3 不良な俺と綺麗な彼女
第6話 不良な俺と綺麗な彼女1
道の端に寄せられた雪はもう、雪じゃなくて氷。
雪掻きされた部分は歩きやすいけど、人通りの少ない道は溶けた雪がびしゃびしゃになっていて、それが夜の冷えた空気で固まり凍ってる。
明日は早めに起きて店先の氷を溶かさないといけないななんて考えながら、俺はコンビニへ向かって歩いていた。
吐き出す息は煙草の煙みたいに白い。そう考えたら途端に吸いたくて堪らなくなって、速足になる。
切らした煙草を買いに行くついでのおつかい。
陣さんが熱燗を飲みたいって言うから、日本酒とつまみを買いに行く。まだスーパーは開いている時間だけどうちからスーパーは少し遠い。雪道で自転車は危ないし、コンビニを選んだ。
暗い夜道からまぶしいほどに明るい店内へ入れば、耳慣れた電子音が鳴る。
店内の暖かさに自然と息が漏れ、寒さで強張っていた体からは力が抜けた。
煙草は最後。まずは酒を選ぼうとカゴを手に取り酒コーナーへ向かうと、見知った横顔を見つけた。
すっぴんの唯さん。なんだか得した気分だ。
「こんばんは」
「へ? あ、春樹さん! こんばんは」
いつもと違う部屋着っぼいラフな服装。髪はいつも通り下ろしていて、風呂を済ませた後なのか化粧をしていない。
彼女の素肌はまるでゆで卵。触り心地も、良さそうだ。
「お買い物ですか?」
「はい。酒と煙草を。唯さんもお酒、飲むんですね?」
唯さんが持っているカゴの中身は缶チューハイ数本に、つまみ代わりらしきお菓子が数個。
酒に強そうなイメージがなくて意外だなって考えていた俺を見上げ、唯さんはほんの少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「本当はあまり得意ではないんですけど……一度、潰れるくらいに酔ってみたいなと思って。それを今日決行してみようかと」
何か、嫌なことでもあったのかな。でもそんなの、俺が聞いていいものか悩む。
「嫌なことがあったわけじゃないですよ? ただの気まぐれです。今までしなかったこと、してみたくなっただけです」
微妙な間から読み取ったのか、唯さんが答えをくれた。
彼女の顔に浮かぶのは穏やかないつもの笑み。だけどいつもより薄い眉毛が新鮮で、可愛らしい。
「一人酒なら、うちに来ますか? 俺らも二人で熱燗飲もうかなって買いに来たんです。潰れるのも、一人より誰かいた方が楽しいですよ」
「そう、ですね。……寂しいので、お邪魔してもいいでしょうか?」
「えぇ。喜んで」
寂しいと言った時に滲み出した表情が心底寂しそうで、でもすぐにそれを誤魔化すような笑みを浮かべて彼女は俺を見上げた。
知りたい。何がそんなに寂しいの?
どうして潰れるほど酒を飲みたいだなんて思ったんだ?
知りたい、知りたい、あなたのこと。
「煙草、吸われるんですね?」
「やめるべきかなとは思ってるんですけどなかなか、難しいです」
陣さんと俺好みの辛口の日本酒と唯さんの缶チューハイ。乾き物のつまみとお菓子も買ってコンビニを出た。
会計の時に唯さんの分も払おうとしたら軽く怒られて、今回は俺が引いて日本酒は唯さん持ち。
「煙草って、おいしいですか?」
早速一本吸いたかったけど唯さんが一緒だし我慢しようと決めた俺の横で、彼女はなんだか興味津々。
「うまいかって聞かれたら微妙ですけど……吸ってみます?」
「はい。吸ってみたいです」
彼女の返事に驚いた。冗談、だったんだけどな。
首を微かに傾けた唯さんが俺を見上げてくる。
年齢的に問題無いからいいかのかなと思い、コンビニ横の喫煙スペースへ向かった。
「煙草ってたくさん種類があるんですね。買ってみようと思ったんですけど、よくわからなくて」
「あー。初めてはいきなり買っても吸いきれなかったら勿体無いですよ。これはメンソールですけど、比較的吸いやすいかな」
「なんという名前ですか?」
「マルメラ」
「美味しそうな名前です」
煙草のパッケージを開けながら思わず噴き出した。
発想が可愛い。唯さんの頭に浮かんでるの、きっとラーメンだ。
「咥えて、口で息吸って火を付けるんです」
俺が箱から取り出した一本を受け取り、ためらいがちに咥えた唯さんの前へライターの火を近付ける。
煙草の先が赤く燃え、口から息を吸い込んでいた唯さんは、激しく咽せた。
やっぱり、そうなると思った。
「大丈夫ですか? 水飲みます?」
苦しそうに咳込んでいる唯さんの背中を片手で叩きつつ、コンビニ袋からミネラルウォーターを取り出した。蓋を開けて渡してみたけど、激しく咽せている所為で飲めそうにない。
唯さんが辛うじて指に挟んだままの煙草は今にも落ちてしまいそうで、見兼ねた俺はそれを受け取り、唇で挟む。
「死にます。苦しいです」
「なら合わないんですね。買わなくて正解です」
ペットボトルを両手で握って涙目の彼女。
彼女の背中を摩りながら、俺は吸いさしの煙草の煙を肺へ溜め込む。唯さんがいるのとは逆の方へ顔を向け、白い煙を吐き出した。
「やっばり春樹さんは大人です。煙草、そうやって吸ってみたかったです」
五歳年上の彼女。動作が幼いし童顔。言うことも好きなことも子供っぽくて愛らしい。だけど……こんな俺を、尊敬しているみたいな表情浮かべて、真っすぐ見上げないでくれ。
「煙草を吸えるから大人ってわけじゃないです。これは、俺が大人ぶって虚勢を張るための道具の一つです」
「……私も、その虚勢の道具が欲しいんです」
寂しそうな横顔。彼女も何か、抱えているんだ。
「酒、飲みに帰りましょう」
「はい」
煙草の火を揉み消して、灰皿へ落とす。
乾いた地面に置いていた袋を取って振り向いたら、唯さんは穏やかな笑みを浮かべていた。
こんな俺じゃ、力になれないかもしれない。でも、それでも……彼女が望むことがあるのならそれを、叶えてやりたいなと思ったんだ。
店の中でも繋がってるけど、店を閉めている時には裏口の階段から二階へ上がる。
鉄製の階段。滑っても受け止められるよう、唯さんを先に上らせた。
「どうぞ」
「お邪魔、します」
頬を赤く染め、どこか照れている様子の唯さんを家の中へ招き入れた。
玄関入ってすぐは狭い廊下。左手側に俺と陣さんの部屋と物置部屋が並び、右手側がリビング兼ダイニングキッチン。突き当たりに風呂とトイレがある。
よく考えたら人を家に招くのは初めてだなと思いつつ、俺はリビングへ続くドアを開けた。
「おかえりー、熱燗待ってたぜ! …………いらっしゃい」
「す、すみません。お邪魔します……」
「コンビニで会った。一人酒するって言うから誘ったんだ」
唯さんの姿を見つけて一瞬固まった陣さんは、俺の顔を見て嫌な予感のする笑みを浮かべた。からかいたくてうずうずしているような、最近よく見かける笑い方だ。
気色悪い笑みを浮かべた陣さんを無視して俺は、唯さんが脱いだコートを受け取りソファへ座るよう促す。
「熱燗を作ってくるので先に飲んでいてください」
「あ、あの! お手伝いします」
コンビニ袋から日本酒の瓶を出して台所へ向かおうとした俺を、唯さんが追い掛けてきた。温めるだけなのに何を手伝うのかなと疑問に思っていたら案の定、唯さんは困ってる。
「熱燗って何をするんですか?」
ほんとこの人、バカ可愛い。
「徳利に移して湯煎するだけです。日本酒も、後で飲んでみますか?」
「はい。職場の飲み会でもカクテルしか飲めなくて……日本酒、憧れます」
「仕事、何してるんですか?」
「お恥ずかしながら今は無職です。去年の暮れに辞めてしまいました」
俺が彼女に気付いた時期だ。
いつもの帰りがけの暗い表情。仕事を辞めたことと、関係があるのかな。
「なら、今は人生の休養期間なんですね」
きょとんとして、ゆるゆる穏やかな笑みに変わって、唯さんは俺を瞳に映した。
「はい。ちょっと、お休み中です」
お猪口三つとグラス。あと夕飯の残りもつまみ代わりにローテーブルへ運んで、三人で酒を飲む。
テレビは人気のお笑い芸人が司会をしているバラエティ番組。
唯さんは、缶チューハイ一本を飲み干しただけなのにもう顔が真っ赤になっている。
「お酒、強くないんですね」
「そうなんです。日本酒、苦いです」
「女の子いるのっていいなぁ! でもあんまり無理して飲むなよ、唯ちゃん」
「だいじょぶですマスター! 今日は潰れるんです。春樹さんが責任を取ると言っていました」
「まぁ、取ります。でもいきなり日本酒ぐいぐいは、多分やばいですよ」
「日本酒、おいしくないです」
ほんの少しずつ舐めるようにしてお猪口へ口を付けていた唯さんは、不満そうに顔を顰めている。俺はその手からお猪口を回収して、新しい缶チューハイを開けて唯さんのグラスへ注いだ。
「春樹さんはさっきから平気な顔で間接ちゅーしてます。不埒です」
唯さんが残した日本酒を一息で喉へ流し込んだら、唇を尖らせた彼女から文句を言われた。
呂律が怪しくて、多分酔ってる。
「さっきからって何? 春樹は何をしたんだ?」
「それがですね、マスター。さっきコンビニで、私が口を付けた煙草を奪って吸ったのです。不埒です。いけない男です。女たらしです。騙されてしまいます」
「それはまたぁ、春樹は不埒な野郎だ」
にやにや笑った陣さんが彼女を煽ってる。でも俺も、唯さんの台詞に顔が緩むのが隠せない。
「唯さんを騙したりなんてしないですけど、騙されてくれるんですか?」
「ほらこれです! 私はおバカなのでころっといきますよ! いいんですかっ?」
「いいですよ」
突然奇声を発した彼女が立ち上がった。
足をもつれさせながら陣さんの後ろへ隠れ、背中の服を掴んでる。
「ま、マスターどうしましょう。年下男は危険です」
「かっわいいなぁ唯ちゃん! おじさんもメロメロだぁ」
「おい変態オヤジ、その手を離せ」
背中に隠れて俺を窺っていた彼女を、陣さんが抱き締めた。途端、不快感が頭を支配する。
「やっだぁ春樹ぃ、独占欲? まだお前のもんじゃねぇのに?」
「ぅるっせぇ変態オヤジッ! セクハラだぞそれ! しかもオカマ言葉キメェんだよッ」
「た、大変です。春樹さんが不良さんになりました」
目を丸く見開いた彼女の言葉で、冷水浴びせられた気になった。
素が出た。嫌われる。
焦って固まった俺へ向かって優しく笑い掛けてから、陣さんが唯さんの頭を撫でる。
「唯ちゃんは不良が怖い?」
「不良の方は怖いですけど、春樹さんは怖くありません」
手のひらに触れると、溶けだす雪。優しく体温に馴染む、柔らかな結晶。柔らかに、染み入るような笑みを浮かべた彼女が陣さんのそばから離れ、俺の隣へ座った。
なんでもなかったようにグラスへ口を付けてチューハイを飲み始めた彼女の存在。
俺の胸に、穏やかな熱が広がる。
「格好いいとすら、思いました」
なんて無防備な笑みで、なんてことを言いだすんだこの人は。
手を伸ばしてもいいのかな。こんな俺でも。…………だけど過去が、話せない。嫌われる。幻滅される。
「春樹さん」
「…………はい」
「あなたは若いのに偉くて、すごいです。私なんかよりも全然大人で、いい人です」
「そんなこと、ないです」
「いいえ。私はそう思います。あなたは素敵な人です」
何にも知らない彼女に、彼女の笑顔に、救われたような気になった。
無性に泣きたくなって、俯く。
触れない距離。だけど近い。
隣で静かに酒を飲んでいる唯さんの体温を感じるような、不思議な感覚。
彼女の横顔を盗み見て俺は、この人が欲しいと、心の底から思った。
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