第30話 たくらみごと3

 水族館ではイルカやアシカのショーを観たりクラゲを眺めたりしてから昼飯食べた。

 全部回り終わって外に出ても、まだ三時過ぎ。


「釣り堀があるみたいですね」


 ぐいぐい唯さんが俺の腕を引いて向かったのは、水族館の近くにある公園。唯さんが釣りに興味があるとは知らなかった。


「釣り、やりたいんですか?」

「はい!」


 うーん……。唯さんの服装を見て、俺は無言で悩む。


「明日か、また来週にしましょうか。折角可愛いのに濡れたり汚れたら勿体無いです」


 釣り具は全部レンタル出来るけど、今の唯さんの服装と釣り堀は合わない。靴も、滑るかもしれないから危ない。


「まさかこんなところに釣り堀があるとは……事前に調べて、服装を考えれば良かったです」


 やたら悔しそうな唯さん。そんなに釣りがやりたかったのかな。


「釣り、好きなんですか?」

「やったことないです。でも春樹さんが釣りを好きだと聞いたので、やりたいかなって」


 毎回デートが唯さん好みの場所ばかりなのが気になっていたらしい。気にしなくてもいいのに。でも気遣いが、嬉しい。


「俺は唯さんとなら、歩いてるだけでも楽しいんです。でも、釣りに興味があるなら今度一緒にやってみますか?」

「……やります」


 赤い顔で擦り寄られた。

 釣りは今日は断念して、散歩がてら釣り堀の近くまで行ってみることにした。

 休日だし、カップルや家族連れが多いみたいだ。


「ここ、バーベキューも出来るみたいですね」

「釣った魚を食べるんですか?」

「いえ、釣り堀とは別みたいです。釣った魚はリリースするんですよ」


 陣さんとは海釣りに行くことが多い。でも初心者で海釣りは退屈だろうな。


「釣った魚を食べたいなら、ちょっと遠いですけど出来るところがあります。釣れるかはわからないですけど」


 休憩でベンチに座って、スマホで調べてこんな感じってのを見せてみる。興味を持ったみたいで、唯さんの顔が輝いた。


「私にも出来るでしょうか?」

「どうかな。教えます」

「はい! よろしくお願いします」


 釣りもやってみたいことの一つだったんだって。それなら一緒に行ってみるのもいいかもしれない。

 唯さんの提案で、帰ったら陣さんを釣りに誘ってみることを決めて、今度は駅に向かって歩きだす。

 次の目的地は東京タワー。

 ずっと都内に住んでる唯さんだけど、いつか行こうと思い続けててのぼったことがないんだって。俺もないから、のぼってみることにした。


 展望台に着いたのは夕暮れ時。

 オレンジ色に包まれた景色が、すごく綺麗だ。日が沈むのを窓に張り付いて眺めて、眼下に星みたいな灯りが広がってからもう一つ上の展望台に行く。


「すごい……。バレンタインの時の夜景も素敵でしたけど、ここも最高です」


 夜景が見えるようにだろう、周りは薄暗い。

 窓に張り付く唯さんを後ろから囲い込んで、密着した。

 ホワイトデーだからか、カップルが多い。そいつらは夜景とお互いのパートナーに夢中。だからか唯さんも、じっと俺の腕の中にいてくれる。


「こら」


 ぺしりとおでこを叩かれた。

 耳にキスくらい許してくれる雰囲気かなって思ったんだけど、ダメだったみたいだ。


「外では嫌です」

「すみません。我慢出来なくて」

「我慢してください。顔が赤くなって、明るいところに行けなくなっちゃう」

「赤みが引くまで、ここにいればいい」

「そうも行きません。そろそろ帰らないと」


 夕飯は家で食べることになってる。店の暇な時間に陣さんが何か作るって言ってた。

 時計を確認したら、そろそろ帰る時間だ。


「唯さん、また来たいですか?」

「はい! でも他にも行ってみたい場所があります」

「ならいろいろ、回ってみましょう」

「楽しみです」


 近くてすぐ行けるけど、相手がいないと行こうとは思わないような場所。次はどこに行こうか話しながらの帰り道、唯さんも俺も笑顔で楽しくて、家までがあっという間だった。


 俺今日、誕生日だった。


「忘れてたんですか?」


 きょとんとしてる唯さん。

 俺は苦笑いで頷く。


「デートとか唯さんへのブレゼントをどうしようって考えてたら、すっかり頭から抜け落ちてました」


 俺の誕生日は三月十四日。

 ホワイトデーなんて今まで無関係なイベントだったし、誕生日と言っても陣さんと酒飲んだりするくらいで、これといって特別に祝ったことなんてなかった。

 だけど今年は、すごい。


「まだまだ二十二か。ガキだな」


 義雄さんだけじゃなくて、俺に良くしてくれてる陣さんの友達が全員。店の常連さんもいて、一葉も歩もいる。

 まるで、喫茶店での貸切パーティー状態。


「昨日こそこそしてたのって、これですか?」

「そうです。サプライズパーティーです!」

「本当にサプライズですね。ありがとうございます」


 家に着いたら陣さんがいなくて、唯さんが店に見に行ったんだ。

 俺はリビングで待つよう言われて、少し後に唯さんの声で呼ばれた。下で飯を食うのかなって思いながら店に続く階段を下りた先、みんなが勢揃いしてて、驚いた。

 誕生日おめでとうって言われて俺は、今日はホワイトデーで俺の誕生日でもあったんだってことを思い出したんだ。


「兄さん、こんなに知り合いがいるんだね」

「全部陣さんがきっかけくれた知り合いだけどな。みんな、良い人達だよ」


 ふーんって呟いた一葉は寂しそうにしてる。まったくうちの弟はって笑って、俺は一葉の髪をぐしゃぐしゃ撫で回す。


「ありがとう。一葉」

「ぼ、僕は何も……」

「会いに来てくれた」


 俯いて泣きそうになった一葉を連れて、集まってくれたみんなにお礼を言って回る。俺の弟だって紹介したら驚かれた。俺が、陣さん以外の家族の話を全くしなかったからだ。


「ひょろい坊主だなぁ。飯はちゃんと食ってんのか?」


 源三さんも来てくれてて、常連の爺さん婆さんが一葉の食生活を心配してる。

 キヨさんは来られなかったからって、源三さんが預かったって言ってビニール袋を渡してくれた。中身はおはぎ。キヨさんのおはぎは最高にうまいんだ。


「顔は、似てるかしら?」

「あらでも春樹ちゃんの方が男前よ」

「若いからまだまだこれからね」


 おばさん達に囲まれて、一葉が困ってる。坂上の家に来るおばさん連中をあしらうのは上手いくせに、気を使ってるのかな。

 一葉を救出してから、来てくれた人達への挨拶回りを終えた俺は、陣さんのところに戻った。


「二十二歳、おめでとさん」

「ありがと、陣さん」

「企画は歩ちゃんと唯ちゃん。協力は一葉。料理は俺」


 俺に隠れて連絡取り合ってたんだって。

 一葉はいつの間にか歩と繋がってたらしい。無理矢理スマホを奪われて登録されたんだってむくれてるけど、実は嬉しいのかもしれない。

 俺とも交換するかって試しに聞いてみたら、しばらく悩んでから、頷いた。


「バレない名前で登録する」


 スマホの中身、見られるのかな。……見られるんだろうな。

 たまに一葉は寂しそうに、何かを考えてる様子で黙り込む。どうした? って聞いてもなんでもないって言うから、それ以上は俺も踏み込めない。

 それならと思って、俺は歩を呼んで一葉をバカみたいに笑わせた。

 酔ったオヤジ連中にも絡まれ始めたら余計なことを考える余裕はなくなったみたいで、一葉は楽しそうにしてる。


「こんな楽しい誕生日、初めてです」


 酒飲んで、陣さんが作ってくれたうまい飯食って、みんなが笑ってる。感謝を伝える俺を見上げた唯さんも、俺の好きなふんわり優しい顔で笑ってくれた。


 次の日我が家は屍だらけ。

 店の常連さん達はみんな近所の人だから、わいわい飲み食いして頃合いを見て帰っていった。

 その後が大変で、日曜休みの陣さんの友達が残って飲み明かしたんだ。俺もかなり飲まされたけど、今回は泥酔するまでは飲まなかった。


「お酒臭い……」


 昨夜泊まった一葉がリビングに入って来て、顔を顰めてる。

 陣さんは屍の一員で、歩はまだ唯さんの部屋で寝てる。

 唯さんと俺は、屍達を跨ぎながら酒盛りの後片付け中。


「五月の誕生日、一葉も酒飲んでみるか?」


 一葉は五月で二十歳になる。もうすぐ酒を飲める歳。俺の提案に、一葉は眉根を寄せた。


「興味はあるけど……こんな風になるのは、嫌だな」

「極端に弱かったり、飲みすぎたりしなければ大丈夫だって。初めては可愛らしく度数の弱いチューハイからかな」

「……兄さんは日本酒が好きなの? この前一升瓶抱えて飲んでたし、昨夜も日本酒だった」


 この前っていうのは俺が記憶をなくした時か。あの時、俺はどうやら一人で一升瓶を空にしたらしい。そりゃあ記憶もなくなる。


「陣さんが日本酒好きでいろいろ飲ませてもらったから、俺もハマった」


 片付ける手を動かしながら答えた俺の脇にしゃがんで頬杖ついて、一葉はふーんって呟いた。


「兄さんは叔父さんが大好きなんだね」


 不満そうな顔でしみじみ一葉が言うもんだから、俺は笑って手を伸ばす。くしゃりと一葉の髪を撫でて、立ち上がった。


「腹、減ってるか?」

「昨夜食べすぎたから、あんまり」

「なら珈琲飲むか」

「うん」


 台所では、唯さんが既に珈琲の支度をしてくれてるところだった。唯さんが淹れてくれた珈琲を受け取って、三人で台所に立ったまま珈琲を啜る。

 リビングからは酔い潰れて寝てるオヤジ共のイビキの大合唱。

 一葉は顔を顰めて、俺と唯さんは苦く笑った。


「僕ね……」


 ぽつりと言葉を落とした一葉へ視線を向けると、一葉はカップの中の珈琲にじっと視線を注いでる。


「本当は僕、兄さんを連れ戻せたらって、考えてた」


 そのためにいろいろと考えたんだって、まるで堰を切ったように一葉の口からは言葉が溢れ出した。


「政略結婚させて坂上の家に兄さんは有用だってアピールしようかとか。……父さんを退けて僕がトップになるまで待ったら、兄さんはもっと遠くに行っちゃう。だから、焦った。ここに来てからは、唯さんを上手く使って兄さんを脅したら戻ってくれるかなとか……本当にいろいろ、考えたんだ」


 俯いてる所為で一葉の表情はわからない。ただ声は、少しだけ震えていた。

 俺と一緒に黙って一葉の言葉を聞いてる唯さんは、ただただ、優しい顔をしてる。


「でもどれも……先を考えれば僕が兄さんに嫌われちゃう未来しか見えない。僕には兄さんしかいないのに、兄さんに嫌われるなんて……意味がないんだ」


 俺は片手を伸ばして、一葉の頭を抱えるようにして抱き寄せた。

 一葉は大人しく、俺に身を寄せる。


「塩むすび……僕には本当に特別で、兄さんだけが僕の家族だった。僕の利用価値を考えてないのは兄さんだけだった。僕は兄さんを、取り戻したかったんだ。……僕は兄さんと、叔父さんや父さんみたいな関係になりたくないっ」


 小刻みに震える身体。俺は片手で一葉の頭をぽんぽん撫でる。そんな俺の手からそっと、唯さんがコーヒーカップを受け取った。一葉の手からも、唯さんはカップを取ってシンクに置く。

 目が合うと、彼女はふわりと静かに、微笑んだ。


「ならねぇよ。歩み寄りってのは、片方が拒絶してたら出来ないんだ。陣さんと親父は、親父の方が陣さんを拒絶し続けてる。だからどうにもならない。でも俺たちはこうして、歩み寄れる」


 陣さんから何度か聞いたことがある。陣さんが実家を嫌う理由。俺と会ったあの時まで、俺たちが陣さんに会ったことがなかった理由。

 陣さんはあの家に、あの家の人間達に馴染めなかった。だから放り出された。二度と家の敷居を跨ぐなって俺たちの爺さんに言われて、見返すために頑張ったけどあの時まで本当に、家の敷居を跨ぐことを許されなかったんだ。


『でもよぉ……大嫌いで、良い思い出なんてないはずなのにさ、血の繋がった家族だからって、期待しちまうんだ。兄貴とも、いつか分かり合える日が来るんじゃねぇかなんて……な』


 期待して、でもダメで。話も聞いてもらえなくて、何度足を運んでも頭を下げても無視される。視線を向けてすらもらえない。


『家族って、簡単に捨てられるもんじゃねぇよ。捨てた気になったって、やっぱりふとした時に気になる。歳をとれば丸くなって、いつかお前とこうして酒を飲むみたいに、兄貴とも……』


 その先の言葉を陣さんは言わなかった。

 口にはしなかったけど、続く言葉はわかった。「酒が飲みてぇな」だ。


「一葉、お前の誕生日、やっぱり一緒に酒を飲もう。実家で何か祝いをやるのかもしれないし、俺はそっちには顔を出せないけどさ。ここで今日みたいに、みんなで騒ごう」


 俯いて震えてる一葉は、鼻を啜ってる。どうやらまた、泣いてるみたいだ。


「お酒飲むなら、兄さんの好きな日本酒がいい」

「あぁ。酒のうまさ、教えてやる」


 こくこく何度も、一葉は頷いた。その拍子に、涙が床にこぼれ落ちる。

 唯さんが無言で差し出してくれたタオルを受け取って、一葉は涙と鼻水を拭った。


「兄さん、僕……ここが好き」


 顔を上げた一葉の目と鼻は赤い。涙はまだ瞳を濡らしてる。でも顔に浮かぶのは照れたような、明るい笑み。


「……俺もだよ」


 笑みを返してから俺は、可愛い弟の頭を、愛しさを込めて撫でた。

 俺は一度全てを捨てた。全部を諦めた。

 でも一葉は俺を諦めないで、会いに来てくれた。歩み寄ってくれた。

 あの頃は周りを傷つけるだけだった俺だけど、今は俺の手の中には、いろんな人から与えられた優しい温もりが溢れてる。

 もらうばかりじゃなくて俺も、与えたい。

 一葉の髪を泣きそうになりながら撫でて、俺は心からそう思ったんだ。



 酔っ払いオヤジ共は昼過ぎにぽつぽつ起きだして、昼飯食ったらそれぞれ挨拶して帰って行った。

 よく集まる飲み会に今度唯さんも連れて顔を出せって言われて俺は、考えておくって答える。

 唯さんが嫌がらなければ、歩も一緒に連れて行くのもいいかもしれない。


 一葉と歩は夕方頃まで、歩がうちに置いてるゲーム機で遊んでたけど、暗くなる前に喧嘩しながら仲良く帰って行った。


「なぁ、陣さん」


 夕飯も終わって、唯さんは風呂に入ってる。

 俺はリビングで、陣さんと一緒に緑茶を啜りながらニュース番組を眺めてた。

 テレビ画面から視線を外さないままでの俺の呼び掛けに、陣さんもテレビを見たまま応じる。


「……俺もいつか、親父や母さんと酒、飲めるかな」


 呟いたら、くしゃりと髪を撫でられた。こうやって陣さんに頭撫でられるの、実は俺、嫌いじゃない。


「諦めなければなんとかなる。なんて綺麗事は経験上言えねぇけどな。諦めないのは悪いことじゃねぇって、俺は思ってる」

「……努力だけじゃなんともならないこともあるって、俺も知ってる。でもやっぱり『いつか』が、俺にも陣さんにも、来たらいいなって思うんだ」

「……そうだな」


 お互い顔は見なかったけどなんとなく、どんな表情を浮かべてるかは想像がつく。

 この人が引き上げてくれたからこそ、今の俺がいる。実の親よりも大きな存在。でも両親がいなければ俺は、産まれていない。

 人の生って不思議だ。

 上手くいかないことだらけ。でも、それだけじゃないって俺は知ってる。教えてもらった。

 俺をここまで引き上げてくれた陣さんはでっかくて、優しくて、とっても温かい。

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