三日目 5

「いやー、あの大公の顔は傑作だった!」


 腹を抱えながら爆笑するアンセルムを、フランシーユはうんざりした顔で睨む。

 ドゥジエーム大公が帰って以降、彼はひたすら笑い続けていた。


「目を点にして女王陛下を見つめる大公なんて、滅多に見られるもんじゃないぞ」

「そんなに面白い顔だった?」


 フランシーユは大公が去るまで顔を上げなかったので、彼が具体的にどのような顔をしていたのかは見ていない。ただ、フランシーユの提案について驚いていたことだけは気配で感じられた。

 ドゥジエーム大公との面会を終え、執務室で午後の書類への署名を百枚ほどおこない、ペンを握る指に力が入らなくなったところで、婚約披露宴でヴィオレーユが着るドレスの試着となった。

 女王の私室に戻り、衣装部屋で待ち構えていた仕立屋の主人やお針子達にドレスを着せられ、ひとまずマリアンヌやアンセルムにドレス姿を見せるため居間へと移動したフランシーユだが、アンセルムは笑い転げているので着飾ったフランシーユを見る様子がない。


(これ、わたしが試着しても意味がないような気がするんだけど。というか、コルセットがちょっときつくなったわ。今日はまだ散歩をしていないからかしらね)


 ヴィオレーユの方が元々腰が細い、という可能性はフランシーユは無視することにした。

 婚約披露宴のドレスは、もしヴィオレーユが残り四日で戻らなければフランシーユが着る羽目になる。

 シリルからは一切連絡がなく、ヴィオレーユの行方を掴めているのか、現在兄がどこにいるのかなどはまったくわからない。もしヴィオレーユが見つからなかったら、いっそのことシリルも戻ってこなければ良いのに、とフランシーユは考えた。そうなれば、婚約披露宴は延期することができる。

 もちろん、シリルの不在を理由に婚約披露宴を延期すれば、プルミエ公爵家の信用が下がることは間違いない。かといって、女王の体調不良を理由に延期すれば、女王の健康に問題があるのではないかと貴族たちが不安視することになる。どちらかを選ぶとすれば、シリルの不在だが、宰相がそれを許す可能性は低い。


(となれば、なにか別の問題が起きるしかないわけだけど……大公派の貴族が『披露宴を中止しろ』って内容の脅迫状を送るとか。そういう脅迫状が送られてきたことにするとか)


 うーん、と唸りながらフランシーユは考え込んだ。

 薄緑のドレスはヴィオレーユのドレスにしては華やかだが、フランシーユには物足りない。袖や襟元のレースの量が少ないし、首飾りの宝石が真珠だけというのも地味に感じる。胸元を飾る黄色い絹のリボンも控えめで、婚約披露宴の主役のドレスというよりは招待客の装いだ。

 フランシーユは鏡に映る自分の姿を眺めながら、結い上げた髪に飾ったかんざしと薔薇の数にため息をつく。

 自分の薄紅色のドレスや、ニーナと一緒に考えていた髪型は、いまの自分の姿に比べるとかなり派手だ。はっきり言って、プルミエ公爵令嬢が主役であると出席者の誰もが誤解するくらいだ。


(屋敷にあるわたしのドレスをいまさら違うものに変えるなんてできないわ。こんなことなら、もっと早く陛下のドレスがどんなものかお母様に確認しておいてもらうべきだったわ。まさか陛下がこんな地味好みだなんて知らなかったから、わたしにしては控えめなドレスを作ったのに完全にこのドレスの方が控えめっていうか、とっても地味!)


 自分のドレスを変更する気はフランシーユにはなかったが、ヴィオレーユとフランシーユが一緒に並ぶとどうしてもヴィオレーユが見劣りすることは間違いなかった。なにしろほぼ同じ顔をしているのだから、ドレスの装いで印象はがらりと変わる。


(もしわたしが陛下として婚約披露宴の主役を務めることになったら、あのドレスをニーナに持ってきてもらわなくちゃ。このドレスでは駄目よ)


 女王の髪結い担当の女官が結ってくれた髪型も、フランシーユの気分に合うものではなかった。


「まぁ、陛下。とてもお似合いですわ」


 フランシーユのドレス姿を上から下まで、頭のてっぺんから靴のつま先までじっくりと検分したマリアンヌは、さらにぐるぐるとフランシーユの周囲を三周して前後左右まで確認した。

 仕立屋の主人とお針子たちが緊張する中、マリアンヌはフランシーユが試着したドレスの裾の広がり方、裾丈、リボンの幅、レースの重なり方なども細かく目を配り、リボンの先を指でそっと摘まんだり、首元の肌の露出を確認したり、角度を変えながらなんども観察する。

 そのマリアンヌの真剣な眼差しに、仕立屋の主人とお針子たちは息をのむ。

 部屋の隅でげらげら笑っているアンセルムが場違いなほどだ。


「ランヴァン卿、お黙りなさい」


 マリアンヌが注意をすると、ようやくアンセルムは口を閉じたが、まだ笑い足りないのか肩が震えている。


(アンセルムってあんなに笑い上戸だったかしら?)


 フランシーユはあまりアンセルムが笑い転げているところを見た記憶がない。

 彼は兄のシリルのように常に愛想が良いわけではない。軍人がにやにやしていると見ている方が気持ち悪いから、といってしかめ面をしていることもあるが、基本的に感情がすぐ顔に出る方ではある。フランシーユほど喜怒哀楽が激しいわけではないが、見ているとほぼ考えが丸わかりにはなる。

 一応、仕事中はそこまで顔に出さないようにしているしこわもてを保っている、とアンセルムは言っているが、この三日間で様子を見ている限りでは、疲れた顔をすることはあっても、本人が言うような強面ではない。


「ランヴァン卿。ちょっとここまで来て陛下の横に立ってみて」


 マリアンヌはアンセルムを手招きしてフランシーユの横まで呼び寄せた。


「とりあえず、シリルと並んで立ったことを想定して見てみましょう」


 マリアンヌは、婚約披露宴で女王とシリルが並んで立つ姿を想像するように、目を細めてフランシーユとアンセルムを眺めた。


「そうねぇ……ランヴァン卿では、かなりシリルと雰囲気が違うから……ちょっと」


 美しい顔を軽くしかめてマリアンヌが呟く。


(それはそうでしょうね)


 身長はアンセルムの方がシリルよりもすこし高いくらいだが、体格はかなり違う。

 軍人として毎日鍛えているアンセルムの方が筋骨隆々なので、シリルと比べてかなり大柄に見える。


「ランヴァン卿。あなた、シリルに比べて華やかさが足りないわ」

「承知しております」


 まさかこんなところでマリアンヌから駄目出しをされるとは思わなかっただろうアンセルムが、顔を引きつらせながら答える。

 近衛隊の警備用制服姿なので、正装の軍服に比べてかなり地味だ。生地は紺色と白、飾りもほとんどないもので、女王の近衛隊とはいえ見た目が小ぎれいだというていどの質素なものだ。


「あなた、まさか陛下の婚約披露宴でもそんな格好で出席するつもりじゃないわよね? わたくしの娘とそんな格好で並ぶつもりはないわよね?」

「近衛師団の正装の予定ですが」

「あれも結構地味よね」


 マリアンヌは近衛隊の正装にまで文句を付けだした。

 どうやら、彼女は以前から軍服について不満を持っていたらしい。


「陛下。近衛隊の制服を新調しましょう。陛下のおそばを護る者は身なりもそれなりの品格が必要です。陛下はさきほど、オーギュストに親衛隊の品位を求めましたよね。品があるかどうかは言動からも判断できますが、まずは見た目です。陛下が軍人を苦手とされるのはランヴァン卿のように見た目が厳つくてむさ苦しくてこぶしで会話をしようとするところですよね!?」

「――――え?」


 別段軍人が苦手ではないフランシーユはマリアンヌの発言に戸惑いながら首を傾げた。


「公爵夫人。近衛隊は身なりで仕事をするものではありませんから――」

「陛下のおそばにいる以上は身なりも重要です!」


 アンセルムの反論を、マリアンヌはぴしゃりと退けた。


「陛下! 近衛隊の新しい制服は私どもにお任せくださいませ」


 途端に目の色を替えた仕立屋の主人が口を挟んでくる。


「近衛隊の皆様を引き立たせる素晴らしい制服を作ってみせます」

「まぁ! それは楽しみね! 陛下、早速宰相に近衛隊の制服の予算を計上するよう頼みましょう!」


 新しい大口の注文にはりきる仕立屋と、近衛隊の制服を一新する思いつきをすっかり気に入ってしまったマリアンヌが意気投合する。


「女王様……国税の無駄遣いが発生するので、なんとか止めてください」


 マリアンヌが主導する計画にはどういても自分では抵抗できないと判断したアンセルムは、肘でフランシーユをつつきながら助けを求める。


「公爵夫人。近衛隊の制服は変えません」


 仕方なく、フランシーユは盛り上がっているマリアンヌと仕立屋の主人に水を差した。


「まぁ! なぜですの!?」


 マリアンヌが不服そうに尋ねる。

 適当な理由では納得しそうにない。


「それは――――近衛隊が華やかになると、わたくしが目立たなくなるからです」


 ただでさえ女王の存在は地味なのに、とフランシーユは鏡を見ながら思った。

 簡素な制服姿のアンセルムと並んでも、婚約披露宴用のドレス姿のフランシーユは宴の主役である存在感が欠ける。

 これが普段着のドレスなら、もっと地味だ。

 もし近衛隊の制服が派手になれば、近衛隊の存在は場を華やがせるかもしれないが、女王の方がますます人目を引かなくなる。


「――――確かに、おっしゃるとおりですわ」


 さすがのマリアンヌも、納得せざるを得なかった。


「では陛下! まずは陛下の普段のお衣装をもう少し華やかなものにしてはいかがでしょう? 陛下もまもなくご結婚なさるのですから、これを機に大人の貴婦人を印象づけるドレスを着用してみては? 私どもが、陛下のお気に召すドレスをご用意してみせますわ」

「それがいいですわね」


 まずは女王を煌びやかに着飾らせることの方が大事だと気づいたマリアンヌも同意する。


「そうですね。任せます」


 多分、仕立屋がヴィオレーユ女王のために新たに用意する日常着のドレスに袖を通すのは自分ではないし、と考えながらフランシーユは頷く。

 四日後に戻ってきたヴィオレーユが、衣装部屋のドレスが華美になっていることに驚いても、彼女から抗議を受け付けるつもりはなかった。


(陛下が勝手に駆け落ちなんかした罰よ。これくらいの嫌がらせ、甘んじて受けてくれなきゃね)


 制服にこだわりを持っていないアンセルムは、制服の改変を阻止できたことに胸をなで下ろした。


「これで採寸だの仮縫いだの試着だので無駄な時間を取られることがなくなる――」


 ぼそりと呟くアンセルムの声を耳にしたフランシーユは、これだから身なりに興味がない男は、と鏡越しにアンセルムを睨みつつ、ヴィオレーユ女王の婚約披露宴用ドレスの地味さ加減に頭を悩ませた。


(このドレスでお兄様と並ぶなんて、お兄様に失礼じゃないかしら)


 アンセルムの制服姿はどうでも良いが、婚約披露宴までの残り四日でドレスをどうにかしたいものだと急いで考え始めた。

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