いつもの席で珈琲を
よろず
第一章
1 俺と常連の彼女
第1話 俺と常連の彼女1
いつも頼むのはブレンドとミックスサンド。座るのは窓際の決まった席。昼のピークが過ぎた二時頃から日が暮れるまで、そこで時間を潰している。
「今日、フォンダンショコラ、お薦めです」
話し掛けたのは気が向いただけ。
陣さんから教わって作ってみたフォンダンショコラ。彼女に食べてもらいたいだなんて思ったわけじゃない。
「頂き、ます。あ、あと……珈琲も、おかわりを頂けますか?」
ほんわり微笑んだ彼女と目が合って、俺の心臓が跳ねた。
美人なわけじゃない。だけど不細工でもない。どこにでもいそうな普通の女の人。
いつも同じ時間。
いつも同じ席。
いつも同じ注文。
本を読んだり外を眺めたり、毎日通ってくれている常連の客。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
淹れたての珈琲とほんのり湯気が立つフォンダンショコラを運んで行ったら、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
いつもお礼を欠かさない彼女。
俺と同じ年くらいかな? でも落ち着いてるし、若く見えるだけかもしれない。
彼女の反応が気になって、俺はカウンターの中からこっそり観察。
温かなフォンダンショコラをフォークで掬って口に運ぶ。ゆっくり味わって――淡い紅色の唇がほころんだ。
カップを手に取って珈琲を一口。
ほうっと息を吐く彼女の幸せそうな表情を見た俺の胸には何故か、安堵が広がった。
親父の弟の
珈琲に興味があったわけじゃない。
料理に興味があるわけじゃない。
何にも興味を持てない俺は、陣さんに誘われるまま働き始めただけ。
俺はくだらない人間だ。警察に厄介になって親を泣かせた。
高校だってまともに通わないで、何にもやる気が出なかった。流されるままに悪い仲間とつるんで、適当な相手と適当に遊んで、最終的に捕まった。
くだらなくてどうしようもない俺。ただ一人手を差し伸べてくれたのが、陣さんだったんだ。
『うち、来るか?』
両親に見限られ、つるんでいた仲間には見捨てられ、行き場がなくなった俺に掛けられた一言。それに頷いて、俺はここへ来た。
「フォンダンショコラ、美味しかったです」
空いた皿を下げに行った俺を、彼女が見上げた。
穏やかで、優しい微笑み。
思わず左手の薬指を確認して、ほっとする。
――ほっとって、なんでだよ!
心の中、自分で自分にツッコミをいれた。
「良かったです」
「優しい味でした。店員さんが作ったんですか?」
「ま、まぁ……そうです」
緩む顔を隠すようにしながら皿下げて、カウンターの中へ引っ込んだ。
優しい味だって。それってどんな味だよ。
壊れたみたいに速くなった心臓の鼓動を自覚して、わざと顔を顰めて皿を洗う。力を入れておかないと、だらしなく、緩んでしまいそうだったから。
作業しつつ盗み見てみた彼女は、窓の外を眺めていた。
読むか迷っているのか、机の上に置いた本の角を左手の親指でいじりながら、ぼんやり空を見上げている。
いつも何を見ているんだろう。
いつも、何を読んでいるんだろう。
仕事はしてねぇのかな。学生かな。
どうして毎日同じ時間なんだろう。
店が暇な時間だから、気になるだけ。誰に対する言い訳なのかもわからない言葉を、心の中で日々繰り返す。
カウンターの影に隠れて彼女の横顔観察が、俺の今の暇潰し方法。
いつから来ていたのかなんて、覚えてない。
彼女の存在に気付いたのは去年の暮れ。注文を受ける時、そういえばこの人はいつも同じ時間に来てここに座るなって思ったのがきっかけだった。
大通りからは外れた場所にある店だから、近所の会社の昼休みがピークで、そのあとは緩やかに常連客とか外回りの営業マンが休憩しに来たりする。
女の人も来るけど会社員だったりおばちゃんだったりで、彼女みたいな普通の若い女の人はあんまり来ない。若い女性はチェーン店の方が通いやすいみたいだからって、陣さんが苦く笑って教えてくれたことがあった。
彼女の存在に気付いたその日も、注文はブレンドとミックスサンド。
いただきますって両手合わせてからカップを取って、香りを吸い込む。
珈琲を一口含んで、彼女は顔をほころばせた。
今度はミックスサンドをぱくりとかじり、味わってからまた微笑む。
ニコニコしながら食べきって、珈琲飲んだらほーっと息を吐き出すんだ。
幸せそうに食う人だなって、思いながら見てた。店が暇だったんだ。
その時客は彼女しかいなくて、昼のピークが過ぎた後の休憩回し中。俺の休憩は終わっていて、陣さんが休憩中で、暇を持て余していた。
珈琲を飲み干した彼女は隣の椅子の上に置いていた鞄を探って本を取り出して、読まずに指先でぱらぱら捲っていじるだけ。視線は窓の外へ向いていて、長いことぼんやり外を眺めていた。
暇な俺は、そんな彼女をぼんやり眺めてた。
陣さんの休憩も終わって、まばらに店を訪れるお客さん達を捌いても彼女はそこに座っていた。
外が暗くなったことに気付いた彼女は窓から本へ視線を移し、目を伏せる。
横顔が、寂しそうに沈んだ気がした。
気のせいかも。見間違いかも。暗くなった窓の外と、店の明かりが作りだした幻影かもしれない。
真実はわからないけど、その日から毎日気になって観察した彼女は帰る直前、やっぱり表情が翳るんだ。
*
年を越して一月ももう終わる。
俺が薦めたフォンダンショコラを食べた次の日も、彼女はいつもと同じ時間に店へ来た。
座るのも、いつもと同じ席。
彼女がコートを脱いで椅子の背に掛けて、座るタイミングを見計らって俺は、水とおしぼり持って近付いた。
「いつもの、ですか?」
ちょっとこれ、言ってみたかった。
常連の爺さん達は「いつものね」って注文するから、彼女にも使ってみたくなったんだ。
「はい。…………いつもの、お願いします」
答えた彼女は照れたみたいに、笑った。
「かしこまりました」
冷静装っておしぼりと水を置いてから、カウンターへ戻る。
カウンターの陰に隠れた俺は、胸元のシャツを握り締めて蹲った。
――あの笑顔! なんだあれ。やばいって。心臓、痛い。
息を大きく吸って吐き出してから、ミックスサンド作って珈琲を淹れた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
俺を見上げた彼女が浮かべたのは、穏やかないつもの笑顔。
カウンターに戻ってから観察してみた彼女は、いつもと同じようにミックスサンドを食べて珈琲飲んで、幸せそうに顔をほころばせている。
完食したら鞄の中から本を取り出して、今日は読むみたいだ。
細くて柔らかそうな肩まで伸びた髪。耳に掛けて、彼女は本を開いた。
うっすらした化粧。綺麗にマスカラが塗られた睫毛は愛らしく上向いていて、その睫毛が伏せられ瞳が文字を追う。
本を捲る指は細くて、俺なんかが握ったら簡単に折れてしまいそうだ。
「休憩サンキュー。……
いつの間にか陣さんがすぐそばにいて、かなりビビった。
「お、おぅ」
「はっはーん。なるほどね」
「何がなるほどだ」
「いやぁ……ねぇ? いいんじゃねぇの。年頃だもんなぁ」
「勝手に妄想してんじゃねぇ! ニヤニヤ笑うなッ」
「マスター権限で、許す」
「何をだッ」
「なんだぁ? おじさん権限がいいのか?」
「だから! 何をだって言ってんだよ!」
「無自覚かぁ。青い春? でも成人してても青春て言うのかね?」
「知らねぇよ! バカじゃねぇの?」
「んな目くじら立てんなよぉ。お客さん、びっくりしてるぞぉ」
今この時間、店内にいる客は彼女だけ。
焦って振り向くと視線がかち合って、目を丸くしていた彼女は、ほんわかした笑顔になった。
腰から力が抜ける感覚をなんとか踏ん張って堪えて、俺は動揺を押し込める。
「店の外! 掃いてくる!」
逃げるように外へ出て、箒と塵取りを両手に握り締めつつ頭を抱えた。
俺の暇潰しが、陣さんにバレた。
これからいじり倒される。てか彼女のあの顔……! なんだよ、あの笑顔!
一月の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ俺は、しばらく外の掃き掃除をして体の内側から湧き出た熱を冷ました。
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