、ヒカリの心には不安がよぎる。先輩と過ごせるのは嬉しい。少しでも仲が深まるのは嬉しいと思いつつも、不安の方が大きくて逃げ出したいような気持ちになってしまうのだ。


 久代先輩は完璧な存在だ。だから自分と一緒にいると、なんていうか、釣り合いが取れないんじゃないかという後ろめたさがあるのだ。至高の存在でそれゆえに憧れるのだが良すぎるのも不安で引け目を感じずにはいられない。

 だから、だから……わからなくなるんだ、引いた方が久代先輩が幸せになれるんじゃないかって。


「……ヒカリ」


 コロッケパンを食べ終えたソウタが低めの声を発する。


「また余計なこと、考えてんだろ。ヒカリのそこが悪いところなんだってば。余計なことは考えないで決めたことはちゃんとやり通せよな」


「わ、わかってるよ……」


 ソウタに今みたいに釘を刺されるのは今まで何度あったことだろう。自分が後ろ向きになっていると「自分が決めたことなんだから頑張れ」と、ソウタはいつも後押ししてくれる。いいヤツだと思う半面、何度言っても直らない自分のことを煩わしくないのかなぁ、と。ちょっとネガティブなことも考えてしまう。こんなことを言ったら怒られそうだ。


 でもそうなんだ、決めたことなんだ。卒業式に告白をするんだ。今日はたまたま先輩と出かけられるという嬉しいおまけがついてきただけだ。先のことは――先輩と出かけたら、どんな出来事が起こるかはわからない。

 でも、ただ出かけるだけだ。そうに違いないから、ひとまず安心するんだ。

 でも先輩から、もしかしたら告白されるかも? ということも想定してみて。

 そうなったら……うーん。


 ヒカリが考えを右往左往させているうちに、ソウタは次の焼きそばパンを口にしていた。よく食べるなぁ、そう思いながらソウタの食べる姿を見ていて――彼が自分のお弁当がないことに今になって気づいた。


「ソウタ、今日はお弁当ないんだ、珍しい。作ってもらわなかったの」


「あぁ……今日はバタバタしてたから」


「そうなんだ」


 ソウタの家には、会ったことはないが彼の実父と再婚をした母親とソウタの腹違いの幼い弟がいるらしい。父の再婚をきっかけにソウタは中学生の時にこの街に引っ越してきた。中学一年の時はクラスが別々で接点がなかったのだが、二年で同じクラスになって自分はソウタと出会った。

 最初出会った頃のソウタは今みたいに明るいヤツじゃなかった、もっと無愛想で怖い印象があった……今思うと信じられないけれど。


「夜はヒカリが何もなかったら、またお前と焼肉行こうかなーと思ったんだけどな。今日はお前もお楽しみがあるみたいだし、まぁいいや」


「昨日も食べたじゃん焼肉。あんなにいっぱい食べたのに、また今日も食べたいの?」


「焼肉はいつ食べてもおいしいだろー。満腹で幸せ感じるし」


 へへへと笑うソウタを見て、ヒカリもつられて笑った。食い意地の張った親友だ。

 けれど彼が食べ物をおいしそうに食べる姿はいつ見ていても気持ちが良いものだ。


「んーそうだ。ソウタ、何か食べたいものある? 俺もそんなに遅くなるわけにいかないし、夕飯時には家に帰ると思うけど」


 ソウタの目がパッと輝いた。


「え、なんか作ってくれんの。さすが家庭科部、ヒカリはいつも料理うまいもんな」


「ほめても豪華にはなんないよ。で、何食べたいの。今日はソウタの家、誰もいない? 家で作って持ってくの、めんどくさいからソウタの家で作らせてよ。そしたら一緒に食べれるじゃない」


「オレんちー? いないけど材料もないんだよな、学校帰りに買っとくわ」


 彼の家には何度も行ったことがある。塀に囲まれた普通の二階建ての一軒家だ。小さいアパートに母親と暮らしている自分としては、一軒家なんてうらやましい。

 行くのは必ずソウタ以外の家族が誰もいない時が都合が良いらしい。多分、家族と顔を会わさせるのがソウタも気まずいのかもしれない、血の繋がらない母親と弟……自分でも友達を会わせるのはイヤかもと思う。


「……お前さ、あわよくば久代先輩と飯でもーとか考えないの? せっかくのチャンスじゃん。オレとじゃなくて先輩を誘ってみれば?」


 その考えは思いつかなかった。確かにその方が先輩と一緒にいる時間が長くなる。

 しかしソウタが牛乳パックのストローを加えながら目線を遠くにやっている様子を見て、ヒカリは苦笑いを浮かべた。

 それは彼が「自分のことは気にするな」とわざと興味なさそうに見せているだけで、実際は気にしてほしいと言っている時の仕草だと、長年の付き合いでわかっているから。


「それはいいや、先輩とは出かけられるだけで十分。それにソウタと夕飯一緒に食べるの、俺好きだし」


 ソウタがストローを口で転がしつつ、視線をこちらに向ける。不思議そうにまばたきをすると「うん」と照れくさそうにうなずいた。


「で、ソウタは何を食べたいの」


「そうだなぁ」


 考えているふうを装ってはいるが、彼の中でリクエストは決まっているはずだ。ソウタが自分の手料理で食べたいというものは大体いつも同じなのだ。


「オレ、やっぱりナポリタンがいいなー」


「好きだね、ナポリタン」


「だってお前が作ってくれた初めてのモンだしさぁ、すっげぇうまかったしさー」


 その始まりはソウタの家に遊びに行った時だ。ソウタに『何か作ってあげる』から始まり『料理なんてできるの?』となって『普段からやってるからねー』と言って。

 材料は玉ねぎやハムなど冷蔵庫にあるもので、調味料はケチャップとほんのり甘さを加える砂糖を入れて――手軽にできるナポリタンを作って。

 ソウタはすごくおいしそうに食べてくれたんだ。


 その時は自分も親以外に、誰かに料理を振る舞ったことなんてなかったから。誰かに食べてもらえることが胸があたたかくなり、嬉しいなんて知らなかった。

 それがとても嬉しかった。


 だから今、家庭科部というものを選んだんだよ? ソウタのおかげでさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る