第23話 大人で子供の俺たち6
まるで気分は探偵だ。
後部座席に不機嫌な唯さん。助手席に無言の傍観者オヤジを乗せて車走らせて、唯さんのアパートから少し離れたところにハザード付けて車を停めた。
「…………いるな。突撃するか?」
二人に確認したら頷きが返ってきた。このまま諦めるまで待つのもいいけど、それじゃあこっちのストレスが溜まる一方だ。
智則の目的を明確にするためにも一度話すべきだろうってことで、スマホの録音アプリを起動させた状態で、俺と唯さんで智則が待ち構えているアパートへ向かう。
陣さんは駐禁対策のために車待機で、何かあった時に出て来てもらうことにした。
何かは、俺が智則に殴りかかったりとか、そんなん。殴ったら不利になるから絶対やるなよって言い含められた。
わかってる。そんな短気じゃないはずだ。……多分。
「唯さん、まだ怒ってます?」
「……別に。怒られるようなことをしたんですか?」
唇尖ってるけどシラを切るつもりらしい。
俺が歩にキスされかけてからずっと不機嫌なくせして……可愛いなぁ。
「唯さん?」
「……なんでしょう」
「そんな口してると、ここでキスします。濃いの。して欲しい?」
「ここは嫌」
「ならうちでゆっくり。だから機嫌直してください」
とりあえず唇は引っ込んで通常に戻った。でも不満そうなのは変わらない。
腰を抱き寄せようとしたら拒否された。顔が赤いから、何を想像したのかな。
「ここではしないですってば。可愛いなぁ」
「もう! からかわないで!」
緊張感が飛んでしまいますって、ぼそり。その緊張を飛ばそうとしてるんだよ、唯さん。わかってないみたいだな。
「唯、怒んないで」
耳にキスしたら唯さんの身体ががくりと落ちた。危なっ! ここ階段!
「も、もう! 色気をおさえて! 無理! 恥ずかしい!」
「わかった、ごめ……階段で暴れないでっ」
落ちかけた身体を俺が抱きとめた状態で唯さんが暴れる。真っ赤な顔は可愛いけど、場所が危ない。
もうもう
「唯……?」
あからさまに彼氏とイチャイチャしてる元カノに声を掛けるんだな。まぁ逃げ道側に俺らがいるし、唯さんの部屋のドアに背中を預けて立ってたし、声掛けるしかねぇのか。
「唯さん、彼がそう?」
固まっちゃった唯さんを抱き寄せて、俺は穏やかな声と表情を意識しつつ確認する。
頷きが返ってきたから、やっぱり目の前のスーツにコートの男は智則だ。二十代後半から三十代前半ってとこかな。優男って言葉がよく似合う。
「俺の女の部屋に何か用か?」
わざとらしい笑顔を作って、ドスの利いた声を出してみた。そしたら智則の顔が引きつる。
でも今の俺の見た目って、どう頑張っても爽やか好青年だからそんなに効果は無いのかも。
「彼女と……話がしたいんだ」
やっぱり効果無し。しかも年下だって舐められてるみたいだ。前髪上げて来たら良かったかなぁ。
「私はあなたに話はありません。メールも手紙も迷惑です。帰ってください」
キッと、唯さんは智則を睨んだ。
やばっ! 怒った顔も可愛い!
思わずまじまじと唯さんを見た俺には緊張感が無いと思う。内心軽い気持ちでいないと、智則に殴り掛かりそうで危ない。
「そんな……結婚まで約束した仲じゃないか!」
大きな声。近所迷惑。
もし俺が唯さんから話を聞いてなかったら喧嘩の原因になりかねないこの発言は、わざとだな、こいつ。
ちらりと俺の顔を窺いやがった。
「重婚は出来ないわ。奥さんとお子さんはどうしたの? 何がしたいの?」
「俺はただ、君が好きなんだ。やり直したい」
「迷惑です。もう来ないでください」
「唯!」
智則が近付いて来ようとしたから、睨んで止める。
殺すぞって気持ちを込めて睨んだら、智則は青い顔で動きを止めた。
「新しく若い男が出来たから、俺を捨てるのか?」
「なっ! 人聞きの悪いこと言わないで! 私を騙してたのはあなたじゃないっ」
「騙してなんかいない! 気持ちは本物だ!」
「はぁ? 奥さんと子供がいるでしょう! 私と結婚の話をしておいて、自分の既にあった家庭はどうするつもりだったのよ!」
「それはっ…………だって、君も好きなんだ!」
うっわー…………うっわー…………言葉が出ねぇ。
唯さんも絶句してる。それをどう受け取ったのか、智則は畳み掛けるみたいに言葉を続けた。
「君も俺を愛してくれたじゃないか。だから、な? 愛する者同士が離れるのって不自然だと思わないか? たまたま俺には運命の人が二人いたんだ! 愛してる、唯っ」
両手広げてさぁ来いポーズしてるけど……こいつ頭イカレてる。
「だって。唯さん、どうします?」
「どうするって……頭おかしいでしょう。春樹さんもそう思いますよね?」
「思いますね。独特な価値観ですね」
「本当……過去の自分を全力で止めたいです」
固まって、智則は唯さんを見つめ続けてる。
このまま放置してたらずっとあのポーズなのかなって、俺はくだらないことを考えた。
「智則さん。私はもうあなたをなんとも思っていません。むしろ記憶から抹消したいので、二度と、手紙もメールも電話も、こうして会いに来ることもやめてください。どうぞご自分のご家庭を大切になさってください」
真顔で告げた唯さんの言葉を聞いた智則は、ぽかんと間抜け面をさらしてる。まるで、そんな答えが来るなんて想像もしてなかったって顔だ。すげぇ自信家だな。
「なぁあんた、聞こえなかった? 消えろって」
笑顔を消して射殺す勢いで睨んだら、智則が突進して来た。
俺と唯さんのすぐ後ろには階段。
智則の表情が危ない気がしてたから、唯さんを壁側に押して、俺もギリギリで体当たりを躱す。なんにも考えて無かったのか智則が階段から転げ落ちそうになりやがるから、襟首掴んで止めてやった。
「おいおいおい智則さんよぉ? 殺人犯になりたかったのか? それとも自殺願望でもあんの? どっちにしろさぁ、迷惑なんだよ。唯にその間抜け面二度と見せるな」
俺が手を放したら智則は落ちる。その状態で静止して吐いた俺の言葉は、脳みそに届いたかな。
「聞こえてんのか? 今あんた、俺らを階段から突き落とそうとしたよな? なぁ、答えろって」
安全な場所へ引き寄せてから手を離すと、智則はへたり込んだ。
「お……」
「お?」
へたり込んだ智則の前に屈んだ俺を、奴は睨み付ける。でも眼光が足りなくて残念。
「お前みたいなガキ! 唯には釣り合わない! 死んじまえッ」
唯さんがカッとして言い返そうとするから片手を上げて止めておく。録音してるの、忘れてそうだ。
「やっぱ今、あんたは俺を階段から突き落とそうとしたんだ?」
わざとゆっくり、強調して話す。
「そうだ! 殺してやるッ」
「マジで? 俺、殺されんの?」
ニタニタバカにする笑いを浮かべて、俺は頬杖をついた。
こいつ多分、何か持ってる。右手がコートのポケットを探ってるんだよな。どうするか。
「なぁ。その右手のもん出す前に、取引しようぜ?」
口元だけを笑みの形にして、俺の背後にいる唯さんに聞こえないよう小声で話し掛けた。
智則は、ギクリと固まる。
「俺さぁ、あんたに不利な証拠いっぱい持ってんだよねぇ」
俺は屈んで頬杖ついたまま、口元だけニタニタ笑う。不気味に見えるよう、意識して。
「運命の人二人共と家庭失う上に社会的に抹殺されるのと、唯を諦めて今後一切手を出さねぇ顔も見せねぇって誓うの、どっちがいい? 俺優しいからさ、選ばせてやるよ」
「そ、そんなこと……ガキのお前がどうやってやるんだっ」
怯えてる。強がるなら、もっと頑張れよ。
「どうとだって出来るさ。唯のこと綺麗さっぱり忘れて、唯との共通の友人にも変な噂流すなよ? お前が唯に近付けば――すぐわかる」
「ど、どうやって……」
「想像してみろよ、どうやんのか。……わかるだろ、智則さんよ?」
にじり寄って、智則の右手をコートの上から掴む。やっぱり、折り畳みナイフだ。
「物騒なもん持ってんなぁ? こんなもん持ってたらまずいの、わかってるから汗掻いてんだろ? 俺ぁさみぃんだよ。唯も風邪ひかせたくねぇ。早く決めろ」
動こうとする手をぐっと押さえつける。唯さんには見えない位置。でもこいつにはわかる。力で勝てないって、思い知るくらいの力を込めた。
「
「ひぃっ、む、むす」
「でけぇ声出すなよ。てめぇが誓って実行すりゃなんも起こらねぇよ。……な? 唯のこと、忘れるよな? 近付かねぇよな? 唯に関わる全てに余計なこと、しねぇよなぁ」
耳元で「誓え」って凄みきかせた声で呟けば、智則は折れた。
「誓い、ます……」
「話がわかる人で良かったわ。紙切れは無駄だって、てめぇもわかっててのこの行動だろうから口で言うな? 破ったらどうなるか、想像力働かせて生活しろよ」
「…………はい…………すみませんでした」
よたよた立ち上がって、智則は帰って行く。振り返ったら睨み付けるつもりで見下ろしてたんだけど、そんな気力も無くなったみたいで、とぼとぼ去って行った。
「…………春樹さん。一体何を、お話してたんですか?」
背中に冷たい視線が突き刺さる。
雰囲気を察して黙ってくれてた唯さん。すげぇ小声でぼそぼそ話してたから、俺の声は聞き取れてなかったみたいだ。
コートのポケットからスマホを出して録音止めてから俺は、ごまかすための笑みを浮かべる。
「ま、寒いし陣さん待たせてるんで、帰りましょうか」
智則が残した手紙の証拠を回収してから、不満そうな唯さんと一緒に車に戻った。
車に戻った後は、智則はもう来ないってことだけを唯さんと陣さんに伝えて、家に帰る。
着いた途端にさぁ話せって言われた俺は、苦く笑った。
「唯さん怖かったでしょう? 顔色悪いって。ちゃんと話すから、身体を温めましょう」
寒さと恐怖からか、玄関に入ると唯さんがカタカタ震えだした。
階段から突き落とされそうになったし、俺も唯さんからすると怖い行動取ったし。
ごめんって呟いて、抱き締める。
「こわ、怖いに決まってるでしょう! もういろいろ、びっくり! 途中からなんだかよく、わからなかったですっ」
「ココア淹れます。落ち着いたらちゃんと話しますから。風呂に入りましょう」
風呂場には陣さんが向かったから、俺は唯さんを促して台所に向かう。よっぽど怖かったのか、唯さんが俺の背中に張り付いてる。
何これ、すげぇ可愛い。
「ほら唯さん、ココア。それともキスが欲しい?」
「……欲しいです」
「珍しいですね。好きなだけします」
そっと抱き寄せて、唯さんの髪を指で梳きながら、顔のあちこちを唇で啄ばむ。
唯さんの身体の力が抜けてきて、唇に触れるだけのキス。唯さんが自分から唇を緩めて差し出した舌を、俺は撫でるようにして絡めた。
「唯さん?」
唯さんが縋り付くみたいに抱きついてきたから顔を覗き込む。首を傾げた俺をとろりと見つめて、唯さんはもっとって、キスをねだった。
ヤバイって。止まらなくなりそう。
「春樹さん……」
優しい口付けの合間に、名前を呼ばれた。
「なに? どうした?」
「もっと、もっとして? 不安、溶かしてください」
「いいよ。いいけど……これも後で。お風呂入っておいで?」
「…………後でばっかり」
尖った唇にキスをして、俺は彼女を風呂に促した。
陣さんの分のココアを持って、俺は陣さんの部屋に行く。
「気、使わせてばっかで悪いな」
「いいって。唯ちゃんは?」
「風呂。これ聞く?」
「おー、聞く聞く」
陣さんにココアの入ったマグカップを渡してから、ブルートゥースのイヤホンを片方差し出す。
片方ずつ耳に嵌めて、録音を聞いた。
スマホのマイクって性能いいんだな。小声だったのに、思ってたより音を拾ってた。
「お前、悪どいことしたなぁ」
小声だった所為で聞き取りづらい部分は俺が補足しながら全部聞いて、陣さんは苦笑する。
「俺は想像しろとしか言ってない。勘違いしてビビるように誘導しただけ」
「こっちの人間だと思われたんじゃねぇか?」
陣さんは言いながら、右手の人差し指で頬を斜めに撫でた。そういう風に思われるようにしたから、当然そうだな。
「だってさ、警察に委ねたってこういう奴は反省するかなんてわかんねぇじゃん。社会的地位を失ったからって報復しに来るのも怖ぇし。だから、自衛だよ」
「信じたのか?」
「多分。夢見がちで想像力豊かっぽいから、いろんな可能性を考えてくれるんじゃねぇかな」
「ったく。あんまり危ない橋渡んなよ」
「ごめん。でも話し聞いてた感じでいけるなって思ったんだ。アパートの住人が聞き耳立てても聞こえないような声で話しておいたし」
階段側の部屋、電気が付いてなかったから不在の可能性もある。智則の声が近所迷惑だったから、唯さんがそのまま住むのは謝罪に回らないと気まずいかもしれないけどな。
「まだ様子見で、唯ちゃんは帰らない方がいいだろうな。智則がお前の脅しを信じたのかどうかも確かじゃねぇからな」
「だな。……心配掛けた?」
「んー? お前には枷が出来たからなぁ」
「俺の枷は、陣さん?」
「唯ちゃんも。枷は重荷にもなるが、逆にも作用する」
くしゃりと頭を撫でられた。
確かに、カッとしそうになると陣さんの顔が浮かぶから、迷惑掛けたくないって思うと大丈夫になる。それに今は失いたくない居場所があるから、変な気は起きない。
「…………陣さん、ありがとな」
いつも優しく笑う陣さん。この人の前だと俺は気持ちが軽くなって、まるで小さな子供になる。
順番に風呂も終わって、寝る支度を整えた状態で俺を待ち構えてた唯さんを見て、苦笑する。陣さんはもう自分の部屋に引っ込んだ。
どこで話すかなって考えて、俺の部屋にしてみる。
無防備に俺のベッドに寝間着姿で座って、俺の話を待ってる唯さん。破壊力抜群だ。最高だ。
「智則は俺の説得で反省して、もう来ないと誓いました」
纏めると簡単な話だな。でも唯さんはその経緯が知りたいんだと言ってむくれてる。
「ちょっと脅しただけです。こっちは証拠あるし、ここですっぱりやめればこっちも何もしないって言ったら、天秤の比重が重い方を智則は取っただけですよ」
「怯え方が尋常じゃなかったような……」
「ビビリだったんですね?」
にっこり、笑ってみた。
唯さんは俺の顔をじっと見てる。
「美織ちゃんの名前が、聞こえました」
智則の娘の名前。唯さんから聞いてたから脅しに使った。やっぱり聞こえたよな。そこは強調するために、声を少し大きくしたし。
「隠すのはあなたのためになりません。全て吐きなさい」
「…………悪どいことしました。ごめんなさい」
のらりくらりしてても納得してくれそうにない雰囲気を感じたから、俺は観念することにした。
これで嫌われても仕方ない。せめて唯さんの身の安全が保障されるまで守らせてもらえればいいかと覚悟を決めて、俺はスマホを出して録音を聞かせた。
聞き取りづらい部分の補足はしない。だいたいの雰囲気がわかればいいと思ったから。
聞いてく内に、唯さんの眉間の皺が深くなっていく。
なんだか、判決を待つ罪人の気分になってきた。
「警察の手に委ねるのでは、ダメだったんですか?」
聞き終わった唯さんの第一声。俺は真っ直ぐ彼女を見て、頷く。
「あいつ頭おかしいけど、家族への愛はあったみたいだから。奥さんも別れてないならあいつを信じようとしてるんじゃないかなって。それならここで事を荒立てるより、脅してでもそっちに戻らせておいた方が丸くおさまるかなと思いました」
智則が、唯さん以外のターゲットを見つけた場合は知らない。そこまで責任は持てない。
「なんて……偽善的発言をしてみましたけど俺、唯さんに害が無ければなんでもいいんです」
笑わずに真顔で本心を言ったら、唯さんはそっと息を吐いた。
床で胡座をかいてた俺の首に、ベッドから降りた唯さんの腕が回される。
「挑発とか、脅しとか……あんまり無茶をしないでください。私、春樹さんまで失ったら、また立てなくなりそうです」
「……ごめんなさい」
「許しません」
ピシャリと言われて、俺は困った。どうしたらいいんだろって身体を離して顔を窺うと、唯さんは微笑んでる。
「後でをください。待ちました」
「……はい。嫌って言うまで、します」
膝の上に唯さんを乗せて、唇を重ねる。
深く、深く、どこまでも甘く。甘ったるいキスで二人、溶け合うみたいな時間。
「何もしません。だから、一緒に寝てもいい?」
「はい……」
二人して赤い顔。身体も熱を持ってる。けど、まだなんか……キスだけでいっぱいいっぱい。
焦って傷つけたくない。ガツガツしないで、ゆっくりじっくり、距離を詰めたい。だって……俺は唯さんが大切で、愛しくて、この腕に抱いて守っていたい。唯さんは、そんな存在なんだ。
「こうして抱き締めるだけで俺……すっげぇ幸せです」
胸が苦しい。でも同時に幸福に包まれて、眠たくなる不思議な感覚。
「……私も」
微笑み合って、身を寄せ合って、俺と唯さんは幸福な眠りに包まれた。
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