五日目 1

「昨日、あれからいろいろ考えてみたのだけれど」


 朝、執務室へ向かってアンセルムと並んで廊下を歩きながらフランシーユは口火を切った。

 今日は若草色の生地に黄色い小花を散らしたドレスを身に纏っている。

 これも昨日、プルミエ公爵家から届いたものだ。

 襟元と袖口にはたっぷりとレースをあしらい、スカートの裾にはひだがたっぷりと取ってある。薄紅色のしゅの帯を腰に巻いて後ろに垂らし、歩くたびにさらさらと衣擦れの音が耳に心地よく響く。

 白い絹の手袋の袖には帯と揃いの色の糸で薔薇の花のしゅうがあしらわれている。

 髪はいつものように編んで結い上げているだけだが、小さな造花の薔薇を挿していた。

 昨日のことがあったせいか、アンセルムはフランシーユの格好を頭からつま先まで観察してなにか感想を述べようと口を開きかけたが、それを遮るように彼女の方から喋り出した。

 廊下で護衛の隊士が女王の服装を褒めるなど、あり得ない。

 時と場所を考えて欲しい、とフランシーユは考えたが、そもそもアンセルムにそのような気遣いを求める方が間違っているのではないかと自分に問い返してみたりもした。

 結果として、フランシーユはまったく別の話題を振ることにした。

 廊下には女官や官吏たちの姿があり、皆、女王が執務室へ歩いていることに気づくと廊下の端によって頭を下げる。

 女王が近衛隊隊長を連れて歩く姿もそれなりに馴染んできたらしい。


「あなたは昨日会った庭師を怪しんでいたけれど、本当に見たことがない顔だったの?」

「どういう意味だ?」

「実は知っている顔で、あなたはあの庭師を怪しい人物だと思わせることで、わたしがひとりで中庭で張り込むかもしれないのをやめさせようとしたんじゃないかと思ったの」

「なんで俺がそんな嘘をつく必要があるんだ?」

「わたしが勝手に王宮内でお兄様を探さないように」


 実際のところ、昨夜フランシーユが寝台で横になり「もしかしてアンセルムは嘘をついたのかも」と考えた瞬間、意識は途絶えた。

 朝になってマリアンヌに起こされたところで「やっぱりあの庭師は怪しくない気がする」という結論に至ったので、いろいろ考えたのは今朝だ。

 朝食を摂りながら、アンセルムが嘘をついている可能性と庭師が怪しい可能性を頭の中で検証し、シリルがこの王宮のどこかにいるという庭師の話に信憑性が高いとなると、庭師が怪しいというアンセルムの主張が疑わしいとしか思えなくなった。


「シリルが王宮内にいるという話は信じるわけだ」

「わたしは信じているのだけど、あなたはどうなの?」

「眉唾ものではない、とは思う。ただ、今朝は日の出前から隊士のひとりに中庭を見張らせていたが、シリルが現れることはなかったらしい」

「見張らせていたの?」

「一応。今朝は現れない可能性が高かったけどな」

「どうして?」

「あの庭師は、昨日のうちにもう一度シリルに会っているはずだ。昨日、あれから庭師全員の身元を調べるように隊士に頼んでおいたが、昨日俺たちが中庭で会った男と特徴が会う庭師がいなかったんだ」


 アンセルムはフランシーユを女王の私室まで送り届けたあと、近衛隊隊長としての様々な業務をこなしていたらしい。


「それはつまり、昨日の庭師は本当は庭師ではなかったということ?」

「そうだ。多分、プルミエ公爵家の者だろう」

「わたしも知らない顔だったわよ?」

「プルミエ公爵家には、ご令嬢に顔を見せないような使用人だってたくさんいるさ」

「まぁ、そうでしょうけれど」


 フランシーユはプルミエ公爵家の使用人全員を把握しているわけではない。

 それは下級使用人のようなフランシーユに姿を見せない使用人たちの存在を知らないということではなく、父や兄の手足となって働く者たちがどれくらいいるか知らないということだ。


「あの庭師がプルミエ公爵家の者だとして、それならなぜ昨日わたしたちの前に現れたのかしら。お兄様がこの王宮の中にいることをわざわざ教えてくれたようなものじゃないの」

「シリルからの連絡が一切ないことにしびれを切らした女王様が、勝手に王宮の外に飛び出していかないようにするため、くらいしか俺には思いつかない」


 周囲の人々には聞こえないような小声でアンセルムが答える。

 女王が歩く廊下には緋色のじゅうたんが敷いてあるが、それでもわずかに靴音は響いていた。


「でも、わたしが王宮内でお兄様探しを始めるとは考えなかったのかしら」

「考えただろうが、王宮内は人目があるし、女王様に自由時間などほぼないから、探しようがないと思ったんじゃないか? 昨日だって、散歩以外は夜遅くまで仕事漬けだったしな」

「今日だって一日中仕事よ。執務室にほとんど軟禁状態だわ」


 宰相は女王の仕事を調整し、婚約披露宴までは閣議を開かないことにした。

 閣議を開けば、その結果を大臣たちが女王に報告し、女王に採決を求めることになる。できるだけ女王が大臣たちと顔を合わせる機会を減らそうと、宰相は女王の七日間の仕事をほぼ書類の決裁だけにしていた。

 連日数百枚の書類に署名をしているフランシーユは、女王の名前以外の文字は書けない呪いにかかったのではないかと思うくらい、ただひたすら女王の名前を書き続けている。

 現時点で、謁見の予定も最小限になっている。


(お兄様がこの王宮内にいるのなら、ヴィオレーユ女王もいるはずよね。女王の駆け落ちが狂言だったのか、それとも女王以外の誰かが仕組んだものなのかは不明だけど、多分女王が執務室から姿を消して一日か二日で彼女はこの王宮に連れ戻された、もしくは最初から王宮を出ていなかったと考えるべきでしょうね)


 もしヴィオレーユ女王の駆け落ちが狂言だとしたら、なんのために女王が姿を消したのか、その目的がフランシーユには理解できなかった。

 女王としての仕事が嫌になったのか、数日休みが欲しかったのか、お忍びで城下を歩いてみたかったのか、その他諸々の理由は思いつくが、ヴィオレーユ女王とほとんど親交がないフランシーユには答えを見つけることができない。


(わたしの性格を考えれば、お兄様としては自分が王宮内にいることをなんとかわたしに知らせて、わたしが王宮の外へお兄様を探しに行かないようにわたしの行動に制限をかけたのだとわかるわ。わたしのそばにはアンセルムがいることをお兄様はご存じだし、わたしが王宮の外に行くと言い張れば、アンセルムだって反対し続けることは難しいってわかっているはずだもの)


 シリルはフランシーユに甘いが、妹のわがまますべてを聞いてくれるわけではない。兄は様々な理由をつけて、最終的には妹を納得させる達人だ。その点では、父や母よりもシリルは妹の扱いに長けている。

 アンセルムでは、フランシーユのわがままを抑えきれない。もしどうしてもフランシーユの行動を止めるとなると力尽くということになるが、彼にはフランシーユが飼い猫くらいの小動物に見えるらしく、彼がすこし強くフランシーユの腕を掴んだだけで骨が砕けるのではないかとよく心配している。

 そこまで自分はか弱くない、とフランシーユは反論したことがあるが、ジョルジェットに比べれば弱いことは確かだ。


(お父様は、わたしにこれからもずっとヴィオレーユ女王の身代わりをさせるつもりはないはずよね。だって、それなら書類の署名以外の仕事をさせるでしょうし、外国の大使との謁見だってさせるはずだわ)


 婚約披露宴が二日後に開催されるいま、デュソール王国の王都ファヴェリエには国内外の要人が多数訪れている。彼らは婚約披露宴に招待されているひんきゃくであり、宴の前後に女王との謁見を予定している。

 本来であれば、女王は執務室で書類に署名をしている暇などないのだ。


(ドゥジエーム大公との謁見は、どうしてもって叔父様が無理矢理押しかけてきたから仕方なく会った感じだけど、叔父様よりも先に会うべき相手はたくさんいるはずよね? どちらかというと、叔父様の方がどうでもいい用事だったわよね? 親衛隊のことなんか、文書で許可を求めてくればいいものを、わざわざ王宮の様子を偵察に来るんだから、なんか腹に一物ある感じで嫌だったわね。でも、わたしがヴィオレーユ女王でないことには気づいていないようだったけど)


 叔父の親衛隊の処遇については、ヴィオレーユに文句を言われないていどに対処ができたと考えている。

 ただ、この時期にドゥジエーム大公家にコルネーユ王の親衛隊が集まっていることについて、フランシーユは気になって仕方なかった。


(あまりわたしがあれこれ考えることではないのでしょうけれど、コルネーユ王の負の遺産といえば親衛隊とドゥジエーム大公じゃないかしら。伯父様が叔父様に大公位を与えたりするから、叔父様は伯父様の跡を継げるんじゃないかと期待をしたりして叔父様が……えっと、ドゥジエーム大公が――)


 頭の中が混乱してきたフランシーユは、大きく息を吸って思考を一端止めた。

 女王が立ち止まったのでアンセルムも足を止めたが、彼はフランシーユがさきほどから黙り込んでいてもあまり気にする様子はない。

 目をくるくる動かしながら顔をしかめたり、ゆるめたりしているので、なにか考えているのだろうくらいに思っているのだろう。


(そうそう、ドゥジエーム大公が――)


 考えを整理してから改めて思考を巡らせ始めたところで、「陛下!」と背後から飛んできた甲高い女官の声で呼び止められた。

 フランシーユとアンセルムが振り返ると、スカートを掴んで廊下を勢いよく駆けてくる若い女官の姿が視界に飛び込んできた。


「大変です! プルミエ公爵夫人が……!」


 女官は真っ青な顔をして、フランシーユの前まで駆け寄ってきた。


「公爵夫人がどうしたの?」


 さきほど、食事を一緒に摂ったマリアンヌの姿を思い浮かべつつ、フランシーユは嫌な予感に眉根を寄せた。


「お倒れになりました!」


 廊下の隅々まで響くような声で、女官は叫んだ。

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