第29話 たくらみごと2

 無性に煙草が吸いたくて堪らない。

 考えが、纏まらない。

 自分の部屋の窓を開けて、ひんやりした空気を招き入れながら俺は、右手でライターを弄る。

 一葉は食後の珈琲を飲んだ後、また来るって言ってすぐに帰って行った。あいつが俺を慕ってくれてるのは本心だと思う。だけど何か、裏があるような気がして仕方ない。

 弟を疑うなんて最低な兄貴だとは思う。でも一葉が今いて、俺もいたあの家はそういう場所だったんだ。

 自分の目的のために他者を利用する。平気で傷つける。

 一葉が唯さんへ向けた視線はまるで、利用価値があるのか値踏みしているみたいだった。だけど俺や唯さんを利用することが、あいつにどうプラスになるのかがわからない。

 一葉は本当に、俺に会いたいだけでここへ来たんだろうか。

 自分の考えが嫌になって、ため息を吐いた。

 煙草の代わりを求めた俺は、手の中のライターを机に置いて部屋を出る。向かったのは隣の部屋。ノックしたらすぐに返事があった。


「春樹さん? どうかしました?」


 唯さんは、自分の部屋で壁に寄り掛かって本を読んでいたみたいだ。


「抱き締めに来ました」

「は? え?」


 真っ赤になって、唯さんは動揺してる。

 部屋に入ってドアを閉めて、唯さんの目の前に屈んだ俺は、彼女の温もりを抱き寄せた。すっぽり腕の中におさまった身体から、胸にじわじわ、安堵が広がる。


「……勉強が進まないんですか?」

「少し、こうしててもいいですか?」

「やだって言ったらどうします?」

「やだは拒否します」


 小さく笑った唯さんは、俺の背中に手を回して抱き返してくれる。

 彼女の髪に頬を寄せて、俺はまた一葉のことを考える。

 起きてもいないことを心配するよりも、俺はちゃんとあいつを知って、交流してみるべきなんだろうな。

 例えあいつが望んでくれても、俺はもうあの家には帰れない人間。だからもしあいつに何かあるんだとしても、外からしか助けられない。

 こんなどうしようもない俺に、何が出来るのかはわからないけど。


「春樹さん?」

「はい」

「悩み事?」

「……はい」

「聞きますよ? お役に立つかはわからないですが」

「こうして、あなたの時間を俺に奪わせてくれるだけで、十分です」

「そうですか。私も、あなたの時間が私でいっぱいになるのは好きです」


 顔を覗いたら唯さんはほわりと笑った。俺も微笑みを返して、でも不満を一つ。


「最近、あんまり翻弄されてくれませんね」

「成長です」


 胸を張りたそうな唯さんの声と表情に、笑みが溢れた。更に身体を寄せて少しだけ、俺は唯さんに体重を預ける。


「勿体無い気もしますが、これはこれで好きです」

「ふふっ、なら良かったです」

「なんだか元気が出ました」


 ありがとうの気持ちを込めてキスをした。触れ合った唇が、温かい。

 すぐに離れたら、目を開けた唯さんが蕩けるみたいにゆっくりと微笑んだ。その顔を見たらもう一回したくなって、軽く音を立ててキスして、離れる。


「何かあったら、また来てくださいね」

「はい。お邪魔しました」


 最後に彼女の額へキスを落として、俺は自分の部屋に戻る。

 机に向かってみたら、不思議と勉強が捗った。


   *


 一葉は毎日店に来た。珈琲飲んで、客として店で夕飯を食べて行く。勉強をしていたり俺や唯さんと話したり、楽しそうに過ごしてる。

 ただ、子供の頃にこんなことがあったって一葉が言ったことを俺は思い出せなくて、そうするとあいつは寂しそうに笑うんだ。それがなんだかすげぇ申し訳なくて、でもいくら考えても思い出せなくて、焦る。


 小学生の頃の記憶は朧げで、そこより昔になるともっと曖昧になってるみたいだ。でもまぁ、散々喧嘩で殴られたりゴルフクラブを頭に振り下ろされたりしたから、その所為かもしれないな。


 金曜は歩も来て、一葉と二人で仲良さそうに話してた。唯さんや陣さんがたまに呼ばれて会話に参加して、なんだか楽しそうにしてる。

 一葉が溶け込んでる様子に、俺は胸を撫で下ろした。

 閉店後、唯さんは歩と一葉と三人で出掛けるって言って、何故か俺の同行は断られた。でも、俺も用事があったから丁度いい。

 夕飯は外で適当に食うことにして、俺は一人電車に乗って買い物に出た。


 明日はホワイトデー。だから、バレンタインのお返しを買いに来た。

 水族館に行くからそれでいいかと思ってたんだけど、陣さんにダメ出しされたんだ。恋人へのお返しはアクセサリーだろだって。

 そういうの、俺はよくわからない。わからないから、陣さんのアドバイスに従うことにした。


「ホワイトデーのプレゼントですか?」


 アクセサリーショップに入るとすぐに寄ってきた店員に、はぁまぁって適当な相槌を打つ。店員が相談に乗ってくれて、予算だとかを聞かれた。


「あ、これ……」

「ご覧になります? こちらは周りの小さな石がダイヤ、淡いブルーの石はアクアマリンを使用しておりまして――」


 ダイヤって言われてビビったけど、値段見たら予算内だ。

 唯さんのイメージピッタリのネックレス。気に入ってもらえるかなって考えたらそわそわして、小さな紙袋ぶら下げて帰るのがなんだかくすぐったかった。


   ※


 悩んだ。小さな箱を机の上に置いてすっげぇ悩んだ。

 それで決めた。


「唯さん。これ、バレンタインのお返しです」


 朝飯の後で着替えてから、唯さんの部屋に行って淡いブルーのリボンが付いた小さな白い箱を差し出す。

 本当は、出掛けた先で雰囲気のあるところで渡すのがいいぞって陣さんに言われたんだけど、バレずに持って行く方法が思い付かなかったんだ。

 俺は鞄を持たない。財布もスマホも全部服のポケットに突っ込む。春先で、上着のポケットに隠そうにも不自然に膨らんだ。

 だから出掛ける前。出来れば付けてくれないかなって願望込めて渡すことにした。


「可愛い……」


 ブラウニーをもらって夜景にも連れて行ってもらったんだからよかったのにって、唯さんは困った顔してる。

 でも頬が、ほんのり赤く染まってた。

 緊張して見つめる先で、箱の中を見た唯さんの口元がゆるりと緩んで、なんだか落ち着かない気分になる。


「これからの季節に微妙かなとは思ったんですけど、唯さんといえば雪かなって。だから、雪の結晶」


 六つの小さなダイヤと淡いブルーの石がキラキラした雪の結晶。

 付けてくれって唯さんからねだられて、ドキドキしながら俺の手で唯さんの首元を飾り付ける。

 キラリ揺れる小さな雪の結晶。やっぱり彼女に似合ってる。


「可愛いです。気に入りました。すっごぐ嬉しい」


 自分の部屋の鏡で確認した唯さんの喜びようが、俺も嬉しい。こんなに喜んでもらえるのなら、陣さんのアドバイスを聞いて買いに行ったのは大正解だ。


「似合ってます。良かった」


 溶けるんじゃないかってくらい、俺の顔は緩んでる。にやけた口元を見られるのが恥ずかしくて、片手で覆って隠した。


 デートで向かうのは都内の水族館。だから電車を使った。都内を動き回るのは車より電車の方が便利だ。

 手を繋いで隣を歩いてる唯さんがやばいくらいに可愛い。

 淡いブルーのショートトレンチとふわふわのスカート。足元はパンプスで、露出してる脚が綺麗だ。

 大人可愛いファッション、最高。


「春樹さんは気付いていましたか? 今年はバレンタインもホワイトデーも、両方土曜日なんです」


 手を繋いでいない方の人差し指を立てて、唯さんが楽しそうに笑う。


「そういえばそうですね。デート出来て、丁度いいです」

「ですね! 水族館なんて子供の時以来です」


 スキップでもし始めそうだ。見てみたい。でも、してくれないかな。


「何やら意地悪なお顔ですね?」

「そうですか? ……唯さん、スキップ出来ます?」

「出来ますよ? ほら」


 ためらいなくやってくれた。

 きょとんとしながらも三回跳ねた。

 パンプスが鳴らす音までクソ可愛い。


「なんですか? なんでスキップですか? なんのいたずらですか?」

「いや、ただ唯さんのスキップが見たくて。ありがとうございます」

「……春樹さんもやってください」

「嫌です」

「えー、見たいです。水族館に浮かれてください」

「浮かれてます。だからスキップなんて発想が出たんですよ」

「よく考えたら私、バカな子みたいじゃなかったですか? なんてことをやらせるんですか!」

「可愛かったです」


 唇尖らせて赤い顔。

 あー……可愛い、楽しい。この人と歩くだけでも俺、楽しくて堪らない。

 電車に乗って、唯さんの手が離れたのが残念。それぞれ吊革掴んで窓の外を眺める。


「毎朝私、この電車に乗ってました。ぎゅうぎゅうで、乗るのも降りるのも一苦労」


 去年の暮れまでの生活を思い出してるのかな。でも唯さんの表情は穏やかだ。


「俺、朝のラッシュに電車乗ったことないんです。すごいんですか?」

「すごいなんてものじゃないです。押し込まれます。ある程度身を任せていないと死んでしまいます」

「そんな状況で、身を任せていいんですか?」

「下手に踏ん張ったり押し返したりすると報復されるんですよ。戦いに勝てる気がしないので、私は脱力することを覚えました」


 なんだそれって思ったけど、すごく大変なんだってのはわかった。乗りたいとは思わない。

 実家にいた時、通学は徒歩だった。少し遠くに移動する時は車。一葉は遠いところに通ってたから毎日車で送り迎えされてたなって話したら、唯さんの目がまん丸になった。


「運転手付きですか? 世界が違います」

「両親は自分達のことで忙しかったですから。雇われた大人はたくさんいましたけど誰も、俺らと会話しようとはしなかったですね」


 特に俺は荒れてたし、誰も関わって来ようとはしなかった。一葉も家の中ではむっつり黙っているか、俺を睨んでたことくらいしか覚えてない。

 昔のことを考えてたら、唯さんの手が俺の手に触れた。

 隣を見ると心配そうな顔。

 微笑んで、俺はその手を握り返す。


「あなたに会えて、良かったです」

「な、何故こんなところで……」

「すみません。唐突に言いたくなりました」


 耳まで赤くなった唯さん。

 降りる駅に着いたから、俺は黙って手を引く。改札を抜けたところでぼそりと、私もですだって。

 唯さんが真っ赤な顔で照れてるから俺も照れる。口元隠そうとしたら手を掴まれた。隠すなってことらしい。


「見ないでいいですってば」

「私ばかり見られて悔しいです。可愛いです」

「ほらもう、行きますよ!」


 顔を逸らしてぐっと手を引いたら、唯さんがくすくす笑う。

 コツコツついて来る足音。

 ペース速くないかなって振り向くと目が合って、微笑まれた。

 腕に唯さんが抱きついてきて、彼女は楽しそうに笑ってる。腕に絡みつく温もりと重みが心地いい。

 これまで行きたいと思ったことはなかったけど、はしゃぐ唯さんと一緒に回る水族館は、想像以上に楽しかった。

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