七日目 5
大広間には、貴族の序列順に王座に近い場所に立つことができる。
ドゥジエーム大公家が欠席の今夜は、プルミエ公爵家が一番王座に近い位置となった。プルミエ公爵家が序列第一位ということではないが、マリアンヌがこの場では招待客の中では最上位であり、主役である女王の婚約者がシリル・ガヴィニエスである以上、プルミエ公爵夫妻より前に出る者はいない。
クレール公爵夫妻がプルミエ公爵夫妻に向かい合う場所に立っている。近衛師団をまとめる将軍を相手に意見できるのは宰相であるプルミエ公爵くらいなので、数年前から宮廷ではプルミエ公爵家を序列第一位、クレール公爵家を第二位と見なすようになっていた。
デュソール王国建国当時は他の貴族が王の近くに立っていたが、長い歴史の中で、貴族たちの中には没落した家柄、爵位が上がった家柄など入れ替えがあり、ここ二十年ほどは現在の序列が暗黙の了解となった。
ドゥジエーム大公が欠席していることについて、噂話にいとまがない貴族たちもさすがに今夜は口を噤んでいる。なにが起きたか、あるていどはすでに知っている者も多いようだが、下手に話題に上げて自分たちが関わっているように誤解されてはたまらないと思っているのだろう。
王族専用の扉から入場した女王は、婚約者であるシリルと腕を組んでいる。
先日フランシーユが試着したときよりもいくらかレースが増え、腰帯が替えられたドレスは、やはり他の貴婦人の装いに比べればおとなしいものだ。ただ、彼女の頭上を飾る色とりどりの宝石をちりばめた黄金の王冠と、首元を飾る王家伝来の大粒の紅玉の首飾りは他のどの貴婦人も持っていないものだ。
シリルは紺色の夜会服を纏っている。上品だがほとんど飾りがなく、襟元を
婚約披露宴に集まった貴婦人たちは、優雅な仕草で女王に寄り添うシリルの姿に見惚れている。
(当然よね。わたしのお兄様だもの)
フランシーユは満足げに周囲の様子を眺める。
ヴィオレーユ女王は緊張した面持ちでシリルとともに王座へと向かった。
現在のところ、向かう先に置かれた椅子はひとつだ。
いずれシリルと結婚すれば、王座の隣に王配用の椅子が並ぶことになる。
招待客たちは拍手で女王とその婚約者を迎えた。
ゆっくりと歩くヴィオレーユは俯きそうになる顔を必死で上げ、客の顔を見ながら歩いている。
ヴィオレーユには女王としての威厳には欠けるが、育ちの良さと、コルネーユ王の嫡子であるという王位に対する正統性からくる自信が感じられた。
先日フランシーユが試着したときに自分で鏡越しに見た姿と、広間の中央を歩くヴィオレーユの姿はかなり違っている。
(こうやって見ると、陛下とわたしってあまり似てないわよね)
年齢は同じだし従姉妹なので、髪の色や目の色が近いこともあり似ていないことはないが、雰囲気がかなり違う。
ニーナは肖像画で見たフランシーユとヴィオレーユ女王が似ていると言っていたが、アンセルムからはこれまで女王と似ていると言われたことがなかった。
(ま、アンセルムからしたら、陛下とわたしの性格がまったく違うから似ているようには思えなかったんでしょうね)
フランシーユが女王の身代わりをしていた間、すぐに女王ではないことを気づかれるのではないかと一番心配していたのはアンセルムだった。彼の前では普段と変わらない口調で喋っていたので心配するのも当然だったかもしれないが、女王の秘書や補佐官は特になにも言わなかったので、違和感はあっても指摘しづらい状態だったのだろう。
なにしろ、宰相が当然の顔をしてフランシーユを女王として扱うのだ。
一方の女王は、ずけずけと宰相に対して意見を述べながら熱心に仕事をしていたので、容姿についてどうこう言う前になにが起きているのか理解できなかったのかもしれない。
(陛下もお父様も、今回で懲りて、二度とわたしに陛下の身代わりを頼もうなんて言わないでしょうね)
ヴィオレーユが王座に腰を下ろすと、クレール公爵が招待客を代表して「陛下、おめでとうございます」と祝辞を述べた。
それに合わせて他の客たちも一斉に「おめでとうございます」と挨拶をする。
ヴィオレーユが鷹揚に頷くと、あとはそのまま招待客が王座の前に次々と並んだ。
広間の隅に待機していた楽団が舞踏曲を奏で始めると、踊りが始まった。
シリルがヴィオレーユの耳元で囁くと、ヴィオレーユは緊張した面持ちのまま椅子から立ち上がる。
どうやら女王が婚約者と踊るらしい。
挨拶のために女王に群がっていた人々が、名残惜しげに女王を送り出す。
「フラン。あなたも踊ってきなさいな」
シリルの手に自分の手を乗せて踊りの場の中央に向かうヴィオレーユを目で追っているフランシーユに、マリアンヌが声をかける。
「お兄様を陛下に取られてしまったわ」
悔しそうにフランシーユが告げると、マリアンヌは苦笑いを浮かべた。
「あなたは、あなたの婚約者と踊りなさいな」
ほら、とマリアンヌが言うと同時に、フランシーユの目の前に手が差し出された。
「踊っていただけますか?」
多少面倒くさそうな顔をしているように見えたが、アンセルムが踊りに誘ってきた。
「あなた、踊れるの?」
「一応は。シリルほど上手ではないと思うが」
「ま、そうね。お兄様ほど上手な人は踊りの先生くらいだわ」
フランシーユはシリルと踊りの練習をしているので踊り慣れていた。
「お手柔らかに」
アンセルムが殊勝な顔で告げたので、フランシーユは吹き出しそうになった。
すぐそばではジョルジェットとセレスタンが踊り始めている。
いつもならセレスタンのどこが気にくわないだのあそこに不満があるだのと愚痴ばかりこぼしているジョルジェットだが、今日はなんだか楽しそうだ。
アンセルムの手を取り、フランシーユも踊りの輪に加わる。
すこし離れたところでは女王もシリルと踊っている。くるくると回りながら、なんだかこれまでで一番自然な笑顔を浮かべている。
「あとでわたし、お兄様とも踊らなくちゃ」
アンセルムのぎこちない足捌きに合わせて踊りながらフランシーユは声を弾ませた。
「これ以上目立つつもりか?」
フランシーユの靴を踏まないよう細心の注意を払いながらアンセルムがぼやく。
「目立つ? わたし、目立ってる?」
「そりゃ、陛下よりも目立ってるだろ。なにしろ、宰相の愛娘で陛下の従妹なんだから注目されて当然だ」
「わたしが陛下と似ているから?」
「いや、そういう意味で注目されているわけじゃない。似ているっていえば、マリアンヌ様に似ているけどな。お袋が言うには、フランは王女時代のマリアンヌ様にそっくりらしい」
「そうなの? あまり言われたことがないけれど」
母親似であることは自覚しているが、それほど似ているとは誰からも言われたことがなかった。
「そういえば、今日のお昼、陛下と話をしたの。それで陛下に、このままわたしに身代わりを頼むか、退位するか、それとも王を続けるかを聞いてみたら、王を続けるんですって」
「うん。それは賢明な判断だ」
アンセルムは踊りながら器用にもやれやれと肩をすくめた。
「それでわたし、陛下のお手伝いをすることにしたの」
「手伝い? なにをするんだ」
「まだ詳しくは決めていないけれど、とりあえず陛下にお友達を作るお手伝いをするわ。あと、ジョルジェットが近衛隊に入れるように画策して、女性士官を募集したり、他にもこれからおいおい考えていくわ」
「ジョルジェットを近衛隊に入れるのは別にいいが、フランが陛下の手伝いをするってことは、これからも王宮に顔を出すってことか?」
「そうよ」
当然だという顔でフランシーユが答えると、アンセルムが渋い表情になった。
「なによ。反対なの?」
「反対というか、俺も一応隊長の仕事があるからあまり付いて回ることができないんで、賛成しがたい」
てっきり賛成してくれるものと思っていたフランシーユは、アンセルムを睨んだ。
「別にあなたがついていなくても大丈夫よ。今度はそんなに危ないことにはならないように気をつけるから」
「王宮には、深窓のご令嬢が想像できないくらい危険なところがいっぱいあるんだ。俺があれだけ貼り付いていても面倒ごとが起きたっていうのに、これからも似たようなことが次々と発生するかもと想像しただけで身が持たない」
「どういう意味よ?」
「女王様が心配だってことだよ」
ため息をつきながらアンセルムが答える。
「もう女王にはならないから、大丈夫よ」
「俺から見れば、フランはいまも相変わらず女王様だよ」
その言い方が気に食わず、フランシーユはふてくされたように頬を膨らませた。
「フランがこれから陛下のお友達増員計画を実行するってことは、陛下に近づきたい貴族がフランのところに押し寄せてくるってことだろ。そいつら全員が陛下やフランに好意を持っているとは限らないし、好意を持っていても純粋なものだとも限らないだろ」
「……つまり?」
「お守り代わりに、プルミエ公爵家のご令嬢には武闘派の婚約者がいて、ご令嬢に横恋慕するなら決闘なりなんなりして俺を倒してからにしろってことを周知しておくべきだってことだ」
「ものすっごく話が飛躍して、まったく意味がわからないわ」
結局のところアンセルムはなにを心配しているのかわからず、フランシーユは首を傾げた。
「つまり――――――――こういうこと」
アンセルムがフランシーユの両頬に添えた手を腰に戻したが、完全にフランシーユの足は止まっていた。
「な…………っ」
一瞬息をすることを忘れたフランシーユは、顔を真っ赤にして相手を睨み付ける。
「あ、シリルが恐ろしい顔をして睨んでる。陛下と正式に婚約したんだから、いい加減妹離れすればいいのにな」
フランシーユから視線をそらしてアンセルムは呟くが、日に焼けた耳や首が赤くなっていた。
従妹とその婚約者の様子がちょうど視界に入ったらしいヴィオレーユも顔を赤く染めている。
「い、いま、な……」
さきほど唇が感じた熱にまだ頭が混乱しているフランシーユの腰と手を引っ張って、アンセルムが無理矢理踊りを再開する。
「止まっていると、他の人の邪魔になるぞ」
「だっ、誰のせいだと思ってるのよっ」
涙目になりながらようやく呼吸困難から回復したフランシーユが文句を言う。
「俺のせいだろうな」
悪びれた様子もなく、アンセルムが答える。
結局、女王とプルミエ公爵家子息の婚約披露宴の主役はプルミエ公爵家の令嬢であったと、後日しばらくは社交界で微笑ましく語られることになり、フランシーユはヴィオレーユ女王からうらやましがられることとなった。
身代わり女王の七日間 紫藤市 @shidoichi
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