第25話 握り飯の記憶2
二つ下の弟は俺と違って優秀で、親の自慢、親戚の自慢、俺の自慢でもあって同時に、俺に劣等感を抱かせる越えられない壁だった。
「大学、こっちに来たのか?」
「うん。父さん達を説得して、去年から一人暮らししてる」
エスカレーターで大学行けるところに通ってたのにわざわざ受験し直したみたいだ。
親父達、怒り狂わなかったのかな。
こいつの我儘は昔からなんでも聞き入れられてたなって、思い出した。
「飯は? 自分でやってんの?」
「料理は出来ない」
「そっか。不健康そうな見た目。ひょろいな」
「兄さんは普通に、健康そうなまともな人になってる」
「昔と比べれば、どんなのだってまともに見える」
昔の自分。自分でそんなのになったくせに見たくなくて、鏡が目に付く度殴って割りまくったな。
とんだ馬鹿だ。恥ずかしすぎる過去。
てか俺ら、何普通に世間話してるんだろ。
「兄さんに会いたくて探したんだ。場所がわかってもなかなか勇気出なくて、意を決して来たらいないし」
不貞腐れてる。こいつのこんな顔、初めて見る。いつも一葉は俺を睨んでた。哀れむみたいに見てた。
「土日が休みなんだ。平日は毎日いる」
無意識に手を伸ばして、くしゃりと一葉の頭を撫でてしまった。
まずい……。不快だよなって慌てて手を引っ込めたら、一葉がぽろぽろ、泣きだした。
「おいどうした? そんなに嫌だったか? ごめん」
「違うよっ。兄さんの……ばか」
どうしたらいいんだよって、おろおろする。
「なんで泣くんだよ? どうした? ごめんな? あ、チョコ食う? 持ってきてやろっか?」
「チョコ、食べる……」
でかい子供だなって苦笑して、立ち上がる。
よくわからないけど、拒絶しにわざわざ会いに来たわけではないらしい。そうだよな。大学生がそんなに暇なわけない。
「どうしよ陣さん。泣かれた」
チョコをもらうついでに相談する。
「頑張れよ、兄貴」
「俺、兄貴だけど兄貴じゃないからな」
「それはお前の見解。兄さんって、呼ばれてるじゃねぇか」
「そりゃだって、いきなり春樹とは呼べなくねぇか?」
「おら。チョコ持ってとっとと戻れ」
「うーっす」
バレンタインの余りのチョコを袋ごと渡された。いくらなんでもこんなにいらねぇだろとは思ったけど、ありがたく受け取って戻る。
そしたら何故か、また睨まれてた。
「あの人、父さんの弟でしょう?」
「あぁ、陣さん? 俺はすげぇ世話になってる」
「ふーん……」
今度はカウンターにいる陣さんを睨んでる。こいつが何をしたいのか、何を言いたいのか、俺には全くわからない。
「ほらチョコ。好きなだけ食え」
「こんなに食べたら鼻血出ちゃう」
「そういえばよく鼻血垂らしてたな。まだダメか?」
「まだダメ。…………チョコ、むいて」
「は?」
「むいて」
ペロンて、キャンディーみたいにむくだけだろ。訳わかんないけど睨まれてるから言うこと聞いて、つまんで食べるだけの状態で渡してやる。
俺もチョコ口に放り込んで、珈琲を飲む。
なんでまったりしてんの? 俺ら。
「で? 何か話があったんじゃないのか?」
話を戻そうとしたら、一葉はまた不貞腐れる。
「弟が兄に会いたくて来たらいけないの?」
「お前の立場、まずくなるだろ」
「バレなきゃいい。バレないし」
「ならいいけど。…………困ったこととか、ないか?」
チョコを更に一つむいて差し出したらそれを口に入れて噛み締めて、一葉は、また泣く。
やっぱり何か、あったのかな。
「どうして、僕まで捨てたの?」
震えた涙声で聞かれて、答えに困る。こいつだけ捨てたわけじゃない。俺は全部を捨てて、逃げだしたんだ。
「こんなろくでもない兄貴、いない方が平和だろ。お前も俺を嫌ってただろ?」
「嫌いだったよ! 大っ嫌い!」
そんな力強く言わなくても……。
「僕、勉強出来て褒められたけどそれだけで……。誰も僕を見てくれなくて、兄さんしかいなかったのに。兄さんしかこうやって、僕に向き合ってくれなかったのにっ。変になって、逃げて、僕を置いていつもどこかにいなくて…………寂しかった。大っ嫌い! 兄さんなんて大っ嫌いだっ」
こいつ、こんなに可愛いやつだったっけ。
ぼろぼろ泣きながら俺を罵る弟を眺めて、苦く笑う。
「ごめんな? 逃げて、ごめん」
「ぼ、僕がっ、父さん達の言いなりになってれば兄さんは帰ってくるって思ったのに……うまく、いかなかった……」
俺って本当に、大馬鹿野郎なんだな。なんにも見えてなかったんだ。こいつの気持ちなんてなんにも考えなくて、自分のことばかりだった。
「そんな風に、思ってたのか」
「そ、そうだよ! たくさん考えたんだっ。だから僕、僕が兄さんの代わりになれれば兄さんは押し潰されなくなるって思って…………一緒に、いてくれるって思ったのにいてくれないから、ムカついた!」
「……だからいつも俺のこと睨んで、怒ってた?」
「そうだよ! 怒ってたんだ!」
「なぁんだ。ごめんな? 俺ずっと勘違いしてた」
片手を伸ばしてぐしゃぐしゃに髪を掻き回したら、一葉は喉を引きつらせながら泣いて、袖で涙と鼻水を拭ってる。
俺たちは会話が足りてなかったんだな。俺が最初に、拒絶なんてしちゃったから。
「きったねぇなぁ、鼻水。おら、拭け」
テーブルにあった紙ナプキンを押し付けたら、一葉は一瞥して首を横に振る。
「こ、こんなんじゃ足りない……」
「我儘言ってんな。袖、鼻水でガビガビになるぞ」
「クリーニングに出す……」
「金持ちだな」
様子を伺ってたらしい陣さんがタオルを持ってきてくれて、俺はそれを一葉に渡した。そしたら一葉は、また陣さんを睨んでる。
「何睨んでんだよ」
「だってこの人、僕から兄さんを奪った」
「お前、ブラコンだったんだ?」
「う、うるさいなぁ!」
ぶはって噴き出して笑ったら、一葉は赤くなってタオルで顔を拭った。
「あそこから逃げたのは全部俺の責任。陣さんがいなかったら多分、今こうしてお前とも、俺は話せてないよ」
一葉は不満そうな顔で黙ってるだけだったけど、思うところがあったのか納得はしたみたいだ。
あの時の俺を間近で見てたんだから、納得するだろうな。
腐り落ちて行くだけだった俺は、自分だけじゃなくて、周りのことも傷つけてたんだ。
「日曜、予定は?」
「ないよ。勉強するだけ」
「なら夕飯食ってく? で、泊まるか? もっとちゃんと、話そう」
「とま……泊まるっ」
「なんでまた泣くんだよ?」
「う、うぅっ……は、話す…………」
「わかったから、泣くなって」
「に、兄さん……」
「なんだ?」
「会いたかった」
「うん。……ごめんな」
俺はテーブルに頬杖つきながら手を伸ばして、タオルに顔を埋めて泣く一葉の頭を撫で続けた。
閉店作業を手伝う間
階段の途中で漂ってきたいい匂いに腹が鳴る。唯さん、何作ってるのかな。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
「おっかえりぃ! 腹減ったぁ! ……誰?」
台所から出て来た歩が一葉を見て首を傾げた。唯さんは俺の弟だと察したのか、ただ微笑んでる。
陣さんはマイペースに風呂に向かって、一葉は何故だか、威嚇してる。
「猫じゃねぇんだから。実家でいつもニコニコしてたじゃねぇか、どうした?」
「それこそ猫を被ってたんだよ。新たな敵は威嚇する」
「敵ってなんだよ」
「いいの。兄さんは気にしないで」
俺の弟だって紹介したら、唯さんは大人な対応。歩は目を丸くして、泣き腫らした一葉の顔についてつっこんだ。
「俺が泣かせた」
「何? 兄弟喧嘩? わっるい兄貴ー」
「うるせぇ、猿」
「そういえば最近子猿じゃなくない? 子猿の方がまだマシなんだけど」
「一葉、このちまいのは歩」
「こんばんは、お猿さん」
「春樹の弟、笑顔でひどい! あんた絶対性格悪いでしょ?」
歩が一葉に絡みだしたから、俺は唯さんに近付いた。唯さんは微笑んで、首を傾ける。
「和解、ですか?」
「はい。いろいろ行き違いがあったみたいで……。今日泊まらせて、もっと話そうかなと思ってます」
「そうですか。お夕飯、たくさん作りました。お酒はどうしますか?」
聞かれて俺は、はたと気付く。
「一葉お前、何歳だっけ?」
計算するのが面倒で、振り向いて聞いたらショックを受けた顔された。まずい質問だったかな。
「十九。今年、二十歳」
「誕生日は覚えてる。不貞腐れんなよ」
「……何月?」
「五月」
「何日?」
「二十三」
ぱあっと機嫌が直った。
こんなやつだったっけって考えてみるけどすぐには思い出せなくて、まぁいいかって思う。
「ではお酒はダメですね。すぐお夕飯、用意します」
「手伝いますよ」
「ダメです。春樹さんはビールでいいですか?」
「はい。でも陣さんが来てからにします」
「わかりました」
穏やかに微笑んだ唯さんが台所に向かうと、歩も追い掛けて行った。
弟を一人にするなっていう唯さんの気遣いを受け取って、俺は一葉をソファへ促す。けど結局ソファには座らず、少し距離を開けて床に座った。
「兄さん」
「どうした?」
「結婚、してるの?」
結婚してるか聞くのに、どうしてこいつはこんな唖然とした表情をしてるんだろうか。
「唯さんは俺の恋人。ここで一緒に住んでるけど結婚はまだ」
「結婚するの?」
「いや、まだ」
「ふーん」
弟が怖い。
「あの子猿よりはマシかな……」
ぼそりと、どうやら値踏みしてる。
「歩はお前の一個上。あんまり失礼な態度取るなよ」
「あの子はもしかして、僕達の従姉妹?」
「違う。陣さんは結婚してない。陣さんの友達の子供」
「ふーん。兄さんは坂上の家を出てから楽しく過ごしてたんだ?」
体育座りで前後に揺れてる一葉に、じと目で睨まれた。恨みがましい視線だ。
「お前は? つらかった?」
「別に。兄さんと違って僕、あの人達に媚び売るの上手いから。問題無くやってたよ」
言いながらも一葉は目を伏せる。上手くやってたけど、何かありそうだ。
「…………でも、寂しかった」
「全部、お前に押し付けちまったな」
「それはいいんだ。僕は上手く出来るし。でも兄さんと絶縁状態なのがつらかった」
「親父達は?」
一葉は顔を膝に伏せた。それでなんとなくわかった。やっぱり俺は、あの家の汚物。いらないんだ。
「家事出来ないのに、なんでこっちの大学に来て一人暮らしなんてしてるんだ?」
今度は膝から顔が上げられて、チラチラ俺を見てる。こいつ、観察してると面白い。
「こっちに来たら、バレずに兄さんに会えるかなって……」
ほんのり頬を染めて可愛いことを言った。
俺は思わず噴き出して、拳で口元隠して笑いを噛み殺す。
「笑わないでよ。僕にとって兄さんの存在は大きいんだよ」
「へぇ、そうなんだ? 知らなかった」
「……だって、僕が兄さんに近付くと兄さんがすごく怒られて殴られてたから。近付けなくなった」
そんなことあったっけなって、記憶を探る。
一葉のことで一番印象が強烈なのは、腐った俺を見てた鋭い瞳。あんまり会話もしなかった気がするけど……小さい時は、どうだったかな。
「兄さんはノイローゼみたいになってたし、覚えてないか。いろいろ思い出、あるよ」
「……どんな?」
「いろいろだよ!」
へへって照れたように、嬉しそうに一葉が笑った。
こいつの笑顔なんて初めてみた。…………いや、覚えてないだけかな。何か記憶に引っかかる気がするけど……出そうで出ない。
どれだけ俺は、自分のことで手いっぱいだったんだろう。
「一葉くん、嫌いな物はありますか?」
唯さんに話し掛けられると一葉の顔から笑みが消えた。実はこいつ、激しい人見知りなのかな。
「肉、魚、人参、ピーマン、玉ねぎ、キュウリ――」
「待て。お前、何食って生きてんの?」
「おにぎり」
なんでキョトンとしてるんだよ。こっちがキョトンだ。
「おにぎり、覚えてない?」
俺の表情から覚えてないことを読み取った一葉は、寂しそうに笑う。
「兄さんがね、よく僕に作ってくれたの。塩のやつ」
「それ、母さんじゃねぇか?」
「あの人はそんなことしない」
吐き捨てられた言葉に首を傾げる。
記憶の相違があるみたいだ。俺も塩むすびの記憶があるけど、あれは確か母さんが作ってくれた気がするんだけど……自信がなくなってきた。
一葉に会って話してみて気付いたけど俺、子供の時のことを思い出せない?
部屋にこもっていつも勉強してた記憶はある。楽しい記憶は存在しなかったからだって思ってたけど、一葉の子供の頃って、どんなだったっけ?
…………あれ?
「春樹さん? 頭、痛いですか?」
額おさえて俯いてたからか、心配した唯さんに顔を覗き込まれた。大丈夫って示すために、俺は微笑む。
「頭、撫でてください」
不思議そうにしながらも唯さんは頭を撫でてくれた。このまま抱きつきたいなと思って、実行する。
膝立ちの唯さんの腰に腕回して、胸元に耳を寄せると心臓の音が聞こえた。この音、好きだ。
「春樹さん? 運転で疲れてしまいましたか?」
「そうですね。腹が減りました」
「マスターもお風呂から上がりましたし、もう並べるだけです。具合悪いなら、お酒はよしましょうか?」
「飲みます」
「では、放してください」
「……はい」
唯さんから離れたら、ブラコンの弟に睨まれてた。
陣さんが一人でビール飲みながらソファに座るから、俺も飲みたくてビールを取りに向かう。
夕飯は、歩と一葉が言い合いして騒がしくて、唯さんと陣さんはずっとニコニコ笑ってた。一葉があれは食えないこれは無理ってうるさいから口に突っ込んでやったら結局食えて、ただの食わず嫌いだったみたいだ。
「料理の腕はなかなかだと認めてやらないこともないです」
偉そうに唯さんに言い放ったうちの弟は多分、友達いない奴だと思う。
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