六日目 2

 どれくらい歩き続けたのか、暗闇の中を歩いているためフランシーユの時間の感覚は失われていた。周囲に耳を澄ませて様子を窺い、万が一にも賊に居場所を知られることがないよう緊張しているため、ただ歩いているだけのはずがかなり疲れが溜まっている。


(これはなんというか……完全に迷子になっているわよね)


 いまの時刻がわからないので、外がまだ夜なのかもう朝になったのかもわからない。

 わかるのは自分がいる場所が地下であろうということくらいだ。

 かなり歩いているはずなのに、階段のようなものがなく、たまに床の傾斜がある場所もあるが、扉はない。


(ずっと壁伝いに歩いているのに、どこにも扉や階段がないってことがあるかしら。あの男が去った方向とは逆に向かって歩いているのがいけなかったのかしら。でも、男の後を追うと外に出られたとしても、他の賊が出口で待ち構えているってこともありえるから、出口はひとつではないはずってことでこっちに向かってみたのだけど、もしかして貯蔵庫のような建物って出口はひとつだけなのかしら?)


 宮殿の間取りについてはそこそこ国家機密なので、フランシーユが知るところではない。

 この王宮の敷地内にどれくらいの建物があり、いま自分がいる場所がどこなのかもわかっていないのだ。

 歩きながらわかるのは、賊の男がここにフランシーユを連れてきたということは、最近ではすっかり使われなくなった場所であること、人の目が届かないので攫って閉じ込めてもそう簡単には見つからない場所、つまりは女王の私室や執務室などがある棟からは離れている場所ということだ。


(この宮殿が最初に建てられたのは三百年くらい前だったかしら。そのときは確か木造だったのよね。別に宮殿として建てられたわけではなくて、貴族の城館だったものを当時の王が仮住まいの城として借りたのよね。その後、ここが便利だってことで城館を買い取って、宮殿として利用するために建物を増やしたんだったかしら。そのときに石造りに棟を建てたはずだから、二百五十年ほど前の砦も兼ねた城よね)


 二百年ほど前のデュソール王国は戦乱が絶えなかった。

 宮殿は常に敵の脅威にさらされており、堅牢な城塞として建てられた。いまも当時の城壁がそのまま利用されているが、壁の高さがかなりある。城壁の外には水を湛えた堀があり、城に侵入するには跳ね橋を利用するか、堀を越えて城壁に上らなければならない。

 ただ、近年の宮殿拡張工事で城壁の一部は取り壊されて掘が埋められ、跳ね橋を通らなくても王宮に入ることができるようになった。

 もし二百年前と変わらず古い城壁と堀に囲まれたままの宮殿であれば、賊は侵入できなかったはずだ。

 万が一に備えて王族が宮殿の外に逃げられるよう隠し通路を作ったのも、ここ百年くらいのはずだ。

 二百年前は戦乱の際に王族が逃げるという考えはなく、敵に城を囲まれたとしても籠城するという選択肢しかなかった。


(城塞として建てられたものだとすると、ここって本当にただの貯蔵庫で、出口はひとつだけって可能性があるわね。戦時に籠城のために食べ物や飲み物、武器をたくさんしまっておいたとしても、出口を二つにする理由ってあまりないものね。その後、あまり使い道がないからそのままにしておいたのかしら。でも、賊がこの場所を知っていたということは、隠し部屋としていざというときに王が利用する場所だったと考えられるわ。まったく掃除をしている風ではないから、いくらいざというときでも、この異臭に王様や王女様が耐えられるかどうかは疑わしいわ)


 地下の空気が冷えているので、異臭は呼吸を少なくすることでなんとか耐えることができているが、気温が上がっていれば鼻が曲がるほどの臭いを放っていたはずだ。


(隠し通路も定期的に掃除をした方がいいんじゃないかしら。わたしの髪まで臭くなりそうで嫌だわ)


 足取りが重くなっていたが、フランシーユは気づかないふりをした。


(眠いわ。……駄目よ。こんなところで寝ていたら死んでしまうわ。あら? 凍死するのは雪山だったわね。でも、こんなところで寝ていたら風邪を引くでしょうし、もしあの賊に見つかったらさすがに殺されるわ)


 出口を見つけるまではなんとしてでも歩き続けなければ、とフランシーユは自分の足に言い聞かせる。

 先日の近衛隊の視察のときはアンセルムと喋りながら歩いたので、外は暑く往復の道のりは遠かったけれど、翌日になって足がすこし筋肉痛になるていどだった。

 いまはひとり自分の歩調で歩いているだけなのに、足が棒のようだ。


(貯蔵庫だけでこんなに広いことってあるかしら? うちの屋敷の地下なんてこんなに広くないわよね。もしかしてこの地下、せん状になっていて、ぐるぐると下がって行っているとか……ありえそうで怖いわね)


 無闇に歩いている自分を反省することはせず、フランシーユは自分がこの地下を抜け出せないのはひたすら建物の構造上の問題であると考えることにした。


(もしくは、この通路が別の建物と繋がっているとか。あ、その方がなんとなく理屈としては成り立つわね。だって、わたしがあの賊に隠し通路に連れ込まれた場所から、この王宮内で一番古い宮殿のここまでずっと外を出ずに来たのだから、地下はあちらこちらの建物に繋がっているということよね。わたしが扉を見つけられていないだけで)


 壁に手を当てて歩いているわりには、扉の取っ手や境目らしき物は手探りで見つけることができずにいた。

 最初に賊に閉じ込められた部屋は壁とは反対側の内側にあったので、もしかしたら扉はすべて内側にあるのかもしれない。

 灯りがないのでまったく様子が見えないが、下手に扉を開けて鼠や蝙蝠が大量に飛び出してくると怖いし、顔に蜘蛛の巣が貼り付こうものなら悲鳴を上げるに決まっている。

 この地下で女の悲鳴が響けば、賊が追ってくることは必至だ。


(どこかで下水道と通じていたり、水漏れをしている場所があるんじゃないかと思ったけれど、どこも濡れていないし、湿った臭いもしないし、人の声や物音も聞こえないし、完璧に作られた地下って感じよね)


 また蜂蜜の飴を口に放り込み、フランシーユは仕方なく歩いた。


(どこでもいいから外に出たいわ。どこかの隙間から陽の光が差し込んできたりしないのかしら。大きな蜘蛛や百足むかでが見えたとしても悲鳴は我慢するから)


 さきほどからカサカサと音がするのは、鼠ではなく虫のようだ。

 普段なら小さな蜘蛛を見つけただけで金切り声を上げるフランシーユだが、いまはさすがに自分以外の生き物がこの場にいるということに妙な安心感を覚える。それが、自分と意思疎通できない鼠や蜘蛛だとしても、生き物がいるということはここで生き続けることは不可能ではないのだという証拠だ。


(蜘蛛がいると思うとぞっとするけれど、あの男が近くにいるよりは良いわ。だって、蜘蛛は毒蜘蛛でない限りはわたしに害を及ぼさないだろうし、毒蜘蛛だって間違って踏んだりしなければわたしを襲ってこないだろうし)


 蜘蛛の種類はわからないが、とにかく今後は蜘蛛の巣を壊さないように気をつけよう、と心に誓ったときだった。

 カッカッカッ、と靴音が遠くから響いたような気がした。


(え? 幻聴?)


 足を止めたフランシーユは身をすくませ、壁に張り付いた。

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