第25話 先輩たちのアドバイス

 ソウタが起きてから数日が経つ。

 自分は変わらず病院へ行ったり、居酒屋バイトをこなす生活を繰り返している。もう一年もこの生活をしているから、どちらも自分の一部のようだ。定着していてどちらも行かないと落ち着かない感じだ。

 ただ気持ちだけが沈んでいる。ソウタが起きたのに眠っていた時よりも、今の自分の気持ちが沈んでしまっている。


 正直言って結構辛い。心が折れてしまいそうというのはこういうことを言うのか。

 ソウタとは会って話をしている――いや一方的に自分が語りかけているだけなんだけど、相変わらず何も答えてはくれなくて。


 好きな人がすぐそこにいるのに何もできないし、ソウタが再び前のように笑ってくれるようになるのかもわからない。彼の拒絶を受ける度に心の傷がジワジワと広がっていく。


 病院の顔馴染みとなった看護師が言うには身体の方は癒えているから心の問題かもしれないという。あとは脳にダメージを負ったことによって生じている意識の混濁……過去の自分に戻ったり、別の自分になってしまったり。

 見てる方は辛いが、焦らずゆっくり接することが大事だと言う。いつかは心も癒えていくから、と。その言葉を励みになんとか頑張るしかないのだ。


 起きたのに、ソウタは何も食事を取らない日々が続いている。なんとか点滴で水分や栄養は補給をしているが回復するにはそれだけではダメなのだと、みんな口を揃えて言う。やはり食べなくては元気が出ないし、楽しい気持ちも湧いてこない。そのためには気力を――ソウタの生きる気力を取り戻さなければならない。


 どうしたらいいんだよ、どうしたら……。


 バイト先の厨房でお客からの注文であるチョレギサラダを作りながらソウタのことを考えつつ、レタスを千切っていた時だった。


「最近、元気なさすぎだ」


 そう言って突然、隣にズンと大きな体格をした人物が現れた。居酒屋の制服である紺色の作務衣のようなものを着た大柄な瀬戸川先輩。

 その姿を初めて見た時は「意外と似合うんだ」なんて思ってしまったものだ。


「んな情けねぇ顔してたら、せっかくの料理がまずくなんだろ」


「あ、すみません。大丈夫です、メニューはちゃんと作りますから」


「違う違う、ただつまんねぇ顔して淡々と作ったって仕方ねぇだろ。うまいもん食わせるっていう気合いが大事なんだろう、今のお前には全然入ってねぇじゃん」


 そう言うや、瀬戸川先輩はヒカリのレタスをちぎる作業を横取りして「しょうがねぇな」とボヤきながら、作業をやり始めた。

 そんな先輩にもう一度「すみません」と謝ると、先輩は手を動かしながら鋭い目つきで自分をチラ見して、またレタスを見つめた。


「なんだ、ダチとうまくいってねぇのか」


 瀬戸川先輩にごまかしを言ったって仕方ない。ヒカリは「はい」は答えて自分の不安を口にする。


「……正直、もうダメなんじゃないかなって思っちゃうこともあります。あいつ、ご飯も食べないし、身体を動かそうともしないし、何もしてくれないし」


 レタスを千切り終えた先輩が「ふぅん」とつぶやきながら、今度は調理台に置かれたキュウリを手にした。


「だったら、お前が何かしてやればいいじゃねえか」


 その言葉に「えっ」とヒカリは目を見開く。


「そいつに元気になってほしいんだろ。だったらお前が何かしてやりゃいい。そうだな……情けねぇ話だけどよ、俺が風邪引いて熱出してぶっ倒れていた時は久代のヤツが差し入れしてくれた時があってさ」


 その話……自分にも覚えがある。ヒカリは先輩の話を聞きながら、その覚えを思い出す。


「コンビニで買ったもんなんだがスポーツドリンクとお茶と……あと俺が好きなポテチが入っててなぁ、風邪引いてんのにポテチも辛いもんがあったけど、まぁ治ってからそれはありがたくいただいたな」


 瀬戸川先輩はフフッと笑い、包丁でキュウリをカットしていく。鮮やかな包丁さばきでキュウリはあっという間に細切りだ。先輩は実は料理人になりたいらしい。バイクに乗っているから、そういう系な将来を目指しているのかと予想していたから、その話を聞いた時は皿洗いの手元が狂ったものだ。


 でも瀬戸川先輩も同じ思い出があるなんて。自分も過去に、ソウタにそうしてもらったっけな……ソウタは、いつも自分のために何かをしてくれた。いつも駆けつけてくれた。


 元気になってほしければ自分が何かを、か。


 そんなことを考えていた時、ポケットに入れてたスマホが電話の着信を鳴らした。マナーモードにしていなかった、と焦りながら画面を見ると、ソウタの入院している病院名が表示されていた。


 ソウタ、何かあったのか。

 そんな自分の焦りを察したのか、瀬戸川先輩が「出ろよ」と完成したサラダを皿に盛りながら言う。

 すみません、と頭を下げ、ヒカリはその場で通話ボタンを押した。電話に出たのは病院の顔馴染みの看護師だった。


『ヒカリ君、忙しいところごめんね、今大丈夫?』


 大丈夫ではないけれど「大丈夫」と答えた。

 すると看護師は冷静に電話をかけた理由を教えてくれた。

 ソウタがいなくなってしまった、と。


『まだリハビリもしてないし、まともに歩ける状態じゃないんだけど。車椅子だけ残っているから多分歩いて行ったんだと思うの。それで一応お父さんにも連絡したんだけど、お父さんはすぐに駆けつけられる状態じゃないし。ヒカリ君なら居場所がわかるかなと思って。まだ警察には届け出てないから騒ぎにはなってないけど、ヒカリ君、思い当たるところはある?」


 自分の心臓が早く動き出すのを感じてから、ヒカリはどうしようと考えた。

 思い当たる場所……まともに歩けないソウタが行ける場所――行く場所なんてあるだろうか。


「……あ、そうだ、スマホの位置情報ならわかるかもしれません。 一度電話を切っていいですか、またすぐかけますから」


 そう言ってヒカリは一度電話を切り、ソウタとつながっている位置情報提供のアプリを開いた。

 しかしそのアプリの位置情報が示しているのは病院だ。ということはソウタのスマホは病院にある、持ち出していないのだ。


 かすかな希望は絶たれ、ヒカリは「くっ」と歯噛みした。どうしよう、ソウタ、どうしよう、どこにいるの。


「ヒカリ」


 呼ばれた方向に視線を向けると、サラダを作り終えた瀬戸川先輩がボールを片付けながら「行ってやれよ」と言った。


「い、行けってどこに?」


「お前ならわかるんじゃないか。お前のダチが自分のことをずっと隠していた場所が。見つけてほしいけどそう簡単に踏み入れることができなかった場所がよ」


 瀬戸川先輩の言葉に、ヒカリは息を飲む。そんな場所があっただろうか。ソウタが自分のことを隠す場所……簡単に踏み入れられなかった場所。

 ソウタがいた場所。彼がいただろう場所? 見た目は普通で幸せそうで、でも中は見た目とは正反対で孤独でさびしい、ソウタの秘密のような場所。それを偽るようにいつもリビングの電気はつけたままて、テレビも明るいお笑い番組ばかりで。


 思い当たる場所がある、とヒカリは顔を上げた。瀬戸川先輩はニッと笑って「んじゃ行ってこい」 と言った。


「でもまだ退勤時間じゃ――」


「んなもん、腹が途中で痛くなったとか言えばいいんだよ、今はとにかく行ってやれ。もう気づいてんだろ、お前自身の正直な気持ち。選んだならとっとと行けよ」


 一瞬迷ったが瀬戸川先輩の言葉は本気だ、いつも真っ直ぐだ。ならば先輩の気持ちを受け取らなければ。

 ヒカリは頭を下げて「ありがとうございます」と言って厨房を飛び出した。服を着替え、自分の荷物を持って裏口から外へ出ると「あれ、ヒカリ君」と声を発する人物がいた。


 久代先輩だった。暖かそうなコートを着て佇んでいるのは大事な友人を待っているからだ。


「もう仕事終わったのかな。あいつはまだ終わんないんだよね」


「は、はい。すみません、俺を先に上がらせてくれたので、瀬戸川先輩はもうちょっとかかるかな、と」


 慌てて理由を話すと久代先輩は心配そうに首を傾げた。


「ヒカリ君、大丈夫? 何があったかわかんないけど……気をつけて行くんだよ」


 先輩のその一言で焦って今にも走り出しそうだった気持ちが、フッと落ち着いた。

 そうだ、焦って自分が道中で事故とかにあって彼の元に行けなくなったら。彼はもう二度と本当の彼になれなくなるかもしれない。さすが久代先輩だと思った。今でも完璧なんだ、この人は。


「ありがとうございます、久代先輩、それじゃあ――」


 そう言って踵を返そうとした時、久代先輩はもう一度名前を呼んだ。


「君が何かをもう一度変えたいと思うなら、変えることができたものを考えるといいと思うよ。俺が過去に一度振られて、そこから変わって。もう一度君に振られて変わることができたように」


 先輩は懐かしむようにクスッと笑った。その笑みはとても落ち着いている。

 久代先輩と瀬戸川先輩は今でも付き合っているとかの関係ではない。

 けれど一緒にいることをお互いに楽しんでいるようなのだ。


 ……変えることができたもの?

 彼を変えることができたもの、それは。


 ヒカリはもう一度「ありがとうございます」と言うと久代先輩に背を向け、 走り出した。


 彼がいるのは彼が誰にも気づかれずに過ごした、彼が望まない場所。

 そして彼を変えるのは、彼を変えることができたもの。

 なぞなぞみたいで難しい、でもわかるような気もする。もう一度、たどればいいんだ。

 とりあえず今は彼の元へ向かわなくては。

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