二日目 2

「そういえば、あなたって占いを信じているの?」


 なんとか宰相から近衛隊屯所の視察許可を得たフランシーユは、普段着姿で片道四半刻と宣言された道を歩きながら、隣を歩いているアンセルムに尋ねた。

 普段着とはいっても女王の服装なので、フランシーユが公爵邸で着ているものより華やかだし、くるぶしまで隠れる丈のスカートの裾が足にからまるので歩きづらい。昨今の貴族令嬢の散歩着は簡素でスカート丈は小指一本分くらい短いものが流行りだというのに、女王は古式ゆかしい服が好みなのだろう。

 しずしずと歩いていると四半刻経っても屯所に到着しそうにないので、フランシーユは大股でバサバサと裾をひるがえしながら歩いていたが、アンセルムは特に気にする様子はない。

 気遣いなどに対して器用さに欠ける彼は、フランシーユを扱うというよりは、フランシーユとして扱っている様子だ。


「占い? いや、別に」

「でも、占い師に見てもらったって昨日言ってたじゃないの」

「あぁ、あれか」


 周囲に人影がなかったので、フランシーユはアンセルムと普段の口調で会話をすることができた。

 王の執務室から近衛隊屯所までは、いくつもの回廊、宮殿横の歩道、さらに通用門を抜けて行かねばならず、普段のフランシーユであれば自分の足で歩こうと思う距離ではなかった。

 王が執務の間の息抜きで近衛隊の視察をするというのも妙な気はするが、宮殿内の事情に疎いフランシーユは散歩をするにもどこへ向かえば良いのかわからない。かといって王宮で生まれ育った女王が自分の宮殿内で迷子になるなど、あり得ない話だ。幼い王女の頃ならともかく、十六年間暮らしている王宮で女王が迷子になっては周囲に不信感を抱かせることになる。

 身代わり女王のフランシーユは、護衛という名目で一緒に行動をしているアンセルムに道案内をして貰わなければ、女王の居室と執務室の間でさえ迷うほどに宮殿内は複雑な構造をしていた。

 それというのも、この宮殿はかつて本棟と左右の棟だけの小さな城館だったが、時代とともに増改築を繰り返して、建物と建物の間を無理に回廊で繋いだため、古い建物の三階と新しい建物の二階が繋がっていたり、隣の建物に続く扉まで建物の外を半周しなければならなかったりと、ややこしい仕組みになっていた。


「ジョルジェットが城下で評判の占い師に占って欲しいと言い出して、付き添いで行ったらジョルジェットに俺も占って貰えと言われて無理矢理占われた上に見料をぼったくられたんだ」

「まぁ、そうなの。そういえばジョルジェットが最近流行りのよく当たる占い師がいるって言ってたわね。わたしも誘ってくれていたけれど、婚約披露宴の準備で忙しくて、外出が難しいからって断ったんだったわ」


 それはぜひ一緒に行きたかった、とフランシーユは肩を落とした。

 よく当たる占い師でも、フランシーユが数日後には女王になるなど予見はできなかっただろうが、どんなことを言ってくれるのか興味があった。


「で、その占い師が手相で相手のことがわかるとかで、俺の手相を見て、生命線がやたら長いから長生きするだろうって言われたんだ」

「生命線? それ、どれ?」


 フランシーユは立ち止まってすぐ横にあったアンセルムの左手を掴むと、革の手袋を勝手に剥ぎ取った。

 彼女より一回り以上大きな手には、武術の稽古でできた肉刺まめや傷がたくさんある。


「これだ、これ」


 親指と人差し指の間から延びた線を示してアンセルムが答える。


「ふうん。確かに長いわね」


 手首の近くまで延びた線を見ながら、フランシーユは自分の絹の手袋を外してじっと見つめた。


「……わたしの方が短いわ」


 自分の手首に届くほどではない線を眺め、悔しげにフランシーユが呟くと、アンセルムはため息をついた。


「別に生命線が長い短いで実際に長生きできるかどうかが決まるわけじゃないぞ。ただの占いだ」

「そうだけど、あなたに負けているみたいで気に入らないわ」

「手相で勝ち負けもないだろ」

「あるわよ! わたしは負けるのが嫌いなの!」

「それは知ってる」


 フランシーユの性格を熟知しているアンセルムは、自分の手と相手の手を凝視している彼女を見下ろしながら言った。


「なのにわたしったら、剣術だけでなく生命線でもあなたに負けるなんて……。剣ではジョルジェットにも負けてばかりだし」

「あいつは近衛隊に入るために毎日練習をしているからな。女王の御代なら女でも近衛隊に入れるんじゃないかって淡い期待をしているんだ。占い師にも、自分は将来近衛隊に入れるかって訊いていた。占い師はなんかあやふやなことを言っていたけどな」


 ジョルジェットはデュソール王国きっての武闘派貴族と呼ばれるクレール公爵家の長女だ。フランシーユと同じく由緒正しき名門貴族の令嬢だが、自宅では男装して武術の鍛錬に明け暮れていることが多い。

 そんな娘の将来を心配して、クレール公爵夫妻はプルミエ公爵家の姫君と呼ばれるフランシーユと交友を持たせたり貴族の子女が通う女学校に入れたりしているが、近頃のジョルジェットは士官学校に性別を偽って入れないかと画策しているらしい。


「あら。それなら、ヴィオレーユ陛下が戻られなかったら、わたしがジョルジェットを近衛隊に入れるようにしてあげるわ! そうしたらわたし、いつでもジョルジェットと会えるし、ジョルジェットも夢がかなうし、一挙両得ね!」

「あいつには、一回でも俺に勝てたら近衛隊に推薦してやっても良いとは言ってある」


 それがかなり難題であることはフランシーユにもわかった。

 アンセルムは相手が妹だろうが、女性だろうが、勝負事で手を抜くことはない。


「まぁ! それならわたし、ジョルジェットに作戦をさずけなきゃ!」

「どうしてそうなる!?」

「だってわたし、あなたが負けるところを見たことがないんだもの。ぜひ一度見てみたいわ」


 ふふっとフランシーユが微笑むと、アンセルムは顔を顰めた。


「子供の頃なら親父に散々負けて打ちのめされた。鉄は打たれて強くなる、とかわけのわからないことを言われてボコボコにされたしな」


 そんなアンセルムの父クレール公爵は、現在デュソール王国陸軍大将だ。

 宰相であるプルミエ公爵とは旧知の仲で、クレール公爵は宰相を「腹黒」と呼び、宰相は将軍を「脳筋」と日常的に呼んでいるくらい親しい。

 が、親しいと思っているのは両公爵の家族だけらしく、世間では犬猿の仲だと思われているふしがある。


「そういう昔のことではなくって、いまのあなたが負けるところを見てみたいのよ。剣ではいつだってわたしに負けてくれないじゃないの」

「たいていのことは俺が負けてるんだから、剣くらい勝ってもいいだろ」

「よくないわよ!」

「ジョルジェットだってお前に負けてやったりしないじゃないか」

「そりゃ、ジョルジェットはデュソール王国で最初の女性士官になる人だもの。わたしに負けていたら駄目よ」

「……その屁理屈が理解できない」


 がっくりと肩を落としてアンセルムはぼやいた。


「わたしがこれからも女王を続けていくなら、まずは近衛師団の改革から始めるわ。近衛師団に女性士官を入れて、地方の砦に配備されている兵士の数と防衛費を見直すわ。地方の公共事業は都市部に比べて遅れていると言われているし、地域によっては貴族が私領の整備をおこたって領民たちが不便を強いられているという話も聞くから、そちらに予算を増やして――」

「お前、まるっきり宰相が乗り移ったようだな。あー、シリルの奴、さっさと仕事をほとんどしない方の陛下を連れ帰ってきてくれないかな」


 小声で愚痴をこぼしながら、アンセルムはフランシーユの手を引いて「いつまでも立ち止まってると屯所にたどり着かないぞ」と歩き出した。

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