五日目 2

 過労です、とマリアンヌを診察した女王の侍医が簡潔に診断結果を告げた。


「過労?」

「つまり、疲れがたまっていらっしゃるということです」


 不安げに顔を曇らせるフランシーユに向かって、老齢の侍医はかみ砕いて説明する。


「ここ数日、公爵夫人は公爵邸に戻られることなく陛下のおそばにいらしたと聞いております。お忙しい陛下に付き合っていらしたそうですし、久しぶりの王宮で多少緊張されていらしたことでしょう。今日は一日、ゆっくりと休んでいただくのがよろしいかと」


 侍医の指示にフランシーユは素直に頷いた。

 この五日間、マリアンヌはフランシーユが寝るまで起きていたし、フランシーユが起きる前に彼女も起きていた。

 ずっとフランシーユにつきっきりというわけではなかったが、フランシーユが執務室で女王の仕事に励んでいる間、マリアンヌは婚約披露宴の準備の指示をしたり、フランシーユのために食事の献立を厨房に指示をしたり、プルミエ公爵邸に使いを出してフランシーユのドレスを取り寄せたりと大忙しだった。

 睡眠時間は明らかにフランシーユよりも少なく、そして女王の身代わりを務める娘のためにあれこれと気を使うことも多かったはずだ。


「わたくしがしっかりしていないから……」


 寝台に横たわって眠るマリアンヌを見つめながら、フランシーユはうなだれた。


「陛下のせいではございません。陛下だって、毎日政務に忙しくされているではないですか。王女としてこの王宮でお育ちになった公爵夫人は、この王宮で誰よりも陛下の気苦労を理解されている方です。そして、陛下が無事プルミエ公爵家のご子息と結婚されるのを一番に待ち望んでいらっしゃる方でもあります。公爵夫人は、陛下がプルミエ公爵家の後ろ盾を得て、女王としてこの国を率いていかれることを期待されているのです」


 目に涙をためるフランシーユの肩にそっと手を置いて慰めてくれたのは女官長だ。


「わたくしが……」


 女官長はフランシーユが身代わりだとわかっているはずなのに、まるで本物の女王を相手にしているように語っている。


(わたしがわがままばかり言うものだから……身代わりだってことを忘れて好き勝手にするものだから、お母様の負担が増えてしまったんだわ)


 マリアンヌは一度もフランシーユに向かって、おとなしくしているようには言わなかった。

 ドゥジエーム大公との謁見の際は、フランシーユがヴィオレーユ女王のように振る舞えなくても大公が気づかないように、ほとんどの会話をマリアンヌが担当してくれた。

 ヴィオレーユ女王の衣装が気に入らないと言えばプルミエ公爵邸からドレスを運ばせ、食事は普段フランシーユが公爵邸で食べている物と同じ献立にし、適当な理由をつけて女王の世話をする女官や侍従の数を減らしてくれた。

 これまでとは違う女王の態度に疑問を感じる周囲を誤魔化し、フランシーユが女王の仕事をしやすく手配をしてくれていたのもすべてマリアンヌだ。


「…………ごめんなさい」


 マリアンヌはフランシーユが執務室に向かうため女王の私室を出てまもなく倒れたという。

 朝食の際はいつもと変わらないように見えたマリアンヌだったが、フランシーユの姿が扉の向こうに消えた途端、真っ青になって崩れるように床に倒れたらしい。女官たちが手を差し伸べる暇もなかったそうだ。


「わたくしは、自分のことしか考えていなかったわ」

「陛下はそれで良いのです。陛下がまず考えるべきはこの国の行く末と、ご自身のことですから」


 頭上から聞き慣れた男の声が降ってきたのでフランシーユは顔を上げた。

 そこには、王の執務室でフランシーユを待っているはずの宰相の姿があった。


「――どうしてここに?」


 いまごろ忙しく補佐官たちと仕事をしているはずの宰相が現れたことに、フランシーユは驚いた。

 女王の私室の隣にあるマリアンヌが利用している部屋は、王の執務室からはかなり離れている。もちろん、宰相の執務室とも。


「妻が倒れたと知らせをもらいましたので、見舞いに」

「――そう」


 仕事中毒の宰相が、同じ王宮内にいるとはいえ時間を割いて倒れた妻を見舞いにくるとは想像していなかった。

 フランシーユは幼い頃、流行性感冒で寝込んでいた際に両親が見舞ってくれなかったことをふと思い出した。

 毎日様子を見に来てくれていたのはシリルだけで、父は病がうつるといけないからと屋敷に戻ってくることさえなかった。母も病が治るまでは顔を見せてくれることはなかった。

 家族が要職に就いているというのはそういうものなのだと、フランシーユは幼いながらに自分に言い聞かせ、兄だけでも見舞ってくれることを喜んだ。


「わざわざ宰相が足を運ぶとは……」


 皮肉を言おうとして、フランシーユは口を閉じた。

 幼い頃の恨み言をここで述べたところで、気が晴れるものではないし、マリアンヌが目を覚ますものでもない。


「陛下。公爵夫人の看病は私どもでいたしますので、ご案じなさいますな」


 女官長はフランシーユに優しく告げた。

 どうやら彼女は、宰相が公爵夫人の看病と称して女王を執務室に連れて行くために現れたと考えたらしい。


「そうね。あとは任せたわ」


 眠っているマリアンヌの横に座っていても、フランシーユができることはひとつもない。

 とすれば、自分にできることは女王の身代わりの仕事を続けることだ。


(ヴィオレーユ女王が失踪しなければ、お母様が倒れることはなかったんじゃないかしら? この王宮のどこかでヴィオレーユ女王がのうのうと過ごしているのだとすれば、その首根っこを掴んで執務室まで引きずっていきたい気分だわ)


 ヴィオレーユに対して怒りをぶつけることが正しいのかどうかはわからなかったが、いまのフランシーユにはヴィオレーユが諸悪の根源のように思えて仕方なかった。


(やっぱり、王宮中を探し回ってでも見つけ出して文句の五つや六つはぶつけてやりたいものだわ)


 睫を濡らす涙を手巾で拭いながら、フランシーユはふつふつとはらわたが煮えくりかえるのを感じていた。

 その様子をすこし離れた場所から観察していたアンセルムは、さきほどまでの落胆した様子だったフランシーユの背筋が伸びたのを確認し、胸を撫で下ろした。

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