五日目 3

「やっぱり、お兄様とその婚約者を探そうと思うの」


 午後、昼食を済ませたフランシーユはいったんマリアンヌの様子を見るため部屋に向かいながら、相も変わらず護衛として隣を歩くアンセルムに提案した。


「なるほど。で、どうやって?」

「それなのよね。昨日の庭師の話から、お兄様たちがこの王宮内にいることはほぼ間違いないと思うのだけど、どこを探したらいいかがわからないのよね。めぼしい隠れ場所もわたしは知らないし。この王宮って、どれくらい広いの?」

「普通の貴族の屋敷の十倍くらいはあるだろ」

「いま、思いっきり適当に言ったわね」

「ばれたか」

「それくらい、わたしでもわかるわよ。こんなに歩いても歩いても部屋にたどり着けないんだもの」


 毎日何千歩歩いているのかわからないくらい、王宮は広い。

 女王の私室と執務室を往復するだけでもかなりの距離があるが、中庭もかなり広い。

 ヴィオレーユ女王は私室と執務室と中庭だけを歩いていたと聞いているが、毎日この三箇所を歩くだけでもかなりの歩数になる。

 フランシーユはヴィオレーユ女王のように毎日中庭の散歩をしているわけではないし、昨日も中庭の入り口をぶらぶらしただけなのであまり歩いてはいないが、王宮の端にある近衛隊屯所までの距離を考えても、王宮がとにかくむやみやたらと広いことだけは理解できた。ここまで王宮が広くなった理由は不明だが、デュソール王国の長い歴史の中でなんども王宮が増築されてきたことを考えると、手狭だったから広くした、というのが王宮拡張の主な理由だろう。

 実際、王宮内で働く人は使用人だけでも千人をくだらない。

 近衛師団のように王宮の警備を担う武官、各省庁の文官なども王宮の宿舎で寝泊まりしている者が多く、王宮は王の居城というよりは政治の場の片隅に王も寝起きしているという印象だ。

 女王が独身で家族がおらず、王宮の王族が寝起きする棟がほとんど空室になっていることでそのようにフランシーユが感じてしまう部分もある。

 とにかく、この王宮には女王が政務の合間にくつろげるような場所はほとんどなく、フランシーユには中庭さえも落ち着くことができなかった。

 どちらかというと、廊下をアンセルムと歩きながら喋っている時間の方が落ち着くことができるくらいだ。


「やっぱりあの中庭にいた庭師を探し出して、お兄様たちがいる場所まで案内してもらうべきかしら。お願いしたら、案内してもらえると思う?」

「誰がお願いするんだ?」

「そりゃあ、あなたに決まってるでしょう」

「それ、お願いっていう可愛いものじゃないと思うぞ」

「笑顔を浮かべて頼めば、お願いになるわよ」

「俺が笑うと、不気味と怖がられるか、逃げられるかのどちらかなんだが」

「顔面の筋肉総動員で最高の笑顔を作るのよ。なんのために筋肉を鍛えているのよ」

「そういうのは女王様の方が得意だろ」


 絶対無理、とアンセルムが言い張った瞬間だった。

 ぎぃっと廊下の硝子窓が音を立てて開いた。

 フランシーユが視線を窓に向けるのと同時に、アンセルムが素早くフランシーユの前に回り込み腰に下げた剣の柄に手を掛ける。


「ここって、三階よね」


 開いた窓の外から入ってきた王宮に不釣り合いな格好の男を見ながら、フランシーユは呟いた。

 廊下を歩いていた女官のひとりが悲鳴を上げ、従僕が腰を抜かして座り込む。


「壁をよじ登ってきたんだとしたら、ご苦労なことだ」

「いますぐ蹴落として地面に埋めてくれてかまわないわ」

「はいはい。女王様のご命令どおりにしますよ」


 鞘から剣を抜いたアンセルムは、軽口を叩きながらも男から目を離さない。

 目元以外を布で覆った男は、薄汚れた旅装束のような格好をしていた。剣だけはやたらと立派で、鞘の装飾が派手なのが特徴的だ。


「あなた、誰?」


 フランシーユはまっすぐに男を見つめて、強い口調で尋ねる。

 廊下の向こう側で甲高い笛の音が響く。フランシーユたちからすこし離れて歩いていた護衛の隊士が、他の隊士を集めるために呼び子を吹いたのだろう。


「へぇ? 俺たちのこと、覚えていないのか。さすが、女王陛下だな」


 軽い舌打ちのあと、侵入者は濁声で呟いた。


(その格好で覚えているもなにもないと思うけど?)


 フランシーユは尊大な態度の侵入者に文句を言いかけて、言葉にするのはやめておいた。


「俺は、親衛隊隊士だ!」

「あぁ、ドゥジエーム大公の親衛隊ね」

「コルネーユ王の親衛隊だ!」


 激昂した男が剣をフランシーユに向ける。


(面倒なのが現れたわね。っていうか、どうやってここまで入ってきたのかしら)


 どうやら彼はドゥジエーム大公の親衛隊と呼ばれることが気に入らないらしい。

 コルネーユ王はとっくに死んでいるのだから、王の親衛隊であることに固執しても意味がないのだが、彼にはそれが理解できないのだろう。

 もしくは、理屈ではわかっていても、感情がついていかないのかもしれない。


「ランヴァン卿。賊の生死は問わないけれど、捕獲して。賊を逃がしたら減給。物を壊したら弁償」

「承知」


 軽い口調で答えたアンセルムが剣を振る。

 廊下の両端から近衛隊の隊士たちが複数名、必死の形相で駆けてくる。

 どこで待機していたのかはわからないが、女王の視界に入らない場所で常に彼らは控えていたのだろう。普段は呼び子など鳴らず、女王の目に触れるだけで嫌がられるような無骨な隊士たちだ。

 彼らはまるで、女王が襲撃されるのが信じられないという顔をしている。


(わたしだって信じられないわよ、この状況。女王だから一応は護衛がついてるってだけで、アンセルムはほぼわたしの話し相手だったはずじゃない?)


 いまの状況について、身の危険はそれなりに感じているが、目の前に立っているのがアンセルムなので、あまり不安はない。

 多分、彼が自分の前に立つと視界が遮られ、襲撃者の姿がまったく見えないせいもあるだろう。


(アンセルムのように大きいと、壁になってくれるから便利よね)


 口に出してしまうとヴィオレーユ女王らしからぬ発言になるので黙っているが、フランシーユは無駄に動かず、アンセルムの邪魔にならないようにしながら背後で隠れていることにした。


(親衛隊は大公が教育するはずなのに、どうなっているのかしら? これって、大公にとってはかなり都合が悪いはずだけど)


 親衛隊隊士たちの事情はわからないが、とにかく襲撃者が親衛隊隊士を名乗って襲ってきていることだけはわかった。

 彼の反応から、親衛隊をかたっているのではなく、ほぼ間違いなく親衛隊の隊士であることも。

 キンッとアンセルムと襲撃者の剣がぶつかる音がして、窓枠に手を掛けていた襲撃者の剣先が跳ね返って窓硝子にぶつかった。激しい硝子が割れる音と、砕けた硝子が外に落ちていく音、そして窓枠を突き破って男が落ちていく姿がフランシーユの視界に入った。


「窓硝子の修理費用は親衛隊の主人であるドゥジエーム大公に請求しましょうか」

「大賛成だ」


 フランシーユが恐る恐る窓の下を覗き込むと、窓枠と一緒に落ちてきた襲撃者を警備兵が捕らえていた。


「陛下! おけがは!?」


 駆け寄ってきた隊士たちが一斉に大声で尋ねる。


「…………ないわ」


 さすがに武装した大柄な隊士たち五、六人に取り込まれると、ヴィオレーユでなくとも身がすくむ。


「あの襲撃者を警備兵から引き取ってこい。そのあと、屯所で尋問。報告書は今日中に俺に提出」


 はい解散、といわんばかりの口調でアンセルムが剣を鞘に戻すと、手を振って隊士たちをフランシーユから引き剥がす。

 フランシーユの表情が固まっていることに気づいた隊士たちは、慌てて「はいっ!」と号令のように返事をすると、一目散に持ち場へ戻ったり、警備兵のもとへ走って行ったりして去った。


「あの男はひとりで乗り込んできたのかしら」


 掃除道具を手にして使用人たちが走ってくるのを横目に、フランシーユは首を傾げた。

 そばにいるのがアンセルムだけになると、ようやくいつもの調子が戻ってきたが、襲撃されたという現実味が乏しく、なんだかぼんやりした状態だ。それでも、手が小刻みに震えているので、それなりに恐ろしかったのかもしれない、とフランシーユは他人事のように考えた。

 自分の声がか細くなっている自覚が、彼女にはなかった。


「どうだろうな」


 あえて普段通りの口調でアンセルムは答える。


「襲撃って、普通夜にするものじゃないの?」

「別に昼間にしたっていいだろ。自分たちにとって都合が良いと思ったときに襲うもんだ」


 アンセルムはまだ周囲に目を配りながら、フランシーユの腕を引いて歩くよううながす。

 一歩足を踏み出したフランシーユは、よろけかけたところでアンセルムに支えられた。


「――――――」


 なんどか深呼吸をしてもう一度足を動かすと、今度はしっかりと床を踏みしめることができた。

 そんなフランシーユを、アンセルムは黙って見ていた。


「どうやってここまで入ってこれたのかしら」

「それはこれから調べる。とりあえず、しばらくは警備を増やすぞ」

「――そうなるわよねぇ。やっぱり。お兄様を探すどころではないわよね」

「当たり前だろ。親衛隊ってのはひとりではないし、これで終わりってわけではないかもしれないからな」

「そうね――――――っ」


 突然、壁際からぐいっとフランシーユの腕を掴む手が伸びた。


「だ――――――――」


 誰、と尋ねるまもなく、フランシーユの身体は傾き、壁の隙間から現れた隠し扉の中に吸い込まれた。


「陛下!?」


 アンセルムの切羽詰まった声が壁の向こう側から響いたが、壁の内側からかんぬきを掛けたのか、フランシーユは漆黒の空間に閉じ込められてしまった。

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