三日目 2

 朝食を終えたフランシーユが午前の政務のため執務室へ向かうと、朝から機嫌が良い女王とは対照的に苦虫を噛み潰したような表情の宰相が待っていた。


「おはようございます、陛下。本日は大層ご機嫌麗しく存じます」


 恐ろしく機嫌が悪そうな宰相の低い声音を耳にした補佐官たちは、真っ青になって震え上がった。

 一方のフランシーユは、父親の不機嫌には慣れていないものの恐れるものではないので「おはよう、宰相」とにこやかに挨拶を返す。

 アンセルムが前国王親衛隊の話題を出した辺りからほとんど喋らなくなったマリアンヌと宰相の態度はどこか似ていたが、フランシーユは気にしなかった。

 執務机の座り心地の良い椅子に腰を下ろすと、フランシーユは補佐官が差し出したペンを持ち、目の前に置かれる書類に次々と署名をしていく。

 挨拶をした後の宰相は補佐官たちに細々とした指示を出したり、女王に書類の内容を説明したりと普段どおりの勤務態度だったが、明らかに執務室内の空気は緊迫していた。

 フランシーユが五十枚ほど書類に署名を終え、一息つくために補佐官が運んできた紅茶を飲むため角砂糖を二粒指で摘まんだところで、「陛下」と宰相が重々しく口を開いた。


「なに?」

「ランヴァン卿から話はお聞きになっていますか」

「どの話?」

「コルネーユ陛下の親衛隊が復活したという話です」

「復活したとまでは聞いていないけれど、叔父様のところに集まっているらしいという話は聞いたわ」

「左様でございますか。――ほぼ復活しています」

「あら、そう」


 フランシーユが視線を母親に向けると、マリアンヌは深刻な表情を浮かべていた。


「兄は国王としてはそこそこ優秀だったと思いますが、兄が作ったあの親衛隊だけはわたくしも我慢なりませんでしたわ」


 思い出すのも嫌なのか、美しい顔を顰めてマリアンヌは沈んだ声で語る。


「出自に関係なく腕の良い兵士を召し抱えて親衛隊を作ったと兄は申しておりましたが、国王の身辺を警護する者というのは兵士として優れていれば良いというものではありません。もちろん、身分が低いからといって王に仕える者としてふさわしくないわけではありませんが、常に国王のそばにいる者であればせめて自国出身者を選ぶべきです。それを兄は、他国の生まれであっても優秀であれば良いと言い、どこぞの間諜であるかもしれないのに平気で執務室へも出入りさせるなどしていましたし、さらには彼らの粗野な言動を面白がる素振りまで見せる始末。ヴィオレーユ陛下が王宮内で大きな顔をする親衛隊のやからを嫌い、さらには軍官すべてに対して同じように忌み嫌われるようになったこと、わたくしはよぉく理解しております。殿方というものはいくつになってもやんちゃをしたがるとか、荒々しいことを好むそうですが、国王がするべきことではありません! それを今度はオーギュストが彼らを手懐けようとしているなど、言語道断です!」


 途中から一気にまくし立てたマリアンヌは、目をつり上げて夫である宰相を睨んだ。

 その瞬間、宰相がひるんだことを補佐官たちは見逃さなかった。

 プルミエ公爵夫妻の力関係が垣間見えた瞬間でもあった。


「この美しい宮殿の中を、泥で汚れた靴で歩き回って大理石の床やじゅうたんに靴跡をつけたり、女官達に乱暴をしようとしたり、王宮のあちらこちらにある調度品を盗んで売り払ったり、とにかくわたくしはあの連中が我慢なりませんでしたわ! 陛下が彼らをここから追い出してくださったときは溜飲が下がる思いでしたし、女官たちも胸をなで下ろした者がほとんどでしたわ。それを、オーギュストが自分の親衛隊として連れて回るようになり、ここにも連れてくるようなことになれば、わたくしは陛下にオーギュストの登城禁止をお願いすることになるでしょう!」

「公爵夫人。いますぐ、その元親衛隊を全員内乱罪で逮捕するよう命令を出すこともできますよ」


 母がここまで嫌がるということはよほどだろう、と思いながらフランシーユは提案した。

 コルネーユ王の親衛隊について彼女が知ることは少ないが、彼らを歓迎する者が少ないことだけは察した。

 補佐官たちの様子からも、マリアンヌだけが過剰反応しているわけではないようだ。

 国王の私設親衛隊ということもあり、周囲からは煙たがられ、彼らの扱いに手を焼いた者も多かったのだろう。


「陛下! それはとても素晴らしい提案ですわ! ぜひ――――!」

「落ち着きなさい、マリアンヌ」


 このままでは母娘が暴走すると思ったのか、宰相が妻の肩に手を当ててなだめた。


「ドゥジエーム大公のところに元親衛隊隊士たちが集まり、今度は大公の親衛隊として活動を始めようとしていることは確かだが、彼らとて仕事がなければ生活できないのだ。近年はどこの国でも大きな戦争はなく、彼らのような傭兵は仕事にあぶれ、盗賊になる者も増えている。大公のように貴族が彼らを私兵として雇うことで治安維持に繋がっていることを思えば――」

「ドゥジエーム大公は大勢の私兵を雇い、王位簒奪の準備を進めている可能性もあるわ。貴族が私兵を雇うことは法律で禁止していないけれど、新たに法律で私兵の数を制限するべきかもしれないわ。傭兵としての仕事がないと言っても、他に仕事はたくさんあるでしょう? 農村で農業をしたり、公共事業で土木作業をしたり」


 傭兵に対して良い印象を抱いていないフランシーユは、宰相の言葉を遮り自分の考えを述べた。


「そういった仕事はしょうに合わず続かない者もいるのですよ、陛下。生活費が稼げるならどんな仕事でもやるという者もいますが、前国王に傭兵としての腕を見込まれたとうぬれる連中が畑を耕したり牛や馬の世話をしたりしませんよ」


 宰相はもっともらしく説明するが、王女として育ったマリアンヌと、公爵令嬢として何不自由なく育ったフランシーユには理解できない。


「ランヴァン卿。君だって、近衛隊を首になったからといって農夫にはならないだろう?」

「俺なら、鉱夫になりますね。なかなかの重労働だそうですが、身体は鍛えられるそうですし、一攫千金も狙えますから」


 まったく見当違いの回答がアンセルムの口から出たので、宰相は肩を落とした。


「とにかく、ドゥジエーム大公はコルネーユ王の親衛隊を引き継ぎ、彼らを私兵として雇うことを陛下に直接許可していただきたいと謁見を求めてきております」

「あら、そう」


 本題はそこだったか、とフランシーユは納得した。

 宰相が気にしていたのは、ドゥジエーム大公が女王に直接会おうとしていることだった。しかも、外見はそっくりだがフランシーユが身代わりを務めているときを狙って、だ。

 普通に考えれば、手紙などの文書で状況を報告し、婚約披露宴の席で話をする際に返事を貰えば良いような内容だ。

 それをわざわざ、女王が嫌う親衛隊を大公家で雇うことを報告する名目で直接女王と会おうとしているのだ。別の目的があるとしか考えられない。


(単純に、女王が仕事をするようになったという事実を聞いて様子を見に来たというわけではない、ということでしょうね)


 宰相にしてみれば、女王が行方不明で自分の娘が女王の身代わりをしていることをドゥジエーム大公に気づかれれば、女王を害したのではないかと痛くもない腹を探られることになる。


「断れば良いのかしら?」

「それは少々差し障りが……」

「ここに到着すると同時に逮捕させる? 私兵を集めているとなれば、内乱を企んでいる疑いで捕らえることは可能よね」

「さすがにそれもどうかと……」


 珍しく宰相が困り果てた様子で言葉をにごした。


「女王の予定が十日後まで立て込んでいると断ることはできないの?」

「今日は、婚約披露宴でお召しになるドレスの試着以外にご予定がございません」


 女王の補佐官が申し訳なさそうに告げる。


「視察の予定を三つほど入れてくれて良いのよ?」

「陛下のご視察となると、警備の準備などがあり、急にはご用意ができかねます」


 さらに申し訳なさそうに肩をすくめて補佐官が答える。


「わたしが急に熱を出して部屋で寝ているというのは?」

「お見舞いにうかがうとおっしゃることでしょう」

「腹痛で七転八倒しているので会えないというのは?」

「仮病はよろしくありません。陛下がご病気だとひとたび噂が流れれば、ありもしない持病がでっち上げられたり、重篤説が流れたりしかねませんので」

「じゃあ、会うしかなさそうね」


 最初から選択肢はひとつしかないようだ。


「…………はい」


 補佐官が頷くと、宰相は盛大にため息を吐いた。

 どうやらこの補佐官が、ドゥジエーム大公に女王の予定を告げた張本人らしい。


「別にかまわないわ。叔父様と会うことくらい、どうってことないわよ」


 フランシーユは気軽に答えた。


「元親衛隊の隊士たちを私兵として雇うことは認めるけれど、王宮には連れてこないように約束させればいいだけよね。その約束が取り付けられたら、できるだけすみやかに貴族が雇える私兵の数を制限する法案を準備すればいいんですものね」

「え――――?」


 補佐官は目を丸くして女王を見つめる。

 軍官嫌いのヴィオレーユ女王らしい発言といえなくもなかったが、ただただ女王の態度に驚くしかない補佐官だった。

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