第27話 握り飯の記憶4
大量に作ったおにぎりは案の定余った。だから一葉が自分の家で食えるように、タッパーに詰めておく。
あいつは、あれヤダこれヤダ言うわりになんでも食えると思う。口に無理矢理突っ込めば、文句も言わず嬉しそうに食ってた。
おにぎりにこだわってるのは、なんでなんだろ。
「思い出、だからじゃないですか?」
洗い物しながら隣にいる唯さんに疑問をこぼしたら、そんな答えが返ってきた。
「昨夜、春樹さんがお膝で寝ちゃってからお話したって言ったでしょう? 一葉くん、春樹さんが作って持ってきてくれるおにぎりが本当に嬉しかったみたいですよ」
「……俺、覚えてないんです。子供の頃のあいつも思い出せない」
一葉がそんなに大事にしてくれてる思い出なのに、思い出せない俺は薄情だなって、落ち込む。
「やってもらった方にとっては特別でも、やった方にとっては当然のことって感覚だったなら、覚えていないものなのかもしれませんね」
「……そういうものですかね?」
「可能性はあります。また思い出、たくさん作りましょう?」
「はい」
無性にキスしたくなって、顔を寄せたら唯さんからしてくれた。触れるだけのキスは幸せのキスだ。
「てか俺、膝で寝たんですか?」
さらっと「お膝」とか言われたけど、覚えてなくて勿体無いことをした。
後悔してる俺の前で、唯さんは黙って真っ赤になる。
「思い出して赤面する、何があったんですか?」
「唯ってたくさん呼んでくれて……心臓、壊されそうになりました」
「唯って、呼ばれたい?」
食器洗いは終わり。水止めて手を拭いて、真っ赤な唯さんを抱き寄せる。
「難しい質問です。たまにだからキュンとする、というのもあります」
「そうですか。あとは?」
「あとは、敬語じゃなくなって、声が甘くて甘くて……思い出しただけで私、ドキドキしてます」
瞳をしっとり濡らした唯さんは、俺の胸元に顔を隠した。でも、見えてる耳が赤い。
「酔った春樹さんは可愛くて。素面の春樹さんは格好良くて。どっちも好き」
「俺も、唯さんの甘えん坊なところも甘えさせてくれるところも、好きです」
「お、それは昨夜は言ってませんでした。増えました」
「マジで昨夜、俺は何を言ったんですか?」
動揺してる俺の声を聞いて、唯さんは機嫌良さそうに笑ってる。
顔を上げてくれないから、可愛い旋毛を見つめた。
「酔ってるから忘れちゃうだろうけどごめんねって言って、愛の言葉をたくさん。忘れてても本心だよって」
「は、恥ず……っ」
愛の言葉の内容までは聞くのはよしておこう。
多分心の中で思ってたことを俺は、酔って軽くなった口から垂れ流したんだと思う。覚えてたら多分、恥ずかし死んでる。
「あんなに可愛い酔い方なら、また酔っていいですよ」
「そこまで酔うのはなかなか無いと思います」
「私の方が先に潰れてしまいますもんね」
「昨夜は平気だったんですか?」
「はい。昨夜は春樹さんがあまりにもハイペースなので、心配で控えておきました」
「それはなんだかご迷惑を……」
「いいえ。ラッキーでした」
ふんわり微笑んだ唯さんが俺を見上げて、背伸びする。
次の日に唯さんがこんなに機嫌良くなるならまた酔うのもいいかもな、なんて……キスを受け止めながら俺は思う。
「兄さんが甘々のとろとろだ……」
「こらカズ。声出したらダメだろ」
子猿二人がこそこそ盗み見してたみたいだ。
俺の腕の中で、唯さんが真っ赤になってうろたえてる。
「ガキ共、こんなので赤くなってんなよ?」
いたずら心が湧いた。
ニヤッと口端上げて笑う俺を見た唯さんが察して逃げようとしたけど、一拍遅い。左手でがっちり腰を捕まえて、唯さんの顎を優しく掴んで口付ける。
深く、濃く、執拗なキス。
背中を叩かれてるけど、段々抵抗が弱くなる。
抵抗が無くなって、体重預けられる重みを感じてからやっと、俺は唯さんの唇を解放した。
赤く濡れた唇がはふはふ空気を取り込もうとしてて、瞳がとろとろに蕩けてる。仕上げにべろりと唇舐めて、唯さんの頭抱き寄せて可愛い顔を隠した。
「盗み見は後悔するって、学んだか?」
「まな、学びました」
「卑猥! 春樹の変態オヤジ! カズ、子供の私らはゲームしよ!」
「猿子さんの所為だよ! 恥ずかしいなぁもう!」
「逃げた。カズ、お前ぜってぇチェリーだろ」
「はぁ? 女の子が何言っちゃってるの! はしたない」
「はしたないとか、いつの時代の人だよ」
「猿子さんそれで大学生? なんだか残念」
「お前に言われたくねぇわ!」
逃げながらぎゃいぎゃい騒いでる二人の声を聞きながら、俺は唯さんに背中を拳で叩かれて叱られる。
もうもう
「車で送らなくていいのか?」
陣さんも交えてみんなでゲームして、夕飯は俺が作って歩と一葉も一緒に食べた。二人とも明日学校だって言うから送ろうとしたんだけど、一葉が電車で帰るって言い張る。
「バレたら来られなくなるから危険は犯したくないんだ。また、来てもいい?」
「……わかった。飯、食いに来い。平日は毎日店にいるから、何かあったら来いよ」
「うん! また来る」
何度も振り返りながら去っていく一葉を見送って、俺は歩を車へ促した。唯さんもドライブがてら一緒に行く。
「なんで送ってくだけでバレる危険があるの? どうしてバレたらまずいの?」
後部座席に座った歩が首を傾げてる。唯さんも不思議そうにしてて、どうするかなって、俺は悩む。
「俺が逃げたから、あいつが跡取りなんだ」
「だから?」
「……だから多分、見張られてる」
「は?」
運転しながらミラー越しに見た二人の顔は、見事にぽかんとしてる。歩は坂上の家のことまでは知らない。だから余計に理解出来ないと思う。
「俺のことがあったから、一人暮らしをしたいって我儘がはいそうですかだけでは許されなかったと思う。毎日べったりではなくても、何かそばにいるんだろうな」
一葉はそれを俺に言う気はないみたいだけど、多分当たりだと思う。あいつは俺たちと連絡先の交換をしなかった。念のため、だろうな。
「俺と陣さんと会ってるってバレたら、あいつは連れ戻される。下手したら軟禁されるかもな」
「うぇ……あんた達の家ってなんなの?」
「一般的じゃないお家」
このことに関して俺は何も出来ない。俺が関わると、上手く行くことも上手くいかなくなる。あの家や親や親戚連中との付き合い方は、一葉の方が比べ物にならないくらいに上手いんだ。
「で、俺は役立たずで厄介者の兄貴」
乾いた笑いが漏れる。
唯さんは無言で俺の腿に手を置いて、後部座席では歩がうんうん唸ってる。普通の家庭で育った歩には理解出来ないだろうな。
「私さぁ、昨夜陣さんとカズの話をちょこっと聞いたの。カズは、春樹を助けたかったけど助けられなかったって言ってた。でも陣さんは会いに来たのが偉いからいいんだってカズを褒めてて……。んーと、よくわかんねぇけど、なんかカズはずる賢そうだし春樹に会えるだけで嬉しそうだし、それでいいんじゃねぇの?」
だからつらそうな顔で一葉に会うなっていう歩の言葉で、俺はふはっと噴き出して、笑いが溢れる。
「真面目に言ってんのに笑うなよ!」
「悪い。馬鹿にしたわけじゃなくてすっげぇ嬉しくて。ありがとな」
「お、おぅよ」
こんな俺でも慕ってくれるのなら、俺も精いっぱい返せることを返そう。
信号待ちの時にチラリと見た唯さんは、俺と目が合うとにっこり笑ってくれた。それだけでどうしようもなく満たされて、一葉にもそういう気持ちを分けてやれたらいいなって、思った。
***
小さな手で、見よう見真似で作った。
食べたかったんだ、一緒に。
家族でおにぎり食べてるのを何かで見て、きっとこれならって、思った。
「おかあさん……」
差し出した歪な塩むすび、一瞥しただけで無視された。
「おとうさん、これ……」
「食べ物で遊ぶ暇があるなら勉強をしろ。弟に負けて悔しくないのか!」
怒られて、最後に向かった部屋には小さな弟。
「一葉……お腹、空いてない?」
「……空いた」
「いっしょに食べよう?」
「うん!」
見つかったら怒られる。だから押入れに隠れて、懐中電灯を付けて真っ暗なピクニック。
「兄さん……しょっぱくてじょりじょりする……」
「だねぇ。次はもっとおいしいの、作るね?」
「うん。また、来てね?」
「うん! また来る」
小指と小指で、約束した。
二人内緒のピクニック。
一葉は毎回食べてくれた。
嬉しそうに、笑ってくれた。
それがどうしようもなく嬉しかった。
丸く握れるようになった頃、遂にバレた。
「この出来損ない! 弟の足を引っ張る気なのね!」
バシンて音と、頬に熱。
皿が落ちて割れる音。
床に転がったおにぎりは、庭に落ちて黒くなった。
「おか、さん……ぼく……」
一緒に食べたかったんだ。
仲良くなりたかった。だって、勉強してて見たんだよ。
同じお釜のご飯を食べると、仲良くなれるんだ。
どうして、うちはご飯を一人で食べるの?
どうして、弟と遊んだらいけないの?
どうして、どうして、どうして……。
「よそのお母さんは、おにぎり作るんだって」
「ふーん。ならぼくのお母さんは兄さんだね!」
「……一葉は、ぼくが来ると勉強の邪魔?」
「そんなことないよ! さみしいからまた来て? 本当はね、いっしょに寝たりしたいよ」
「ぼくも、さみしい」
夜中こっそり一葉の部屋に行ったら、一葉が泣いていた。
怖い夢を見たんだって言うから、本で読んだお母さんみたいに隣に寝て、とんとんって、お腹を叩いてあげた。
眠くなって、いつの間にか同じ布団で寝てた。
朝起きて、今度はお父さんに怒られた。
「馴れ合うな、強くなれ! ただでさえ負けているんだ。長男のくせに甘ったれるな!」
痛い、怖い、悲しい。
でも寂しいから、一葉に会いに行く。一葉はいつも、笑ってくれる。
お兄ちゃんだから弟を守る。だけど……生意気だって怒られる。口答えするなって、見えない場所を殴られた。
「一葉の痣、あなたがやったんでしょう? 見たって子がいるのよ?」
違う。だから、報復しなくちゃ。
「お前は勉強も出来ないくせに問題ばかり……嫌な奴を思い出す。その目はなんだ? 反抗的だな」
痛い、悔しい、悲しい。
「兄さん、もう……来ないで」
「どうして? 迷惑?」
「……うん。勉強の、邪魔だから」
なんにも上手くいかない。
仲良くしたかった。
守りたかった。
寂しかった。
それだけだ。
嫌な記憶に、蓋をしよう。
***
「気持ちわる……」
真っ暗な部屋で目が覚めて、頭がぐあんぐあんした。
ベッドボードの上に置いてあるスマホを取って時間を確認したら、まだ夜中の三時。夜はまだ寒い時期だってのに、変な汗を掻いてる。
寝直そうにも気持ちが悪くて、水を飲むために部屋を出た。
冷蔵庫から出したミネラルウォーターを飲んで、多少吐き気は落ち着いた。けどなんだか、気分がどんより重たい。
「春樹さん?」
眠そうな声。唯さんだ。
冷蔵庫に寄りかかって片手で額をおさえてる俺を、彼女は心配そうに見てる。
「どうしました?」
「喉が渇いたなって目が覚めて……。春樹さんこそ、具合悪いですか?」
喉が渇いたっていうから持ってたペットボトルを差し出すと、彼女はこくこく飲んでほっとしたように息を吐く。それでまた、俺の顔をじっと見つめた。
「夢見が悪かったのか気分悪くて……冷たい水を飲んだら大分落ち着きました」
暗い台所で小声の会話。
何かが引っ掛かって、頭が痛い。
「頭、痛いの? 痛み止めいりますか?」
そばに来た唯さんがそっと俺の頭に触れる。俺は目を閉じて、されるがまま撫でてもらう。
「大丈夫です。気にしないで寝てください。俺も部屋、戻るから」
「怖い夢は、話すと楽になるって言いますよ」
「あー……それが、内容覚えてなくて。なんだか嫌な感じがしたなってくらいです」
「……添い寝、いります?」
そんなに具合悪く見えるのかな。すごく心配そうに、顔を覗き込まれてる。
「頭、撫でて欲しい」
「いいよ。寝るまで撫でていてあげる」
ふわり笑った唯さんに手を引かれて、二人で俺の部屋に入る。ベッドに入れって唯さんに動作で示されて、俺は素直に従った。
「そばにいてあげるから、安心して寝てね」
「俺はガキですか?」
「いいから。目を瞑ってください」
隣で横になった唯さんに頭を抱えられて髪を梳かれてる。それはすごく心地よくて、少しずつ身体から力が抜けた。
「母親って……こんなん、かな」
「安心する?」
「する。……すげぇ、眠い」
「おやすみ、春樹さん」
「ん。おやすみなさい」
唯さんの手に吸い込まれるみたいに頭痛は無くなって、今度は朝まで、夢を見なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます