七日目 4

 王宮の大広間で催されたヴィオレーユ女王の婚約披露宴には、国内外からの招待客約千人が集まった。


「まぁ……すごいたくさんの人!」


 あまりの人の多さに、フランシーユは目をみはった。

 大広間からあふれた人々が、大広間から王宮の玄関まで続く廊下に並んでいる。中央階段にも着飾った人々が群れをなしており、お仕着せ姿の侍従や女官たちがその隙間を縫うようにして飲み物を配っている。

 大広間の天井には水晶で飾られた室内灯シャンデリアがいくつも吊られており、蝋燭の炎でキラキラと輝いている。

 昨年、この大広間で女王の戴冠式後の宴が催されたが、その際はこれほど多くの人が集まっていた記憶がない。その時のフランシーユは御披露目デビュタント前ということで、すこしだけ顔を出して早々に退出したが、ヴィオレーユもすぐに大広間から姿を消したと聞いている。

 日没後とはいえ、まだ昼間の陽気で気温は温かい。

 そこに人がひしめき合うようにして集まっているので、大広間は暑いくらいだ。

 庭に面した窓がすべて開け放たれているが、夜風もそれほど涼しくはない。

 両親と一緒に大広間に入ったフランシーユは、ふたりに挨拶をしてくる招待客に紹介されるたび、満面の笑顔で礼儀正しくお辞儀をする。いちいち喋っていては、夜になる頃には声が嗄れてしまうことだろう。

 兄のシリルはヴィオレーユ女王と一緒に入場する予定なので、まだ姿が見えない。

 フランシーユは今夜の主役ではないので、プルミエ公爵家の令嬢としての御披露目の場ではあるがあまり目立たないようにはしていた。

 それもすぐに飽きてきた頃のことだった。


「フランシーユ! 久しぶりね!」


 自分の名を呼ぶ聞き慣れた声に自然と反応するようにフランシーユが辺りを見回すと、人垣をかき分けながら元気よく手を振って近づいてくるジョルジェット・ランヴァンの姿が目に入った。

 栗色の髪にはしばみいろの瞳の長身の美少女だ。

 普段は男装をしていることが多いが、今日はさすがにドレス姿だ。空色のドレスは胸の周囲と肩から手首までの袖が総レースになっており、腰の帯はつるばみいろの繻子だ。髪を結い上げ、胸元と同じレースで作った造花を飾っている。

 彼女の隣にはセレスタン・ルフェーブルが立っている。整った容貌と鍛えられた体格から、シリルに次ぐ人気の青年だが、ジョルジェットには不評だ。彼の方もジョルジェットが男装をしたり武術の練習をすることに対してよく不満を漏らしているが、直属上司がジョルジェットの兄であり、そのさらに上司がいずれは義父になる人なので、あまり大きな声では言わないらしい。

 以前、フランシーユが「ジョルジェットはますます格好良くなったわ」と褒めた途端にセレスタンが不機嫌になったので、喧嘩を買ってやろうかと意気込んだほどだ。

 そんなセレスタンは、若葉色の夜会服だ。


「久しぶりね」


 両親から離れたフランシーユは、自分より頭ひとつ分背が高いジョルジェットと抱き合った。


「フランったら、どこに行っていたの? 三日前にプルミエ公爵邸を訪ねたら、あなたはしばらく出かけていていないって言われたの。昨日訪ねたときもそうだったわ」

「ちょっと家出をしていたの」

「家出? どこに?」

「それは秘密」


 いたずらっぽくフランシーユが答えると、ジョルジェットはそれほど気にした風もなく話を続けた。


「あら、そうなの。うちの兄様もしばらく帰って来なかったし、どうしたのかと思っていたのよ。兄様の方はで仕事だったみたいだけど」


 ジョルジェットが喋りながら振り返ると、その視線の先には人波に揉まれながらなんとかフランシーユたちのところにたどり着こうとするアンセルムの姿があった。


「あら、アンセルム。あなた、軍服じゃないの?」


 フランシーユはアンセルムの衣装を目にするなり、挨拶もせずに声を上げた。

 今夜のアンセルムはくろがね色の夜会服だ。

 先日の彼の口ぶりでは軍服で正装するような話だった。

 セレスタンは仕事以外で軍服を着用することがほとんどないので夜会服でも驚きはしないが、衣装に無頓着なアンセルムが夜会服を着ていることは意外だった。


「今夜は軍服禁止令が出ていたらしい。今朝、家に帰ったら親父から軍服を着ると会場から放り出されるらしいと言われたんだ」

「あら、そうなの?」


 見てみたかったのに残念、とフランシーユは落胆した。

 将軍と近衛隊隊長を会場から放り出せるような猛者はこの王宮にいないが、女王の心証が悪くなるといけないという忖度が軍内部で働いたらしい。

 よく見ると大広間の中には軍服をまとった招待客の男性がひとりもいない。

 会場の警護をする兵士のみ制服だ。


「お袋からは、そういうことはもっと前から言えと親父ともども叱られるし、執事と従僕がを当ててないだの虫食いがどうだのと騒ぎ出すし、散々だった」


 ぶつぶつとぼやくアンセルムの夜会服からはかすかに防虫剤のしょうのうの臭いがする。使用人たちが衣裳箪笥から慌てて出して手入れをしたものを羽織ってきたのだろう。

 すこし離れたところで、クレール公爵夫妻がプルミエ公爵夫妻に挨拶をしている姿を見つけた。普段は軍服姿で勲章をできる限り胸に飾って王宮を歩いているというクレール公爵だが、今日は上品な夜会服を纏っているので迫力に欠ける。腰に剣を帯びていないので、心許ないのかもしれない。

 フランシーユが女王の身代わりをしている間、アンセルムがなんとか将軍を女王と会わせないようにしていたので、フランシーユは結局クレール公爵ご自慢の軍服姿を王宮内で見ることができなかった。以前なんどかクレール公爵邸で仕事から帰ってきた将軍と会うことがあったが、あんなに勲章を胸にぶらさげて重くないのかと気になったくらいだ。さらに長剣を下げているので、全身にたくさん重しを付けているようなものだが、それに慣れると勲章や剣がない状態では身体の均衡が取りにくいのかもしれない。

 腹黒宰相と脳筋将軍、と並び称される二人の公爵は、なにやら仲良く談笑している。


「――――似合ってるな」


 フランシーユが両親たちに視線を向けていると、アンセルムが頭上でぼそりと呟いた。


「え?」


 視線を上に向けると、アンセルムはフランシーユのドレスを見ていた。


「そのドレス」

「兄様が自分からフランのドレスを褒めるなんてっ!」


 フランシーユがなにか言う前に、ジョルジェットが驚いた様子で声を上げた。

 セレスタンはそんなジョルジェットをたしなめるように組んでいた腕を軽く叩いたが、ジョルジェットの方は完全に無視する。


「素敵でしょう? 今日のために、半年前から仕立屋に注文して、五回も試着をして、あれこれと直してもらってようやく完成した一着なんだから」


 ふふんとフランシーユは自慢する。

 女王の身代わり生活の間に痩せたので、十日前には窮屈だったコルセットが今日は余裕をもって締めることでき、かなり理想的な腰回りになった。それもこれも一昨日と昨日、地下を歩き回ったおかげだと思えば怪我の功名と言えなくもない。

 コルセットを締める際、ニーナには「こんなにお痩せになって、なにがあったんですか!?」と驚かれたが、いろいろ忙しかったからと答えると「ま、すぐに元に戻ると思いますが」と言われた。

 フランシーユも同意するしかなかったが、明日から屋敷での怠惰な生活を改めるか、体型が元に戻るのを黙認するかはまだ決めかねている。

 薄紅色のドレスは、肩に大きく襞飾りを付け、襟のレースは胸元までたっぷりと使っている。スカートの裾にもたっぷりと襞を付けているので、布の分量が多く日常着よりも重いのだが、ゆっくり上品に歩くと優雅に襞が揺れるので気に入っていた。絹の長手袋も揃いの薄紅色で、銀糸の刺繍が全体の模様として入っている。

 蜂蜜色の髪は結い上げ、造花と銀のかんざしで飾っている。そして房のように垂らした部分はこてで巻いて華やかな雰囲気にしていた。

 一刻近くかけてニーナが汗を流しながら仕上げた支度を、フランシーユは姿見で確認した瞬間に「女王陛下より派手かも」と呟いた。

 ただ、女王に合わせて貴婦人たちは装うわけではないので、せっかくのニーナの力作を崩すのはやめておくことにした。


「兄様、どうしたの? もしかして、疲れてる? 変な物でも食べて調子が悪いとか?」


 兄の言動がいつもと違うことをジョルジェットは心配した。

 変な物を食べて、と聞いて眉をひそめたのはセレスタンの方だった。彼は七日前に腹を下して数日仕事ができなかったことを思い出したようだ。

 セレスタンの腹痛については、どうやらヴィオレーユが姿を消しやすいようにシリルによって仕組まれたことらしい。なにをどのように手を回したのかは不明だが、当日のセレスタンの飲み物に下剤が仕込まれていたそうだ。軽い下痢になる、とだけヴィオレーユは聞いていたようだが、『軽い』の認識がヴィオレーユとシリルで違っていたらしい。

 シリルとしては、フランシーユが女王の身代わりを務めている間はセレスタンが職場復帰できないように最初から計画していたのだろう。


(きっと、大変だったんでしょうね)


 セレスタンもアンセルムの様子を心配しだしたので、きっと彼のこの七日間は様々な意味で大変だったのだろう。

 なにしろ、フランシーユは結局昨日までセレスタンを王宮内で見かけなかったのだ。


「疲れてはいるが、別に腹は下してない」


 むっと顔を顰めてアンセルムが反論する。


「そう? ならいいけど」


 ジョルジェットは普段といくらか違う兄をいぶかしげに見つめる。


(アンセルムにしては、及第点かしらね)


 褒めるように言っておくと忘れずに褒めてくれるものなのだな、とフランシーユは満足した。


「フラン。こちらにいらっしゃい」


 すこし離れた場所からマリアンヌが手招きしていたので、フランシーユはそちらへ向かった。

 アンセルムやジョルジェットも、クレール公爵夫妻のそばに集まる。

 大広間にらっの音が響き、雑談をしていた客たちが口を閉じた。

 侍従が女王の入場を告げると同時に、大広間の横にある王族専用の扉が開いた。

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