七日目 2

「あ、あの、わたくし、あなたに……謝りた、くて」


 とつとつと喋り出したヴィオレーユをフランシーユはぽかんと見ていた。

 マリアンヌの前に一歩出ただけのヴィオレーユは、フランシーユに近寄ることはせず、距離を置いたまま、そしてフランシーユから視線をそらして自分の足下の深緑色の絨毯に視線を向けている。

 フランシーユがどのような反応をしているか確認することはなく、相手の返事を待つこともせず、ただひたすら自分が言おうと用意してきた台詞を一気に読み上げているような口調だ。

 マリアンヌはニーナに目配せをして、ふたりでそっと部屋を出て行く。


「わたくし、ずっと女王であることが嫌だったの。お父様はどうしても嫌だったらやめることができるとおっしゃっていたけれど、宰相に相談したら、五年続けてみてやっぱり嫌だったら退位すればいいと言ってやめさせてくれなかったし、シリル殿に相談したら、次の王を指名してから退位するべきだと言われるし、でもわたくしは誰を次の王に指名したら良いのかわからなくて、叔母様だとすでにプルミエ公爵家に嫁がれているし、叔父様は反対する人が多いというし、シリル殿だと結局わたくしたちが結婚したらわたくしは王宮から出ることができないし、それならあなたかパトリス殿が良いかしらと思ったの」


 ドゥジエーム大公の嫡男パトリスを指名すれば、ドゥジエーム大公が王位に就く以上に混乱がもたらされるという意識がヴィオレーユにはないらしい。


「ただ、あなたはもうすぐランヴァン卿と結婚するのでしょう?」

「陛下のご成婚のあと、再来年の予定です」


 予定では再来年だが、まだ正式に日取りが決まっているわけではない。

 プルミエ公爵家ではまずはシリルの結婚準備に集中して、その後フランシーユの結婚準備に取りかかる予定だ。一応は再来年の年内となっているが、国内の様々な行事を考慮すると年末に式を挙げられるかどうかも微妙な状態だ。


「もしあなたが結婚してクレール公爵家に嫁いでしまったら、ランヴァン卿はあなたが女王になることを反対するんじゃないかと心配になったの。宰相は、あなたがとても勉強ができて、王としての素質も持っていると褒めていたから、わたくしがあなたを次の王に指名しても反対はしないだろうと思ったけれど、でも、ランヴァン卿はあなたのことをそれほど評価していないかもしれないし、あなたが女王として活躍することを快く思わないのではないかと思ったの」

「なぜですか?」


 フランシーユは、アンセルムが狭量な人物だとは思っていなかったが、どうやらヴィオレーユはそうではないらしい。

 プルミエ公爵はフランシーユを褒めれば女王の自尊心をあおれると考えたのだろうが、きょうだいがおらず次期国王として誰かと競うこともなく育ったヴィオレーユにはまったく通用しなかったようだ。


「だって、ランヴァン卿は軍人じゃない。軍人って、女には能力がないって思っている人ばかりの集まりよ?」

「別に軍人だからって、そのような殿方ばかりではないと思いますが」


 すくなくともフランシーユの知る軍人は、そうではない。


「この王宮の軍人たちは、皆そうよ。近衛師団や、お父様の親衛隊や……皆、女のわたくしが王になって国を率いるなどできやしないってあざわらっていたわ」

「だから陛下は軍官嫌いなのですか?」


 フランシーユが尋ねると、ヴィオレーユは大きく頷いた。


「えぇ。軍人なんて大っ嫌い」

「だから、わたしの兄と結婚することにしたんですか?」

「シリル殿はとても優しいし、乱暴な言葉遣いをしないし、まるで物語に登場する王子様のようだわ。彼はわたくしが女王としての仕事がうまくできなくて悩んでいるとき、いつも黙って話を聞いてくれて、寄り添ってくれているの」


 聞いているとまるでのろけのようだ、とフランシーユはわずかに不愉快な気持ちになった。

 シリルは自分の兄であって王子様であって、ヴィオレーユの王子様ではない。ただの従兄で婚約者で、そして結婚すれば夫になるが、離婚すればただの従兄妹に戻るだけの関係だ。いまは甘えていられるかもしれないが、将来もずっとそうであることが約束されているわけではない。

 一方、フランシーユにとってシリルはずっと兄だ。それは彼女がアンセルムと結婚しても、他の誰かと結婚しても変わるものではない。だから、いつの頃からはフランシーユは、兄がヴィオレーユと結婚することを心の中で認めるようになった。口では、自分が兄と結婚するのだと言い続けていたが、結婚して関係が変わるよりも、喧嘩をしても絶縁したとしても兄妹の関係はゆるぎないのだと考えるようになった。

 シリルとヴィオレーユが結婚しても、彼がフランシーユの兄であることは変わらない。

 夫婦のように関係が変化するものではないだ。


「兄はご婦人であれば誰に対しても優しいです。うちの屋敷の使用人や城下の花売り娘にも、道ばたの物乞いの老婆にも。身分や境遇に関係なく、優しい人です。陛下はそういう兄の姿をご覧になったことはありますか?」

「ないわ」


 ヴィオレーユは首を横に振った。


「では、これからは兄と一緒に城下に出てみるとよろしいかと思います。それで、陛下も兄のように誰かに優しくしてみてください」

「そうすると、どうなるの?」

「なにか起きるかもしれませんし、なにも起きないかもしれません。兄が誰かに優しくしているのを陛下は嫉妬されるかもしれませんし、兄が優しいことを再認識して嬉しく思われるかもしれません。でも、兄の仕事は陛下の愚痴を聞くだけではないはずです。陛下が兄に対してご自身の愚痴を聞くだけの仕事を一生させたいというのであれば、陛下は退位された方がよろしいと思います。人材の無駄遣いですから。わたしが女王になって、兄を含め、あらゆる人材を有効活用してことごとく働いてもらいます。兄が陛下の愚痴を聞いている暇などないくらい、働いてもらいます。わたしが女王になったあかつきには、もちろん陛下にも働いていただきます」


 政治公約のように、フランシーユは宣言した。


「わたくしが、働く……? でもわたくし、女王の仕事以外はできないに違いないって言われたことがあるわ」


 それは能力のあるなしではなく立場上の話だろう、とフランシーユが思ったが、黙っておいた。


「陛下は退位されたら悠悠自適の隠居生活ができるとお思いですか? 陛下ご自身の資産はどれくらいですか? それだけで陛下が一生食べていけるだけの収入がありますか? あったとしても、わたしは陛下に仕事をしていただきますけどね」


 ふふん、とフランシーユは鼻で笑った。


「わたし、この数日間、王宮で過ごしてみて思ったんです。この王宮は旧態依然としているって。陛下は、軍人の男は、女に能力がないって言うから嫌いだっておっしゃいますが、それなら軍に女性士官を入れれば良いんです。軍の男たちだって、自分と同じだけの仕事ができる女性士官や、自分より出世する女性士官を見たら、口が裂けても男の方が女よりも優れているなんて言えませんよ。よろしければ、確実に軍で活躍できるご婦人を紹介しますわ。クレール公爵家のジョルジェット嬢です。家柄、実力ともに優れていますし、出世をすれば最初は親の七光りと言われるでしょうけれど、彼女がそんな陰口を叩く男たちの口は拳で封じていくでしょう」

「そんな素晴らしいご令嬢がクレール公爵家にはいるの?」


 興味を持ったのか、ヴィオレーユは大きく目を瞠った。


「いますとも。陛下はあまり国内の貴族とお付き合いをされていないようなので、そういった情報に疎いようですが、国内には優れた能力のご婦人がたくさんいます。軍の男たちが嫌いなら、軍に女性士官を採用すれば良いんです。世の中の半分は女性ですから、士官に向いている腕に自信がある女性だってすぐ集められますよ」

「でも、将軍は……なんと言うかしら。だって、自分の娘を男ばかりの軍隊に入れろなんて言われたら……」

「説得するのは簡単ですよ。陛下は軍服をお持ちですよね。あれを着て、将軍と会えば良いのです。そして、まずは陛下の近衛隊に女性士官を入れてはどうかと提案するんです。将軍は、陛下が軍のことを気にされていると知ったら大喜びで女性士官の募集を始めますよ」

「そう簡単なことではないと思うけど」

「一回で説得できなかったら、二回、三回と繰り返せば良いんです。わたしならそうします」


 一回で諦めるなど、フランシーユには考えられなかった。

 目的のためなら、手を替え品を替えてするしかないのだ。


「それに、わたしはこのまま王宮で陛下のお仕事を代行するならジョルジェット嬢を近衛隊に入れるつもりでした。だって彼女、とっても格好良いんですよ? 彼女の軍服姿を想像するだけで、とても心が沸き立ちますわ。彼女の婚約者のルフェーブル卿は多分反対するでしょうけれど」

「ルフェーブル卿が? ランヴァン卿ではなく?」

「陛下はルフェーブル卿を気に入っていらっしゃるようですが、彼はランヴァン卿よりも考えが古い男です。ランヴァン卿は男だろうか女だろうが強い者が上という弱肉強食みたいな人ですけど、ルフェーブル卿の場合は男が女を護るのが当然って考えみたいです」

「そんな風には見えないけれど」

「では、一度ルフェーブル卿と話をしてみると良いですよ」


 にこりと笑みを浮かべ、フランシーユはヴィオレーユに薦めた。


「ランヴァン卿の方が……いつも怖い顔をしているし、よく怒っているわ。一昨日も、物凄い剣幕で……」

「彼の顔が怖いのは生まれつきでクレール公爵家の顔が大体あんな感じなので、本人のせいではありませんわ。口調が少々荒いので怒っているように聞こえるかもしれませんが、怒っていないことがほとんどです。一昨日は賊を取り逃がしてあせっていたので、陛下に当たり散らすようなことを言ってしまったのですよ。基本的に彼は脳筋で、顔面も筋肉を鍛えすぎているので、兄のように柔らかい表情ができないんです。でも、筋肉を褒めると単純なので喜びます」

「……フランシーユ殿は、ランヴァン卿の扱いを熟知されているのね」

「付き合いが長いので。陛下も、ほんのすこしだけ周囲の者に興味を持って、話をしてみてください。近衛隊の隊士などは、わたしが陛下のふりをして屯所へ行った際など、たいした言葉をかけていないのに喜んでくれました。王というはすごいものですね。同じような顔をしているわたしたちですが、わたしが近衛隊の訓練を見学に行っても誰も喜ばないのに、女王が視察に来たとなったらすぐに全員が集まるんですもの」


 実際は隊長であるアンセルムが集合をかけたのだが、そこは適当に誇張しておくことにした。


「そういえば、陛下はなにをわたしに謝ろうとされたのですか?」


 話が脱線していたことを思い出し、フランシーユは尋ねた。


「それは……あなたに嘘をついて身代わりをさせてしまったこと。あんな危険な目に遭うなんて思わなかったの。わたくしはただ、宰相があなたならわたくしの十倍は仕事をすると言うから、それならあなたに仕事をしてもらえばいいじゃないのと言って、宰相になんとかあなたが女王の代理をできるようお膳立てを命じたの。でも、そんな無茶なこと、できっこないって思っていたの。もしそれができたとしても、あなたは一日で女王の仕事がどれだけ大変かを宰相に告げてくれるだろうって期待していたの。なのに、あなたは本当にわたしの十倍以上の仕事をして、さらにはお父様の親衛隊の残党に攫われたりして……まさかこんなことになるなんて思わなかったの」

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