二日目 6
ドゥジエーム大公オーギュスト・シスの手元にその報告書が届いたのは、夕刻をすこし過ぎた頃だった。
その報告書には、ヴィオレーユ女王が昨日から珍しく執務室に籠もって仕事をしていること、今日の昼に女王が初めて近衛隊の視察に訪れたことなどが簡潔に記されていた。
「殿下。いかがなさいましたか?」
大公の秘書である壮年の男は、自分の主人が珍しく険しい表情を浮かべていることに気づき、そっと声をかける。
宮殿内に潜ませている間諜からの今日の報告書は定期的なものではなく、緊急のものだった。それは宮廷でなにか普段とは異なる動きがあれば知らせるというものだ。
「奇妙、と呼ぶべきだろうか」
報告書を読み直しながら、大公は低い声で呟いた。
昨日から異母姉であるプルミエ公爵夫人マリアンヌが女王のそばについていることは、昨日届いた定期報告書で知っていた。それは、七日後に迫った女王とプルミエ公爵子息との婚約披露宴の準備のためだと考えられた。女王の周囲には、彼女の婚約披露宴の準備を率先して指揮できる王侯貴族がプルミエ公爵夫人の他におらず、以前からプルミエ公爵夫人はたびたび宮殿で女王の準備の手伝いをしていた。
大公は幾度となくヴィオレーユ女王の王配に自分の息子を推薦したが、宰相派の官僚たちの妨害により実現しなかった。
大公は自分の妃を女王に近づけようとも画策したが、勝ち気な大公妃は内向的な性格の女王とそりが合わず、女王が大公妃を避けるようになったことも影響した。
ひとまず、大公は女王がプルミエ公爵子息と婚約することを黙認することにした。
女王が婚約者と必ずしも結婚するわけではない。婚約したからといって、結婚式までの間に婚約者の身に不幸が起きないとも限らないのだ。
女王がただ王座を温めるだけの
女王がプルミエ公爵と結婚したからといって、なんらかの理由で死別もしくは離婚し、女王が再婚する可能性だってある。だからこそ大公は、自分の息子には身を慎むようきつく言い渡してある。いつ王配となる機会が転がり込んでくるとも限らないのだ。その際、息子に醜聞が流れているようなことがあれば、世間は公子が王配となることを認めないかもしれない。
彼は常に慎重に、宮廷の動きを探っていた。
前王やマリアンヌ王女とは腹違いだが、大公が前々王の息子であることは間違いない。
王家の血を継ぐ者として、大公は自分が政治の表舞台に出る機会を虎視眈々と狙っていた。
「女王が仕事をしている、そうだ」
「――――は?」
秘書は大公の説明が理解できなかったらしく、首を傾げた。
「妙だと思うだろう? あの女王が、いまになって突然王としての責務を果たそうとしているのだ」
大公も、
秘書は目を丸くしている。
「あの女王のことだから、プルミエ公爵の息子と結婚した後は、王配に国王代理として王権を全面的に委任するものと思っていたが……なぜ急に自ら仕事をするようになったのか」
「ちなみに、陛下はどのようなことを始められたのですか?」
また女王が仕事をしているという報告が信じられないのか、秘書は再度尋ねた。
「山のように溜まっていた書類に署名をして何ヶ月も放置されていた案件が一気に動き出したそうだ。さらに、近衛隊の視察をし、隊士たちを激励したそうだ」
「激励……あの軍人嫌いの陛下が……」
「女王が仕事をすることについて異なことだと思うという状況こそが異様だが、とにかく尋常ではない」
「左様でございますな」
秘書は大きく頷いた。
「あの腹黒宰相がなにか進言したにしても、女王に仕事をさせるのは自分で仕事をするよりも十倍の労力がかかると宰相が手を焼くほどだというのに」
宮廷内では百戦錬磨の腹黒宰相と評判のプルミエ公爵だが、女王に仕事をさせることだけは悪戦苦闘している。そのため、公共事業などの予算が組めず、河川の治水工事の遅れや国境沿いの要塞の城壁の修繕が進んでいないという話も聞く。
それでもプルミエ公爵はヴィオレーユ女王を王座に据えている。
大公も、いまは女王の退位を主張することは得策でないことはわかっていた。
彼が女王に退位を求めれば、大公が内乱を起こしたものと見なされ、プルミエ公爵に大公を王家から除籍する口実を与えることになりかねないのだ。
女王は仕事をしていないとはいっても最低限の役目は果たしており、傀儡としての立場も理解している。
大公にとってヴィオレーユ女王は厄介な存在だ。
プルミエ公爵を相手にする際は明確に敵対心を示すことができるが、ヴィオレーユ女王は非力で世間知らずを装っているだけに対応が難しい。
「直接関われば火傷をするだけでは済まないかもしれないが、これが罠だとしても自分の目で確かめるしかないのだろうな」
即位して以来、息を潜めるようにおとなしくしていたヴィオレーユ女王が初めて動きを見せたのだ。
「女王は宰相と決別したいのか、それとも儂を排除したいのか……両方なのか」
宰相と大公のどちらも手放すことは、女王の死を意味する。
前王の遺児というだけで王位に就いた女王には、力などないに等しいのだ。
しかし、もし第三の勢力が女王のそばに現れたのであれば、宰相と大公の両方に女王が反旗を翻すことも考えられる。
「我が姪がそこまで愚かだとは思いたくないが」
低い声で大公は独りごちる。
簡潔に事実だけを記した報告書からは、ヴィオレーユ女王の真意を読み取ることはできない。
「そういえば、今日はプルミエ公爵のご子息が王宮に顔を出していないそうです」
大公の思考を遮るように、秘書は手紙の束を整理しながら報告した。
「――なに?」
「陛下が急に仕事をさせるようになったことと関係するかどうかはわかりませんが、あのご子息が陛下の御機嫌うかがいに出向かないというのも普段とは違いますね」
「王宮に行かず、なにをしているのだ?」
「それが、わからないんです。公爵邸にも姿が見えないようで……。姿が見えないと言えば、公爵家のご令嬢も不在のようです。こちらはどうも家出をされたという噂ですが」
「家出?」
「兄君が陛下と正式にご婚約されるのがお気に召さないとかで、反抗して家出を決行されたとか」
大公は異母姉によく似た容姿の姪が、性格は宰相である父親そっくりであることを思い出した。
彼の嫡男である公子が五つくらいの頃、プルミエ公爵家の令嬢と顔を合わせた際に彼女の髪をいたずらで引っ張ったところ、怒った姪に髪を勢いよく引っ張り返されて
姪の母親であるマリアンヌは「あらあら、そんなに引っ張ってはいまから毛根が死滅するからやめてあげましょうよ」と微笑みながら不吉な予言をしたものだ。
大公は自分の母方の祖父の姿を思い浮かべ、自身と息子の将来を憂える羽目になったものだ。
「あの姪なら、それくらいやりかねない」
兄と母親が女王にばかり意識を向けるので面白くなかったのだろう、と大公は考えた。
「そうでしたか」
公子とプルミエ公爵令嬢の確執は以前より又聞きしている秘書は、納得した様子で頷いた。
「いま気にすべきはプルミエ公爵家よりも女王の動向だ」
報告書の文字を丹念に読みながら、大公は呟いた。
「明日、王宮に行く」
自分の目で確かめるしかない、と大公は重い腰を上げることにした。
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