第21話 大人で子供の俺たち4

 店閉めて、俺は夕飯の支度。

 陣さんと唯さんは、この時間に智則からの手紙が来てるかの確認に向かった。

 智則は電車通勤だったらしい。仕事が終わってから唯さんの家に来てるなら、微妙な時間だ。下手したら遭遇しかねない。

 俺も行くって言ったんだけど、陣さんの方が大人の対応が出来るからって理由で、俺の同行は却下された。確かに俺、殴るかも。…………かもじゃねぇな。殴る。

 智則のこと考えてたら煙草吸いたくなった。だから、唯さんが置いて行ってくれた棒付き飴の袋を剥いで口に突っ込む。

 カラカラ音を立てる口の中は、ぶどう味。

 スマホで時間を確認して、二人の帰りが遅いなってため息吐く。

 夕飯出来ちまった。

 一人で退屈だから、教科書を持ってきてリビングで勉強することにする。智則と遭遇して遅いんだとしても、陣さんがいるなら大丈夫だろ。


「ただいまー」


 玄関を開ける音と陣さんの声。

 時計を見たら、勉強始めて一時間経ってる。遅すぎだろって思って出迎えに行ったら、想定外がいた。


「なんでてめぇがいるんだ、猿」


 思わず、唸るような低い声が出た。


「誰が猿だこのバカ男。愛しい唯さんの前でその顔、取り繕わなくていいのかよ」

「誰の所為だ。何しに来た。帰れ」


 陣さんと唯さんと一緒に、何故か歩がいる。

 俺が不機嫌に顔を顰めていたら、唯さんの背中に隠れた歩がニヤニヤ嫌な顔で笑う。


「唯さーん、見てあの顔。こわぁい」

「不良さんです。あまり見たことがない表情です」

「あれが春樹の本性っすよ。どうです?」

「格好いいです」

「唯さんってば、恋のフィルターかかっちゃってます?」

「でも、歩さんもそう思うんでしょう?」

「もー、唯さんには敵わないっすー」


 何故だか異様に仲良しになってる。

 何があったんだって視線で問い掛けたのに、陣さんは優しく笑うだけ。これは教えてくれない顔だ。


「俺禁煙中だから、猛獣注意だぜ?」


 見せつけるように歩が唯さんにベタベタ触ってるのが気に食わない。二人で通じる物があるのか、くすくす笑い合ってるのも謎。


「春樹さん?」

「…………なんすか」

「ご機嫌斜めですね?」

「そっすね。昨日喧嘩した子猿と彼女が突然仲良く現れたら、混乱します。智則のことも心配してたのに」


 やってらんねぇって思って、俺は台所に入る。


「おい猿! 飯は?」

「食うに決まってんだろ! 猿言うな!」

「黙れ猿。餌恵んで欲しいなら口答えするな」

「唯さーん、春樹が怖いー」

「いちいち唯さんにひっ付くな! 話しを振るな! 目障りだ! 死ねッ」

「死ねは……いけませんね」


 苦笑した唯さんに窘められた。面白くない。

 舌打ちして、夕飯を温め直す。誰も説明してくれないらしい。マジでやってらんねぇ。

 唯さんと歩は仲良く洗面所に手を洗いに行った。陣さんまで加わって三人で仲良しこよししてて、ムカつく。


「勝手に食え。飴食いすぎたから走りに行く」


 ガキっぽいけど面白くなくて、俺は食事の支度だけして着替えるために自分の部屋に入った。

 あー、イライラする。煙草吸っちまおうかな。


「春樹さん?」


 ノックのすぐ後、俺の返事を待たずにドアが開いた。


「…………唯さん。俺に近付かないで」


 今、ダメ。黒い感情に支配されてるから優しく出来ない。


「ちょっとやりすぎました。怒らないで?」


 拒絶を無視して、唯さんは俺の背中にぴたりと身を寄せた。ずるい。大人の余裕かよ。


「…………襲われに来たんですか」

「はい」

「馬鹿じゃねぇの? 男の部屋にのこのこ入るなよ。しかもこっちはイラついてんだよ」

「ごめんね?」


 くっそー…………可愛い。


「……ごめんなさい。抱き締めてもいい?」

「どうぞ」


 振り向いて、ぎゅうっと抱きつく。

 溶ける。癒される。安心した。


「智則さんは、手紙、ありました。でも遭遇はなくて、帰り道の途中で、マスターの携帯に歩さんから連絡が来たんです。私と話したいって」

「……何の話?」

「女同士のお話」


 やっぱり教えてくれないんだ。不貞腐れてたら、唯さんがくすりと笑う。


「こわーい春樹さんを見ても好きだって思うなら認めてやるって、言われたんです。マスターと歩さんがノリノリで、私も調子に乗ってしまいました。不機嫌な様子があまりにも可愛らしくて」


 敵わない。敵わないよ唯さん。だって俺、あなたに抱き締められて頭撫でられるだけでもう、機嫌直った。


「マジに調子乗りすぎです。キスしてくれなきゃ機嫌直んない」


 ガキでごめんって思うけど、甘えてもいいかな。


「春樹さん、可愛いです」


 キスは鼻の頭。ちょっと違う。


「ご不満ですか?」


 わざとか。くっそぅ、唯さんは魔性の女だったのかもしれない。


「わかってて、意地悪しないでよ」

「バレました?」

「バレバレです。だって顔、楽しそう」

「子供っぽい春樹さん、可愛すぎます」


 悔しい。でもあんまり舐めるなよって、俺は口角上げて笑う。


「子供だけど、大人でもあるんですよ」


 ぐっと腰を抱き寄せて、自分から口付ける。

 唯さんの唇割って舌を差し入れた。右手は後頭部掴んで、逃がさない。

 息を奪うくらい、深く。

 唾液も奪って飲み込んで、舐め回す。口の端からこぼれたのも追い掛けて、ちゅっと吸い上げた。


「ガキの俺と大人の俺、どっちが好き?」


 真っ赤で蕩けた顔の唯さんに、問い掛ける。


「両方。全部」

「……欲張りだな?」


 唯さんの腰が砕けるほど深くしつこくキスして俺は、大満足。

 意地悪の仕返しに、真っ赤で腰砕けの唯さんをそのまま部屋から連れ出して、歩と陣さんの中に放り込んだ。唯さんが何かを叫んでいたけど無視して、俺は走るために家を出る。

 ガキっぽい仕返し。帰ったらきっと彼女は怒ってる。想像して楽しい気分になる俺は性格悪いなって、自分で思う。

 階段降りてすぐの駐車場でストレッチしてから、走りだした。禁煙でぶよぶよになるのはごめんだ。

 刺すように冷たい空気の中を一時間くらい走って、汗が流れる。

 帰りのコースに唯さんのアパートを入れて前を通ったら、怪しいのがいた。唯さんの部屋の前にスーツ姿の男。多分智則。帰宅の待ち伏せかなって少しの間眺めて、放置することにした。

 唯さんはこっちに帰らない。風邪でもひけばいい。

 明日見に来て、いたずらされてたら犯人は智則だってわかる。


 帰り着いた駐車場でまたストレッチして、家に入ると酒臭かった。


「何酒飲んでんだ、猿」

「なぁんで猿言うのぉ? あちしかぁいーのに。ねぇ? 

ゆいしゃーん」

「ほんろれす! くりくりお目々でベリーショート、似合ってかぁいい」

「でしょぉ? はぁるきは見る目ない!」

「ほんろらぁ! でもはるきしゃんはわたしのれす!」


 唯さんも歩も呂律が回ってない。陣さんは苦笑してるけど、止める気はないらしい。

 俺は汗だくだし、とりあえず放置で風呂入ることにした。

 女って時々、理解不能だ。


 風呂から出て、冷蔵庫から出した缶ビールを直飲みしながら、どうしようか悩む。

 完全に酔った状態の唯さんに智則のこと言っても頭に入らなそうだし、楽しそうなところに水を差すのもどうかなって思う。


「歩ちゃん、泊まるらしいぞ」


 立ったまま一缶一気飲みした俺に、陣さんが寄ってきた。いいタイミング。


「走ってる途中で、智則見た」


 もう一缶ビールを開けて、今度はゆっくり飲む。


「唯さんの部屋の前で、突っ立ってた」

「朝、見に行くか」

「だな。いたずらされてたら証拠撮る必要あるだろ?」

「だなぁ。こんな時間に家庭放置。女の勘って怖ぇのに、懲りない男だ」

「何か経験あり?」

「あー……まぁな。ちょこっと昔の話」


 ガシガシ頭を掻いて、陣さんは苦く笑う。

 いい大人だ。いろいろあったんだろうな。


「俺も気を付けようっと」


 言いながら酔っ払い達の様子を見に向かう。

 歩も酒はそんなに強くない。

 二人で何飲んでそんなにへべれけなんだろって思ったら、白ワインだ。

 缶ビール片手にリビング行って、白ワインの瓶を手に取る。残り四分の一ってとこか。安いワインじゃねぇし、多分これなら変な酔い方もしないかな。


「はーるきしゃん?」


 赤ら顔の酔っ払い唯さんに抱きつかれた。


「なんですか?」

「飲みましゅ?」

「今ビール飲んでます。気持ち悪かったりしないですか?」

「気持ちいいれすー」


 ふふふふふって、ふにゃふにゃ笑ってる。本当に気持ち良さそうだ。


「歩は? お前も酒強くねぇだろ」

「優しくすんな、バカ男!」


 理不尽に怒られた。


「悪い。俺猿語は理解出来ねぇんだ」

「さるさる言って……あたしのが、先に会ったのにぃっ」

「泣くな酔っ払い」


 ため息がこぼれる。

 陣さんに助けを求めようとしたけど、逃げた後だった。


――あんたが出したんだろこの酒! 責任持てよ!


「はるきしゃん、女の子に猿は良くないのではないれしょぉか? サルはいけましぇん」

「サルじゃないもん、あゆむだもん。はるきぃ、好きだーっ」


 地獄だ。なんだこれ。


「一回、一回らけ、ちゅうしよ?」

「しねぇよ。バカが」

「はるきしゃん、ちゅ」

「唯さん、わざと歩を煽ってるんですか?」


 右に唯さん。左に歩。

 女二人の酔っ払いに襲われかけてる。こえぇっ!


「はるきぃ、ずっと好き。どしたら諦められる?」

「歩もそれ、唯さんの前で言うことか? きっぱり断ったろ」

「だってぇ、春樹がかっこいいのが悪いんだもん」

「ざけんな。変な理屈捏ねるな」

「はるきしゃんはあげません!」

「…………とりあえず二人、寝ろ。めんどくせぇ」

「カッコイイ! キュンとしたよぅ、春樹ぃっ」

「はるきしゃんカッコイイ! キュンキュンれしゅー」


 誰か助けて……。

 二人で一本も空けてない状態で、なんでここまで酔えるのか理解出来ない。

 唯さんがキスしてくるのはいい。歩は全力で阻止。


「なんれらよぉ。一回くらい減らないだろぉ」

「俺、そんな適当な奴じゃない。お前は好きだけど恋愛感情じゃねぇって、何度も言わせんなよ」

「らってぇ……らって、好きが、なくなんないんらよぉ…………」


 しくしく泣かれても俺は何もしてやれねぇよ。どうしろっていうんだ。


「歩ちゃぁん!」

「ゆ、ゆいしゃーん!」


 何故か女二人で抱き合って泣きだした。もう無理。放置でもいいかな。


 歩には、去年の秋に告られて断った。

 友達とか妹って感じで、歩が欲しい好きを俺は返せないから、はっきり伝えた。それで友達関係終わっても仕方ねぇって思ったけど、歩はその後も普通だった。

 無理してるのはわかってたけど、答えてやれないのに半端な優しさを見せるのもひどいだろって思ったから、俺も態度は変えなかった。

 最近はあんまり会わなかったし、合コン行きまくってるって話を義雄さんから聞いてたからもう平気かなとか思ってたけど……違ったのかな。

 でも歩を気にして俺が彼女作らないでいるのも、変な話だ。


「あちし、合コン行きまくったんらよぉ……でもぜぇんぶ、春樹と比べちゃってぇ」

「うんうん。つらいねぇ?」

「サルって言われるしぃ……」

「サルはひどいよねぇ?」

「いつの間にか大人の彼女作ってんしぃ……」

「……ごめんにょ」

「ご、ごめんにょってなんらぁっ! にょー!」


 泣いてたと思ったら大笑いし始めた。

 缶ビールや白ワインじゃ酔えないから、俺は日本酒を持ってきてコップで飲んでる。黙って飲んで、泥酔女二人が倒れたりなんだしないように見守ることにした。


「…………歩、明日大学は?」

「休むかにゃ?」

「にゃ? にゃにゃにゃーん!」

「にゃー? ゆいしゃーん?」

「にゃー? 歩にゃーん?」


 疲れる。酒に強い自分が嫌になる。テキーラが欲しい。


「はるきしゃん、どこ行くにょ?」

「にょ?」


 立ち上がったら、両脚に二人が巻き付いてきた。

 逃げねぇよ。


「布団用意すんだよ。唯さんの部屋でいいだろ?」

「お手伝いするにょーん」

「いい。唯さんは立つな。危ない」

「えー? お手伝い……」

「しなくていい」

「冷たいにょーん」

「ゆいしゃん、泣かにゃいで?」


 なんだか二人とも楽しそうだな。

 解放された俺は苦笑いで布団を用意しに行く。多分そろそろ潰れるだろ。

 布団敷いて戻ると案の定、二人とも眠そうにしてた。いっぺんには運べないから自分らで立つよう叱り付けて、布団に誘導する。

 歯を磨くって言い張るから、歯を磨かせてから唯さんの部屋に連れて行った。


「ごめんな、春樹。諦めっから…………今日だけ…………ごめん」


 唯さんは、倒れるように布団に入ってすぐに寝息を立てた。

 歩はその横で、俺の服の袖を掴んで泣く。


「ごめんな、歩」

「優しい声、出したらダメだってぇっ」


 頭撫でたら余計に泣かれて、でも袖は放してもらえなくて、俺は途方に暮れて座ったまま、歩が泣き疲れて寝るのを待った。

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