第12話 思い出の上書き2
緩やかな坂と階段を経由して、頂上に着いたらポスターを見つけた。
バレンタインイルミネーションだって。唯さんが見たそうに顔を輝かせてたから、暗くなるまで上書きしながら時間を潰すことにした。
神社で参拝して、道を下る。
行きとは違う道を通ったら蒸かしまんじゅうを見つけて、一つずつ食べた。
「江ノ島って猫が多いですよね」
目の前を猫が横切って、唯さんが呟く。
「そうですね。好きですか?」
「可愛いなって思いますけど、犬派です。母が猫アレルギーで、触ると怒られて、その所為かなんだか苦手で」
俺の肩に頬を擦り寄せて、唯さんは苦笑を浮かべてる。
両腕が俺の左腕に絡みついて、手は指を絡めて繋いでる状態。密着しすぎで、俺の心臓はずっとうるさく鳴り響いてる。
「唯さん、お父さんは?」
いつも彼女の口から出るのは母親の話。父親はって何も考えずに口にして、突っ込みすぎかと内心焦る。でも唯さんは、静かに微笑んですぐに答えてくれた。
「私が小さい時に離婚したんです。お酒に酔って暴力を奮うような人だったみたいで。だから母は、
だからかって、納得する。
そんな父親だったのなら、離婚した後母親は酒を嫌がったんじゃないかな。だから唯さんは酒を飲み慣れてないし、知識もない。
「春樹さんは、ご両親は?」
「うちは不仲なんです。俺どうしようもなくて、勘当されました」
「マスターはご親戚って言ってましたよね?」
「父親の弟です。陣さんだけが、どうしようもなかった俺を見捨てないで助けてくれたんです」
「だから、春樹さんはマスターを慕っているんですね。いつも仲良しです」
「はい。親より大切な人です」
「ならマスターに感謝です。今私がこんなに素敵な春樹さんと出会えているのは、マスターのおかげですね」
「そう、ですね」
そんなこと、言ってもらえるなんて思わなかった。親のこと蔑ろにしてる、ダメなやつって言われるかと思った。
「唯さんのお母さんは素敵な人だったんじゃないかって、思います」
ちゃんとすることにこだわった人だったみたいだけど、ダメな親の元でこんなにまっさらで優しい人が育つとは思えない。
「はい。良い母でした。大好きです。だからこそ失ったらぽっかり胸に穴が空いてしまって……。立ち止まって、動けなくなってしまいました」
寂しそうな横顔。
いつも帰りがけに浮かべていた表情。あれは、母親を思ってたのかな。一人の家に帰るのが、寂しかったのかな。
坂を下りきって、俺達は休憩がてら店に入った。そこも思い出の上書き。クソ野郎との思い出、全部俺で塗り替える。
「食べられるだけ食べて、残したらもらいます」
「はい、頑張ります!」
頑張らなくていいって言ってるのに。歩きながら煎餅やら饅頭やら食べたから、絶対食べきれないと思うんだ。
彼女はしらすのかき揚げ丼。俺は海鮮丼。具沢山でずっしりしてる。
俺の海鮮丼からも刺身を少し食べて、唯さんは半分でギブアップ。満足げに胃を摩って、俺が残りを食べるのを笑顔で見守ってた。
「次は江ノ電ですか?」
「はい! 春樹さん、寄りたい場所はありますか?」
「あそこ行きたいです。有名な踏切」
「私も行ったことないです。じゃあそこで途中下車ですね」
江ノ電は鎌倉から乗って途中下車はしなかったらしい。
支払い戦争、今回は割り勘。
店から出たらまた密着して、歩いて駅に向かう。
これ、冬じゃなかったらやばいと思う。コートが間に挟まってるからまだ平静を保ててる。
「くっつくの、好きです。安心します」
「俺は心臓壊れそうです」
「耳が赤くなるのを見るのも、可愛いです」
小悪魔なのかもしれない。
でも唯さんなら小悪魔もいいな、なんて思う俺は多分、どこかの回線焼き切れてる。
長い橋、めちゃくちゃ寒い。海風やばい。
寒い寒い言いながら身を寄せ合って渡りきった。
江ノ電は休日だから人がぎゅうぎゅうだ。景色どころじゃない。情緒もなにもねぇなって笑い合って、俺は唯さんを腕の中に囲い込む。
「大丈夫ですか?」
「はい。人、たくさんですね」
「休日はホームの入場制限掛かったりするらしいですからね。乗れただけラッキーです」
「ですね。これはこれで、いいです」
呟いた唯さんが胸元に擦り寄ってくる。
今日、スキンシップが多い。嬉しいけどドキドキしすぎて早死にしそうだ。
「あなたが、欲しかったんです」
腕の中で唯さんが囁いた。密着してるから聞こえる、小さな声。
「初めは、格好いい店員さんだなって思っただけでした。でも、お客さんの話を真剣に聞いていたり、優しく微笑んでるのが素敵だなって」
唯さんの両手がきゅっと、俺の服の胸元を掴む。
あまりにも声が小さいからぎゅうっと抱き込んで、俺は耳を近付けた。
「お話ししてみたら、やっぱり素敵でした。それで、お酒に酔って泊めて頂いた朝、あなたを手に入れたくなったんです。手を伸ばして、良かった」
「……俺もあの夜、あなたを欲しいと思いました」
「一緒。嬉しい」
顔は見えないけど、彼女は笑ってると思う。穏やかで嬉しそうないつもの笑顔。
降りる駅まで、俺らはそのまま抱き合ってた。
途中下車した駅で、有名な風景の写真を撮った。
坂を上ったところにある学校まで行ってみて、海が見える高校っていいよな、なんて話しながら駅に戻って江ノ電に乗る。
車内はまたぎゅうぎゅうで、黙って抱き締め合って鎌倉まで行った。
暗くなるまでぶらついて、そういえば今日、煙草を一本も吸ってないなって気が付いた。イライラもしないし、特に口さみしくもない。これはイケるって感じた。
今度はエスカレーターで楽してのぼって、ぶらぶら歩いてイルミネーションを見る。
展望台は昼間のぼったからもういいだろうって二人の意見が合って、車に戻った。
車に乗り込んで、暖房付けてちょっと休憩。さすがに歩き疲れた。
「たくさん歩きましたね。運転、大丈夫ですか?」
助手席で寒い寒いって手を擦り合わせてる唯さん。助手席に身体を向けて、俺は意識してにっこり笑う。
「飴、食べてください。元気もらったら大丈夫です」
暗がりでも唯さんの顔が真っ赤になったのがわかった。昼間の仕返しが成功して、俺は黙って待つ。
ごそごそ鞄から飴を出して、彼女はからんと口に放り込んだ。
「何味ですか?」
「桃です」
「うまい?」
「うまい、です。食べますか?」
袋のまま差し出された飴は、受け取らない。
飴を持った唯さんの手を片手で包み込んで、身を乗り出す。
「その、口の中のが欲しいです」
顔近付けて囁いたら、間に差し込まれた手のひらに阻まれた。
「そ、それはさすがに……」
「ダメですか?」
「上級者です。それは、無理です」
昼間あれだけ自分からベタベタくっついて来たくせに、アンバランスさが謎だ。真っ赤でうろたえてるのが可笑しくて、俺は喉の奥で笑う。
「わ、笑わないでください」
「可愛くて。……飴くれないなら、唯さんからしてください」
「えぇ!」
「それも無理?」
「無理、では、ないです」
助手席のヘッドレストに左手置いてじっと待つ。
視線さまよわせた唯さんの顔が素早く近付いて、短く唇が触れ合った。
「早いです」
「精いっぱいです」
俺の抗議に反論して、唯さんは俯いた。
短いのも可愛くて嬉しかったけど、やっぱりまだ足りない。
「桃の香り、美味しそうでした。味わいたいです。唯さん……」
身体を伸ばして覆い被さろうとしたら唯さんの手が口に当てられて、隙間から甘い固まりを押し込まれた。
「同じ味です。味わってください」
してやったり顔で彼女は笑う。
口の中の飴をカラカラ転がして、俺も微笑んだ。
「お預けですか?」
右手で彼女の頬を撫でて、親指で柔らかい唇をなぞる。
「お預けです。……春樹さん、色気がだだ漏れです。私、心臓が飛び出します。口から」
「それはグロいです。でも、あなたの心臓ならそのまま食べてしまうかも」
「本当にグロいじゃないですか! 食べたらダメですよ!」
焦りだした彼女が可愛くて堪らない。喉の奥で笑いを押し殺して、俺は運転席に戻った。
車内も暖まってきたし、着てたコートを脱いで後部座席に投げる。唯さんもコートを脱いで後ろの席に置いた。
「お預けの後のご褒美、期待してます」
「そんなの、ありません」
真っ赤な顔で唯さんは唇を尖らせてる。
子供っぽいと思ったら積極的で、積極的だと思ったら奥手。彼女のアンバランスさに、とことんハマりそうだ。
「眠くなったら寝てくださいね」
「そんなの、悪いです」
「気にしないでください。あなたの寝顔、見たいです」
「頑張って起きてます。見せてなんてあげません」
そんなことを言ってた彼女は高速で首がかくかく揺れだして、結局眠気には勝てなかった。
車内には小さな寝息とラジオから流れてくる洋楽。
走る車の外で聞こえる風の音も、唯さんの子守唄。
ぐっすり眠ってる彼女が愛しくて、俺の心は穏やかに満たされる。
「唯さん、着きましたよ」
アパート前に車を停めて、静かに声を掛ける。車が止まったことで目を覚ました彼女は、キョロキョロと視線をさまよわせてから、眠ってしまったことについての謝罪を口にした。
「ご褒美をくれたら許します」
怒ってないし、むしろ寝顔が見られてラッキーだと思ってる。けど、良いカードは使うべきだ。
「唯さん、こっちに来てください」
寝起きでまだぼんやりしてるのか、従順に彼女は俺に近付いた。
右手で頭を固定して、唯さんの柔らかい唇を啄ばむ。数回啄ばむキスをして、少しだけ長く唇を合わせてから、解放した。
「おやすみなさい。唯さん」
「はい。また、連絡します。……おやすみなさい」
頬を赤く染めた照れ笑い。車外に出た唯さんが手を振って、俺も振り返す。
彼女が階段を上って部屋に入るまで、見守った。
無事に家の中へ入ったのを確認してから車を発進させる。運転しながら溢れる笑いが止められなくて、叫びだしたいような幸福抱えて、俺も家に帰り着いた。
歩いたのと運転疲れで、帰って風呂入ったらすぐにベッドに潜り込む。
陣さんはいない。義雄さん含む友達連中と酒を飲みに出掛けた。土曜の夜はよくその人達に会いに行く。いつもは俺も一緒に行くけど、今回は唯さんを優先した。
電車で行ってるから終電には帰ってくる。始発までっていうのは、もうつらいらしい。
ベッドの中でごろごろ、眠るか眠らないか微妙な感じ。煙草でも吸おうかなって起き上がったらスマホが鳴った。
画面を見て、唯さんからのメッセージだってわかった。
【今日はありがとうございました。とても楽しかったです。たくさん歩いて、運転もお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
明日、ご迷惑でなければ少しでも会いたいです。暇だったら、です。無理しなくていいです】
最後まで読んで、笑みがこぼれた。
メッセージだけでも胸がドキドキしてる。さっき別れたのに、もう会いたい。
【明日は豆の買い付けに行くのでその後なら平気です。午後には空くと思うので、終わったら連絡します。
飴、明日は何味ですか?】
なんて返ってくるかな。
読んだらどんな反応するんだろ。
真っ赤になる? 平然としてる?
想像するだけで胸が高鳴る。
電子音が聞こえたらスマホを手に取って、すぐに開いた。唯さんからのメッセージを読んで、噴き出す。
【知らないです。持っていきません。連絡待ってます。おやすみなさい】
【残念です。唯さんもゆっくり休んでください。また明日。おやすみなさい】
返信してからベッドに倒れ込む。
明日、彼女は飴を持ってくるかな。こっそり隠し持っていそう。
赤い顔の唯さんを思い出して、目を閉じる。そのまま、ふわふわ穏やかな眠りに引き込まれた。
*
スマホのアラームで目が覚めて、リビングに行ったら義雄さんが来てた。
「はよっす。陣さん泊まったの?」
ソファに座って珈琲を飲んでる二人。義雄さんのところに陣さんが泊まって送ってもらったのかなと思って聞いたら、ニヤニヤ顔を向けられた。
なんだか嫌な予感。
「いやねぇ、春樹が帰ってこないんじゃねぇかって。なぁ陣?」
「おうおう。車がないとヨシんとこ行けねぇし? 泊まってそのまま豆と一緒に送ってもらったんだよなぁ?」
「で、春樹はなんで普通に帰ってきてんだよ」
ニヤニヤオヤジ共……。
「ちゃんと帰ってくるって言っただろうが。仕事を蔑ろにはしねぇよ」
俺も珈琲飲もうと思って台所に向かって、背後ではオヤジ共がうるさい。
「仕事より女取れよ。まだまだガキんちょかぁ?」
「ヨシよぉ、まだきっと告白もしてねぇんだよ。純情ボーイらしいぜぇ春樹のやつ」
勝手なことほざきやがって。
珈琲の用意をしながら、言うか迷う。言ったら多分もっとニヤニヤして、もっといじり倒される予感がして嫌だ。
珈琲の入ったカップを持ってソファ前の床に座って、俺は珈琲を啜る。
聞こえなくてもいいやって気持ちで、ぼそりと呟いた。
「付き合うことになった」
静かだ。
なんだよって思ってソファにいる二人に顔を向けると究極のニヤニヤ顏をしてた。
締まりのない顔で、唇が嬉しそうに歪んでる。
「なんだろこの、息子のそういう話ってこそばゆい! かーっ、酒飲みてぇなぁ! ヨシ、飲んじまうか!」
「朝から祝い酒もいいねぇ! で、お前から言ったのか? まさか相手に言わせたんじゃねぇだろうな?」
言いたくねぇ。
視線逸らして珈琲飲んだら、義雄さんは俺の表情で察したっぽい。
「言わせたのか向こうに! おっ前、相手が言ってくれたからいいものの、そんなことしてる内に掠め取られるんだぞ? 肉食獣的に行け!」
義雄さんにバンバン背中叩かれた。朝からテンションの高いオヤジだ。
「今日は? 会いに行くのか?」
陣さんの静かな声。
視線上げた先で、陣さんは優しい顏で笑ってた。そんな顔で見られたらますます恥ずい。
「行く。義雄さんのところ行ったら連絡するって、昨日伝えた」
「俺も会いてぇなぁ。年上で可愛い良い子なんだろ? 唯ちゃんだっけ」
陣さんから聞いたらしい義雄さんも、ニヤニヤ笑いが優しい笑顔に変わってる。
温かい眼差しに耐えられなくなって、朝飯の支度をしようと思って俺は台所へ逃げた。
「今日はどこ行くんだ? 車使うか?」
ソファから陣さんに聞かれて、声張って答える。
「まだ決めてねぇからわからん。二人、朝飯は?」
食ってないって答えが返ってきて、三人分の朝飯を用意する。簡単なスープを作って、スクランブルエッグとウィンナー、トーストを焼いた。
作りながら、唯さんは起きてるかなって考える。
昨夜は午後って伝えたし、あんまり早まっても迷惑だよな。
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