二日目 5

 見習いの隊士が呼び集めた隊士は十数名ほどだった。

 そのほとんどが訓練着姿で、なぜ自分たちが集められたかわかっていない顔をしていた。

 それもそのはずで、ヴィオレーユ女王が近衛隊の視察に訪れるなど彼らの頭の中には一切なかったのだ。


「陛下。彼らは近衛隊の隊士のほんの一部です。現時点で王宮内の警備をしている者、非番の者を合わせると近衛隊だけで五十名ほどの隊士がおります」


 横一列に並んだ隊士を前に、フランシーユの隣に立つアンセルムが隊長らしく女王に説明する。

 隊士たちは一様に、目の前の帽子を目深にかぶった女王を信じられない表情で凝視した。

 隊長であるアンセルムが「陛下」と呼んだからには、目の前の令嬢がヴィオレーユ女王だということはわかったが、ここは宮殿内の端にある近衛隊の屯所だ。女王が普段政務を執っている執務室や居室などからは遠く離れており、女王がこれまで一度たりとも足を向けてこなかった場所だ。

 前王はたまに運動と隊士への激励をかねて近衛隊の屯所を視察に訪れ、そのたびに隊士たちと剣を交えることがあったが、剣を握ったことがない女王は運動と称して剣術を学ぶどころか軍官嫌いを公言して近衛隊の屯所を視察することも拒否していた。

 その女王が、なんの気まぐれか屯所にやってきたのだ。

 しかも、お気に入りのルフェーブル卿に連れられてではなく、かなり毛嫌いしている隊長と一緒だ。


(国内外できな臭い噂は聞いていないが――戦争でも始まるのだろうか。さすがの女王も嫌々ながら近衛隊の視察をしなければならないほど、切羽詰まっているのだろうか)


 誰もが一様に国難が迫っているのではないかと心配した。

 女王の軍官嫌いは常識なので、近衛隊にしてみれば女王が隊士たちと疎遠であることはすでに日常化していた。彼らにしてみれば、女王が近衛隊の働きに興味を持たないことそのものが国内外の平和を象徴していると認識していた。

 わざわざ女王が近衛隊の視察に訪れるなど、非常事態宣言に等しかった。


「ランヴァン卿――――(なに? この隊士たちの反応は?)」


 横目でアンセルムを見上げながらフランシーユが小声で尋ねると、隊士たちの緊張を察したアンセルムが顔をしかめた。

 この分だと、明日になってフランシーユが軍服を身にまとって近衛師団に視察に向かおうものなら、戦争が間近に迫っているとの噂が国内で一気に広まりそうだ。


(女王が日頃から仕事をしないことに皆が慣れると、こういうことになるわけね)


 さすがに起こりもしない戦争の噂が立つのはフランシーユも本意ではないので、明日の軍服着用は見送ることにした。

 近衛師団の視察も控えた方がよさそうだ。


「近衛隊の皆の日頃の働きを労って欲しいという私の再三の願いを、陛下はお聞き届けてくださって今日の視察が実現したのだ」


 アンセルムは隊士たちに言い聞かせるように説明したが、隊士たちの表情は浮かない。

 今度はまるでアンセルムが失職覚悟で女王に近衛隊の視察を頼んだように受け取られている。


(ヴィオレーユ女王は、どうやら仕事をしてはいけないようね)


 仕事をしただけで周囲に不安をまき散らす王など聞いたことはないが、どうやらヴィオレーユ女王が仕事をすると皆が政情を心配するようだ。


「わたくし、皆の働きには常々感謝しています。これからも近衛隊の隊士であることを誇りとして励んでくれることを期待しています」


 ゆっくりとか細い声で淡々とフランシーユが告げると、隊士たちの顔が驚きにあふれた。

 まるで「女王陛下が喋った」といった表情だ。

 このままだと、女王が仕事をしただけで天変地異でも起きるのではないかと噂されそうだ。


(まったく、本当にどうなっているのよ、ここは)


 隊士たちの顔を見回しながら、フランシーユは漏れそうになるため息を飲み込む。

 女王が仕事をしなくても国のまつりごとに支障はないのだから、確かに平和であることは間違いない。

 しかしそれは表面的なもので、水面下では不穏な動きがあることを宰相は匂わせていた。


(今日中に、宮廷内には様々な臆測が流れるのでしょうね)


 隊士たちの誰もが、女王が近衛隊を視察しに訪れたのは気まぐれなどではなくなんらかの意図があるに違いない、と考えている。


(わたしとしては、ただの散歩のつもりだったのに……)


 アンセルムも、隊士たちの過剰な反応に驚いている様子だ。

 女王の視察で隊士の士気が上がるどころか、緊張感が漂っているのだから予想外だったのだろう。


(多分、お父様はこうなることをあるていど想定していたのでしょうね)


 仕事をしないことを信条とする女王がわざわざ近衛隊を視察となれば、女王がが起きていると宮廷人たちが考えるのが普通だ。

 誰もまさか女王の散歩先が中庭から近衛隊屯所に移っただけとは考えない。

 女王がこれまで仕事をしてこなかった弊害が、近衛隊視察という行動だけで現れたのだから厄介極まりない。


(慎重に行動するにしても、ちょっと普段の女王とは違うことをしただけで穿うがった見方をされるんだから面倒すぎるわ!)


 どちらにしても、動いてしまったものは仕方ない、とフランシーユは諦めることにした。

 ゆっくりと隊士たちの顔を見回してみる。

 集まった隊士たちの顔ぶれからは、ルフェーブル卿や熊に似ているというラコートは見当たらない。非番なのか、警備に就いているのだろう。


(誰も、わたしがヴィオレーユ女王の身代わりであることに気づいていないようね。ここにいる隊士たちは皆、女王と懇意にしていたわけではないから当然と言えば当然でしょうけれど)


 女王の突然の視察には驚いても、女王が実はよく似た偽物であることに気づくことは難しいはずだ。

 なんといっても隊長であるアンセルムが、フランシーユを女王として紹介したのだ。

 隊長のお墨付きを疑う隊士はいない。


(それはそれで、ヴィオレーユ女王を深く知る隊士がいないということでちょっと嘆かわしくは思うのだけど、仕方がないわね)


 中天にかかった太陽の日差しを浴びながら、フランシーユは残念に思う気持ちと安堵が入り交じった気持ちを抱いた。宰相のような、周囲の人々との腹の探り合いには慣れていないので、できればあまり疑いの目を向けられたくなかった。


(さて、と。とにかくあとは執務室に戻って冷たいお茶とお菓子でもいただこうかしら)


 集まった隊士のひとりが、眩しい陽光に目を細める女王の姿を注視していることには気づかないまま、フランシーユはまた遠い道のりを歩かなければならないことを思い、ため息をついた。

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