5 シードルとりんごジュース

第13話 シードルとりんごジュース1

 ソファの上には、ほわほわへにゃへにゃした顔でゆらゆら揺れてる唯さん。両サイドにはニヤニヤオヤジ共。

 まだ昼だけど、机の上には酒とつまみが並んでる。

 真っ赤な顔の唯さんを見た俺は苦笑して、小さなため息を吐いた。


   *


 朝飯の後で俺は、掃除をすることにした。

 掃除と洗濯を終わらせてから唯さんに連絡するつもりだったんだ。

 洗濯機回して、陣さんと俺の部屋に掃除機を掛けてからリビングの掃除に取り掛かる。陣さんと義雄さんには掃除の間、陣さんの部屋に移動してもらった。

 陣さんも俺もそんなに散らかすタイプじゃない。むしろ陣さんは几帳面で、本棚の本は種類分けされてるし高さも揃えて並べられている。

 台所は仕事場と同じだから使う度に磨くように仕込まれてる。

 だから、高いところの埃を落としてからざっと掃除機を掛ければ掃除はおしまい。


 洗面所で洗い終わった洗濯物をカゴに移してるところで、玄関のベルが来客を告げた。

 陣さんの部屋のドアが開いて、出てくれるみたいだから俺は気にせず洗濯物をカゴに移す。洗濯物を干しに行こうと思って洗面所を出たら、玄関で靴を脱いでる人の姿に思考停止。


「唯さん?」

「こんにちは。マスターにお呼ばれされて来てしまいました」

「連絡先、知ってるんですか?」

「はい。以前こちらにお泊りさせて頂いた時に交換しました」

「そうなんですか。すみません。掃除してから連絡しようと思ってたんですけど、陣さんに先を越されちゃいましたね」


 苦笑する俺に、唯さんはふんわり笑って首を横に振る。


「いいえ。家事、ちゃんとされてるんですね。偉いです」

「世話になってばかりなんで、こういうことで恩返しです」

「偉いです。洗濯物を干すの、お手伝いします」

「大丈夫ですよ。それよりなんだって呼ばれたんですか? どこかに行くんですか?」

「祝いの酒盛りだ! 唯ちゃんおいで! おじさん達と飲もう!」


 マジで昼間から飲むつもりらしい。

 戸惑う唯さんは、陣さんに連れ攫われた。


「唯さん、無理に付き合う必要ないですから。洗濯物すぐ干しちゃいます」

「は、はい。大丈夫です」


 リビングから出るベランダで洗濯物を干すから、唯さんと陣さんに続いて俺もリビングに入る。

 リビングでは義雄さんが酒とつまみを並べてた。元々ここで飲む気だったのかなってくらいの手際の良さだ。


「春樹の天使ちゃん、愚息が世話になってるな」

「えっ? お父様ですか? はじめまして、有馬ありまゆいと申します。息子さんにはいつもお世話になっております」


 義雄さんの台詞に唯さんが動揺してる。親には勘当されたって昨日話したからだ。てか、唯さんの名字初めて知った。


「唯さん、その人は陣さんの友達の義雄よしおさんです。坂の上の珈琲豆は義雄さんの店の物で、プライベートでもよく世話になってる人です」

「えぇーっと、では、血は繋がっていないんですか?」

「だな。でも可愛い息子だ」


 胸を張って言いきる義雄さん。嬉しくて照れ臭くて、俺は緩む顔を隠すようにサンダル履いてベランダへ出た。

 いい天気だ。

 こんな天気のいい休日に昼間から酒盛りなんてすごい贅沢かもなって思いながら、洗濯物を干す。

 開いた窓から漏れ聞こえる声は、オヤジ二人に唯さんが昨日のこととか俺とのことをいろいろ聞かれてる。さっさと終わらせて、助け船を出さないとかわいそうだ。


「なんでもうそんなに真っ赤なんですか」


 洗濯物干すのを終わらせてリビングに入ったら、唯さんがすっかり出来上がっていた。

 早い。十分も経ってないと思う。


「おかしいです。りんごのジュースを飲みました」

「悪い。甘くて飲みやすいからって思ったんだけど、ごくごく飲んじまったみたいだ」


 陣さんが唯さんの隣で苦笑してる。

 唯さんの前にはシードルの瓶。なるほどなって思って、どれだけ飲んだんだろうって中身を確認する。


「グラス一杯分でこれか。唯さん、本当に弱いな」

「ちょっとずつ様子見ろよとは言ったんだが……。ゆらゆら揺れてるぞ」


 義雄さんも苦笑して唯さんを見てた。

 ソファは三人掛け。唯さんを真ん中にして右に陣さん、左に義雄さんが座ってる。

 唯さんは、笑いながら揺れ続けてる。


「唯さん、本物のりんごジュースと水、どっちが欲しいですか?」

「んー? りんごジュースが飲みたいです。でもシュワシュワがいいです」


 瓶からまた酒を注ごうとするから取り上げた。


「これじゃなくて、りんごジュースの炭酸割りを作ってあげます。ちょっと待っててください」

「はーい。――春樹さん」


 取り上げた瓶を片手に、台所に向かおうとしたら呼び止められた。

 具合でも悪くなったのかなって、心配になる。


「どうしました? 気持ち悪いですか?」


 赤い酔っ払いの顔で気持ち良さそうに笑ってる唯さん。ゆらゆら揺れてふにゃふにゃ笑って、ほんと可愛い。


「春樹さん、好きです」


 抱き締めてキスしたい。だけどニヤニヤオヤジ共が俺を見てるから、熱を持った顔は片手で覆って隠す。


「愛されてるなぁ春樹」

「だなぁ。飴、持ってきたらしいぞ」

「陣さんそれ聞いたのかよ!」

「聞いちまった。唯ちゃん嬉しそうだったぞ。なぁ?」

「そうですマスター! 嬉しいです! 春樹さんは、色気だだ漏れのお色気むんむんなのです!」


 耐えられない!

 俺は逃げを選択して台所に入った。

 新しいグラスに百パーセントのりんごジュースを注いで、炭酸水で割る。ソファではご機嫌な唯さんが笑いながら何か話してるけど、聞くのが怖い。

 取り上げたシードルの瓶は台所に置いたままにして、グラスを持って戻った。


「りんごジュースです」

「ありがとうございます」


 洗濯物のカゴをさっさと置きに行って俺も飲もう。一人で素面はかなりつらい。


 唯さんから取り上げたシードルの瓶とグラスを持って戻って、床に座る。

 甘いリンゴ酒を瓶からグラスに注いでたら、唯さんがゆらりとソファから立ち上がった。両サイドのオヤジ達が倒れるのを心配して手を添える。

 俺も、トイレなら連れて行こうかなと思って、持ってた瓶とグラスを机に置いて立ち上がろうとした。


「ちょ、唯さん?」


 両手広げた唯さんが倒れ込んできて、咄嗟に受け止める。

 びっくりした。

 意識はあるか確かめようとしたのに首に縋り付かれて阻まれて、更にびっくりして、動揺する。


「はるきさん、とおいです」


 耳元で、そんな甘い声を出さないで欲しい。


「唯さん、あの……大丈夫ですか?」


 コート着てない身体の破壊力が半端ない。

 ぎゅうぎゅう抱きつかれて嬉しいけど、柔らかい身体にクラクラする。


「だいじょぶじゃありません。ぎゅって、なんでしないんですか!」


 抱きとめた後、手の置き場に困って両手を床についたのが不満みたいだ。

 積極的唯さんが降臨して、俺は顔が熱くて困る。

 口元緩ませた陣さんと義雄さんが楽しそうに成り行きを見守ってて、その視線にも余計に困った。


「ぎゅって、してください」

「……はい。どうしました?」


 床についていた両手を、唯さんの背中に回す。

 左手は腰に巻き付けて、右手は彼女の右肩に添えた。細くて柔らかくて、理性がぐらぐらする。


「会いたかったんです。ちょっとなのに、会いたかったの」

「俺も、会いたかったですよ」

「……りんごあじ」


 キスされた。

 人前だ。見られてる。

 柔らかさと酒の匂いに、酔いそうだ。

 唯さんの両手に顔を包まれて柔らかい身体押し付けられて、唇が触れ合ってる。


「ゆ、い――」


 離れて名前呼ぼうとしたら、可愛い舌が滑り込んできて絡め取られる。


 もういいや。

 なんだっていい。

 存分に堪能してやる。


 りんごジュースの味を舐めて、吸って、飲み込んだ。身体も強く抱き締めて、息も全部絡め取る。

 腕の中の彼女の身体からくったり力が抜けたのを感じて唇を離した。

 赤い顔で潤んだ瞳。

 濡れた唇に舌を這わせて、最後に音を立てて吸い付いてから離れる。


「襲われたいんですか?」


 真っ直ぐ見つめて囁いたら、ぼんっと音が出そうなぐらい、唯さんの身体の見えてるところ全部が真っ赤に染まった。


「あ、えと……おて、あらい……」


 冷静になったのかなんなのか、唯さんは激しく視線をさまよわせて、わたわた俺の腕から這い出て逃げだした。

 バタンってトイレのドアが閉まる音がしたから、辿り着けたみたいだ。


「何も言うな」


 ニタニタ笑ってる陣さんと義雄さんに先手を打って、俺はシードルの瓶を引っつかんでラッバ飲みする。

 喉を鳴らして飲みながら、今後唯さんが酒を飲む時は要注意だと、心に刻んだ。


 ドアが開いて閉まる音がしたのに唯さんが戻って来ない。


 様子を見に廊下へ出ると、彼女はトイレの前で膝抱えて蹲ってた。


「唯さん、どうしました?」


 声掛けたら顔を上げて俺を見たけど、すぐにまた膝に伏せる。


「ぐらぐら、床が揺れてます」

「吐きます?」

「吐かないです。歩くと揺れます」

「水持ってきます。待ってて」


 ここまで酔ってるならさっきのキスも酒の所為だなってわかって、残念なようなラッキーなような、複雑な気分。


「唯ちゃん、やばいか?」


 台所でグラスに水を注いでる俺に、陣さんが心配そうな顔で聞いてきた。


「ぐらぐらするって。歩けそうにないみたい。水飲ませて休ませてくる」

「なんかあったら声掛けろ」

「わかった」


 水で満たしたグラスを手に唯さんのところに戻って、水を飲ませる。全部飲み干してから唯さんは、うーって唸った。気持ち悪いんだ。


「吐けるなら吐いてください。その方が楽です」

「嫌です。そんなところ、見ないで」

「なら、俺の部屋で良かったら横になります? それともみんないるリビングがいいですか?」

「…………お部屋がいい」

「歩けます? それとも運びましょうか?」

「抱っこがいいです」


 こんな状態じゃなきゃ、甘えられたのが可愛くて喜べるんだけどな。

 グラスは一旦床に放置で、揺らさないように抱き上げて部屋に運ぶ。

 赤かった顔、赤みが引いて顔色悪くなってる。飲んだ量はそれほどじゃないし、水たくさん飲ませて様子見だなって判断した。

 水を運ぶ時に部屋のドアは半開きにしておいたから、足で開けて中に入る。

 唯さんをベッドに寝かせて、窓を少しだけ開けた。


「すぐ戻るんで、待っててください」


 放置したグラスを回収して、洗面所でタオルを取って、グラスに新しい水を入れてから部屋に戻る。

 陣さんと義雄さんには、大丈夫だから気にするなって声を掛けておいた。


「水、もっと飲みます?」


 ベッドの端に腰掛けて、横たわる唯さんの様子を窺う。


「いらない。私、お酒も合わないみたい。……大人アイテム、全滅です」


 腕で目元を隠してる唯さんの言葉を聞いて、俺は苦笑する。

 唯さんにとって、煙草、酒、ギャンブルが大人の物差しなのかな。


「背伸びしなくていいんですって。アイテムで大人になるわけじゃないんですから。肝心なのは中身です」


 水の入ったグラスをベッドボードに置いて、俺は唯さんの髪を撫でた。頬や首筋にも触れて、体温と、変な汗が出てないか確認。

 大丈夫そうかな。


「中身も子供です」

「それでもいいじゃないですか。どんな唯さんでも、俺は好きです」

「……なら、添い寝して? ぎゅってして」

「わかりました」


 ベッドに上がって、唯さんの隣に横たわる。仰向けだった唯さんが動いて擦り寄ってきたから、腕枕して抱き締めた。

 心臓の動きが激しすぎて、口から飛び出そうだ。


「あのね……」

「なんですか?」

「お話、していいですか?」

「どうぞ」


 甘えた声。たまに崩れる言葉使い。いろんな彼女の一面に、俺の心は絡め取られてる。


「今住んでる場所、ずっと母と住んでいたんです。だから……帰ると寂しくて。マスターから連絡をもらってほっとしました。だから来ちゃって……こんな、酔って。春樹さん、呆れてますか?」

「いいえ。可愛いです」

「ほんと?」

「本当です。むしろ寂しい思いをしていたなら早く連絡すれば良かったって、後悔しました」

「ほんと、あなたが好き。大好きです」


 ぎゅうっと抱きつかれて、俺は右手で彼女の髪を梳く。さらさら柔らかくて、手触りがいい。


「俺もです。少し、寝てください。寝て起きたら今より楽になりますよ」

「……こうしてて、くれますか?」

「はい。唯さんが起きるまでこうしてます」

「ならお言葉に甘えます。少しだけ、寝ます」

「はい。おやすみ、唯さん」

「うん。おやすみ」


 俺の腕の中で、彼女は寝息を立て始めた。

 髪を払ってから覗いてみた唯さんの顔は、安心しきってる。

 柔らかい髪を指に絡めて遊んで、頭にキスをする。そのまま隙間なく抱き込んでから目を瞑って俺は、彼女の呼吸に耳を澄ませていた。

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