第5話 縮まる距離2

 彼女がドリアを食べ終わっても陣さんが戻って来ない。

 もうとっくに戻っていてもいい時間だ。これはおかしいし、とても怪しい。

 嫌な予感がしたから、居住スペース兼休憩室代わりの二階に続くドアへ静かに近付いて、音を立てないように開けてみたら、そこにいた。

 階段に座っていた陣さんと目が合って、俺は眉をちょっと上げて呆れの表情を作る。

 ちょうど境目のそこは、暖房の熱も行き届かなくて寒かったはずだ。


「サボりか」

「バレたか。マスターの気遣いだよ」

「どんな気遣いだ」

「雪で客足が途絶えてるだろう? まぁそういうことだ」


 どういうことだってツッコミ入れるのはやめておいた。妙な気を使って、俺と彼女を二人きりにしたんだ。

 陣さんがサボるのは構わない。むしろゆっくりしてくれたら嬉しい。だけどそういう変な気遣いは、なんだか居た堪れない。


「お嬢さん、雪が好きなんだって?」


 サボるのをやめた陣さんが彼女に近付いて話し掛けた。彼女は笑顔で頷く。


「はい。好きです。でも転んで濡れてしまいました。ずぶ濡れでお店に来てしまって、本当にごめんなさい」


 しょんぼり落ち込んで、彼女は空になったマグカップの淵を指先で撫でた。


「お嬢さんが大きな怪我してないならそんなのは気にしないで。それより、新雪を踏みたいならいい場所があるよ。雪だるまもそこで作るといい」


 幼い子供がするようにこてんと首を傾げた彼女から俺へと視線を移した陣さんが浮かべたのは、からかいの笑みに近い、でもそれよりも少しだけ、優しさが滲んだ表情。その意味を理解出来ず眉間に皺を寄せた俺の肩へ、陣さんは右手を置いた。


「庭。今日はもうお客さんも来ないだろうし、お前には彼女の安全を監視する役目を与える。心してかかれ」


 とことん俺に甘い陣さん。

 照れ臭さから失敗した笑みを誤魔化すように顔を逸らして、俺は頷いた。


「コート、取ってきます。ちょっと待っててください」

「俺の部屋にスキー用の手袋があるから、持ってこいよ」

「あいよ」


 一人だけ何もわかっていない彼女を置いて、俺は二階へ上がる。

 手袋は、雪掻きに必要だろうと出していたのを見たから場所はわかる。

 エプロンを外した喫茶店の制服の上にダウンジャケットを羽織り、手袋を持って一階に戻った。

 彼女は陣さんに言われたんだろう、コートを着てフードも被って準備万端だった。どこに向かうのかがわからない所為で首を傾げながらも、期待で瞳を輝かせている。


「じゃあ雪だるま制作、行ってくる」

「おう! でっかいの作れよ」

「こっちです」


 陣さんに見送られながら彼女を促して、裏口から庭へ出た。雪はまだ降っている。


「まっさらです! すごい! 踏んでいいですか?」

「どうぞ。転ばないでくださいね」

「はい!」


 長靴をザクザク雪に埋めて、彼女は無邪気な顔で笑ってる。


「店員さん! 雪ウサギを作りましょう!」


 存分に踏みしめたのか、彼女は庭の端に屈んで雪を集め始めた。


「待って。これ、してください」


 彼女に近付いて、俺は手袋を差し出す。

 雪で濡れた手を眺めて困った表情を浮かべた彼女のそばへしゃがんで、濡れた手を俺のズボンで拭ってから手袋を無理矢理嵌めさせた。


「店員さんは面倒見がいいですね。洋服、濡らしちゃいました。すみません」


 困ったように眉根を寄せて俺を見上げてくる彼女を、可愛いと思った。


「どうせ雪で濡れます。あと春樹はるきです。春の樹木って書いて、春樹」

「へ?」

「俺の名前。お客さんは?」

「…………ゆいです。ただって書いて、ゆい

「唯さん。雪ウサギ作ったらでっかい雪だるまも作りましょう。店の飾りです」

「はい! ――春樹さん」


 はにかんだ彼女の笑みを間近で目にした俺の心臓が、きゅうっと音を立てて縮こまった。名前を呼ばれたことをこんなに嬉しく感じるなんて、初めてだ。

 雪を掻き集めながら、溢れる笑いが止められない。隠せない。

 俺は彼女が好きだ。

 無邪気な笑顔で雪遊びをしている年上の唯さん。名前と歳しか知らない人だけど、ハマりそうな自分を予感した。


   *


「ココア代が入っていません」


 暗くなるまで存分に雪遊びして、支払いをしようとした唯さんが浮かべているのは不満顔。


「あれは俺が勝手に作ったので、俺が払います」

「ダメです。お金のことはきっちりしないとダメですよ。マスターも言ってあげてください」

「あー。その辺は春樹に任せてるからなぁ」


 助け舟を得られなくても唯さんは諦めず、頬を膨らませて俺を睨んでる。


「マスターがそう言っても、やっぱりダメです。この前は珈琲を奢ってもらっていますし、そういうの、ダメです」


 意外と強情な唯さん。

 怒った顔も可愛くて、俺の頬は勝手に緩む。


「それならココア代は頂きます。代わりに家まで送らせてください。また転んで怪我でもされたら困ります」

「意味がわかりません! 結局私に得しかないです!」

「得だと、思ってくれるんですか?」


 ゆるゆるに締まりのない表情で首を傾げて見せたら、唯さんの顔が真っ赤に染まった。


「な…………なんですか! 年上をからかうものではありません! 女たらしです! 春樹さんは、女たらしなんですか!?」

「まぁまぁ唯ちゃん。毎日来てくれる常連サービスってことで。明日もまた来てよ」


 一人パニックに陥りだした唯さんの頭を撫でて、陣さんが話を纏めてくれる。

 未だ不満げに唇尖らせてるけど埒が明かないと判断したらしい唯さんは、ココア込みの会計を済ませた。


「んじゃ、ちょっと行ってくる」

「あいよー。ちゃんと送り届けろよ」

「マスター、ごちそうさまでした。雪遊びも楽しかったです」

「いえいえ。またお待ちしています」


 陣さんに見送られて、俺達は店を出た。

 あれだけ降っていた雪はやんでしまっていて、積もった雪の上を恐々と進む唯さんの隣を、俺も足元に気を付けながら歩く。


「家、どの辺ですか?」

「すぐそこです。近いんです」


 いつもは座ってるからわからなかったけど、立ってると唯さんの顔は意外に近い。寒さで赤くなってる耳に触れたくなるような近さだ。


「そんなに恐々進まないとダメですか?」

「だって、転んだの痛かったです」

「帰ったら膝も消毒してくださいね」

「はい。ちゃんとします。お風呂染みそうですよね」

「そうですね、染みそうです」

「……春樹さん」

「なんですか?」

「あそこ、いいお店です」

「……俺も、そう思います」


 俺の顔を見上げた唯さんは、白く柔らかな雪のように無垢な表情で、笑った。

 他愛のない会話をしながら辿り着いたのは、店からすぐ近くの木造アパート。二階の一室で、一人で暮らしているらしい。

 セキュリティなんて無さそうだし、女の人の一人暮らしって大丈夫なのか、心配になってしまう。


「唯さん。困ったことがあったら『坂の上』を頼ってください」

「ありがとうございます。また、明日」

「お待ちしてます。おやすみなさい」

「おやすみなさい。春樹さんも、気を付けて帰ってくださいね」

「はい。気を付けます」


 小さく手を振って、唯さんはアパートの階段を上って行く。

 彼女の背中が見えなくなるまで見送って、俺は店への道を引き返した。



 昨日の雪は、記録的な豪雪だったらしい。

 飛行機の欠航、電車遅延、スリップ事故に怪我人の数。朝のニュースは雪の所為で起こった様々な問題を伝えている。

 俺はいつもより早く起きて、陣さんと店先の雪掻きをした。全部端に盛ってカマクラにする予定だ。

 店の前の道には、電車の遅れを考慮したらしき人達がちらほら歩いている。中には常連さんもいて、雪は参るねなんて世間話をしてから通り過ぎて行ったりもした。


 店の庭には昨日唯さんと作ったでっかい雪だるま。

 小さいのや雪うさぎも囲むようにいて、この寒さなら今日はまだ溶けないなと考えて俺は胸を撫で下ろした。

 雪掻きの後はいつもより早く店を開ける。

 早めに家を出て来た近所の会社の人が、時間潰しがてら休憩するかもなっていう目論見。それは当たって、いつもの朝より忙しくて、昼のピークを過ぎるまでがあっという間だった。

 昨日一昨日の暇な分が少しは取り戻せたんじゃないかなって、安堵しながら俺は休憩に入った。


「こんにちは、春樹さん」


 休憩から戻ったら唯さんが来ていた。いつもより早いし、席もカウンターだ。

 陣さんと話しながらブレンドを飲んでたみたいだ。


「いらっしゃいませ。今日は転びませんでしたか?」

「大丈夫です。ゆっくり歩くために早く出て来ました。あの……これ、昨日のお礼です」


 ためらいがちに唯さんが差し出してきたのは、近所のドラッグストアのビニール袋。受け取って中身を取り出して、思わず俺は噴き出した。


「あ、やっぱり笑われました。マスターにも笑われたんです。でも雪掻きでお疲れかなって」


 俺の手の中には「お疲れのあなたに」と書かれたパッケージ。湿布みたいに貼るやつだ。


「お菓子とかも考えたんですよ? でも本業の方に素人の手作りなんてって思って」


 肩を震わせている俺を見て、眉毛をへにょりとさせて困った顔。彼女なりにいろいろ考えた結果らしい。


「嬉しいです。ありがとうございます。朝から雪掻きをして疲れたので、寝る前に使わせてもらいますね」


 途端にほっとした表情になって、唯さんはほんわか笑顔になった。


「入口の横にあるカマクラを見ました。すごいですね。まるで雪国です」

「中、入ってみますか?」

「入っていいんですか?」

「作った時に俺も入って確認したんで、崩れたりはしないと思います。明日になったら溶けそうだし、今の内ですよ」

「是非! 入りたいです!」


 唯さんは頬を紅潮させて興奮してる。それを見て笑みをこぼしていた俺の肩を、陣さんが軽く叩いてきた。


「安全の監視。行ってこい」

「陣さんの休憩は?」

「まだ大丈夫だ」

「マスター。私は一人でも大丈夫ですよ?」


 首を傾げている唯さんに、陣さんが明るく笑いかける。


「いいからいいから。客足途絶えてる内にさっさと行ってこい」


 強引な陣さんに送り出され、俺達は外へ出た。

 唯さんにはコートを着るよう言ったけど、俺は制服の白シャツと黒のベスト姿。寒いけど、少しの間なら平気だろう。


「中は暖かいんですね。カマクラなんて初めて入りました」


 穴は一人入るのがやっとくらいしか開けていないから、穴の中でしゃがんだ唯さんが俺を見上げた。

 嬉しそうな唯さんの笑顔のおかげで、俺の胸の中がほかほか温まる。


「ありがとうございます。こんなに雪を堪能したのは初めてです。春樹さんとマスターのおかげです」


 満足して出て来た唯さんが穏やかに笑った。こんな俺でも、彼女を喜ばせて笑顔に出来たのならすごく嬉しい。


「春樹さん、薄着で寒いですよね。中に戻りましょう」

「俺は大丈夫です。もういいんですか?」

「はい! 満喫です!」


 鼻の頭を赤くして無邪気に笑う唯さんと一緒に店の中へ戻った。


 いつもの席に座った唯さんは、窓の外の雪だるまを眺めながらいつものミックスサンドを頬張っている。

 暗くなるまで外の雪景色を楽しそうに眺めて、帰る時の彼女は寂しそうな顔をしなかった。


「ごちそうさまでした」


 会計に来た唯さんが浮かべているのは穏やかな笑み。唯さんが笑ってくれるなら雪も悪くないものだなんて、俺は現金なことを考える。


「帰り、道が凍ってそうなので気を付けてください」

「はい! ゆっくり、そろーりと歩きます」


 昨日送った時の歩き方を思い出して、溢れた笑いを拳で隠す。でもバレた。


「また失礼なこと考えていそうです。……あ! でもその先はいらないです!」

「あなたが、可愛いと思っただけです」

「い、いらないと言いました」


 真っ赤な顔で俯いた彼女。

 俺の心臓が、存在を主張する。

 あなたのこと、もっと知りたいです。でも俺のことは知らないで。

 相反する気持ちを抱え、俺は彼女に笑顔を向ける。


「また明日、お待ちしています」

「はい。また明日、来ます」


 柔らかに笑った彼女は澄んだ鈴の音と共に帰って行った。

 また明日。

 彼女の笑顔に会えることが、堪らなく楽しみになった。

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