7 大人で子供の俺たち

第18話 大人で子供の俺たち1

 唯さんは、車に乗ってると眠くなるみたいだ。それとも今日一日頑張ってくれたからかな。

 こっくりこっくり舟こいで、何度も起きていようと頑張るけど最終的に、睡魔に抗えない。

 起きていようと頑張る姿も可愛くて、俺は話し掛けないで黙って運転する。

 眠る唯さんを隣に乗せて運転するの、好きだ。


「唯さん起きて。着きました」


 ハザード付けて唯さんのアパート前に車を止めて、眠る唯さんをそっと揺り起こす。

 ぼんやり開く瞼が、愛おしい。


「また、寝ちゃった…………」


 掠れた声で自分にがっかりしてる。


「気にしないでください。安心してもらえてるんだって、嬉しいです」


 彼女の頬を撫でると、唯さんはほわりと笑う。

 夜の闇の中、柔らかい空気。

 シートベルト外して、俺は身を乗り出す。俺がしたいことを理解して、唯さんも身体を傾けて目を閉じた。

 俺の左腕は助手席のヘッドレスト。右手は、唯さんの膝の上にある手に触れる。

 唇を何度か重ねて、彼女の顔を見つめた。


「もっと、一緒にいたい」

「私も、です」

「うち来ますか? 帰りは歩いて送ります」


 彼女は目を伏せて、首を横に振る。


「ゆっくり休んでください。明日、会いに行ってもいいですか? 何時に戻ります?」

「昼には」

「ならお昼、一緒に食べましょう」

「はい。明日は俺が作りますね」


 最後にもう一度キスをして、彼女は車を降りる。

 手を振って、アパートの階段を上る彼女を見守った。

 運転席から唯さんのアパートの二階の廊下はよく見える。だから、見守るのは彼女が家に入るまで。

 けど今日は、様子がおかしい。

 玄関のドアの前、鍵も開けずに彼女は佇んでいる。

 俺はハザード付けたままエンジン切って、唯さんのところへ向かった。


「唯さん? どうしました?」

「は、はるき、さん……」


 振り向いた唯さんは、何かに怯えている。

 唯さんを抱き寄せて、彼女が凝視していた玄関のドアに目を向けた。ドアノブに、花束とケーキらしき箱がぶら下がってる。


「これは?」


 聞いたら唯さんが、ぎゅうっと俺に縋り付く。

 花束と白い箱に怯えてるんだとわかって、俺は眉根を寄せた。


「袋の中、見てもいいですか?」


 唯さんが頷いたから、左手で彼女を抱いたまま中身の確認。赤い薔薇の花束と、箱はやっぱりケーキみたいだ。

 メッセージカードが花束に挿さってる。


「手紙、ありますね」

「……多分内容、わかります」

「読んでもいいですか?」


 こくんと、彼女は頷いた。

 俺はメッセージカードを手に取って、目を通す。


 ~愛する唯へ~


 いい加減、返事をくれないか? 

 君がいないと俺はダメなんだ。

 会いたい。


 ~智則とものり


 智則は、例の彼だ。

 なるほどねって思って、俺は唯さんの髪にキスをする。


「ストーカー化してます?」

「まだ、ストーカーほどではないですけど……電話とメールを拒否したら、手紙が来るようになってしまって……」

「とりあえず、うちに行きましょうか。一人は怖いでしょう?」

「ごめんなさい……」

「いえ。でも話、聞いてもいいですか?」

「はい。もう一人では、どうしたらいいかわからないです」

「家の中に侵入されてる可能性は?」

「無いと、思います」


 念のため警戒しつつ、泊りの用意をしてもらった。

 こんな時じゃなければ、初唯さんの家だって舞い上がるけど、そんな場合じゃない。

 戸締りを確認して、玄関にぶら下がっていた袋を持って俺は彼女を車に連れて行く。なんで袋を持って行くんだって視線は、にっこり笑って流しておいた。


「おかえりー。お、唯ちゃんもおかえり!」


 うちに着いたら笑顔の陣さんがお出迎え。唯さんは、それを見てほっとしたみたいだ。強張ってた表情が緩んだ。


「ただいま。なぁ陣さん。唯さん、しばらくうちに泊めていい?」

「構わんが、どうした?」


 唯さんをリビングに連れて行きながら、俺は持ってた袋を陣さんに渡した。

 首を傾げながら中身を確認して、メッセージカードを見つけて読んだ陣さんが目を丸くする。


「詳しい話は風呂の後。陣さん、ココア淹れてくれねぇ?」

「はいよ」


 不安そうな唯さんに微笑み掛けて、おでこにキスした。

 公園は寒かったし湯船に浸かった方がいいだろうと考えて、唯さんにはソファで待っててもらって俺は風呂に湯を張りに向かう。

 風呂場から戻ると唯さんが所在無さげで不安そうで……俺は、彼女を抱き締めた。


「唯さん、大丈夫だから。落ち着くためにココア飲んでお風呂入りましょう? 焦って話さなくてもいいです。俺も陣さんも、あなたの味方ですから」

「はい……。春樹さん、私……頭の中ぐちゃぐちゃです」

「唯ちゃん。陣さん特製あまぁいココアだ。お飲みなさい」


 ほかほか湯気の立ったマグカップと、陣さんの優しい笑顔。

 唯さんはこくんと頷いて、マグカップを受け取った。

 俺のも淹れてくれたみたいだから、唯さんを片腕に抱いてココアを啜る。

 甘くてほっとする味。

 ココアを飲んでから、唯さんには風呂に行ってもらった。


「そんで? 何があった」


 薔薇の花束とケーキの箱を取り出してる俺に、陣さんが聞いてきた。

 俺はとりあえず、知ってることだけを話す。


 唯さんが例の彼と別れたのは半年近く前だと言っていた。

 唯さんの母親が余命宣告されて、合コンで知り合った男と結婚話が持ち上がった。そしたら相手の奥さんに突撃されて、妻子持ちの事実が発覚。唯さんも騙されてた側だし母親のこともあるしで、すっぱり別れてもう会わないってことで話は終わったらしい。


「で、その智則がストーカー化したらしい。ストーカー被害の方はまだこれから聞く」

「へー。智則は家庭捨てる気なのかねぇ?」

「どうだろうな? でも赤い薔薇の花束って……狙いすぎじゃねぇか?」

「ケーキも有名なところのだな。予約したのかね?」

「予約しないと買えねぇの?」

「ここのはこの時期、買えねぇな」

「マジか。…………食う?」

「唯ちゃんは嫌がるだろうよ」

「だな。……今日はチョコばっかだから、渋い赤ワインが飲みてぇな」

「酔いたい気分か」

「ワインじゃ酔えねぇよ」


 智則からのプレゼントが本当にただのケーキだってことを確認してから、俺は袋に全部戻した。唯さんの目に付かない場所に置いておく。


「で? お前はどうするつもりなんだ?」

「俺は唯さんの味方」

「そうか。――春樹」


 真剣な声で呼ばれたから、俺は陣さんを見る。声と同じ真剣な瞳。でもすげぇ、優しい顔だ。


「俺はお前の・・・味方だ」

「…………ありがと」


 喉の奥からせり上がってくる何かを、唾飲み込んで堪える。

 一人だけでも絶対的な味方がいてくれるのは、心強い。

 出来れば俺は、唯さんのそんな存在になりたい。

 彼女がくれた俺への気持ちは嘘じゃないって思う。まだ出会って、付き合うようになって日は浅いけど、不倫クソ野郎に唯さんを取られる気は全くない。


 俺も風呂に入ってから、リビングで、陣さんも一緒に唯さんの話を聞いた。


「別れた時に、アドレスも電話番号も私、変えたんです。母のこともあったので……もうすっぱり、終わったつもりでいました」


 智則との付き合いは約七ヶ月。

 会う時はいつも指輪はしていなくて、合コンに来てたから当然独り身だと、唯さんは思っていたらしい。土日が会えなかったり平日でもなかなか会えなくても、仕事が忙しい人なんだなって、信じてた。


「お付き合いするの、彼が初めてだったんです。友達には怪しいって言われたこともあったんですけど……まさかそんなって、彼を信じたくて」


 でも騙されていた。

 結婚しようと言ったのは智則から。結婚式場を見に行ったり、唯さんのお母さんの見舞いにも来てくれてたんだって。

 男の俺にも智則が何をしたかったのか理解出来ない。重婚なんて出来るわけないし、どうするつもりだったんだろう。


「奥さんが言うには、夢見がちな人だから、現実から逃げて夢を見てたんじゃないかって」

「バカな男?」

「はい。バカな男に引っかかってしまいました。その時私、母のことでいっぱいいっぱいで、不倫だなんだに関わる余裕も無くて……。呆然としましたけど、奥さんには謝罪して、きっぱりお別れしました」


 唯さんの瞳は真っ直ぐだ。

 嘘は吐いてない。バカな男にも未練は感じてない。

 ちょっと、ほっとした。


「それで? どうしてストーカーされてるんだ?」


 陣さんの言葉で唯さんはスマホを取り出した。

 表示させたのは、智則から届いたメールだ。始まりは先週。あの時酔い潰れたかったのはこの所為かって、俺は心の中で納得した。


「どこかからアドレスを聞いたみたいです。メールが来るようになって、無視してたけど頻繁で、怖くなって拒否の設定をしたんです。そしたら今日あんな物が家にあって……正直、ゾッとしました」


 智則が送ってきたメールは、呆れる内容だった。

 奥さんと別れるとは一言も書かれていない。ただただ唯さんへの未練がたらたらで、会いたい、声が聞きたい、連絡取りたい。

 キモいな。


「唯ちゃんこれ、答えたらダメだよ。下手したら、慰謝料を請求されることも考えられるから」


 陣さんのアドバイスに、唯さんの顔が青くなる。


「私もそれが怖くて……。今後一切近付かないと、お互いに一筆書いているんです。だから家まで来るとは思ってなくて」

「手紙は? 他にもあるんですか?」


 深刻な表情で、彼女は頷いた。

 郵送ではなくて、直接ポストに手紙を入れられるようになったのがここ数日。俺に相談していいものか悩んでたところでの、薔薇の花束とケーキだったみたいだ。


「証拠は残しておいた方がいいね。メールも手紙も。いざという時武器になる」

「保管はしてあります。あまりにひどければ警察に相談すべきかとも思ったので」

「偉いね。それでさ、唯ちゃん」


 唯さんの頭をぽんと撫でて、陣さんが微笑む。

 陣さんが言うこと、俺はなんとなく、わかった。


「うち、住んじゃう?」

「え?」

「一部屋空いてるし、ストーカーに家知られてるなら引っ越しちゃうのが手っ取り早い。唯ちゃん次第でうちは構わないからさ。選択肢の一つに入れておいてよ」

「そんな……お仕事を頂いて……住む場所までは、甘えられません」


 陣さんはソファの上で優しく笑ってる。

 唯さんは俺の隣で床に座って、焦って困ってる。俺は彼女をそっと抱き寄せて、背中をぽんぽん叩いて宥めた。


「選択肢の一つです。でもお願いですから、しばらくはうちに泊まってください。あなたが心配です」

「すみません……っ」

「気にしないで。俺も陣さんも、気にしません」


 ぽろぽろ、唯さんは泣き始めた。

 きっと一人で不安だったんだ。母親のこともあって、仕事も辞めて、俺とのこともあって、前に進もうとしてるのに元彼がストーカー化。

 この細い両肩に、重い物がたくさんのし掛かってる。


「自業自得なんです。世間知らずで騙されて……。あちらの奥様も傷つけて……。私が、バカだったんです。だから自分でなんとかすべきだって」

「一人で頑張らないでください。俺がいます。頼りないかもしれないですけど」

「そんなことっ……お会いしてからずっと、支えられています」


 唯さんは、これまでの不安とか一人になった悲しみとかが一気に噴き出したみたいに、声を出してしばらく泣き続けた。

 縋り付いてきた細い体を抱き締めて、俺は黙って、彼女の髪を撫でていた。


「泣き疲れて眠るなんて、子供みたいだ」

「だな。……お前も、自分だけで頑張ろうとするなよ?」

「俺は、ずっと陣さんに頼りっぱなしだよ」

「そんなことねぇよ。お前も自分で、前に進もうとしてるだろ」


 それはあんたが俺を引き上げてくれるからだ。見守って、助けてくれるからだ。

 俺は一人じゃ前に進めなかった。


「ありがとう、陣さん」

「……俺らも寝るか?」


 泣き疲れて眠った唯さんを抱き上げて、俺の部屋に連れて行った。

 陣さんに世話掛けた礼をもう一度言ったら髪をぐしゃぐしゃに撫でられて、気にするなって、優しい顔で言われた。

 俺はどこで寝ようかなって少し悩んだけど結局、唯さんの隣に潜り込む。

 眠る彼女を抱き締めて、目を閉じた。


「あなたを、守れる存在になりたいです」


 額に口付けて、こっそり誓う。

 鼻が詰まって苦しそうな唯さんの寝息。髪を撫でながら聞いてたら、俺もいつの間にか、眠っていた。

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