六日目 3
靴音はフランシーユの進行方向から響いてくる。
灯りを持っているのか、ぼんやりと橙色の光がゆらゆらと揺れるのが見える。
同時に、フランシーユの目の前はまっすぐに通路があるのではなく、緩やかに曲がっていることもわかった。
(でも、途中に隠れる場所がないわよね? もしあれが賊だったら……どうする?)
自分を探している近衛隊や警備兵の可能性はあるが、賊が逃げた自分を探している可能性もある。
なにしろ、ここはほとんど知る者がいない隠し通路だ。
近衛隊の隊士が偶然この通路を見つけ出したということもあり得るが、賊がフランシーユを探している可能性もある。
(黙って歩いているということは、賊がわたしを密かに探している可能性の方が高い!? だって、警備兵なら呼びかけながら探すわよね!?)
辺りを見回すと、
(これ、もしかして扉? これを開けたら、中に入れる?)
薄暗いのでそこに扉があるのかどうかまでは判別できない。
しかしいまのフランシーユには、ここに扉があり、人ひとりが身を隠せるだけの広さがあることに期待するしかなかった。
(これ、音を立てずに開けられる? 取っ手が錆びているように見えるけど、引っ張った途端に取っ手が外れたりしないでしょうね!?)
焦る気持ちと疲労でうまく取っ手を引っ張れずに苛立つ気持ちが混ざり、フランシーユは取っ手を蹴りそうになった。
(お、落ち着きなさいな、わたし。音を立てずに、なんとかここを開けて――)
必至になって取っ手を引っ張ると、カシャンとなにかの部品が床に落ちる音が響いた。
(……もしかして、どこかの
ひっ、と息を飲んだフランシーユが慌てて取っ手を思いっきり引っ張ってさらに錆びた部品が外れるのと、靴音が駆け足になるのが同時だった。
「フラン!?」
大声が通路に響く。
手提げ
「怪我は!?」
駆け寄ってきた人影がフランシーユの両肩を強く掴む。
「………………アンセルム?」
灯りに慣れるまで薄目を開けながら、フランシーユは耳に響く声から相手を認識した。
「どうやって、ここに?」
「こんな場所に不似合いな甘い匂いがしたから、こっちの方にフランがいるかもしれないと思って」
甘い匂い、と聞いてしばらく考えたフランシーユは、自分が蜂蜜味の飴を舐めていたことを思い出した。
ほんのわずかな匂いしかしないはずの飴の香りを嗅ぎつけてここにたどり着くとはどういう嗅覚だ、と思いながらも、フランシーユは手にしていた取っ手を放り出した。
「……遅い」
「悪かった」
「わたし、すっごくたくさん歩き回って疲れてるの」
「俺も散々走り回ったぞ」
お互い様だ、といわんばかりの口調にフランシーユが顔を顰めたところで、アンセルムが手にしていた手提げ灯火の炎がふっと消えた。どうやら蝋燭の芯が燃え尽きたらしい。
「替えの蝋燭は?」
「これが最後だったから、もうない」
アンセルムが灯火をカラカラと揺らしながらのんきに答える。
火が点いている間に相手の顔をしっかりと確認することはできなかったが、アンセルムであることだけは確信できた。
「またなにも見えなくなってしまったわ」
フランシーユが文句を言いながらアンセルムの上着を掴むと、アンセルムは両腕を伸ばしてフランシーユを包み込んだ。
「まぁ、大体出口はわかっているから」
「…………苦しいんだけど」
相手の胸の中に閉じ込められるように抱きしめられたので、フランシーユは空元気を装って不満を漏らした。
嗚咽が漏れそうになるのを我慢して、唇を噛みしめる。
フランシーユが黙り込んだので、アンセルムはしばらく口を閉じていたが、ぽつりと呟いた。
「温かい」
「わたしは暑いわ」
涙声にならないよう気をつけながら、フランシーユは答えた。
アンセルムはどこをどう走り回っていたのか、汗の臭いがした。
自分からは埃や黴の臭いがするのではないかと心配になったが、アンセルムが離してくれる気配はない。
「離して」
「嫌だ」
「なんでよ」
「こうしてると安心する」
珍しくアンセルムはフランシーユの希望を聞いてくれなかった。
「どこかでフランが冷たくなっているかもと想像しただけで心臓が縮みそうだった」
「不吉なことを言わないで。わたしは生きているわ」
「うん。フランが温かくて、いつもどおり喋ってくれて、甘い匂いがして、良かった」
フランシーユの耳元に顔を寄せ、アンセルムは本当に安堵した口調で呟いた。
暗闇なので、やたらと相手の声が鮮明に聞こえるし、相手の胸の鼓動までが間近で響いているような気がした。
「安心したら、ちょっと休憩したくなった」
フランシーユを抱きかかえたまま、アンセルムがずるずると床に座り込んだ。
「フランを無事に見つけたって報告しなきゃいけないことはわかってるが、ほぼ一日走り回って、さすがにもう限界」
「ほぼ一日!? そんなに経っているの!?」
ずっと地下にいたフランシーユは、せいぜい朝になるかならないかぐらいだと思っていたが、どうやら想像していたよりも時間が経過しているらしい。
「徹夜だし」
「わたしも眠ってないわよ」
「飲まず食わずで走り回っていたから、疲れた」
「飴をあげましょうか。
執務中の眠気覚ましで持っていた薄荷飴をポケットから探り出すと、フランシーユは包み紙から取り出して匂いで確認してから、無理矢理アンセルムの口に押し込んだ。
「……甘い」
「そりゃ、飴だもの。多少は甘いでしょうけど、蜂蜜飴よりはあなたには良いでしょう?」
真っ暗で顔が見えないのでアンセルムの表情は想像するしかないが、きっと顔を
「ちょっとこのまま寝させて」
「このままって、このまま!? あなたの腕、重いんだけど!?」
床に座り込んだアンセルムの膝の上に座る格好となったフランシーユは離れようとしたが、相手の太い腕は緩むことがなかった。
「賊が襲ってきたらどうするのよ!?」
「俺がフランを抱えていたら、俺が盾になるから大丈夫だろ」
「どこが大丈夫なのよ!」
「それに、こうやってフランを抱えていた方が安心できる」
「あなたの横に座っていたって同じでしょうか」
「同じじゃない」
アンセルムは即答すると、フランシーユをもう一度抱え込んだ。
「同じじゃないってわかった。わかった後で、物凄く後悔した」
「なにを?」
「手を離したことを。女王の身代わりをすると決めたフランに反対しなかったことを。あと……いろいろ」
「いろいろ?」
「ドレスが似合っていると言えなかったこととか……まぁ、いろいろ」
「そのいろいろがなにかを聞いているんだけど」
フランシーユが追及すると、アンセルムがくすっと笑う気配が頭上でした。
「多分、聞いたらフランが怒るようなやつ」
「はぁ?」
「例えば、こういうこと」
耳元でアンセルムが囁いた直後、フランシーユの頬になにか温かいものが当たった。
「――――――――!!」
「あ、なんかいまなら暗闇でどさくさに紛れていろいろできそうな気がする」
「ちょっと! 休憩するならさっさと眠って!!」
恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら、フランシーユはアンセルムの胸を拳で叩いた。
自分の顔が相手に見えていないことは承知しているが、様々な感情が噴出しすぎて涙目になっているのに気づかれたくなくて、相手の胸を頭突きしながら顔を伏せる。
「じゃあ、ちょっとだけ」
フランシーユの身体を抱きかかえ直して、アンセルムが壁にもたれかかる。
薄荷の匂いに包まれながら、フランシーユはしばらく身じろぎせずにいたが、そのうち意識が途絶えた。
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