六日目 4

 ガクッと大きく身体が揺らされて、フランシーユは唐突に目を覚ました。

 何事かと思って顔を上げるが、辺りは暗くてなにも見えない。

 一瞬、ここがどこなのかもわからなかった。

 気がつくと抱きかかえられるようにして立っていた。

 遠くの方から「隊長ー! こっちですかー?」という声が響いている。


(そういえば、さっきアンセルムに会ったんだったわ)


 ということは自分の腕を掴んでいるのはアンセルムか、と思い出しながら声がする方へと視線を向けると、頭上でなぜかチッと舌打ちが聞こえた。

 なぜ彼が舌打ちをするのかよくわからないが、問いただす気力はなかったのでフランシーユは黙っていた。

 すこしだけ寝たので気持ちは落ち着いたが、眠気や疲労が取れたわけではない。

 走る靴音と共に、手提げ灯火ランプの灯りが近づいてきた。


「あ! 隊長!」


 灯火を持った大きな影が駆け寄ってきた。

 それを見た瞬間――――。


「いや――――熊――――っ!」


 フランシーユはアンセルムにしがみつき、腹の底から金切り声を上げた。


「そいつ、ラコートって名前の隊士で一応は人間だから」


 暗闇の中、ほとんど影にしか見えない隊士を顎で示しながら、悲鳴を上げ続けるフランシーユに向かってアンセルムが説明する。どうやらこの反応は初めてではないらしい。


「隊長。ご無事でしたか。ところで、そちらのお嬢さんは?」


 熊と間違えられることには慣れているのか、ラコート隊士は特に気分を害した様子もなく尋ねる。

 そういえば熊のような隊士がいる、と数日前にアンセルムが話していたことをフランシーユは思い出した。


「プルミエ公爵家のご令嬢だ」

「あぁ、こちらが例の――」


 例のとはどういう意味だ、と思いつつフランシーユは恐る恐る顔を上げた。

 やはり、熊によく似た風貌の男が立っている。

 よく見れば顔全体が毛で覆われているわけではないが、ひぐまにそっくりだ。


「賊は捕らえたのか?」


 フランシーユを抱え上げながら、アンセルムがラコートに尋ねる。

 自分で歩ける、と言おうとしたが、足が痛かったのでおとなしくしておくことにした。


「はい。今度は陛下の執務室に三名が現れたので、全員捕らえました。あと、ドゥジエーム大公のところに戻っていた主犯格の男も捕らえました。そいつがどうやら女王陛下を攫った犯人のようです」


 主犯格、と聞いてフランシーユは身をすくませた。

 その様子に気づいたアンセルムが、なだめるようにポンポンと背中を軽く叩く。


「ドゥジエーム大公の屋敷に集まっていた元親衛隊の隊士は一人残らず逮捕しました。連中は主犯格のルドという男が女王襲撃の計画を立てていることを知っていたにもかかわらず、一部の元親衛隊隊士が襲撃を実行に移すのを看過した罪で捕らえています。国家反逆罪で裁判にかけることになると思います」

「そうか」


 ひとまず全員が逮捕されたようだと知って、フランシーユは胸を撫で下ろした。


「陛下は?」

「ご無事です」


 アンセルムの問いに、当然のようにラコートが答える。

 その返事から、ヴィオレーユ女王が戻ったことをフランシーユは察した。


「宰相閣下が、賊は捕らえたのに隊長はなにをしているのかとお怒りでした」

「勝手に怒らせておけ」


 フランシーユを抱えて部下がやってきた方向へと歩き出しながら、アンセルムは吐き捨てるように告げた。


「こっちは徹夜で王宮中を駆け回っていたっていうのに、執務室の中をうろうろしていただけのおっさんに文句を言われる筋合いはない」

「はい」


 上司の言葉を素直に受け取った熊のような姿のラコートは、灯火を持って先導を務めた。


     *


 ようやくフランシーユが地下から脱出できたのは、午後を過ぎた頃のことだった。

 彼女はほぼ丸一日地下をさまよい続けていたことになる。

 外に出ると、たくさんの隊士や警備兵に囲まれたので、さすがにアンセルムに抱えられているのは恥ずかしくなり、フランシーユは自分の足で歩くことにしたが、立った途端に目眩がしてアンセルムにしがみついた。

 疲労と、しばらく暗い場所にいたせいで目が暗闇に慣れてしまったせいだろう。

 フランシーユの様子に気づいたアンセルムが、結局もう一度彼女を抱え上げた。

 自分の格好がかなり酷いものであろうことは想像できたが、誰もがフランシーユの無事を喜んでくれるだけで、格好やなにがあったのかについては一切尋ねなかった。髪が乱れたり汚れたりしていたので、ヴィオレーユ女王とよく似た顔であることも気づかれなかった。

 事情を知らない隊士のひとりが「こちらのお嬢さんはどうなさったんですか」と尋ね、アンセルムが簡潔に「国家機密」と答えたので、そのまま箝口令が敷かれることになった。

 フランシーユもこの状況をうまく説明することができなかったので、黙っていることにした。

 王宮の客間のひとつに通されたフランシーユは、そこで風呂に入り埃やら黴やらの臭いをすべて洗い流し、着替え、軽食を摂って空腹を満たした後、客間の寝室で眠りについた。

 アンセルムは「いい加減、家に帰りたい」とぼやきながら隊舎で入浴と着替えを済ませて戻ってくると、そのままフランシーユが軽食を食べている最中に居間の長椅子に倒れ込むようにして寝てしまった。

 フランシーユが女官に頼んで毛布をかけてもらう間、彼は寝息も立てずに爆睡していた。


     *


 次にフランシーユが目を覚ましたときには、枕元にマリアンヌの顔があった。


「フランシーユ、怪我はしていない?」


 瞼を開いたフランシーユの顔を覗き込み、マリアンヌは優しく髪を撫でながら尋ねた。


「えぇ、特には」


 身体を起こしながらフランシーユは静かに答える。

 まだ夜なのか、部屋は蝋燭の灯りで照らされていた。

 辺りは静まりかえっていたが、マリアンヌの背後には父と兄の姿があった。

 それを見た瞬間、やはりヴィオレーユ女王は戻ってきたのだと理解した。

 同時に、自分の身代わり生活も終わりなのだと。


「なにか食べたいものはある? 欲しいものは?」


 まるで大病をわずらった子供を相手にするように、マリアンヌはフランシーユは尋ねた。


「特には……あぁ、そういえば」


 まだ身体はだるく、足は痛いが、自分は無事に脱出できたのだという実感で全身に力が満ちてくるのを感じた。


「剣、が欲しいです」

「剣?」


 マリアンヌが首を傾げた。


「はい。今回の件の首謀者を斬るための剣が」

「首謀者? それなら、近衛隊が捕らえて監獄に送ったわ」

「女王襲撃の首謀者ではなく……女王失踪の首謀者を斬りたいんです」

「女王失踪の首謀者、の?」


 マリアンヌはフランシーユの視線を追い、自分の背後に立つ夫に顔を向けた。


「アンセルム! ちょっと! そこにいるんでしょ! あなたの剣を貸してちょうだいな! いますぐ斬りたいものがあるのよ!」


 フランシーユが隣の居間に向かって元気よく声を張り上げると、まだ眠り足りないといった顔のアンセルムがのそのそと入ってきた。


「あぁ? どこのどいつを斬りたいって? 俺の剣は重いから、フランだとせいぜい相手の首の皮一枚を斬るくらいじゃねぇの?」

「首の皮一枚でもいいから、いますぐ斬ってやりたいの! 貸してよ!」

「まぁ、いいけどさ。自分を斬って怪我するなよ」


 アンセルムは手にしていた剣を鞘ごと差し出す。


「フラン! 他に欲しいものはないかな!? お父様がお前の欲しい物をなんでも用意してあげるよ!」


 まずい、と顔を引きつらせたプルミエ公爵が慌てて娘をなだめにかかる。


「わたしのお父様はもう亡くなっているって先日聞いたばかりなのですが」

「あれはちょっと小芝居というか、設定というか――シリル! なんでお前は出て行くんだ!?」


 プルミエ公爵は寝室から黙って出て行こうとする息子の肩を掴む。


「可愛い妹が元気であることが確認できたので、明日も朝からいろいろと忙しいことですし、僕はもう休ませていただきます」

「その可愛い妹の相手をもう少ししていってはどうかな!? お前は久しぶりに会ったばかりじゃないか」

「ランヴァン卿がフランの欲しがる物を渡したじゃないですか。僕も可愛い妹が喜ぶ物をなにか明日の朝一番に持ってくることにしますよ。父上も、ご自身の可愛い娘が首の皮一枚欲しがっているんですから、あげたらどうですか?」


 冷ややかな視線を父親に向けて、シリルは素っ気なく告げる。

 一方のフランシーユは、アンセルムの剣を鞘から抜きながら「なによこれ、重すぎるじゃないの。持ち上がらないわ!」と悪戦苦闘していた。


「首の皮一枚を渡すのが惜しいなら、土下座でもしたらどうでしょう? 母上と喧嘩しても自分から謝ったことがない父上が、愛娘に土下座ができるかどうか知りませんが。あ、土下座って知ってます?」

「土下座くらい、できるとも!」


 宰相としての矜持をかなぐり捨てて、プルミエ公爵は叫んだ。

 結局その後、アンセルムが「宰相の首の皮一枚より土下座の方が見物だと思う」と言ったので、フランシーユの気が済むまでプルミエ公爵は娘に向かって土下座をする羽目になった。

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