第10話 選択が怖い理由

 気持ちが急いて早足になりながらソウタの家にたどり着く。

 そこは閑静な住宅街だ。その中の一つの家、塀に囲まれた立派な一軒家がソウタの家だ。リビングらしき室内には明かりが点いており、閉じられたカーテンのわずかな隙間から光が漏れている。

 それを見た途端、待っていてくれたんだという気がして、なんとなくホッとした。


 インターホンを押すとソウタはすぐに出て鍵を開けてくれた。まるで出迎えてくれるかのように室内が暖かい、ただ単にエアコンが効いているだけなんだろうけど。寒さと不安に凍りついてしまいそうだった心身が瞬く間に溶けていくようだった。


 どうぞーと言いながらリビングに戻ったソウタは大きなソファーに座ると「オレ、ご飯できるまで待っててもいい?」と聞いてきた。どうせ手伝うと邪魔になるからという彼なりの気づかいだ。

 いいよ、と言うと。ソウタはそれきりテレビを見て黙ってしまった。

 その様子を見てヒカリは苦笑すると、慣れた足取りでキッチンに向かった。


 ソウタのそういう何気ない気づかいにはいつもありがたみを感じる。何かあってもソウタは「話せよ」とはせっつかず、自分が話すのを待っててくれているのだ。自分の気持ちが落ち着くのを、心の中にある言葉同士がしっかり繋がるのを。静かに待っててくれているのだ。


 それにしてもソウタの家はいつ来ても広くて、さすが一軒家だなと感心してしまう。大きいソファー前にはガラステーブルと、大きなテレビがあって、テレビの周りは大きな家具調のテレビボードがあって。厚めの絨毯も敷いてあって。掃除もきれいに行き届いていて。


 でも見ていると、さびしい感じがいつもしてしまうのは、なぜなんだろう。ソウタの家には何回も来てはいるが、いつもさっぱりしているというか。暖かいが整った部屋は自分の家なんかより全然広くて家具もしっかりしているのに何かが足りない気がするのだ。


 ソファに座るソウタの姿を見られる位置にダイニングキッチンがある。ヒカリはソウタの横顔を見ながら勝手知ったる我が家とばかりに調理を始めた。

 スパゲッティ用のお湯を作って、ソウタが用意してくれた玉ねぎ、ピーマン、ニンジンを切って。肉は……フランクフルト? のような巨大ソーセージだ。いつもはもっと小振りなウィンナーとかでやるんだけど、お肉大好きなソウタらしいと思う。


 手早く調理を済ませ、 完成したナポリタンを 皿に盛ってソウタの前のガラステーブルに置き、ヒカリもソファーに座った。


「ソウタの家のキッチンはいつきれいだよね、使いやすいし」


「そうか? そんだけ使ってないってことなんじゃねぇの。まぁ、使いたかったらいつでも使ってくれよ」


 そんな話を話しながら、ソウタは早速フォークでナポリタンを絡め取り「いただきまぁす」とお腹が空いた子供の素早さでナポリタンを口に含む。するとすぐに「やっぱりうまいな、最高」と感動の声を上げた。


「おかわりあるよな? オレ、まだ食うよ」


「口もごもごしたまま、しゃべんないの。まだあるよ。五人前ぐらい作ったからいっぱい食べなよ」


 ソウタはモグモグしたまま「イエーイ」と言っていた。まったくもって子供みたいだ、でもそんな姿がいいなと思ってしまう。

 自分もナポリタンを食べながらテレビを見たり、頭の中で先輩のことを考えたり、何回か立ち上がってはおかわりをするソウタの食べっぷりに苦笑いをしたり。


 そんな落ち着かないまま時間が過ぎていて、なんとなく食べ進めていたら。いつの間にか自分の皿は空っぽになっていた。でもおかわりをする気もないし、食べっぷりのいい人物が何回もおかわりに行っていたからフライパンの中身はもう空っぽだろう。


「ふー食った食った、ごちそうさま。いつもヒカリの料理はうまいよなぁ」


 満足そうにお腹をさするソウタに「お粗末様でした」と返す。そしてソファーの背もたれにどっかりと背中を預けるソウタに並び、自分もソファーに背中を預けて天井を眺めた。


 ほんの少しの間、テレビの音だけが流れる。お笑い番組だ、にぎやかな笑い声がする。

 ヒカリは天井を見たまま、口を開いた。


「久代先輩にさ……先に言われたんだ」


 体勢を変えぬまま、頭の後ろで手を組んだソウタは「ふーん」と短く答えた。


「それで卒業式の日に返事が欲しいって」


 思い出すだけで胸が苦しい、鼓動が早くなる。今でも信じ難いのだ、自分が憧れだった先輩に告白されるなんて。


「その場で返事しなかったのか」


 ソウタが「なんで」と問い詰めるような声を出したが、そんなことを言われても言葉は出てこない、自分でも困っているのだから。

 何も言えずに黙っていると。ソウタは天井に向かって息を吐きながら「迷ったんだろ」と確信をついてきた。


 ソウタの言葉は合っている、確かに迷ってしまった。先輩が好きだけど、先輩と付き合いたいなって思っているけれど。

 先輩を選んでいいのか。

 それで先輩が幸せになれるのか。自分は本当に先輩にふさわしいのか。

 そして先輩のことを、自分は本当に選びたいのか。


「ヒカリ、お前って前から何かを始めたり、選んだりするのを怖がってる。それってさ、なんでなの」


 うーん、とヒカリは考える。

 そんな自分になった理由……確信はないけれど選ぶことが怖くなったのは、きっと――。


 昔、両親が離婚する時に「どっちを選ぶ」って言われた。自分は小さかったから、とりあえず一番安心する方を選んだと思う、母と行くって言った。父も好きだったから特に意味なんてない、なんとなく選んだのだ。


 その数日後だ、父が事故で死んだという連絡があった。その時は小さかった自分は何も教えてもらわなかったけれど、小学生になってからその事実を聞き、自分はもう二度と父に会えないんだと思うと悲しかった。


 それから時折、ぼんやりと考えるようになったことがある。それはあの時、父を選んでいたなら、ということ。そうすれば父は死ななかったかもしれない。今でも話すことができたかもしれない、ということ。でもそれで母が反対にいなくなっていたら、それはそれでイヤなんだ。


 それを漠然と考えると自分の選択が誰かの生き方に影響を及ぼすことがあるのが怖くなった。どっちを選ぶって聞かれると心がざわついた。

 どちらかを選べば、どちらかが不幸になるかもしれない。そんな影響力が自分にあるとは思わないけれどゼロではないと思うと、選んで決めることが怖くなった。


 そんなことをソウタに言ったのは初めてだった。ソウタは「そっか」と発すると頭の後ろに上げていた腕を下ろした。


「でもさ、これから先も決めなきゃならないことっていっぱいあるじゃん。お前はそのたびに迷って、どうするかを選んだりしても、いつも自分の選択に後悔するのか。そんなのって疲れちゃうじゃん」


 ソウタが横目でチラッと自分の方を見たのがわかった。


「自分の心が望むままに選んで動いた方がよくない? 今、どうしたいかを自分で考えてさ」


 ソウタの身体がさっと動く。腕を伸ばし、自分の肩をつかんでくると。

 身体がソファーの上に押し倒されていた。


「ソウタ……?」


 なんだ、と思った時にはソウタの顔が真上にあった。グッと両肩を押さえられ、簡単には身体を起こせない。

 ソウタの表情は真顔だ。いつものふざけた調子ではない。その瞳を見つめ返すと形の良い眉がピクッと上がった。


「……ヒカリ、今、どうしたい?」


「ど、どうしたいって」


「オレがこうしているのがイヤで、逃げたいとか」


 ヒカリはこの状況について考える。ソウタが何をしたいのかはよくわからないが。少しドキドキはするがイヤではない。相手は気を許せるソウタなんだから逃げなくてもいいかな、と頭も身体も安心しきっているから。

 そう伝えると、ソウタは「じゃあこれがたとえばオレじゃなくて久代先輩だったら」と言った。


 その言葉には心臓がはずむ。

 これが先輩だったら。先輩が間近にいて、こんな形で見つめてきたら。先輩が自分に触れようとしてきたら。

 逃げ、ようとは思わない。その先にあるものを期待してしまうかもしれない。だって好きな人だ、触れたいと思うものだ。


 顔が熱くなって思わず目を閉じた。そうなるということは自分はやはり先輩が好きなんだと自覚する。先輩と一緒にいたい、触れたい、触れてもらいたい。

 そう思いながら胸から熱い息を吐き、目を開けると。目の前のソウタが戸惑っているように口を引き結んでいた。


「……ソウタ……どうしたの」


「……どうも、しないけど」


 先程までの勢いがなく、言葉が続かない。

 どうしたんだろうと思って、なんとなく、ソウタの頬に向かってヒカリは手を伸ばしていた。

 ソウタの全身がビクついた。


「……ソウタ、ありがとう」


 ソウタは自分の気持ちを奮い立たせようとしてくれたのだ。そう思って頬に触れながら礼を述べる。ソウタの頬がものすごく熱い。大丈夫かなと気にかかったが、それをじっくりとは確かめる間はないままにソウタは身体を起こすと。今度はソファーの背もたれにうなだれてしまった。


「……はぁぁ、つっかれたぁぁ……もうさぁ、真面目なこと言うとオレ、疲れちゃうんだからさぁ、マジで頼むよ」


 そんなソウタに呆気に取られたが、ヒカリは「ごめん」とつぶやく。なんだかソウタに無理をさせてしまったようだ。


「悪かったよ、ソウタ、変な話になっちゃって……もう大丈夫、多分。もう何も起こらなければ」


「全く、何かあってもめげるんじゃないのっ、それが恋ってもんだろ。恋は突撃あるのみ、んで玉砕……って、お前はもう玉砕エンドはないのか、はぁー、オレ、どうすんだよ」


 今度はめげそうなソウタを励ましたが、ソウタは「無理ゲーすぎ」とうなだれたままだった。

 そんな発言をしてから気分転換に「ゲームしよ」となり、家に帰る時間まで二人でテレビゲームをすることになったのだった。

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