四日目 1

「ランヴァン卿! 見て見て! どう!?」


 女王の起床時刻に合わせて女王の私室へ入ったアンセルムは、朝から機嫌が良いフランシーユに出迎えられた。


「――――似合いすぎてて、怖い」


 女王のための白い軍服に身を包んだフランシーユを見た瞬間、アンセルムはうめいた。


「そうでしょう! 似合うでしょう!」


 鏡の前でくるくる回るフランシーユは上機嫌だ。


「今日は一日中これを着ることにするわ!」

「や、め、ろ!」


 即座にアンセルムは反対した。

 フランシーユが現在着ている軍服は正装だ。

 王がこれを着るのは、儀式の際かこの国が戦争をおこなっている間だけだ。

 普段から軍服をまとっていた王は過去にいたこともあったが、彼らは略式の軍服を日常着としていただけで、常に正装をしていたわけではない。

 そして、ヴィオレーユ女王は即位以来、一度として軍服を着用して人前に姿を現したことはない。

 女王である以上は軍の指揮権を持っているヴィオレーユだが、軍官嫌いの彼女は近衛隊の視察すらしたことがなく、現在近衛師団を指揮しているクレール公爵が将軍として女王に謁見した回数は片手で数えるほどだ。

 女王は大臣たちが集まる会議に出席する回数も少ないため、将軍は女王と話をする機会がほとんどない。

 いまのところデュソール王国は国内外で戦争をしていないため、近衛師団に仕事らしい仕事はなく、国内の治安維持に努めているところだ。

 将軍は暇さえあれば肉体を鍛えることに邁進しているが、別に戦争狂というわけではないので戦争の機会を待ちわびているわけではない。ただ、自分たちの存在の重要性を女王に認識してもらうためにも、将軍はなんとしてでも女王への謁見を希望している。

 女王になにを要望するのかとアンセルムが父に尋ねたところ、近衛師団の日頃の訓練を披露するためにも武術競技会を開催し、女王に試合を観戦して欲しいのだという。

 ただでさえむさ苦しい軍人が嫌いな女王にそんなものを見せたら軍縮どころか近衛師団が解散になる、とアンセルムが一蹴したので、ひとまず将軍は競技会を諦めたのだが、なんとかして将軍は女王に近衛師団を認めさせたいらしい。

 もし女王が軍服を身にまとって半日でも政務に励もうものなら、将軍が大喜びで執務室に押しかけてくることは火を見るよりも明らかだった。


「陛下が軍服を着て王宮内を歩いていたなんて話をうちの親父が聞きつけたら、すぐさま執務室に乗り込んできて、近衛師団総出で競技会をやりたいとか言い出しかねない」

「なにそれ! 面白そう! ランヴァン卿も出席するのよね?」

「競技会にはにご臨席をたまわりたいそうだ。もしが許可をしたとしても、実際に開催できるのは半年か一年後か、どちらにしてもしばらく先だ」

「半年か一年……その頃には……」


 自分が半年後にも女王としてこの王宮で暮らしていることは想像したくはなかった。


「一般人も観戦できるようにすれば良いわよね」

「いや、そういう話ではなく、そもそも女王陛下が近衛師団の脳筋連中の筋肉自慢大会を見に来るわけがないという話だ」

「その脳筋集団にあなたも入っているってこと、わかってる?」

「自覚はあるが、親父ほどじゃない」


 アンセルムは「あんな連中と一緒にするな」という顔で答えた。


(クレール公爵と思考回路がそっくりだという自覚はないわけね)


 鏡の前でくるくる回って自分の軍服姿を満足げに眺めながら、フランシーユはあきれかえった。

 彼の妹のジョルジェットもそうだが、ランヴァン家は一族郎党ほぼ脳筋だ。

 クレール公爵夫人は他家から嫁いできた女性なので、夫や子供たちの筋肉至上主義には共感せず、黙って放置している。


「どうせなら近衛師団以外からも参加できるようにすれば面白いわよね。ジョルジェットのように女性も参加できるようにすれば良いんだわ」

「セレスタンが嫌がるからやめろ」

「あら? そうなの? それはつまり、ルフェーブル卿がジョルジェットに負けるかもしれないから?」

「そうじゃない。自分の婚約者が剣を振り回していることが……みっともないと」


 最後はアンセルムの声が呟きになった。


「ジョルジェットがみっともない!? 信じられないことを言うわね! それなら、ルフェーブル卿は除隊させましょう! 王宮にも一生出入り禁止よ!」

「――言うと思った。しかし、女王陛下のお気に入りの隊士が突然に除隊になったら、なにが起きたのかと周囲に勘ぐられるぞ」

「勝手に勘ぐらせておけば良いのよ!」


 セレスタン・ルフェーブルに腹を立てたフランシーユは断言した。


「公爵家の令嬢であるジョルジェットが剣を持つ必要などどこにもない、と言うのがセレスタンの言い分だ。女学校で貴族令嬢らしい教養と立ち居振る舞いを身につけていればそれで十分だ、と」

「ジョルジェットはクレール公爵家の令嬢にふさわしい教養と立ち居振る舞いが身についているわよ。それにくわえてランヴァン一族のお家芸である武術の腕を磨いてなにが悪いというのよ! そんな封建的な男は、女王が治める国には不必要よ! そうだわ! 将軍を呼んで、近衛師団の封建的思考そのものを根底からたたき直すように注意しましょう。それができたら競技会を許可することにしましょう!」

「親父を呼び出すのはやめろ。女王様からそんな指令が出たら、あの親父のことだから即刻近衛師団を洗脳してでも競技会開催にこぎつけようとしかねない!」

「わたし、将軍のそういう目的のためなら手段を選ばないところが好きだわ」

「女王様も宰相閣下も手段を選ばないよな? だいたいそうだよな!?」

「まずは近衛師団に女性を入れるよう、将軍に言ってみようかしら。とりあえず将軍と会って、競技会開催を餌にルフェーブル卿の除隊、団員の思想統制、女性団員の募集を――」

「……シリルの奴、どこをほっつき歩いてるんだ。いつになったら仕事をしない女王陛下は帰ってくるんだ」


 ほぼ毎日唱えている文句を、アンセルムは朝から遠い目で呟いた。

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