七日目 3

「世の中は思い通りにいかないものですわ。それは陛下であっても、同じです」


 ヴィオレーユの言葉を遮ると、フランシーユはにこやかに告げた。


「わたしは、まさか自分が陛下の身代わりをすることになるとは、これまで一度も想像したことがありませんでした。でも、やってみると案外面白いものですし、政治に興味が湧きました。わたしはこれまで、結婚したらランヴァン卿夫人として社交界で面白可笑しく享楽的に過ごして、ファヴェリエ社交界の頂点を目指すつもりでした。でも、さきほど侍女に言われたんです。今後、父の仕事の手伝いをしないのかって」


 ニーナに問われた際、フランシーユは即座に否定をしたが、ヴィオレーユと話をしている間に気が変わった。


「侍女には、父の手伝いなどしないと答えましたが、いま考え直しました。陛下がこれからも王としての務めを果たされるのであれば、わたしは陛下のお手伝いをしますわ。なにしろわたしは暇を持て余していますし、両親や兄はほとんど王宮におりますので、わたしひとりが屋敷でだらだらしている必要はないんですもの」

「て、手伝い?」


 面食らった様子でヴィオレーユが問い返す。


「そう。陛下のお手伝いです。ちなみにこれは陛下に拒否権はありません。世の中、女王陛下であっても思い通りにはならないことがたくさんあることを日々認識してください」


 ふふっと勝ち気な笑みを浮かべてフランシーユは宣言した。


「もちろん、陛下が王をやめたいとおっしゃるのであれば、いますぐわたしが変わって差し上げます。陛下が退位するのではなく、ひとまずわたしに身代わりを続けて欲しいとおっしゃるのであれば、それでも構いません。ただし、その場合はわたしの好きなように政治を動かします。シリル・ガヴィニエスは女王の夫としてわたしのそばにいることになりますし、アンセルム・ランヴァンは女王の愛人にしようかなと考えています」

「え!? いえ、それはちょっと……えぇ!?」


 目を白黒させながらヴィオレーユが慌てる。


「ヴィオレーユ女王が五年経って退位するかどうかは、身代わりであるわたしの気持ち次第となりますし、女王の評判の善し悪しなんてわたしの知ったことではないってなります。ヴィオレーユ女王が後世にどのように伝えられるかが楽しみですね!」

「わ、わたくしが頑張ると言えば……?」

「わたしは陛下のお手伝いをしますよ。ままならない世の中を、なんとか思い通りに動かすために努力しましょう。国王だって努力は必要です。苦手でも人付き合いをしなければなりません。嫌な相手を嫌だからといって避けることはできませんし、交際が必要なこともあるでしょう。でも、そういうときに陛下を助ける者が、いまの陛下のおそばにいますか?」

「宰相、とか、シリル殿、とか」

「助けになっています?」

「助け……ではない、かもしれないわ」


 フランシーユに誘導されるように、ヴィオレーユは答えた。


「叔母様はわたくしを助けてくださるけれど、でも、常にそばにいてくださるわけではないし」

「誰だって、陛下のおそばにずっと貼り付いていられるものではありませんよ。陛下と一緒にいるのは、陛下ご自身だけです。でも、お友達が何人かいれば、交代でお友達が常に一緒にいてくれるようになります。陛下がお困りの際は、お友達が手を差し伸べます」

「お友達……」

「陛下の回りって、本当に人がいないんですね!」


 フランシーユが核心を突くと、ヴィオレーユは黙り込んだ。


「女王を続ける気があるなら、お友達をひとりやふたりは作りましょう。べつにたくさんお友達がいる必要はないんです。数で勝負するわけではないんですから。でも、広く浅い付き合いをする相手はたくさんいた方がなにかと便利です。人脈ってものは大事ですからね。陛下と仲良くなりたい人は国内外にたくさんいますから、そんな人たちと会って、ちょっと声をかけてあげれば良いんです。一回会ったらお知り合い、二回会ったらお友達、の心意気です」

「ちょっと強引じゃないかしら?」

「遠慮していたらなにも進展しませんよ。で、どうします?」

「え?」


 話の本筋を見失っていたヴィオレーユが首を傾げた。


「女王を続けますか? それとも、わたしに身代わりを続けさせますか? わたしはいまのところ王宮の事情を正しく理解していないところがあるので、このまま身代わりを続けると宮廷内部を引っかき回すことになるかもしれませんけどね」


 くすっとフランシーユが笑うと、ヴィオレーユは唇を噛みしめて考え込んだ。

 コルネーユ王の元親衛隊隊士によるヴィオレーユ女王襲撃事件は、女王の身代わりを務めていたフランシーユがドゥジエーム大公に親衛隊の教育を指示したことが発端であると、昨日フランシーユは父から聞いた。

 まさか元親衛隊隊士たちが女王に反感を抱くとは考えもしなかったフランシーユは驚いたが、女王の影響力というのはそれだけ大きく、些細な一言でも結果としておおごとになる場合もあるのだと痛感した。彼女としては、ドゥジエーム大公に無理難題を突きつけて、親衛隊が解散するかこのまま大公家に閉じ込めておくようになれば良いくらいの考えだったが、結果として事件は起きた。

 もしこれからもフランシーユが女王の身代わりを務めるのであれば、言動にはもっと注意しなければならない。それでも、生まれたときから王宮の空気の中で育ったヴィオレーユのように様々な事情を知っているわけではないフランシーユは、いくら周囲から情報を集めても意図せず誰かを怒らせたり傷つけたりすることになるだろう。

 できるだけ人に関わらないようにしているヴィオレーユのような仕事ぶりでも、誰も一切傷ついていないわけではない。女王が仕事をしないことで不利益を被っている者は国内外にたくさんいる。

 仕事に失敗したとして、やり直しができる場合とできない場合もある。

 女王の場合は特に、王の一言で国の命運が大きく変わる場合だってある。

 どれが正解だったかなど、ずっと先にならないとわからないものもたくさんあるだろう。

 女王のやり方についていけない一部の貴族が内乱を起こすかもしれないし、国民が革命を起こすかもしれない。それが成功して、王が廃され処刑される可能性だってある。

 実際、他国では過去に王が次々と殺されたことだってある。

 引きこもりの女王では国に将来はないと言って、暗殺を企てる者だって出てくるかもしれない。


「なにも思い通りにならないからといって、怖がっていても仕方がないんです。陛下には力があります。あなたは貧しい庶民の娘ではないんです。女王陛下なんです。陛下はわたしの父に、わたしが陛下の身代わりをするようお膳立てを命じたとおっしゃいましたよね? それができるのは、陛下が国王だからです。それで、わたしを身代わりにしたことは成功だったと思いますか? 失敗だったと思いますか?」

「それは……わからないわ」


 ヴィオレーユは正直に答えた。


「当然ですね。わたしだって、どちらかわかりません。毎日書類に署名をするだけが女王の仕事だと思っていたら、命を狙われるし、一日近く地下をさまよう羽目になりましたし、元親衛隊の連中は逮捕されましたしドゥジエーム大公はしばらく王宮に顔を出せないでしょうけれど、それが結果として良かったのか悪かったのかはまったくわかりません」


 宮廷で貴族たちが派閥争いを繰り広げている中、ドゥジエーム大公派と称する貴族たちはしばらくおとなしくなるだろうが、それが派閥解体となるか一時的なものかはいまのところ見極められない。

 現在は最大派閥である宰相派だが、それだって明日には宰相が失脚する事件が起きるかもしれないのだ。

 どれが最善の策かなんてわかっていれば誰も悪手は打たない。わからないから、試行錯誤したり、もがいたりするしかないのだ。


「陛下だって困ったら人に助けを求めれば良いんです。どうしようもなくなったら、誰かに丸投げすればいいんです。でも、それをするためには陛下の周囲に人がいなければできません。助けを求める人、いざというときに丸投げする相手をそばに集めておきませんか?」

「……どうやって?」

「とりあえず、話をしましょう。雑談をするのが苦手なら、挨拶と天気の話を一言二言すればいいんです。女王陛下が誰か特定の相手と長話をすると不公平感が生じるので、二言くらいがちょうど良いんです。陛下とお話ができれば、話題が天気だけだとしても、喜ぶ人が続出します。これが人民掌握の基本です」


 まるで詐欺師の講義のようだが、ヴィオレーユは熱心に耳を傾けていた。


「叔母様も、似たようなことをおっしゃっていたわ」

「そうですか」


 母ならもっと言葉を選んで話したのだろうが、フランシーユは母のように上手に説明ができないことを悔やんだ。


「でも、叔母様の穏やかなおっしゃりようより、フランシーユ殿の強烈な言い方に惹かれるわ」


 ふふっとヴィオレーユは目を細めて笑った。


「じゃあ、今日の婚約披露宴から実践してください」

「そうね。なら、フランシーユ殿もわたくしの婚約披露宴に参加してくれる?」


 ヴィオレーユが懇願するような表情を浮かべて尋ねる。

 そこでフランシーユは、ヴィオレーユが現れる前にニーナに対して婚約披露宴に出るのが面倒になったと話していたことを思い出した。どうやらヴィオレーユは、フランシーユとニーナの会話を途中から聞いていたようだ。


「仕方ないですね。陛下に頼まれたとあっては、少々疲れていても出ないわけにはいきませんね」


 わざと恩着せがましくフランシーユは答えた。


「でも陛下、覚悟をしてくださいよ」


 フランシーユは低い声で釘を刺した。


「わたしを頼るということは、陛下はわたしのやり方に合わせなければならないこともたくさん出てくるということですよ? いいですね?」

「…………いいわ」


 しばらく考えてから、ヴィオレーユは頷いた。


「わたくし、今回のことで宰相に失望されて、いよいよ見放されるんじゃないかと思って、それで叔母様に相談したらあなたと話すよう言われたの。一昨日のランヴァン卿はわたくしを殺したいって顔をしていたし、シリル殿もあなたになにかあったと聞いた瞬間からわたくしの顔を見てくれなかったわ。でも、あなたが無事に戻ってきてくれて、わたくしは試されているような気がしてきたの」

「試されるって、誰にですか?」

「誰かに。宰相なのか、国民なのか、神なのか、それとも自分自身なのか。とにかくわたくしは、いまの自分を変えるしかないと思ったの。すこしでもあなたの真似をして、女王らしくならなければならないと思ったの」

「別にわたしの振る舞いが女王らしいわけではありませんよ?」

「でも、わたくしの手本になったわ」


 相変わらず声は小さいが、ヴィオレーユは意思の籠もった口調で告げた。


「わたくし、一人前の女王にはまだまだなれないかもしれないけれど、やれるだけやってみるわ」

「そうですか。では、お手伝いしますよ」


 ビシバシと厳しくやっていくけれど、と心の中で付け加えつつ、フランシーユはひとまず自分の身代わり女王生活が終了したことを喜んだ。

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