9 たくらみごと
第28話 たくらみごと1
柔らかな温もりに包まれての目覚めはその日一日がいい日になる、そんな予感が湧いてくる。そっと抱きついてみたら頭を撫でられて、彼女も起きたんだってわかった。
「か、可愛すぎます……」
緩んだ顔で見上げると、唯さんの顔が真っ赤に染まる。俺の恋人は朝から元気みたいだ。
「唯の方が可愛い」
「し、心臓がっ……。録画して保存しておきたい可愛さです!」
胸元に顔を埋めて甘えてたら唯さんに頭を抱え込まれた。柔らかくて、いい匂い。
「寒くなかったですか?」
「甘えん坊はおしまい?」
答えの代わりに質問が返ってきた。
「……ならもう少し、甘える」
「はい。……寒くなかったよ。春樹さんが温かいから」
「唯も温かいし、いい匂い」
「同じ物を使ってるのにね」
「でも違う。すげぇ好きな匂い」
身体を上にずらして白い首に鼻を寄せてみる。同じシャンプーやボディソープ、洗濯洗剤を使ってるのに何か違う。女の人の香りだ。
「あぁもう可愛い! 一体何種類の顔を持ってるんですか!」
「よくわかんない」
「わからなくていいです。この春樹さんは一番レアでお気に入りです」
「なら、こういう俺は?」
きゅうきゅう抱き締めてもらうのも好きだけど、赤い顔の唯さんを見下ろすのも好き。
組み敷くように体勢変えて微笑んだら、彼女は真っ赤になって、うろたえてる。
「目、逸らすなよ」
囁くと唯さんが俺を見上げて頬を膨らませた。
「可愛い春樹さんを返してください」
「やだ」
膨らんだ頬を甘噛みしてから舌先で撫でてみる。柔らかくておいしい。
「唯。やばい……したい」
「い、いやいやいや! お仕事がっ」
「キ、ス」
触れるだけのキスしてから身体を離して、俺は笑う。身体震わせて笑ってたら殴られた。
「もう! もう! もう! バカっ、意地悪っ」
またもうもう
唯さんの殴り方は手加減されてて痛くないし、可愛い。けどさっさと謝らないと、一日ご機嫌斜めはつらい。
「ごめん。でもしたいのはほんと」
抱き締めて、エロいキスで怒りを封じ込める。
「あまりにも大切だからどうしたらいいかわかんない。……ヘタレでごめん」
静かになった唯さんは、俺の腕の中でじっとしてる。答えが返ってこなくて少し不安になって、顔を隠してる髪を耳にかけてみると、現れた耳が真っ赤だった。
「……照れてる?」
とん、って胸を叩かれた。肯定の返事かな。
「心臓、口から飛び出ちゃう」
「実は俺も。こうして腕に抱くだけで、ドキドキしすぎて心臓痛い。多分この先に進んだら、もっと痛い」
「ほんとだ。すごく速いね」
俺の胸に耳を当てた唯さんが軽やかに笑った。この笑い声にさえ、俺の心臓は痛いほどに反応するんだ。
しばらく抱き合って、そのあとでキスをして、俺たちはお互い機嫌良く朝の身支度をしに部屋を出た。
夕方に一葉が店に来た。
カウンター席で珈琲を頼んで、頬を緩ませながら俺の手元を眺めてる。
「飯は食ったか?」
「うん! ごちそうさまでした」
一葉が出したのは洗ったタッパー。昨日持たせたおにぎりやおかずは綺麗に食べきって、ちゃんと洗ってから持ってきたらしい。
「初めて食器を洗ったよ。褒めて」
「偉い偉い」
「食器洗いって面倒臭いね。一々みんな計るの?」
「計る?」
「うん。洗剤の裏に書いてあった」
中性洗剤の容れ物の裏側なんて、読んで使ったことないな。
一葉には教えてくれる人がいないから、読んで悩みながらやったのかなって想像したら、可愛くて笑えた。
「普通は適当。目分量だよ」
ことり。コーヒーカップをテーブルに置いた。
一葉はふーんって呟いて、珈琲の香りを楽しんでから一口飲む。
「……おいしい」
ほころんだ顔を見て、俺は優しい気持ちになる。
「今日も夕飯、食ってくか?」
「んー……食べたいけど、今日は帰る」
「なら、今何か作ろうか?」
「うん! おにぎりがいい」
「ここは喫茶店だ」
苦笑した俺を見て一葉は不貞腐れた。おにぎり以外は浮かばないからなんでもいいって言われて、俺は何を食べさせるか考えながら厨房に入る。
陣さんに相談して、ランチで余ったハンバーグプレートに決めた。
「肉、やだ」
一葉は我儘言って顔を顰めてる。でも俺は優しくないから聞いてやらない。
「昨夜は肉食べてたじゃねぇか。食えるって」
「やだ」
「うまいから、一口食ってみろ」
断固拒否だ。
昨日の経験で、こんな時どうすればいいかはわかる。仕方ないなってため息吐いて、俺はカウンター越しに手を伸ばしてフォークを持った。
「おら。食え」
「あふい……」
俺がフォークにぶっ差したハンバーグの固まりを口に入れて、一葉がはふはふ言ってる。
飲み込むと顔が輝いたから、気に入ったみたいだ。
陣さんのハンバーグは美味いんだよって内心で呟いて、俺はフォークを一葉に渡す。今度は素直にフォークを持って、夢中になって食べ始めた。
文句言いながらも綺麗に完食した一葉は、満足そうに息を吐く。
「昨日も思ったけど、兄さんって料理上手だね」
「そりゃどうも。でも全部、陣さんのおかげだ」
「ふーん……叔父さんね」
厨房から顔を覗かせてる陣さんに、チラリと一葉が視線を向けた。不満そうで、だけど何か複雑な色が含まれた表情。
「……一昨日、何か話したのか?」
「叔父さんと?」
俺が頷くと一葉は珈琲のおかわりを要求してくる。
唯さんが空になった皿を下げてくれて、一葉は唯さんのこともじっと見てた。その視線に、俺は何故か不安になる。
「叔父さんに言われたんだ。会いに来ることを選べた僕は、兄さんの過去を救えるって。……面白いことを言う人だね?」
疑問形だったけど、一葉は俺の答えを求めていないのがわかった。口元が笑みの形。でも目が、笑ってない。
「一葉……?」
「なぁに、兄さん」
俺に向けられる一葉の笑顔は本物だ。嬉しそうに、飼い主を見る犬みたいな瞳。
こいつはそうだ。坂上の家の人間なんだって、俺は唐突に思い出した。
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