第8話 不良な俺と綺麗な彼女3
朝、唯さんの様子を見に部屋に入ったら彼女が布団の中で悶えていた。
ノックを忘れたことに気が付いて、やり直そうかなと思いドアを閉めようとしたけど目が合った。だから様子を見るため、歩み寄る。
「だ、ダメです! 近寄ってはダメ!」
軽くショック。
何故拒否されたのかがわからず固まった俺を見上げ、唯さんが焦り始める。
「違っ、あの、お風呂入ってないし歯も磨いてなくて……汚くて……恥ずかしいっ」
「あぁ。歯ブラシありますよ。あと着替え貸すので、お風呂も良かったらどうぞ」
「あぁ~何から何まですみません! そして昨日はなんだかご迷惑を」
潰れても記憶は無くならないタイプみたいだ。さっき布団の中で悶えていた原因もそれかなと思い当たり、笑みがこぼれる。
「具合はどうですか?」
「……頭が、くらくらします」
「気持ち悪くはないですか?」
「ちょっと気持ち悪い、です」
「水、たくさん飲んでください。あと風呂に入るとすっきりしますよ」
「はい……ありがとうございます。……あの、春樹さん」
「なんでしょう?」
布団の中へ潜ったまま、彼女が俺を見上げてる。
近付いていいものか悩んで、結局動かず立ったままで言葉を待つ。
「幻滅、されてしまったでしょうか」
不安げに揺れた瞳。恐々という様子で俺を見上げてくる彼女へ微笑みを向け、俺はベッドの端に腰を下ろした。
「幻滅なんてしません。酔ったあなたは可愛かったです」
「そ、そこではなく! 私、あんな弱音を吐いて……しかも恥ずかしい過去まで暴露して……」
毛布に包まった彼女は顔を隠そうとするように布団の中へどんどん潜り込み、声まで小さくなっていく。そんな彼女を可愛らしいと思いつつも、俺は掛けるべき言葉を考える。
「えーっと、ですね、陣さんの受け売りなんですけど」
前置きして、陣さんの言葉を思い出しながら続けた。
「人生って、自分を作るための経験を積み続けること、らしいです」
布団の中から唯さんの顔が出てきた。
興味を持ってくれたみたいだ。目だけで俺を見上げてる。
「子供の時、親とか大人の言葉はまるで、神様の言葉のように感じませんでしたか?」
「……そう、ですね。全面的に、信じていました」
答えた彼女に、俺は微笑み掛けた。
「それはある種の洗脳的な物だと、陣さんが言っていました。だけど大人も完璧じゃないんです。自分の価値観でしか物を言えなかったりもするんです」
もそもそ布団から出てきた唯さんが、起き上がって正座をする。そんなポーズを取られると自分が坊さんになったような、妙な気分だ。
「自分で物事を考えられるようになったら、子供の時に植え付けられた価値観を大元にして、自分でいろんなことを経験して、いろんな人に会って、自分を作るんです。時には大元の価値観だってぶっ壊れます」
小さく一つ、彼女は頷いた。その先はと促すように見つめられ、優しく見えたらいいなって考えながら、俺は笑みを浮かべる。
「あなたが経験したのはその過程で、唯さんを形作る一部になります。ちゃんとって、俺もまだよくわからないですけど……いろいろ経験したらいいんです。昨日みたいに酒で潰れてみたり、煙草吸ってみたり。全部、経験はあなたになります」
俺もまだその過程。陣さんが導いてくれて、なんとか進んでいる道の途中。
俺だって自分自身をダメなやつだと思ってる。だからこそ俺が彼女を幻滅だなんて、あり得ないことだ。
「唯さんはダメじゃないです。それに、俺があなたを幻滅するだなんてあり得ないです」
陣さんに俺が言われたこと、少しでも伝わればいいなと思った。
まだまだ俺もよくわからない。だけど、寂しそうな顔をする唯さんが元気になってくれたらいい。
「やっぱり、春樹さんはとても素敵な人です」
ベッドの上で正座していた唯さんが、穏やかな笑顔で俺を見る。
なんだか一気に照れ臭くなり、俺は顔を逸らして否定した。
「陣さんの受け売りなので、素敵なのは陣さんです」
「マスターも素敵ですけど、今私にそれを言おうと選択したあなたを、私は素敵だと思います」
「そう、ですか」
「そうです。あなたに出会えて、嬉しいです」
「それ、すげぇ嬉しいです」
彼女に視線を戻したら目が合って、二人一緒に笑顔になる。
俺はとんでもない失敗をしでかした。でも陣さんは、それを経験に変えて、反省したなら前へ進めと言った。
彼女に伝えた陣さんの言葉。今まではよくわからなかったけど彼女に伝えたくて口にして、理解したような気がする。
「昨日みたいに、唯さんがやりたいことをやるのを俺、手伝いたいです」
「たくさん、あります」
「いいですよ。どんどん言ってください。でもまずは、飯を食いましょう」
「はい! ……先にお風呂でもいいですか?」
「案内します」
陣さんの昔の恋人の置き土産だという新品の下着が洗面所にあったから、タオルと俺の服と一緒に渡して洗面所のドアを閉めた。
唯さんがやたらと恐縮しまくっていたのがおかしくて可愛くて、俺の顔はゆるゆるに緩む。
緩んだ顔のままでリビングへ向かい、朝飯の支度をしている陣さんの手伝いをするために台所へ入った。
「唯ちゃん、大丈夫そうだったか?」
「ちょっとくらくらするとは言ってたけど、ひどくはなさそう」
「そうか」
陣さんが作ってるのは、二日酔いかもしれない唯さんのためのさっぱりした豆腐のスープ。
いつもは開店準備をしてから朝飯だけど、今日は先に食ってから仕事にした。
「陣さん」
「あんだぁ?」
「俺、あんたに会えてラッキーだ」
「そうかい。良かったよ」
珈琲淹れながら横目で見た陣さんの顔。いつも通りに優しいけど、嬉しそうに緩んでいた。
風呂から出てきた唯さんが、なんだか落ち着かなげにそわそわしている。
リビングへ入らず、ドアをそっと開けて中を窺っているのはどうしてなんだろうと首を傾げつつ見やると目が合って、途端に彼女の顔が真っ赤に染まった。
「あ、あの……お風呂、ありがとうございました。あとマスターも、昨日はお恥ずかしいところをお見せしてしまい……すみませんでした」
濡れた髪で服を濡らさないよう肩にタオルを掛けている唯さん。俺の服だと大きいみたいで、裾と袖を捲ってる。
風呂上りの彼女はずっと観察していたくなるほどに、可愛くて色っぽい。
「おはよう、唯ちゃん。よく眠れたかい?」
「は、はい。ぐっすり眠れました」
「布団、男臭くなかったかぁ?」
「い、いえ全く! 春樹さんの香り、ドキドキしました」
喜んで、いいものか。煙草臭いかもとは思っていたけど男臭い……軽くショック。
ひっそり傷ついている俺を知ってか知らずか、うざい笑みを口元に浮かべながら小突いてくる陣さんのことは適当にあしらう。
何かに照れている様子の唯さんには何でもない顔を装って、俺は彼女に珈琲を差し出した。
「すっきりしましたか?」
「はい。もう全然、大丈夫です」
「良かったです。豆腐のスープ、飲みますか?」
彼女が浮かべたのは、ほんわかいつもの笑顔。
「はい。ありがとうございます」
三人で朝飯を食ってから、俺と陣さんは仕事の支度。
食器洗いは唯さんがしてくれた。
洗い物を片付けた後で唯さんが開店準備を手伝うと言いだして、でもすっぴんだって気にしてる。さすがにうちに化粧品はないから、帰る時にもあれかなと思って伊達眼鏡を部屋から持ってきてみた。
「春樹さん、眼鏡掛けるんですか?」
「目は悪くないから伊達です。頭、良く見えるかなって」
噴き出して、笑われた。
「可愛いです。見たいです」
「別に変わらないですよ」
頼まれるままに掛けたら唯さんが大喜びしてる。キラキラ嬉しそうに笑っているから、俺も自然と笑みがこぼれた。
「いいです! 素敵です! 知的です! その制服と合わさるとたまらないです」
喫茶店の制服は黒のスラックスに白シャツ、黒ベスト。営業中と仕込みの時には長い黒の前掛けエプロンを付ける。
「褒めても何も出ませんよ」
べた褒めされたことに照れ隠しの苦笑をして、眼鏡を自分の顔から取って唯さんに掛けた。
黒縁眼鏡姿の唯さん。新鮮だ。
「似合いますね」
微笑み掛けたら唯さんが赤くなった。こんな表情をされると、期待してしまう。
「眉毛、薄いのがまたいいです」
親指で眉毛を撫でてみたら、これ以上ないってくらいに彼女の肌が真っ赤に染まった。そんな唯さんを見下ろして、俺はなんだかすげぇ楽しい。
愛らしい表情のまま黙り込んでしまった彼女を促して一階へ降りると、気を取り直したらしき唯さんが店先の氷溶かしを買って出てくれた。
「溶かしまくってください」
「はい! 任せてください!」
無邪気な笑顔で張り切っている唯さんを見送ってから俺は、エプロンを巻いて陣さんと厨房へ入る。
外はいい天気。でも寒いから、氷になった雪はまだしばらく残りそうだ。
「看板娘、いいなぁ」
ランチのスープを仕込みながら陣さんが呟いた。俺はタマネギを微塵切りにしつつ、陣さんへ視線をやる。
「雇うの?」
「かもなぁ。お前に厨房の仕事教えてぇし。次の仕事どうするのかとか、探ってみろよ」
「あー……聞けたらな」
「まぁ急ぎでもないし、出来たらで構わねぇよ」
「あいよ」
仕込みが終わって外を見に行ってみたら、店の前の道路まで氷は綺麗に無くなっていた。
店先は昨日雪掻きしたからそこまでじゃなかったけど道路は踏み固められてガチガチだったのに、かなり頑張ってくれたんだなって、感心する。
当の唯さんはというと、常連の爺さんに捕まっていた。
「おはようございます、源三さん」
「おぅ坊主! かわいこちゃん、お前のこれなんだろ?」
口元に楽しそうな笑みを浮かべながら小指を立てた源三さん。
俺が答える前に、唯さんが真っ赤な顔で否定する。
「違いますってば! そんな関係ではありませんっ」
「……傷つきました」
「えぇっ? か、からかわないでください!」
「なんでぇ坊主。まだまだか」
「そうですね。――もう開けるので源三さんも中へどうぞ。唯さん、ココア飲みますか?」
「…………飲みます」
唇尖らせて拗ね始めた唯さんが超絶可愛い。
俺は源三さんを先に店の中へ入らせてから足を止め、入口を塞ぐようにして振り向き、彼女の赤い頬に手のひらを当てた。
「冷たいですね。氷溶かし、ありがとうございました」
「い、いえそんな。お役に立てて、光栄です」
「すぐにココア、用意しますね」
「はい……」
恥ずかしそうに俯いた唯さんの瞳は、潤んでいる。
だけどまだここまでだ。これ以上踏み込むには早いと思う。
少しずつ、少しずつ俺の存在に慣れて受け入れてくれたらいいななんて願望秘めて、俺は微笑んだ。
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