第24話 やり通せるか

『三月一日』

 久代先輩が今日卒業したよ。ソウタにはまず、謝らないといけないことがある。俺は久代先輩に告白はしなかった。宣言したのに守らなくてごめんね。先輩からの告白は、ごめんなさいって断ったんだ。なんでって言われるとメールでは言えないけど、これが俺の選択なんだ。


『三月二日』

 今日も良い天気だよ。でもソウタはまだ起きないね。ソウタが起きるの、俺、待ってるからね。ソウタが起きるまで毎日、何があったかメールしようと思ってるんだ。だって何が起こっていたのか、わからないとイヤだし、俺がソウタに伝えたいから。あとでメールの量見たらゾッとするかもだけど。でも伝えたいんだ。


『三月三日』

 ソウタ、実はね、ソウタのお父さんと電話で話をしたんだ。ソウタの入院のこともあったからだけど、ソウタのこと、とても心配していたよ。目が覚めて落ち着いたら少し話をしてみてもいいんじゃないかな。


『三月四日』

 俺、母さんと話をしたよ。一年間だけ、高校を休学させてもらうことにした。仲良くなった同級生は先に卒業しちゃうけど、俺がソウタと卒業したいって思ったんだ。だから待ってるから、早く起きてね、ソウタ。


『三月五日』

 俺、バイト行ってみることにした。昼間はお前のところに来たいから、バイトは夜だけ。と言ってもまだ高校生だからそんなに長い時間はできないけど俺、料理とか好きだから居酒屋でバイトしてみることにしたんだ。料理覚えたらソウタに色々作ってやりたいな。


『三月六日』

 あの事故から一週間経つけど、まだ起きないな。ソウタのせっかくの足の速さとか、衰えないかがちょっと心配。でもよく食べるソウタなら大丈夫かな。待ってるから。


『三月七日』

 昨日初めてのバイトに行ってみた。そしたらびっくりした。バイト先に卒業したはずの瀬戸川先輩がいたんだよ。先輩もずっとそこでバイトしていたみたい。まだ大学は始まってないけど、始まっても夜はバイト続けるんだって。一緒になっちゃってちょっとドキッとしたけど。前より怖いって思わないかも。とりあえずバイト頑張るよ。


『三月八日』

 今日はちょっと雨が降ってる。ソウタはまだ起きないねぇ……でもソウタのこと待ってるから。


 一年前に起こったメールから、昨日までの『紀和神社に行ってきます』というメールまで。自分のベッドに寝転がりながら、それをずっと眺めていた。

 たまに自分が鼻をすする音が室内に響く。すすったあとは自分でもわかるぐらい「はぁ」と吐くため息が何度もれている。


 何やってるんだろうな、俺は。


 ヒカリはスマホをベッド上に放り出し、目を閉じる。今は何もしたくないという無力感に襲われ、呼吸をむなしく繰り返すしかしたくない。でももう少ししたらバイトに行かなくてはならない……今日は接客うまくできないかも。


 自分はなんでこんなにも落ち込んでいるのだろう。

 期待していたことが期待通りにならなかったから?

 感動的な再会ができると思っていたから?

 ソウタを好きだと自覚したのに、それなのに拒絶されてしまったから?


 理由はどれも正解だ。目が覚めたらソウタが「あ、ヒカリ!」って笑って言ってくれるかと思った。起きて早々「腹減ったなー焼肉食いたいな」なんて言ってくれるかもしれないって思っていた。


 けれどソウタは違った。

 お前は幸せなのかと問われた。なんでソウタはそんなことを聞いたんだろう。


 それは……今の状況が幸せなのかと問われれば、うなずくことはできない。今は悲しい。ソウタと笑うことができなくて悲しい。

 ソウタは「俺のせいだ」と己を責めていた。

 ヒカリに幸せになって欲しかっただけだ、と言っていた。


 何を言ってるんだよ。ソウタのいう、俺の幸せって何よ? 久代先輩と両思いになっていればよかったということなのか。告白を受けて恋人同士になって、ソウタの事情は何も知らないでいた方がよかったのか?

 それがソウタにとっても幸せだったのか?


 でもソウタ……俺、気づいちゃったんだもん、お前が好きだって気づいちゃったんだもん。俺にはもうその選択しかないんだもん。

 どうすればいい?

 ねぇ、ソウタ、どうしよう。


 今まで何度、その問いをしてきただろう。いつも自分は迷ってしまうと「どうしよう」と口にしては迷っていた。その度にソウタは「お前の決断だろ、決めたことをやり通せよ」と背中を押してくれたんだ。


 ……そう言われたら、やり通すしかないじゃないか。今の自分の選択、ソウタが認めてくれるかわからないけれど。

 怖いけど辛いけど、まだあきらめないで選びたい。ソウタのことが好きなんだと選びたい。


 その日のバイトを終え、翌日はまたいつものように病院へ行った。

 つい先日までベッドに横たわっていたはずのソウタの姿は病室にはなく、ソウタはまた車椅子に座って屋上にいた。


 屋上の入り口に背を向ける姿は「オレのことはかまうな」という、彼の拒否が全身で現れているようで。その姿は中学で初めて会った時のソウタの姿を思い起こさせた。


 ソウタは自分のことにかまってほしくない時、気にするなという時に視線をそらす。

 けれど本当は、それは、本当は気にして欲しい時。自分の存在に気づいて欲しい時だ。


 中学の時、ずっと独りだったソウタは誰とも視線を合わせようとしなかった。本当は気づいてほしいのに、強がってそれを口に出さなかった。


 中学で自分が歩み寄った時、彼は本当の彼になったのだ。明るくお調子者のソウタに。

 再びそれができるだろうか。

 何も感情を表さないその背中を見ながら、声をかけたいと思ったがかけられない。とまどいに足が前に出せない。

 またソウタに拒絶されるかもしれない、それは怖い。とてつもなく悲しい。もうソウタは自分のことを受け入れてくれないかもしれない。


 それでも決めたことをやり通さなくては、ソウタに怒られてしまうから。


「ソウタ」


 声を振り絞り、儚げな存在の名前を呼ぶ。

 背中を向けたままのその姿はどんな表情を浮かべているのか全くわからない。


「ねぇソウタ、俺の送ったメール見てくれたでしょ。たくさんあったから読むの大変だったろうけど。そのメールでさ、俺、辛いとかそんなこと言ってないでしょ」


 メールで送ったのは全て本心だ。そりゃあ待っていると言いながらソウタが起きなくてさびしいなぁ、とかはあったけれど。

 ソウタが起きるのを今か今かと待っている時間はわりと穏やかに過ごすことができた。起きるのを楽しみにしていたから。


「俺が久代先輩の告白を断ったのも、学校を休学してんのも全部俺の選択だよ。俺がこうしたいって選んだんだ。だからそれを不幸だなんて思わないよ」


 だからこっちを向いて欲しい、笑顔を見せて欲しい。


「だから……俺が幸せじゃないなんて、思わないでよ。ソウタが助けてくれなかったら、俺はこうしていなかったかもしれないんだ。ソウタが導いてくれたんだ。そして俺も選んだよ、俺は自分がどうしたいのか、やっと選んだんだ。ねぇ、ソウタ、こっちを向いて聞いてよ――」


 しかしソウタは振り返らない。ただ呆然と澄んだ空を見上げ、そのきれいさを見ているのか見ていないのか、わからないけれど。そこに佇んでいるだけだ。


 ソウタと一緒にいたいんだ。それが俺の選択なんだよ。

 ヒカリは言おうとした。

 だが先にソウタの言葉がそれを遮った。


「……帰れよ」


 声にもならない、かすれた声。小さい声なのにその言葉は胸に大きな何かが当たったかのようにズシンとくる。また拒絶されてしまった。


 ……焦ったらダメだ、大丈夫。ちょっとずつ、また歩み寄ってみればいいんだ。ちょっとずつだ。


 また来るから、と言い、ヒカリはその場を離れた。胸が痛くて、胸に手を当てながら。唇を噛みしめながら、ソウタ……と彼の名前をつぶやきながら、その場を離れた。

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