五日目 5

 夜更けになって、プルミエ公爵夫人マリアンヌ・シス・ガヴィニエスは目を覚ました。


「陛下が、賊に攫われた?」


 女官長の説明に、マリアンヌはまばたきを繰り返す。

 朝、食事を終えて女王に扮したフランシーユが執務室へ向かうのを見送った直後、目の前が薄暗くなって意識が途絶えたことは思い出せた。

 だが、目覚めた途端に女王が攫われたと告げられても理解ができない。

 女王はこの五日間、ずっと行方不明だ。駆け落ちをしたと書き置きをして姿を消しているが、賊にかどわかされたわけではない。そのことをマリアンヌは承知していた。

 そして、女官長が「陛下」と呼ぶ人物がヴィオレーユではなくフランシーユであることも、マリアンヌは察することはできた。

 つまり、賊に襲われたのは女王の身代わりをしていたフランシーユということだ。


「警備兵や現場を目撃した女官の話では、犯人は前王陛下の元親衛隊を名乗っていたそうです。陛下を襲った男と陛下を攫った者は別だそうですが、同じ元親衛隊隊士ではないかと近衛隊は考えている模様です」

「元親衛隊? あれはオーギュストに管理を任せていたはずよね?」

「はい。陛下襲撃がドゥジエーム大公のご意志か、親衛隊が勝手に暴走したかは不明ですが、少なくとも陛下を襲った一名は元親衛隊で間違いないかと。王宮への侵入経路は不明ですが、元親衛隊であれば前王陛下から隠し通路を聞いていた可能性があります」

「なんてこと……」


 マリアンヌは掛け布団を両手で強く握りしめ、美しい顔を歪めた。


「お兄様の親衛隊だった者が、そのような真似を……。それで、陛下はご無事なの?」


 声を絞り出すようにマリアンヌが尋ねると、女官長は目を伏せて首を横に振った。


「それが、まだ陛下の行方がわからないのです。ご無事かどうかも」

「わからないって、陛下が襲われてからどれくらいの時間が経っているの!?」


 寝台横の脇机の上にある置き時計に目をやり、まもなく日付が変わろうとしていることをマリアンヌは確認した。

 部屋の中は複数の燭台に灯された蝋燭の灯りで明るく照らされているが、分厚い窓掛けカーテンで覆われた窓の外が闇であることは察せられた。


「陛下が襲われたのは昼食を終えられて、午後の執務に入られる直前でした。陛下は午後の執務の前に公爵夫人を見舞われるとおっしゃって、こちらに向かわれるところでしたが、途中の廊下で賊の襲撃を受けられ、そのまま何者かに攫われてしまいました」

「護衛は? ランヴァン卿がついていたでしょう!?」

「彼は最初に襲ってきた賊と対峙し、その賊を捕らえた部下に指示を出している最中だったそうです」

「だから、陛下の警護が甘かったと!? そんな言い訳、通用しませんよ!?」


 真っ青になったマリアンヌは、怒りで身体を震わせながら声を荒らげた。


「ランヴァン卿は陛下が攫われてから、すぐに賊を追いましたが、なにしろ相手は王宮内の隠し通路をいくつも知っている者のため、陛下を探すのに難航しているようです」

「ふざけないで! ランヴァン卿だけが陛下を探しているわけではないでしょう!?」

「もちろんです、公爵夫人。しかし――」


 マリアンヌに責められる形となった女官長が言い訳にしかならない説明を繰り返そうとしたときだった。


「公爵夫人? 目を覚まされたのですか?」


 衣擦れの音だけで、靴音はほとんどさせずに入ってきた人物が、マリアンヌの寝室を覗き込むように囁くような声をかけた。


「ご気分は、いかがでしょうか」


 そろりと顔を見せたのは、女王だった。


「陛下!」


 女官長が飛び上がらんばかりの声を上げる。


「ご無事でしたか!」

「え、えぇ」


 駆け寄ってくる女官長の勢いに気圧された様子で、女王がこくこくと頷く。

 その背後にはシリル・ガヴィニエスの姿がある。


「――陛下」


 マリアンヌが呼びかけると、遠目でもわかる濃緑色の地味なドレスに身を包んだ女王は、マリアンヌを気遣うようにそっと部屋に入ってきた。

 その姿を目にした途端、マリアンヌは落胆した。

 女王がヴィオレーユであることは、一目でわかった。

 事件に巻き込まれて戻ってきたフランシーユなら、こんなにおとなしく部屋に入ってくるはずがない。女王らしく振る舞いながらも、ランヴァン卿への文句を並べ立てながら自分がいかに恐ろしい目に遭ったかを多少誇張しながら話すものだ。

 シリルの表情にちらりと視線を向けたマリアンヌは、誰かが女王誘拐事件についてシリルに知らせたことを察した。それが多分夫であるプルミエ公爵であることや、半日経ってもフランシーユが見つからないのであれば、これ以上事件を大きくしないためにもヴィオレーユを政務に戻らせることを決めたのだろうこと、そしてシリルが女王を助け出したような顔をして彼女が隠れていた部屋から連れ出したことも、すべて読み取ることができた。

 それは同時に、フランシーユの消息がわからない、または彼女の死を意味していた。


「シリル。あなたは家出をしたフランシーユを探しに行っていたのではないの? あの子はどこでなにをしているの? どうしてあの子はわたくしのところに顔を見せてくれないの? わたくしが怒ったりしないことを、あの子は知っているはずでしょう?」


 あくまでもフランシーユが家出をして、シリルがそれを探しに行ったような口ぶりで、マリアンヌは息子に尋ねた。


「…………申し訳ありません」

「シリル!」


 なぜそんなすべてを諦めためような顔をして謝るのか、とマリアンヌは問い詰めたかった。

 まるでフランシーユの死に顔を確認したような様子だ。

 しかし、部屋を見回しても夫の姿はない。

 ということは、まだフランシーユは見つかっていないだけで、生死不明ということになる。さすがに仕事中毒の夫も、娘が死んでは仕事どころではないはずだ。


「あの子を探してくると言ったのはあなたじゃないの! なぜあなたがここにいるの!?」


 いますぐフランシーユを探してきて、とマリアンヌは叫びかけた。

 その声を遮ったのは、荒々しく扉を開け放つ音と、硬質な靴音だった。


「陛下。ご無事でしたか」


 腹の底から絞り出したような声が部屋に響いた。

 振り返ったヴィオレーユが「ひっ」と小さく悲鳴を上げると同時に、マリアンヌの視界に酷く憔悴したアンセルムの姿が映った。


「いますぐ、王宮中の隠し通路を教えてください」


 怒気をはらんだ声で、アンセルムはヴィオレーユに迫った。

 その様子から、まだフランシーユが見つかっていないのだとマリアンヌは再度認識した。

 もしフランシーユが見つかっていれば、彼はここにはやってこないはずだ。フランシーユを攫った犯人を捕らえたにせよ捕らえていないにせよ、フランシーユがどのような状態であったとしても彼はフランシーユのそばについているはずだ。


「ランヴァン卿、不敬だぞ」


 怯えるヴィオレーユをかばうようにシリルが注意をしたが、アンセルムは無視した。


「いますぐ、すべて教えろ」


 鬼気迫る形相でアンセルムはヴィオレーユに繰り返した。


「俺を首にしたいなら勝手にしろ。クレール公爵家を取り潰したいなら取り潰せばいい。俺を罪に問いたいならあとで逮捕でもなんでもしろ。王宮内の隠し通路と隠し部屋のすべてを知った人間を生かしておけないというなら、あとで殺せばいい。だが――」

「ランヴァン卿。隠し通路はわたくしが教えましょう」


 マリアンヌは寝台から下りると、真っ青になって声を失っているヴィオレーユを押し退け、アンセルムの前に進み出た。


「わたくしが知っているすべての隠し通路と隠し部屋を教えます」


 完全に頭に血が上っている様子のアンセルムは、マリアンヌに対しても険しい視線を向けた。

 彼はフランシーユとそっくりなヴィオレーユを見ても間違えることはなく、娘にすこし年齢をくわえただけの容姿のマリアンヌを見ても気持ちを落ち着かせる様子がない。

 自分の目の前で姿を消したフランシーユの姿を目視するまでは、彼は休むことなく王宮の隅々を探し回ることだろう。


「だから、一刻も早くあの子を見つけ出して」

「当然だ」


 賊のすべてを殺して回りかねない顔で、アンセルムは短く答えた。


「では、紙とペンを」


 マリアンヌは女官長に指示をすると、寝間着姿のまま居間へと向かった。

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