第15話 シードルとりんごジュース3

 俺が生まれた家は、一般家庭ではなかった。

 格式が重んじられる家。田舎の古い家柄で、俺は本家の長男として生まれたんだ。

 親の期待。親戚の期待。周りの期待に押し潰されそうになりながら俺なりに、頑張ってたはずだった。


「でも俺、出来が悪くて……。弟の方が出来が良くて、なんで俺が長男なんだろって、いつも思ってました」


 唯さんの腕の中。床に膝を付いて座った俺の頭を抱えて、彼女は耳を傾けてくれている。


 どこから話そうか迷ってたら、最初から全部聞きたいと言われた。

 もしかしたらこれが最後になるかもしれないから、俺は自分の生まれを話す。髪を撫でてくれる彼女の手に、勇気をもらいながら。


「上るのってあんなに大変なのに、落ちるのはほんと簡単で……。俺は簡単に、どんどん落ちて行きました」


 始まりは名門私立小学校への受験失敗。

 だけど弟は一発合格。その頃からもう、周りから俺はダメの烙印を押されていた。

 挫折は許されなくて、親父は「やれば出来る。お前はやらないだけなんだ」って言う。母さんも頑張れって。

 頑張ったよ。頑張ってたよ。


「長男だから、長男なのに。言葉に押し潰されそうになりながら頑張ったけど、中学の受験もダメで……見捨てられました」


 こいつはダメだって考えてるのがわかる、冷たい目。

 まるで俺はゴミ。生ゴミ。

 親戚の集まりは針の筵で、弟にまで見下された。


「そんなの言い訳にならない。それでも頑張ってる人はいる。でも俺はもう……無理だったんです」


 落ちるのは簡単だ。簡単にどこまでも、落ちていける。


「中学行かないで悪い奴らとつるんで、唯さんが想像もつかないような悪いこと、たくさんやりました。喧嘩もたくさん。無抵抗の人間をボコボコにしたりだとか……殺し、かけたりとか……」


 過去を思い出して、乾いた笑いが漏れた。

 唯さんは何も言わない。黙って髪を梳いてくれる。


――怖くない? 俺が、怖くないの? 


「怖くないよ。大丈夫。続けて?」


 涙が溢れた。でも歯を食い縛って堪えて、俺は懺悔を続ける。


「家にも帰らなくなって、悪い先輩のところ寝泊まりして」


 補導されて連れ帰られた時、母親に泣きながら懇願されて受験した高校は、受かったけど一度も行かなかった。


「バイクの窃盗団入って、盗みしてたんです。でも失敗して捕まりました」


 家族や親戚は俺を見捨てたけど、仲間は違うって、思ってたんだ。でもそれも勘違い。俺はあいつらの仲間なんかじゃなかった。

 仲間は俺を売って、見捨てて逃げた。

 そこからまたどんどん落ちて、落ちて、落ちて……。

 どうやったら這い上がれるのかなんて全く、わからなかった。


「親の力、金の力で不起訴処分とかいうので許されて前科は付かなかったけど、家帰って親父に殺されかけました。ゴルフクラブですよ? マジ、殺る気満々……」


 生き恥晒すなら死ね! だって。ならちゃんと殺してくれよって、思った。

 俺だって、なんでこんな風になったんだろって、思うよ。でももう何もかも、どうしたらいいか……なんにもわからなくて……助けてなんて言う資格もなくて……ただ落ち続けてた。

 家に閉じ込められて、抜け出して、髪の色抜いて、自分を痛め付けるようにあちこちピアスの穴開けて、見つかってまた監禁される。そんな日々。

 俺の糾弾のために親戚が集まって、罵られる。


 俺の所為か? 俺だけの所為か? お前らだって腐ってるくせに。外面だけがちゃんとしてる・・・・・・・だけのくせして。俺を作ったのはお前らだろ?


「落ち続けるだけだった俺に、陣さんが手を差し伸べてくれたんです」


『うち来るか?』


 ただ一言に、救われた。


「初めはなんだこのおっさんって思って……。でも陣さん、俺の話聞いてくれて、向き合ってくれて……初めて他人に優しくされた気がしたんです」


 実家と疎遠だった陣さん。

 呼び出されたのは多分、俺を押し付けるためだと思うんだ。だけど陣さんは自分の意志で俺に手を差し伸べてくれた。

 本当は親ってこんな風なのかななんて考えるほどに、ここは居心地が良かった。

 あの人はなんでもないことみたいに、俺を引き上げてくれたんだ。


「以上が、俺の秘密です。…………逃げて、いいんですよ」


 本当は昨日言うべきだった。でも舞い上がって、逃げて、自分の感情優先して……罪悪感で、勝手に自分語り。

 どうしようもねぇなって、自分で思う。


「逃げませんよ」

「……震えてるじゃないですか。犯罪者、怖いでしょう?」


 俺の頭抱えてる唯さんの身体、途中から小刻みに震えてたのに、気付いてた。だから身体を離そうとしたのに何故か、俺は唯さんに押し倒された。


「確かにびっくりです。衝撃の過去です。まだちょっと、理解が追いつきません。でも……」


 きゅうって、唯さんの腕に力がこもる。


「私の知ってる春樹さんは、優しい人です。とても、素敵な男性です。だから嫌いになんてなりません。好きです」

「悪い男に騙されたら、ダメですよ」

「あなたになら騙されてもいいです」

「……いい人すぎますって。損しますよ」

「あなたもです。損しないために、どうか、私を離さないでください」


 触れるだけのキスされて、俺はいろんな、ぐちゃぐちゃで泣きだしそうな感情を誤魔化すために、喉の奥でくつりと笑う。


「そんなに自己評価高い人だったなんて、知らなかったです」


 唯さんは羞恥で顔を赤く染めた。だけど逃げない。


「そ、そうです。私ってほんと、良い女なんですよ! だって母は、とっても良い女でしたから!」


 ほんと俺、この人が好きだ。


「冗談です。唯さんはマジに良い女です。俺には勿体無い。…………このチャンスに逃げないともう、逃がしてあげませんよ?」

「望むところです!」


 素面の彼女がくれた、深いキス。

 俺の身体を押さえつけるみたいな、彼女の重み、温もり、柔らかさ。全部が愛しくて、脳みそ蕩けそうになりながら俺は、彼女のくれるキスに応えた。


   ※


坂上さかがみさんって仰るんですか」


 昨夜唯さんはうちに泊まった。

 酔い潰れたわけじゃない。そういうことをしたわけでもない。

 ただそばにいて、お互いのいろんな話をした。


「名字、言ってなかったでしたっけ?」

「聞いてないです。昨夜『坂上さかがみの家が』って何度も言うので、そうなのかなと思っていたくらいです」


 今唯さんは、黒のタイトスカートの女性用の制服姿でバイトの研修中。

 朝起きたらバイトをやってみます宣言したから、陣さんがさっさと動いた。まるで逃がさないって感じで、俺も唯さんも少しビビった。


「名字が坂上さかがみだから、喫茶坂の上。安易でしょう?」


 唯さんは、メモ帳とペンを手に唸ってる。


「もっとこう……人生の坂の上とか、そういう深い意味かと」

「お客さんにもよく言われます。この辺に坂は無いですから、本店が坂の上にあるんですかとか、聞かれたことがありますね」


 なるほどと呟いた彼女は、そのことまでメモに取ってる。やけに熱心だなって、俺は小さく笑う。


 朝は早めに仕込みを終わらせて、着替えと必要な物を取りに行った唯さんが戻って来てから、陣さんが仕事内容を説明して契約書類の作成をした。

 その後は午前中の客足が緩やかな時間を使って、俺がドリンク作りのレクチャー。

 最初は来店したお客さんに水とおしぼりを運ぶところから。珈琲淹れるのは、修行してもらう。


「バイト、したことあるんですか?」


 接客が手慣れた感じだったから聞いてみた。そしたら唯さんは、柔らかな笑顔で頷く。


「母子家庭でしたからいろいろやりました。カフェのバイト経験もありますよ」

「なら、心強いですね」

「頑張ります」


 やる気に燃えてる唯さんは可愛い。


 昼のピークに、バイト慣れしている彼女の存在は助かった。

 接客全般を唯さんが担当してくれて、俺はドリンク作りとホールのフォロー。状況を見て調理場のフォローにも回れたから、いつもよりスムーズで楽だった。人手って大事なんだな。

 常連の爺さん婆さん達に唯さんは好評で、会社員のおじさん達も「女の子がいると華やいでいいね」なんて言って喜んでた。


「昼時に、あんなに春樹さんファンの女性客がいるとは思いませんでした……」


 昼ピーク後の飯休憩。一緒に入ったら、唯さんが拗ねて膨れっ面してる。


「ファン? 気のせいじゃないですか」


 昼は確かに他の時間帯よりも若い女性客が増える。だけどそれは、陣さんが作るうまいランチ目当てで近くのOLさんが来てるだけだ。


「無自覚ですか? 無自覚女たらしですか?」


 濡れ衣を着せられた。


「昼のピークなんて忙しくて、色目使う暇もありませんよ。真面目に接客してるだけです」

「その硬派な感じがいいんですよ。私が接客に行くとあからさまにがっかりされました」


 今日の昼飯はナポリタン。俺が作った。

 フォークを握った唯さんが不機嫌な様子でナポリタンを口に運ぶ。むぐむぐ咀嚼して、顔が輝いた。


「お味はいかがでしょう?」

「すっごくおいしいです!」


 機嫌が良くなった唯さんがおいしそうに夢中で食べてくれるから、俺の頬は緩む。

 自分の分を食いながら俺は、彼女の顔を観察してた。


「例えファンとやらがいるんだとしても、俺が自分から話し掛けた女性客は唯さんだけです」


 唯さんの顔がナポリタンと同じ色に染まる。


「…………どうして、話し掛けてくれたんですか?」


 食事が終わってから唯さんに聞かれた。じっと見つめられて、俺は微笑む。


「フォンダンショコラが、おいしく出来たんです」


 それだけかって顔してる。不満そうな顔が可愛くて、その表情を堪能してから、続けた。


「いつもおいしそうに、ニコニコしながら食べるじゃないですか。だから、食べてもらいたいなって思ったんです」

「だってここのミックスサンドも珈琲も、私の好みにどストライクだったんです」

「それと、帰りがけに寂しそうな顔をするのが、ずっと気になってました」

「ずっと……?」

「去年の、暮れ辺りからですかね」


 引かれるかなって思ったら、唯さんが真っ赤になった。視線をさまよわせてうろたえてる。

 可愛い唯さんをずっと観察してるのも楽しいけど、休憩時間には、やりたいことがあったんだ。


「珈琲、淹れてみます? 自分らで飲む分」

「いいんですか?」

「休憩時間に練習、嫌じゃなければ」

「全然! むしろやりたいです!」


 良かった。俺もこうやって陣さんに教えてもらった。それを俺が、今度は唯さんに教える。

 ここに来てから随分時間が経ったんだなって、実感した。

 地獄みたいな、落ち続けていた日々が遠くなる。

 忘れるべきじゃない。自分のやったことは一生抱えなくちゃならない。でも前に進むチャンスをもらえたから、俺はまた、頑張る。


「いかがでしょうか?」

「練習、しましょうね」

「はい……」


 がっくり項垂れた唯さん。

 彼女が初めて淹れた珈琲は、俺の初めてより全然ちゃんとしてる。だけどまだまだ、お客さんに出すには練習が必要だ。


 常連さんが恋人になって、恋人が後輩になった。

 それはこそばゆくて、なんだかすごく――楽しい。

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