一日目 3
「陛下が……行方不明……?」
王宮へ到着し、貴族用の通用門から宮殿内に入り、兄と一緒に宰相の執務室へと向かったフランシーユは、予想外の父の説明に目を丸くした。
「正確には駆け落ちだそうだ」
一枚の便せんを指で挟み、眉間に皺を寄せて宰相であるプルミエ公爵は唸るように告げた。
宰相室にはプルミエ公爵と公爵夫人、シリル、フランシーユ、そして女王の護衛官を務めているアンセルムが集まっていた。
執務室に設えられた使い込まれた長椅子に座るよう指示され、フランシーユは頭の中が整理できないまま腰を下ろす。
「駆け落ち……って、お兄様を差し置いてどこの馬の骨、いえ、どなたと駆け落ちしたと?」
「……おい。世の中の男を、自分の兄かそれ以外にわけるのはやめろ」
フランシーユの背後に立つアンセルムがぼそりと抗議してきたが、無視した。
「国王が駆け落ち……亡命ではなく駆け落ちして王宮から姿を消すなんて、初めて聞きましたわ」
デュソール王国は現在王が亡命しなければならない政情ではないし、王が駆け落ちするほどの大恋愛をしているという噂もない。
「デュソール王国のそう短くはない歴史の中で、初めての出来事だと思うよ。もちろん、もし過去にそんなことが起きていたとしても、誰も公式の歴史書の中には記さなかっただろうけどね。とにかく前代未聞の出来事だ」
白髪交じりの鉛色の髪をかき上げながら、プルミエ公爵は肩を落として大きなため息をついた。
「相手が誰かは不明だが、とにかく草の根をかき分けてでも探し出すしかない。女官が陛下のお姿を最後に見たのは昼食時だ。その後、国王執務室に向かわれたが、私が執務室を訪ねたときにはいらっしゃらなかった。扉の前で警護をしていた近衛兵に尋ねたが、陛下は扉を利用して廊下へ出ていらっしゃらなかったそうだ。――そうだったね、ランヴァン卿?」
プルミエ公爵は鋭い視線をアンセルムに向けて、尋問するように尋ねた。
「はい」
フランシーユに対する軽口とは対照的に、アンセルムは緊張した様子で答える。
「となれば、執務室の窓から出て行かれたということになる。執務室は三階で、陛下おひとりが窓から飛び降りられるような高さではないから、陛下が窓から抜け出すのを手助けした者がいると考えて間違いない。それが駆け落ち相手なのか、ただの協力者なのかは不明だが、そんなことは陛下を探し出してから調べれば良いことだ。陛下が姿を消してからまだ半日も経っていないから、そう遠くまでは行っていないと私は考えている。なにしろ陛下は旅慣れていない方だから、いくら協力者が周到に準備をしていても、滞りなく逃げられているとは思えない。ただ問題は、陛下がいらっしゃらないことを隠さなければならないということだ」
「そうですね」
プルミエ公爵の説明に、シリルが頷いた。
「そこでフランシーユ。お前に陛下の身代わりを頼みたいのだ」
「……わたし?」
「陛下と容姿がよく似ているお前なら、陛下の格好をしていれば周囲の目をごまかせる。女官たちはなんとか言いくるめて、マリアンヌがお前のそばにいるようにしておく。護衛はランヴァン卿と信頼できる一部の者に任せる」
「陛下の身代わりって……そんな難しいことをにわかにできるものですか? すぐに気づかれてしまうのでは……」
いくら同い年の従姉妹とはいえ、そこまで似ているとは思えなかった。
「もちろん、細かい所作は違うから違和感を覚える者はいるだろう。だが、遠目にはわからないくらいにお前は陛下と似ているから大丈夫だ」
「そうなんですか?」
確かに侍女のニーナにはフランシーユが女王と似ていると言われたが、そこまで女王の姿をまじまじと見たことはなかった。
「陛下の格好をして黙って座っているだけでよろしいのですか?」
「さすがに黙っているだけでは困る。会議に出席して大臣たちと話をしたり、視察先で現場の責任者たちに声をかける必要はある。ただ、どのように話をすれば良いかは私が指示するから問題ない」
「そう、ですか?」
いくら宰相である父の助けがあるとはいえ、いきなり女王の身代わりという難題を突きつけられてフランシーユは戸惑った。
「お前には、陛下と同じだけの教養があるから、七日間くらいならなんとか取り繕えるはずだ」
「教養? 七日間?」
言われたことの意味がわからず、フランシーユは首を傾げた。
「シリルと同じ家庭教師たちがお前に教えたものは、陛下が学ばれたものとほぼ同じだ。できれば無駄な知識になって欲しいと思いつつお前に学ばせたのだが、まさかこんな形で役に立つ日が来てしまうとは、な」
悔しそうにプルミエ公爵はぼやく。
こんな形でなければどんな形を想定していたのだろうか、とフランシーユは頭の片隅で考えたが、くだらない質問を口にするのはやめておいた。
「それで、七日とはどういう意味ですか?」
父が女王の捜索に期限をつける理由がわからず、フランシーユは尋ねた。
「七日後には陛下とシリルの婚約披露宴が催される。それまでにシリルは必ず戻ってこなければならない。そのとき陛下が一緒に戻られなければお前はヴィオレーユ女王として婚約披露宴に出席し、フランシーユ・ガヴィニエスは欠席となる。もちろん陛下の捜索は続けるが、場合によってはお前にヴィオレーユ女王としてシリルと結婚してもらう」
「――そこまでは無理です」
父の理路整然とした説明は理解できるが、さすがに最後の一言には頭を抱えた。
「なにがだ?」
「お兄様との結婚ですよ!」
フランシーユは椅子から立ち上がって抗議した。
「もちろんわたしはお兄様が大好きですし、子供の頃はお兄様と結婚すると言っていましたし、アンセルムとの結婚だって別に納得しているわけではないですけど、アンセルムはクレール公爵家の跡継ぎだし順調にいけば陸軍大将まで出世できるだろうしクレール公爵家はわたしが遊んで暮らせるくらいのお金はあるしアンセルムが戦場に行けば亭主元気で留守が良い――……」
「フランはアンセルムとの結婚が嫌になって家出したという名目で僕は陛下を探すことにするよ」
息切れしそうな勢いでまくし立てるフランシーユの言葉を遮って、シリルは告げた。
「おい、勝手に俺を巻き込むな」
不機嫌そうにアンセルムが文句を垂れる。
「大体、フランが家出って、この世間知らずがどうやって家族や使用人に見つからずに家出できるんだよ」
「それは陛下も同じだよ。あの方だってひとりでこの宮殿から出たことはないからね。フランなら信頼できる侍女がいるけれど、陛下は……どうだろうね」
愁いを含ませた表情を浮かべて、シリルはほとんど独り言のように呟く。
「わたしなら、ニーナに頼んで荷物をまとめてもらって馬車を用意してもらってニーナと一緒にお祖母様のお屋敷に家出するわね」
「それはただの旅行だね。お祖母様は君がいきなり押しかけてきても驚かないだろうし、ニーナから事情を聞いた家令が僕や父上に報告するから君が行方不明になるわけじゃないしね」
「え? それじゃあ、どうやって家を出るの?」
深窓の令嬢であるフランシーユは、知識教養はシリルに勝るとも劣らないが、世間一般の常識が極端に欠如している。
「そりゃあ、ひとりで荷物をまとめてひとりで誰にも見つからないように家を出て辻馬車に乗って運賃払って目的地に向かうんだよ」
面倒くさそうにアンセルムが説明する。
「運賃……つまり、お金を払うわけね」
顎に指を当ててフランシーユが考え込む。
「お金……」
「お前、自分で財布を持ったことはあるのか?」
ぶっきらぼうにアンセルムが尋ねると、フランシーユは不思議そうに瞬きをした。
「財布って、ニーナが持っている硬貨や紙幣を入れる小さな鞄のことよね! それくらい、知っているわ!」
「つまりは持ってないんだな!? 自分で支払いをしたこともないよな? ひとりで家出とか無理だな! そもそも駆け落ちするにしても、どこで知り合った相手とするんだ!? 公爵家の使用人か!? ひとりでは相手と落ち合う場所にさえたどり着けないようなこいつをたぶらかす使用人が公爵家にいるか!? しかも侍女の目を盗んでとか、至難の業だぞ!」
フランシーユの家出という設定が気に入らないのか、アンセルムはシリルに噛みついた。
「細かい設定はあとで適当に考えておくよ。でも確かに、ニーナの協力なしにはフランが家出なんてできないし、ほぼ同じ境遇の陛下がご自身で考えて駆け落ちを計画したというのはかなり無理があるね。どういう協力者がいるにせよ、父上に気づかれないように陛下をたぶらかしたとなると、よほどだね」
「フランが俺に愛想を尽かしたという設定だけは絶対に変えろ」
「他に思いつく設定がないんだ。フランはいまのところ、君以外に不満を持っていないからね」
アンセルムの肩をぽんと叩くと、シリルは当然のような顔で断言した。
(お兄様って、アンセルムには前からちょっと
誰にでも平等な兄にしては珍しいことだがきっと馬が合わないのだろう、とフランシーユは深く考えるのをやめた。
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