第19話 大人で子供の俺たち2

 目が覚めると、腕の中にいた唯さんと目が合った。


「おはよ、唯さん」


 寝ぼけながら挨拶したら、唯さんの顔が真っ赤に染まる。


「おは、よう。……あの……私?」

「何もしてない。隣で寝ただけ」

「そ、うですか」

「がっかり?」

「鼻血出そうです」

「チョコ食いすぎました?」

「違います。なんでもないです」


 大丈夫かなって確認しようと彼女の髪を掻き上げたら、唯さんが俺の胸元に擦り寄って顔を隠した。

 顔が真っ赤でくっついてくれてるから、一緒に寝たのは嫌じゃなかったみたいだなと思ってほっとする。


「男の人なのに、どうしてそんなに色っぽいんですかっ」

「よくわからないですけど……俺にとっては唯さんの方が、色っぽいです」

「ありがとうございます……」


 照れた。可愛い。

 朝から俺の顔は溶けそうだ。


「今日唯さん、何か予定はありますか?」

「ないです。会社を辞めてから人に会うのも億劫で……。友達とも連絡、取ってないんです」

「そうですか」


 それならうちで働くのも誰にも言ってないのかな。急遽決まったことだし、ここなら安全みたいだ。

 唯さんの髪を撫でながら考えて、きゅうっと彼女の身体を抱き締める。


「は、春樹さん?」

「朝飯作りますね」

「手伝います」


 唯さんがこっちを向いたから、触れるだけのキスで朝の挨拶。

 幸せで死にそう。

 ベッドから出て、くぁーって伸びをして眠気を飛ばす。ベッドの上の唯さんにじっと見られてるからなんだろって首を傾げてみたら、唯さんがまた赤くなった。


「いや、あの…………寝起き、可愛いなって」

「朝は気が抜けますからね。ガキっぽいですか?」

「違います。可愛いんです」


 ニュアンスの違い? 何かこだわりがあるのかな。


「あなたはいつでも可愛いです」


 微笑み掛けたらまた赤くなる。そして何故か怒る。これは唯さんの照れ隠しだと思う。


「そういえばケーキ、どうしましょう?」


 高い物で、予約しないと食えないみたいだし。念のために聞いてみた。

 唯さんは少し悩んでから、拳を握り締める。


「ケーキに罪なし!」

「了解です。珈琲淹れますね」


 智則は普通の会社員みたいだし、毒とかはないと思う。家庭が壊れたわけでもなし。危なくはないとは思うけど、毒見してから唯さんに食べさせよう。

 唯さんが身支度を整えてる間に、台所で朝飯と珈琲の用意。俺と陣さんは、朝飯がケーキだけなのはつらい。


「珈琲、私が淹れてもいいですか?」

「お願いします」


 台所に来た唯さんの申し出に快く頷いた。勉強熱心だな。


「はよー。お二人さん」

「おはようございます、マスター」

「はよ。陣さんも昨日のケーキ食う? 唯さんの許しが出た」

「おー、食う」


 唯さんはケーキだけでいいって言うから、朝飯は二人分。唯さんにも手伝ってもらって、机に朝飯とケーキを並べた。


「つまみ食いですか?」


 チョコのホールケーキ。切り分けて、包丁に付いたクリームを指で掬って口に入れた俺を、唯さんが微笑んで見てる。だから俺も、にっこり笑って頷いた。


「うまいです」


 変な味も匂いもしなかった。普通のケーキ。だから大丈夫だろう。

 唯さんはうまそうにケーキを食ってる。俺と陣さんも朝飯の後にデザートとしてケーキを食う。予約しないと買えないだけあって、すっげぇうまかった。


 義雄さんのところに唯さんも一緒に行くことになった。

 陣さんが助手席で、唯さんは後部座席。バックミラーで見えた唯さんは、楽しそうにニコニコしてる。


「楽しそうですね、唯さん」

「はい! マスターとお出掛け、初めてです。嬉しいです」

「俺も唯ちゃんとお出掛け嬉しいな」


 顔見合わせて「ねー?」とか、中年オヤジがやるのは厳しい。キモい。

 陣さんが後ろを振り向いて、二人は仲良く会話してる。

 俺は運転しながら、煙草が吸いたい。

 運転中、信号で止まったりすると吸いたくなるんだ。イライラとハンドルを爪でカチカチ鳴らしていたら、唯さんと陣さんの連携で棒付きの飴を口に突っ込まれた。


「レモン味です」

「春樹ちゃんがんば!」


 バックミラー越しににっこり笑う唯さんと、オカマ声の陣さん。

 俺は飴を咥えたまま噴き出して笑った。


「頑張る。ありがと」


 陣さんは煙草を吸わない。昔は吸ってたけど、舌がバカになるから禁煙して成功させたんだって。だから俺も出来る。やってやる。


「禁煙すると太るってこういうことなのかな?」

「俺も一時期太ったな。イライラするから食に走る」

「げぇ。太るのヤダな」

「お前はまだ若いんだし、運動しとけ」

「運動だりぃ」


 陣さんと会話しながらバックミラーで唯さんを見ると、何か考え込んでる。どうしたんだろって声を掛けようとしたら、彼女は鞄に手を突っ込んで大量の棒付き飴を取り出した。


「たくさん買ってしまいました。飴はダメでしたか?」


 真剣な顔。俺も陣さんも笑って、だけど彼女はまだ真剣に悩んでる。


「運動します。だから俺がイライラしてたら飴ください」

「運動もお手伝いします」

「一緒に走ります?」

「はい!」


 唯さん走るの遅そうだな。すぐにバテそう。


「またあなたは、失礼なことを考えたでしょう」


 睨まれた。

 俺はカラリと口の中で飴を動かして、とぼけることにする。


「なんのことでしょう?」

「バックミラーであなたの顔、見えるんですよ」

「読心術ですか?」

「春樹さんは失礼なことを考えてる時、一つ前の表情で一旦停止するんです」

「俺、そんな癖あるんですか? 知らなかった」

「はい。そして少し、意地悪な顔になります」

「よく見てますね」


 唯さんが一旦停止。で、照れた。

 チラリ横目で見た陣さんは優しい顔。なんだか俺も恥ずかしくなって、無言で運転に集中することにした。


 義雄さんの店では子猿が待ち構えてた。店番してるっていうより、俺を待ち構えてたって言うのがしっくりくる。

 店に入った俺を見た途端、ドスドス足を鳴らして近寄って来て、後から来た唯さんを見て目を丸くした。


「歩、どうした?」

「どうしたって……あんたがどうしたんだよ? 何してんの?」

「何がだよ。義雄さんは?」

「裏にいる。ちょい待て」

「おぅ。頼むわ」


 歩の背中を見送りながら舐め終わった飴の棒を噛んでたら、唯さんに取り上げられた。


「いつまでも咥えていたら危ないです」

「子供じゃないですよ」

「でも、見てて怖いです」


 ティッシュでくるんでから彼女がゴミを鞄に仕舞おうとするから受け取って、カウンターの裏にあるゴミ箱に捨てた。

 義雄さんはすぐに来て、俺らに挨拶してから豆の用意をしてくれる。


「春樹、ちょい来い」


 俺は子猿に呼び出された。

 唯さんは、陣さんと義雄さんと雑談中。

 面倒臭いけど、無視する方がうるさそうだから俺は歩に近寄る。外に出ろって促されて、駐車場に連れ出された。


「んだよ。うぜぇな」

「その顔がお前だ。何? 詐欺でもしてんの?」

「いきなり人を詐欺師呼ばわりか。頭わいてんじゃねぇの?」

「てめぇの頭がわいてんだろ。あんな清純そうな人、騙してんのかよ」

「マジうぜぇ。なんでそうなんだよ」


 こっちは禁煙中でイライラしてるのに、難癖付けられて更にイラつく。

 舌打ちしたら腹パンされそうになったから、手のひらで受け止めた。


「女だからって調子こいてんなよ」

「本当のお前隠して付き合うなんて、詐欺だ」

「過去は話した。それで? 何が言いたい? お前は俺の女か?」

「ちっげぇよ! このクソ男っ」


 蹴りは食らっておいてやった。


 言いたいことはわかる。敬語の俺は仕事用だ。素の俺は、口もガラも悪い。

 でも仕方ねぇじゃん。

 唯さんに怯えられるのはつらいんだ。唯さんに見せてる俺だって、俺だ。ただ口調を優しく丁寧にしてるだけ。それは詐欺なのか? ダメなことなのか?

 俺だって、変わりたい。変わることはダメなことなのかよ。


 イライラした様子で去っていく歩の背中を見送ってたら、無性に煙草が吸いたくなった。

 車の運転席側にしゃがみ込んで、ライターいじって暇を潰す。

 煙草吸いたくてイライラする。飴もらおうにも、今唯さんに近付いたら怖がられる。笑顔を作れる気がしない。


「春樹さん?」


 唯さんの声にぴくりと身体が揺れたけど、顔を上げるのはやめておく。

 今の俺の顔、ダメだ。見られたくない。


「何かありました? 歩さん、泣いていました」

「…………正論突き付けられて、イラついて、俺がキレただけです」

「そうですか。飴、舐めます?」

「欲しいです」

「では、今度はイチゴです」

「ども」


 差し出された飴を、顔を上げないまま手を伸ばして受け取って、口に入れる。

 少し舐めただけですぐ、ガリガリ噛んだ。

 そしたら唯さんの手が、俺の頭を撫でる。

 この人のそばは、優しい気持ちになれるんだ。イライラが溶かされる。だから笑ってる。嘘でも詐欺でもない。それだけなんだ。


「歩、泣いてたんですか?」

「はい。傷ついた顔をして、奥に行ってしまいました。義雄さんが放っておけと仰るので、歩さんのことはよく知りませんし、春樹さんを探しに来ました」


 優しい手。

 もっと俺のこの黒い感情を溶かして欲しくて、目の前で屈んでる彼女に甘えるみたいに抱きつく。唯さんは何も言わないで抱き返してくれた。髪をそっと撫でてくれる。


「唯さん」

「どうしました?」

「キスしてもいい?」

「ダメです」

「なんで?」

「外です。昼間です。だから嫌です」

「じゃあ、我慢します」


 飴が無くなった棒を手に持つ。

 立ち上がるふりして、唇を奪った。軽く触れるだけ。子供のキスだ。

 顔を離して窺った先の唯さんは、真っ赤でぷるぷる震えて、怒ってる。


「もう! 油断も隙もありません!」

「すみません。でも元気になりました」

「ずるいです。そんな風に笑うの、ずるい」


 どんな顔だろ。でも多分、心底ほっとして、ゆるゆるの顔だと思う。

 立ち上がってから唯さんの腕を引いて、彼女も立たせてから、抱き締める。


「唯さんは、やっぱり大人なんですね」

「そうですか? そんなことはないと思いますけど」

「なら、俺がガキすぎるのかな」

「そんなことも、ないと思います」


 あやすように背中を撫でられた。

 唯さんは何も言わないで、聞かないで、俺を見上げてただ微笑む。


「戻りましょうか」

「はい。そろそろ終わるはずですし、運ばないと」

「私もお手伝いします」

「持てます?」

「持てますよ」


 結局唯さんは一袋でさえよたよた危なっかしくて、あんまり戦力にはならなかった。


   *


 家に戻って昼飯食ったら、三人で物置部屋の掃除をした。

 こまめに掃除してたおかげで埃は溜まってないから、物を動かして人が住める状態にしただけ。ベッドはないから、寝るのは布団だ。


「申し訳ないですが、しばらくお世話になります」


 正座した唯さんが、陣さんと俺に向かって頭を下げた。

 飯作りは俺の修行でもあるから、居候の間掃除と洗濯を唯さんがやってくれることになった。

 家賃を払うっていう申し出は、陣さんは拒否する。この人こんなに優しくて、損とかしないのかな。


「誰にでもはやらねぇよ。俺も人を見てる」

「本当か?」

「本当だよ。嫌いな奴には俺、とことん冷たいぜ?」


 まぁ確かに実家には、一歩も近付いてない。陣さんは、俺の両親も親戚連中も大嫌いだ。

 俺と会ったあの時は、陣さんの母親からしつこく連絡が来て、渋々様子を見に来ただけだったんだって。でもそこで初めて会った甥を引き取るなんて、やっぱり人が良いと思うんだ。

 掃除の後は散歩がてら唯さんの家に三人で向かって、証拠の回収と当分必要な荷物を取りに行く。


「昨日は土曜、今日は日曜。家族サービスはどうしてるんですかね?」


 智則からの手紙は今日も届いていた。

 ケーキはおいしかったか。君のために予約したんだよ――だって。

 顰めっ面の唯さんが取り出した、他の手紙数通。内容はメールと大差無い。文才が無いのか、唯さんがまだ自分を好きだと勘違いしてるのか、どっちだろうな。


「イテェな、こいつ」


 手紙を読んで思わず本音が漏れた。俺の言葉に、唯さんも頷く。


「確かに私、チョロかったと思いますけど……さすがにもうこんなのに騙されません! 失礼しちゃいます!」


 唯さんは怒ってる。でもちょっと、それに関しては俺、唯さんの味方が出来そうにない。


「何か言いたげですね」

「……そんなに俺、顔に出てます?」

「困った顔をしています。なんですか? 言ってください」


 唯さんは結構人の顔を見てるんだな。で、鋭い。変にごまかすよりも言ってしまおうと思って、俺は彼女の頬を撫でて、口角上げて微笑む。


「現在進行形で、俺っていう悪い男に騙されてるじゃないですか」


 腰を抱いて身体を密着させてみる。でも珍しく唯さんは赤面しないで、真っ直ぐに俺を見た。


「あなたはちゃんと、秘密があることを私に告げました。そして結局、黙っていることに耐えられなかった。あんなに震えていたあなたを悪い男だとは、私は思いません」


 この人は、綺麗だ。すごく綺麗。

 でもやっぱり、そんなんだと騙されちゃうよ、唯さん。


「俺、ガラも口も悪いです。あなたの前で見せてる笑顔も口調も、偽物ですよ」

「そうですか」

「……なんで、笑ってるんですか」


 彼女はほわりと笑って俺を見てる。


「上手く言えませんが……あなたは、人を騙せるような人間ではないと思います。私はそれを信じます」

「……それ、智則にも言ったんですか?」


 やば。思わず口をついて出た。

 腕の中の彼女を放して俺が焦っていたら、唯さんはきょとんとした後で、何かを考えてる。


「彼には言いませんでしたね。信じていたというよりは信じたかったという感じで、疑ってもいましたから。でも証拠が無ければ、信じるしかなかったです」

「矛盾、してます」

「時として、男女の仲とはそういうものです」

「大人発言ですか」

「まぁ、年上ですし」


 微笑んだ唯さんに頭を撫でられた。

 玄関のところで俺らを見守ってた陣さんも、そういうものだって言って笑ってる。なんだか俺だけがガキみたいだ。悔しいけど、実際俺は、まだ大人になりきれていない。成人だけしてる子供だ。


「嫌みなこと言って、ごめんなさい」

「いいえ。あなたが不安になるのも当然です。私の方こそごめんなさい。……切り替えの早い女だと、呆れていますか?」


 切り替え? 何のことかがわからない。わからないから答えられないでいたら、唯さんは目を伏せて教えてくれる。


「半年も経たず、違う人を好きになってしまいました」

「それは切り替え、早いんですか? だってその間にいろいろあったでしょう。病気の母親支えて、失って……。それだけ濃い半年って、普通と違う時間の流れですよね」

「……やっぱり私、あなたが好き」


 声を震わせた唯さんに、抱きつかれた。

 いつの間にか陣さんはいなくなってたから、どうやら気を使わせたらしい。申し訳ないけど、ありがたい。父親の前で恋人とイチャイチャするのは恥ずかしい。

 二人きりの部屋の中、俺は唯さんの身体を抱き返す。

 童顔で動作が幼い。子供っぽいことも好き。だけど大人の部分もある唯さん。


「俺も、あなたが好きなんです。どうしようもないぐらいに」


 俺の言葉で顔を上げて、泣きそうなのに柔らかく笑った彼女が愛しくて、好きで、大好きで……俺までなんだか、泣きそうになった。

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