4 思い出の上書き
第11話 思い出の上書き1
陣さんに借りた車を唯さんのアパート前へ停めてから、メッセージを送る。
昨夜、彼女がアパートの階段を上がってしまう前に連絡先をゲットしたんだけど……唇尖らせて渋々感をわざと出してた唯さんが、めちゃくちゃ可愛かった。耳は真っ赤で尖らせた口元も緩んでいたことに、本人は気付いてなかったみたいだ。
「おはようございます」
車外で待っていた俺に声掛けながら階段を降りて来た唯さんに、目が釘付けになる。
いつもはジーンズばかりの唯さんが、スカートを履いている。足下は歩くことを考慮したのかスリッポンだけど、そこも高ポイントだ。
白のタートルニットにダークグレーのスカート、コートは薄いグレーで、差し色にボルドーのマフラー。小振りのバッグは靴と色を合わせたキャメル。
ガン見にならない程度に堪能して、コートを受け取り後部座席へ置いた。
「どこの海に行くんですか?」
唯さんがシートベルトしたのを確認してから車を走らせ始めたところで聞かれた。叫ぶ場所にこだわりはないって言うから、目的地は俺が決めることになっている。
「江ノ島です」
観光地だけど冬だし、浜辺に人はいないと思う。それにあんまり遠出も大変かなと思って、程良い距離のそこ。
「江ノ島、ですか」
どことなく声が沈んだ気がして横目で確認した彼女の顔は、何かに困ってる。
「もしかして、思い出の場所ですか?」
唯さんの表情から思い至り確認すると、ためらいがちな頷きが返ってきた。
「例の彼?」
「……そうです。江ノ電に乗って、江の島を散策しました。休みの日でも忙しいからっていつもは会えなかったのに、珍しく日曜に」
「未練、ありますか?」
「ないです」
即答だ。きっぱり言い切ったことから大丈夫そうだと判断して、そのまま車を走らせる。
「思い出の上書き、しましょうか」
唐突な提案に、驚いた彼女が俺を見た。
「上書きですか」
「俺とじゃ、嫌ですか?」
びっくりしていることしか読み取れない声音に少し弱気になって、運転に集中しているふりをして俺は前を向き続ける。
「そんなこと、ないです」
小さな、だけどはっきりした返事。
耳に届いた唯さんの声で、いつの間にか強張っていた俺の体から、ふっと緊張が抜けた。
運転中の俺は彼女の方を向けないけれど、唯さんの視線と顔は俺の方へ向けられている。
「良かったです。では、目的地は変えません」
「はい」
耳に届いた声から想像出来た唯さんの表情は、いつもの穏やかな笑みだった。
目的地が決まった後は、ドライブ中に流す音楽はどうしたいか聞いてみた。どうやら唯さんは音楽にこだわりはないらしい。任せると言われたので、ラジオにした。
陣さんと車に乗る時は大抵決まったFM局を流しているから、平静を保てる気がしたんだ。
穏やかな女性DJの声がリスナーからのリクエストを紹介している。流行りの曲が車内を満たし、車が向かうのは高速の入口。のんびり下道でもいいけど、道が混むのが嫌で高速で行くことにした。
「今更ですけど、車酔いはしないですか?」
「大丈夫です。ドライブ、好きです」
「運転するんですか?」
「ペーパードライバーです。免許はただの身分証になっちゃってます」
あの辺住んでたら普通に生活する分には車はいらないもんなって、納得した。下手したら車よりも電車の方が便利だ。通勤も、きっと電車だったんだろうな。
「春樹さんは運転が丁寧ですね」
褒められた。
俺は安全運転を心掛けてる。無理な追い越しもしないし、スピードもそんなに出さない。
過去に悪いことやり尽くしたから、今は真面目に生きるように気を付けているんだ。俺が失敗したら陣さんに迷惑が掛かる。それは嫌だ。
「そんなに焦って進んでも何も変わらないですからね」
「ですね。事故のもとです」
ラジオを聞きながらぽつぽつ会話して、穏やかな気持ちで車を走らせながらふと気が付いた。彼女といると煙草を吸いたくならない。これはやめられるチャンスかもなって、ぼんやり考えた。
「さっみぃ!」
「寒いですね!」
江ノ島の駐車場に車を停めて、暖かい車内から外へ出るとあまりの寒さに身が強張った。
冬の海沿い、マジでやばい。
唯さんは鞄からイヤーマフと手袋出して装着してる。俺も、後部座席に置いておいたマフラーを首にぐるぐる巻いて手袋嵌めた。
「叫びに行きますか」
「はい、叫びます! 春樹さんも叫んでくださいね?」
「俺もですか?」
「そうです。一人は恥ずかしいじゃないですか」
「馬鹿野郎って言えばいいんですか?」
「なんでもいいです。好きなことを叫んでください。でも叫ぶのは強制です。拒否権は与えません」
強気な唯さんも、いいな。
駐車場から海へ出る道を歩いて砂浜に出たけど、見事に誰もいない。釣りをしている人すらいない砂浜で唯さんと二人、寒さに震えてる。
海風半端ない。寒い。凍える。
「ではいきます!」
「どうぞ」
大きく息を吸い込み、彼女は両手を握って、叫ぶ。
「海の、馬鹿野郎ーっ!」
マジに言った。大声だ。力の限りの叫びだ。
満足げに笑った唯さんが俺を見る。
彼女がすっきりしたって顔してるから、俺も息を吸い込んで叫んだ。
「さっみぃーッ!」
「寒いぞー!」
「馬鹿野郎ー!」
「寒いぞ、馬鹿野郎ー!」
二人で交互に叫んで、声上げて笑った。
冬の海で何してんだろって考えると笑えてくる。
腹抱えて笑って、笑いすぎてひーひー言いながら冷たい海風から逃げるように砂浜離れて物陰へ入った。
「あー、楽しかった!」
寒さで鼻の頭赤くして、テンション上がって頬を紅潮させた唯さんが、無邪気に緩んだ顔で笑ってる。
「目的達成ですか?」
「はい!」
「次は上書きですね。まず、何からですか?」
「上にのぼりました」
「じゃあ、行きましょうか」
「はい。……手も、繋ぎました」
唯さんの右手が、俺の前へ差し出された。
びっくりしたけど、心臓が壊れそうなほど激しく動いているけど、何でもないふりして指を絡め、繋ぐ。恋人繋ぎ。手袋外せば良かったなって、後悔した。
歩きだす時こっそり窺った唯さんの顔は嬉しそうに緩んでいて、それを目にした俺の心臓が跳ね回る。
彼女も俺と同じ気持ちかもしれない。だとしたらすげぇ嬉しい。
でも過去に仕出かしたことを話すのかって考えると、身が竦む。汚い部分をさらけ出す勇気なんて、今の俺には出せる気がしない。
手を繋いで歩きながら、タコの煎餅食ったって言うから並んで買う。
クラゲとかいうのもあったから一枚ずつ買って、分け合って食べる。
食べ終わって手袋嵌めたら、唯さんの手が俺の服の肘部分を掴んだ。
「手、どうぞ」
差し出したけど、首を横に振られる。
「腕を、組みたいです」
なんてことを言うんだ。
頬を染めた恥ずかしげな彼女の表情に、俺は腰から崩れ落ちそうになる。平静なんて装えないで、顔に熱が上って身体まで熱い。
「それ、は、危険です」
腕を組んだら密着する。それはなんて甘美で危険なことだろうかって想像が、頭を巡る。
よくわからないって顔で彼女が首を傾げてるけど、顔なんて見れない。
俺の視線がうろうろさまよった。
「俺の心臓、持ちません」
これ以上の問答は御免だと思って、唯さんの手を取って指を絡めて繋いで歩きだす。
「これだけでも心臓、破裂しそうなんですから」
絶対顔真っ赤だ。
熱い、暑い、熱い。
「いつもと逆です。春樹さん、可愛いです」
「やめてください。嬉しくないです」
「私に、翻弄されてますか?」
「そんなんずっとされてます」
「嬉しいです。腕、組みたいです」
「ダメです」
「えー」
「えーじゃありません。襲いますよ」
「こんな場所では、困ります」
場所の問題か!
ぐっと喉が詰まって、全身の血が沸騰しそうだ。
「あーもう、暑い! 寒いはずなのに暑い! なんすかこれ!」
「ドキドキしてます?」
「してますよ! マジヤバイって。心臓飛び出ますよ、口から!」
「それは面白いです」
「グロいって言ってたじゃないっすか!」
くすくす笑ってる唯さんをじと目で睨む。
「新しい一面です。新鮮です。可愛い」
「可愛いは嬉しくないです」
「春樹さんは格好いいです。素敵です。いい男です」
「なんですか、何プレイっすか! やめてください」
くすくす笑う楽しそうな彼女に、翻弄されまくりだ。
「決めました。エスカレーターなんて楽はさせません。全部徒歩でのぼらせます」
「えー、大変そうです」
エスカレーターに向かってた足を階段へと方向転換。
文句言う唯さんは無視して、手を引いた。軽く引くだけでついてくるから、文句言いつつも徒歩でのぼる気になってるのかも。
「春樹さん?」
「なんですか?」
手を繋いで歩きながら首だけで振り向く。
穏やかに微笑んでる唯さんが、頬を赤く染めていた。
――あぁもう! キスしたい!
「…………私、飴、持ってきました」
もうダメだ。心臓痛ぇ。死ぬかも。
「今、ですか?」
「明るいです。さすがに外は、恥ずかしいです」
「車なら、いいですか?」
「どうでしょう。その前に、言葉が欲しいです」
「言葉、ですか」
「はい。あなたが、好きです」
全身の血、沸騰した。
顔が熱くて、目まで潤んできやがった。にやけそうなのかなんなのかわからなくなって、繋いでない方の手で口元覆う。
「俺、悪い男です」
「あなたなら構いません」
「言えない秘密、あります」
「まさかの妻子持ちですか?」
「違います」
バカなこと言いだした唯さんに、苦笑を向ける。妻子持ちの男、トラウマなんだろうな。
真正面から向き合う勇気は出なくて、歩きながら話す。
「それを知ったらあなたは俺を、幻滅します」
「そんなに重大な秘密ですか?」
「重大、です。俺にとっては。まだそれを、あなたに告げる勇気がありません」
「……いいですよ。あなたになら、騙されても」
この人、俺を殺す気かも。
歩いてなんていられなくなって、足止めて向き合った彼女は、俺を真っ直ぐ見てる。あまりにも穏やかな表情で俺を見てるから、手を伸ばした。
「あなたが、唯さんが、好きです」
右手で触れた唯さんの頬、手袋越しでもふわふわ柔らかい。
「勇気を出して、いつか言います。幻滅されても仕方ない、けどどうか…………嫌わないで」
目を伏せた俺の顔を、彼女は下から覗き込む。その顔に浮かぶのは、穏やかで優しい笑み。
「大丈夫です。どんな秘密かはわからないですけど、春樹さんはいい人です。信用出来る人です。それを知っているので、幻滅なんてしません」
泣きそうになって、堪えるために奥歯を食い縛る。
場所なんてわからなくなって、繋いでた手を引いて彼女の身体、抱き締めた。
「好きです」
「私も、春樹さんが好き」
幸せで死にそうだ。
身体離して、お互いの顔を間近で見つめて笑い合う。
「ますます思い出の上書きが必要です。クソ野郎の思い出なんて、全部塗り替えてやります」
「はい! よろしくお願いします」
笑顔の唯さんが俺の腕に擦り寄ってきた。でももう嬉しいし、そのまま歩く。俺の左腕に唯さんの両腕が絡んで、柔らかい身体を押し付けられてる。
脳みそ蕩けそうなほど幸せで、寒さなんてもう、わからなくなってた。
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