第32話 春に芽吹く2

 喫茶坂の上も短い春休み。

 俺は、陣さんと唯さんと一緒に、車で小旅行へ出掛けた。トランクには釣具が積んであって、渓流釣りをする予定だ。

 一葉とはあの後、会って話をした。

 でも謝るのはただの自己満足でなんだか違う気がしたから、思い出話をたくさんした。

 あの家から逃げたくならないのか聞いてみたら、一葉は迷わず首を横に振る。前にも言った通り自分は上手く立ち回れるしなんだかんだであの環境を楽しんでるんだって、自信満々に言ってた。

 唯さんの言った通り一葉は強くて、少しだけ怖い奴みたいだ。

 昔俺達兄弟に嫌がらせをしてきてたハトコ達が、今は一葉の下僕なんだって教えられた時には少しだけ、俺の顔が引きつった。


「……連絡、したのか?」

「したよ」


 助手席の陣さんに問われて俺は、車を走らせながら短く答える。

 休憩挟みながら高速を走って、昼前には目的地に着きそうだ。さっきパーキングエリアで休憩した時にも一度、到着予定時刻を電話で知らせておいた。


 都心から約三時間。高速を降りたら山に向かって車を走らせる。

 山道で酔わないか後部座席にいる唯さんに確認したら、彼女は大丈夫だって頷いてた。柔らかく笑って、のんびり景色を楽しんでるみたいだ。


「疲れたー」


 車を停めて運転席から降りて、俺は身体を伸ばす。

 山の中にぽつんと建っている一軒の家。ここが今回の旅行の拠点で宿だ。そばに川が流れてて、もう少し先に進むと滝がある。

 陣さんと唯さんを車に残して俺は一人、玄関に向かった。


「春樹ちゃん……?」


 玄関には呼び鈴がなくて、引き戸を開けて声を掛けようとした俺の目の前で、ガラリと戸が開いた。

 出て来たのは着物姿のお婆さん。記憶の中の姿よりも髪が白くなっていて、皺も増えてる。


「はい、春樹です。ご無沙汰しております、お祖母様」

「……大きく、なったのねぇ」

「おかげ様で。長いこと顔も見せず、すみませんでした」

「今は……?」

「陣さんのところでお世話になっています。お祖母様のおかげです」

「そう……。元気そうね」


 目に涙を溜めて、婆さんは俺の頬におずおずと手を伸ばした。

 俺は微笑んだままじっとしてる。

 遠慮がちに頬に触れた手は少しひんやりとしていて、昔と同じで優しかった。


「電話で連絡した通り陣さんも来てます。あと俺の許嫁も」


 婆さんの視線が俺の背後に向いて、目を見開いて固まった。


「……お久しぶりです、お母さん」


 俺が振り向いた先には陣さんが立ってて、その後ろには唯さんもいる。

 陣さんに釘付けになっていた婆さんの目からは、大粒の涙が、こぼれて落ちた。


「母と、呼んでくれるの……?」

「俺をまだ、息子だと思ってくれているのなら」

「当然ですっ」


 ためらいがちに近付いた二人は手を伸ばせば届く距離まで歩み寄って、表情を強張らせていた陣さんが、ゆるりと微笑む。


「只今戻りました」

「おか、えりっ……なさい。ごめんねっ、ごめんね、陣っ」


 泣き崩れた婆さんを抱きとめた陣さんの目にも、うっすら涙が浮かんでるのが見えた。


 この旅行は俺の提案。協力者は一葉。

 最初は電話で婆さんと話して、俺の近況を軽く伝えたんだ。そしたら婆さんは、陣さんのことをすげぇ気にしてた。

 陣さんが坂上の家から追い出されてから、かなりの時間が経った。爺さんが倒れて弱って、状況も変わった。

 今が歩み寄れるチャンスなんじゃねぇかって、俺は思ったんだ。


「奥様、こんなところではなく中でゆっくりお話しなさってはいかがですか」


 玄関から顔を出した知らないおばさんが声を掛けてきた。きっとここで爺さん婆さんの世話をしてくれてる人だろう。俺が挨拶すると、中に招いてくれた。


「落ち着いたら、唯さんのこともゆっくり紹介しますね」


 車に荷物を取りに戻る時に唯さんに言ったんだけど、彼女はなんだか困った顔をしてる。


「あの……私のことはなんて言ってあるんですか?」

「許嫁だって言ってあります」


 途端、唯さんの顔が真っ赤に染まった。


「間違ってますか?」

「……いえ」


 陣さんは婆さんに捕まっていて来られそうにないから、俺は陣さんの分の荷物も持って、唯さんを促す。


「指輪はもう少し待ってくださいね」


 にっこり笑って言ったら唯さんは、こくこく何度も頷いていた。


 部屋割りは、唯さんと俺が同じ部屋。陣さんが一人部屋だった。多分許嫁だって言ったからだ。


「もし唯さんが嫌なら俺、陣さんと寝ますけど……」


 部屋に入ってからも赤い顔をしてる唯さんに、念のため確認してみる。

 俺の視線の先で唯さんは、ふるふると首を横に振った。まるで話せなくなっちゃったみたいに、唇を引き結んでる。


「……迷惑でした?」


 ふいに不安になって聞いてみたら、唯さんの両手がガシリと俺の服を掴んだ。


「ちが、うの。……心臓、飛び出そうで……。嬉しいの」


 か細い唯さんの声を聞いて、俺の頬は安堵と喜びで緩む。


「俺が口で受け止めるから、大丈夫だよ」


 服を掴んでいた唯さんの手を絡め取って、俺は素早く唇を奪った。

 柔く食むと、彼女の身体から力が抜けていく。だけど顔の赤みは増して、全身が真っ赤になってそうだ。


「唯のこと、親にも紹介出来るように俺、頑張るから」

「……無理は、しないでね」

「うん。ありがとう」


 顔の横にある髪を掻き上げて、マシュマロみたいな頬にキスをした。

 俺のケジメ。

 まずは婆さんに礼を言う。それが済んだら俺は、両親に会いに行く。

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