一日目 5
ドゥジエーム大公オーギュスト・シスはプルミエ公爵夫人マリアンヌの異母弟だ。
フランシーユにとっては叔父にあたるが、プルミエ公爵家はドゥジエーム大公とほとんど交際をしておらず、フランシーユも女王の戴冠式で挨拶をしただけだ。
母に王である兄以外のきょうだいがいたことを、フランシーユはそれまで知らなかった。
ドゥジエーム大公は姪のヴィオレーユが王位に就く以前から、王女の夫は自分の息子にするべきだと主張していた。ヴィオレーユ王女の次の王位継承者であった彼は、異母姉マリアンヌの息子シリルよりも自分の息子の方が王配にふさわしいと考えていたのだ。もっとも彼は、兄の次に王冠をかぶるのは自分であるべきだとも考えていた。
ヴィオレーユが王位を継いだ際、宰相がもっとも警戒していたのはドゥジエーム大公であることは、フランシーユも知っていた。
「ドゥジエーム大公派って、まだこの王宮に巣くっているの?」
「あぁ」
「それは厄介ねぇ」
フランシーユは戴冠式で挨拶をした際の叔父の顔を思い出しながら、ふふんと鼻で笑った。
ドゥジエーム大公の隣には、大公の十三歳の息子が付き従っていたが、兄シリルとは比べものにならないほど平凡で地味な容姿をしていた。王族としての華やかさに欠けたとしても知謀に富む人物であれば兄とともに女王の夫候補を名乗ることを許せたが、ほんとうに自分たちの従弟なのかと疑いたくなるほど十人並みだった。
その従弟が、シリルに対して激しい劣等感を抱いていることは、彼の表情から明らかだった。
「じゃあ、わたしが女王になったらドゥジエーム大公派を王宮から排除しましょう!」
「これまで宰相ができなかったことだぞ?」
「それはつまり、本気を出して取り組んでこなかっただけ、ということよね。いっそのこと、ドゥジエーム大公派が今回の女王失踪の黒幕だったらいいのに。そうしたら反逆罪で全員監獄送りにできるじゃないの」
「一応、お前の親族だぞ」
「血が繋がっているからこそ厳正に処罰しなければならないのよ。そもそも女王なのに失踪してお兄様に心配をかけるような真似をする陛下だって、王としての資質が疑わしいわ。どうせお兄様もお父様もお母様も陛下にお説教なんてできないでしょうから、わたしがとっても迷惑をこうむったって文句を言ってやるわ」
「それは頼もしいな」
それまで黙って話を聞いていたシリルが、苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、僕はこれから家出をした妹を探しに行くという名目で宮殿を出るけれど、七日後には必ず帰ってくるから心配しないでね」
(あら? そういえばなんの話をしていたんだったかしら?)
アンセルムが口を挟んだところで話題が大きく逸れたことには気づいていたが、すっかり話の発端を見失っていた。
とはいえ、シリルはすぐにでも女王の行方を追うためにこの場を離れなければならない。
いまさら話を元に戻して兄を引き留めるわけにはいかないことを、フランシーユは理解していた。
「ほんの七日間の辛抱だから、その間だけ、陛下の身代わりとして政務をとって」
結局、兄の「フラン、僕を信じて待っていて」という言葉に頷くしかなく、さまざまなことがうやむやになったまま、フランシーユは女王の身代わりを務めることを承諾せざるを得なかった。
「お兄様に丸め込まれてしまったわ」
「シリルに丸投げされた……あいつ、面倒ごとを残してとっとと姿消しやがった」
宰相執務室から姿を消したシリルに言いくるめられたことに気づいたフランシーユとアンセルムが呆然としているそばで、プルミエ公爵夫妻は顔を見合わせてため息をついた。
*
王宮内にはたくさんの隠し通路があることを、フランシーユは初めて知った。
普段は王侯貴族に姿を見せられないような下級使用人たちが使用する通路だが、宰相執務室から女王の私室まで、フランシーユは女王の側近であるという女官の先導で隠し通路を使って向かった。
女官長を含め三名の女官だけが、女王の失踪を知っていた。
そして彼女たちはプルミエ公爵夫人とも親しい間柄であったため、今回フランシーユが身代わりを務めることについて協力してくれることになった。
女王の私室は質素な家具が設えられた、十代の姫の部屋にしては地味すぎる内装だった。
壁紙には薄紅色の小花が散っているが、長椅子の布地は渋い茶色で、
居間の壁に飾られた大きな家族の肖像画だけが存在感を放っていた。
前王とその妃、そしてヴィオレーユ女王と思われる赤ん坊が描かれている。
中央の赤ん坊を両側から前王と妃が抱いており、王位継承者を得たことを喜ぶように前国王夫妻は微笑んでいる。
(これが、女王陛下の両親なのね)
なぜこの肖像画を居間に飾っているのか女王の真意は不明だが、幸せそうな家族に見える絵だ。
似たような肖像画はプルミエ公爵家にもある。
プルミエ公爵夫妻とシリル、フランシーユの四人が描かれたものだ。
公爵邸の画廊に飾られているが、フランシーユはこれまであまり意識して自分たち家族の肖像画を見てこなかった。
(でも、わたしの両親ではないわ。どのような血の繋がりがあるにせよ、わたしはこの人たちが家族だとは思えないもの)
プルミエ公爵の話を疑うわけではないが、自分が王女だと言われても実感はわかなかった。
「陛下。どうぞこちらへ」
肖像画をぼんやりと見つめるフランシーユに、女官長が声を掛ける。
衣装部屋へ案内され、フランシーユは女王の日常服に着替えさせられた。
(……地味ね)
女王の普段着はフランシーユが好まないようなくすんだ苔色と黄色の縞模様に、襟元と袖口にわずかばかりレースをあしらった物だった。
(女王って流行と無縁の服を着るものなのかしら)
いまの季節に合わせて、初夏らしく明るい水色や若草色の服を着るのならまだわかるが、公爵令嬢として常に季節ごとの服を新調してきたフランシーユには到底受け入れられない服装だった。
しかも、衣装部屋の中の服はどれも女王らしい華やかさに欠けている。
(それにしても、服装が違うだけでずいぶんとわたしの雰囲気も変わるものね)
全身が映る鏡の前に立ち、フランシーユは女官に髪を結ってもらいながら感心した。
これなら、普段のプルミエ公爵令嬢を知る人々と会ってもフランシーユだとわからないくらいおとなしい印象だ。
「陛下は普段、宰相や大臣方とお話をされる際は『そう』と『任せます』の二言がほとんどです。お気に召さないお話のときは黙り込みます」
「……黙り込む?」
「はい」
女官長の説明にフランシーユは絶句した。
気に入らないことに対しては相手が父だろうが兄だろうがフランシーユは抗議をしていた。そうやって自分の意見を主張することは大事だと両親から教わってきたし、なにごとも自分の考えを言葉にしなければ相手に伝わらないと家庭教師たちからも指導されていた。
「こう、眉間に皺を寄せて俯きながら黙り込みます」
女官長が顔を作って説明してくれた。
鑑の前でフランシーユも同じ表情を作ってみたが、恨めしげにふてくされているような顔になったので、すぐやめた。
(こんな可愛くない顔をして、どうなるっていうのかしら)
女王の身代わりをする以上は女王の真似をするしかないが、フランシーユには自分が女王のふりをし続けられるのか不安になってきた。
(気に入らないことがあっても反論せず黙り込まないといけないのよね? ……できるかしら)
やはり女王と自分が双子の姉妹だなんて嘘だろう、とフランシーユは考えた。
育った環境が違うとはいえ、あまりにも自分と違いすぎる。
「よろしいですか、陛下。溜まった鬱憤は護衛のランヴァン卿にあとでまとめてぶつけるのです。不平不満を心の中に溜め込んでいては心身が疲弊しますからね。いっときだけ我慢をして、あとでランヴァン卿にぶちまけるのですよ」
しかめ面をしているフランシーユの両肩に手を置き、娘の性格をよく知るプルミエ公爵夫人が助言する。
(アンセルムって女王の護衛官であって、わたしの愚痴を聞く係ではなかったはずだけど)
かといって他に話し相手もいないので、フランシーユは母の言うとおりにすることにした。
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