第2話 俺と常連の彼女2
喫茶坂の上は一階が店で、二階が陣さんの自宅になっている。俺はそこの一室に住ませてもらってるんだ。
喫茶店の営業は九時から六時まで。
朝起きて身支度を整えたらすぐに一階へ下りて仕込みの手伝い。店の掃除は俺の仕事で、掃除は閉店後に済ませて朝は簡単に整えるくらいにしている。
開店準備の後で陣さんが作ってくれる朝飯を食って休憩。この時の珈琲は練習がてら、俺が淹れるんだ。
最初はクソまずい珈琲しか淹れられなくて、陣さんの許可が出るまではただのウェーターだった。だけど最近は、一人で店を任される時間も増えてきた。
朝飯休憩の後で店を開けると、ちらほら常連の爺さん連中だとかおばちゃんとかがやって来る。
世間話を聞きつつ珈琲淹れて、昼が近付いてくるとスーツ姿の客が増え始める。近所にある会社の昼休みには、席が埋まるんだ。
陣さんは厨房で調理。俺はウェーターと飲み物担当。
昼時は戦争状態。前はバイトも雇っていたらしいけど俺が来る前に辞めちゃって、二人で回せるしこのままでいいかってことで今の形になっている。
昼のピークの後は客足がまばらになるから、俺から昼休憩に入る。
昔どこかのレストランでシェフをしていたらしい陣さんが作る飯は、すげぇうまい。うまい飯を食ってから陣さんと休憩の交代をして少し経つと、彼女が来るんだ。
軽やかな鈴の音と共にドアが開き、お客さんを出迎える言葉と同時に視線を向けた先には、寒さで鼻の頭を赤くした彼女。
俺と目が合った彼女は小さく会釈。なんだか顔見知りになった感じがくすぐったい。
彼女が向かうのは、今日も同じ席。
「あ、あの……えっと……」
水とおしぼりを持って行ったら頬を赤く染めた彼女が口ごもった。言いたいことを理解して、俺の頬が緩む。
「いつもの?」
「は、はい! いつもの、お願いします」
嬉しそうに頷いた彼女の笑顔が眩しくて、俺は目を細めた。
子供っぽい笑顔だな。
女の人に年齢聞くのはやっぱり失礼かな? でも俺と同じくらいなら大学生だろうし、毎日この時間には来られないんじゃねぇかな。
社会人はもっと無理だろうけど……もしかして、夜に働いてるとかかな? いかがわしい店とか? いやいや清純そうだぞ。こんな人が相手なら、ハマって金注ぎ込んじまうかも……。
くだらないことをぐるぐる考えながらいつもの物を用意して、彼女のもとへ運ぶ。
テーブルにブレンドとミックスサンドを並べたら、お礼を口にした後で、彼女が俺をじっと見つめてきた。
そんな見つめられると、心臓やばい。壊れる。
「あの……ここって、ご家族で経営されているんですか?」
「え?」
「あ、あの、ごめんなさい。昨日そういうお話が聞こえたもので」
昨日陣さんに俺の暇潰しがバレたやつかって納得して、俺は頷いた。
「マスターが叔父なんです。俺は住み込みで雇ってもらっています」
「そうなんですか。仲良し、なんですね」
「まぁ……。叔父にはいろいろ世話になっていて、感謝してます」
「いいですね、そういうの。いつもサンドイッチと珈琲、とても美味しいです」
「気に入ってもらえて良かったです。珈琲、冷める前にどうぞ」
「あ、はい。いただきます」
「召し上がれ。――ごゆっくり」
「ありがとうございます」
会話、もっとしたかった。
だけど俺がずっといたら彼女は食えないだろうし、泣く泣くカウンターへ戻る。
彼女は、冷めた珈琲はあんまり好きじゃないんだと思う。いつも冷めない内に飲み干す。冷めると酸味が出るからそれが嫌なんだろうなって、勝手に納得してる。
うまそうにサンドイッチ食うのを見守って、満足げな彼女がごちそうさまって両手合わせたのを俺はこっそり見届けた。
今日の彼女は空を眺める気分みたいだ。本すら出さずに窓の外を見上げてる。
「空いたお皿、下げますね」
「あ、はい。ごちそうさまでした」
「…………いつも、何を見ているんですか?」
「え?」
「外、何にもないでしょう」
勇気を出して聞いてみた。そしたら彼女はきょとんとした顔になって、すぐにほんわか笑顔になる。
「雲を、見ています」
「雲?」
「はい。いろんな形なんですよ。あと、雪降らないかなぁって」
「最近寒いですもんね。でも雪が降ったら、困ります」
彼女は首を傾げてる。一々動作が幼くて、年齢不詳。
「お客さん、減っちゃうじゃないですか」
「あぁ。お店の方はそうですよね。私は雪が降ったら楽しいですけど、お店は困っちゃいますね」
「雪、好きなんですね?」
「はい。なんだかわくわくします。真っ白い新雪に足跡を付けたいんです」
「子供ですか」
思わず笑ってしまったら、彼女は唇を尖らせた。
不満そうに見上げてくる上目遣いのその表情。無意識なのがまたやばい。心臓、きゅーって苦しくなる。
「私、多分店員さんよりも年上です」
「……おいくつですか?」
「二十六です」
すんなり返ってきて、ちょっと驚いた。しかもマジで年上だ。この見た目で二十六歳。犯罪だ。詐欺だ。
「今、失礼なことを考えませんでしたか?」
「いえ。ただ、見えないなって」
「私は年相応に見られたいです」
そう言ってまた唇尖らせてる。その動作が幼く見える要因の一つだと思うけど、可愛いから指摘してやらない。
「店員さんは大人っぽいです。何歳ですか?」
「俺は、二十一です」
「五歳下ですか。……若いのに落ち着いていますね。下手したら私よりも大人っぽいです」
不満げな彼女を見て、俺は思わず噴き出した。右手の拳を口に当てて隠したけど、溢れ出す笑いの所為で体が震えているのは隠せない。
「バカにされてます?」
頬まで膨らませ始めた彼女。
もしかしてこれは罠か、なんて思ったけど、彼女の罠になら嵌まるのもいいかもしれない。
「可愛いなって、思っただけですよ」
「年下にそう言われるのは、やっぱりバカにされています」
「なら、お詫びに珈琲のおかわりを奢ります。機嫌、直してください」
「そんな大丈夫です! 別に怒ってませんから!」
焦っている彼女を置き去りにして、俺は空いた皿とカップを持ってカウンターへ戻った。
新しい珈琲を淹れて、冷蔵庫からおまけを二個取り出す。
「あの、本当に怒っていませんから。これ、払いますからね?」
「俺が勝手にやったんです。……あと、オマケです」
「チョコレート?」
「嫌いですか?」
「いえ、好きです。ありがとうございます」
ほんわか笑顔になった彼女は、珈琲とチョコレートを受け取ってくれた。
その後は他の客が来て陣さんも戻って来たから話せなかったけど、距離が一気に近付いた気がして、心臓の鼓動がうるさかった。
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