(8)
「じゃあ早速開始するよ。アディー、イロハが見えなくなる位置まで下がってくれる?」
ミルコはノート型のパソコンを抱えて、指示をする。アディーは「わかった」と言うと、森の方へと歩いて行った。ミルコが傍らに直したてのファイアを置いて、
「じゃあ、イロハがサーマルセンサー装置を作動させたら、アディーの探知機が鳴るから、それと同時にイロハを探して攻撃してきてね。なるべく長い間通信をしていて欲しいから、なんとか頑張ってよ」
「簡単に言ってくれるねえ……」
アディーは未だ額にバカと書かれているのを気にしてか、肩を竦めて歩いていく。ロキはそれを見ながら、思い出し笑いを堪えていた。イロハはサーマルセンサー装置を顔に装備すると、ロキの方を向いて、
「あう」
と、頷いた。手にはペイント銃が握られている。真剣な眼差しにロキは少々不安になり、イロハの頭を撫でてやった。
「大丈夫。イロハの全力で頑張ればいいだけだから。何かあったら俺が守る」
「あう」
言って、イロハはどことなく微笑んだ気がした。以前よりだいぶイロハの表情も豊かになってきている。それがロキには嬉しく思えた。
ミルコが何やらパソコンを操作していた手を止めると、ロキの方をじっと見つめ、
「……そういえばひとつ言い忘れてたけど、今からサーマルセンサー装置をオンにするってことは、ずっと僕たちの探知機は鳴り続けるよ。つまり、いつどこから他のビーナスが襲ってくるか分からないんだから……。ロキはちゃんと僕たちを見ていてくれないと困るからね。ファイアはビーナスを襲うんだ。むやみには使いたくない。意味分かるよね?」
「つまり、イロハにも攻撃してしまうことがあるからってこと?」
「……分かってるならいいよ。じゃあ、始めるね。イロハ、装置をオンにして」
ミルコが耳元をコツンと指で弾くと、イロハも理解したようで、サーマルセンサー装置を指で操作すると、流暢な英語で、
「No12,mission start to boss」
言うと同時にロキたちのサーマルセンサー探知機が大きな音を響かせた。イロハの装置からは小さなノイズと共に「OK,No12 go」と返ってきた。瞬間、イロハは目をぎらりと光らせ、森の中にいるアディーの方へと足早に駆けて行った。
イロハが向かって行くのを確認すると、ミルコはパソコンの画面に目を落とした。忙しく画面は文字列で埋まると、ロキには何がなんだかさっぱり分からなかったのもあり、すぐにイロハたちの方へ目線を動かした。
すると、イロハの走る速度が速いからか、イロハが今どこにいるのかすぐに捉えることが出来ず、あちこち見渡した。先に目に入ったのはアディーの姿だった。アディーは銃を構え、こちらに走ってくる。左右を確認しながら走るアディーは、ロキの姿を捉え、イロハがこちらにいないことが分かったのか、後ろを振り返った。
瞬間、バシュンと銃声が鳴った。イロハの姿は見えない。アディーはその音に半歩遅れて反応し、振り返った身体にペイント弾を受けた。撃たれた場所は肩だった。
「くそ! イロハ後ろかよ! いつの間に!」
アディーは肩に「バカ」と書かれているのを一瞥すると、そのままその場で一回転し、座ったまま、銃口を弾丸が放たれた後方へ向ける。すると、一瞬だが、イロハの姿が見えた。イロハは素早く木の陰へ隠れた。アディーはその木に目掛けて二発発砲した。バンバン、と連続して音が響くと、イロハはその木から飛び出して、アディーの方へと走り出した。アディーはイロハが近づいてくるのを察知して、その場から離れ、走り出す。走っていると、後方からまたも弾丸が飛んできた。バシュン、と撃たれたその弾は、なんとか木の陰に隠れて逃れることが出来た。
アディーとイロハの攻防が続く中、ミルコが珍しく大きな声で、
「分かってると思うけど、発弾回数は最大六発だからね。まだデータ取れないからしっかりやってよ!」
「わかってらああ!」
言って、逃げるが勝ちと思ったアディーはとことん先を走って行く。イロハもそれに続いてアディーを追いかけて行った。ロキはそれを見て、
「ていうか、アディーたちを追いかけないとこれ、危ないよね」
「……当たり前でしょ。ちゃんと仕事して」
「……はい。まだ俺、怪我してるんだけどね……」
ロキは嘆息すると、アディーたちが消えて行った先に走って行った。走ると少し刺された箇所や撃たれた場所が痛むが、力が入らないわけではなかった。改めて自分の身体が普通の人間と異なることが分かると、胸が痛む。それでも、アディーたちを守るのが自分の今できることならと地を蹴り走った。
ロキが森へ入って行くと、アディーとイロハが互いに身を隠しているところを見つけた。膠着状態のようだ。アディーの影が木から覗くと、イロハもそれに反応して銃口を向ける。その隙にアディーは次の木へと逃げる。お互いの距離を一定に保っているようだった。ロキは二人が見える場所に立つと、周りを見渡した。ビーナスの姿は確認出来ない。ほっと安心すると、イロハの様子を窺った。
イロハは着ているものがツナギで、髪の毛がショートカットであるだけで、姿は今まで戦ってきたビーナスのそれと全く同じだった。銃の構え方にしても、身のこなし方にしても、イロハは弱い部類のビーナスのそれではない。おそらく、初めて会ったときにイロハが銃で撃たれたのは、三発の発砲が起きたうちの一発はイロハが撃ったものとみて良いだろう。
そう思うと、もし、これがイロハではなくて、別のビーナスだったら、ここまで打ち解けることが出来たのだろうか。ふとロキはそう思った。イロハだったから、良かったのか。それとも、どのビーナスだとしても、助けた恩を素直に受け取るのだろうかと。
それが自分の母親の行動原理にも繋がるような気がして、ロキの胸はざわついていた。
そんな思考を巡らせているときだった。アディーがイロハに向けて発砲した。ロキは今までぼうっと見ていた視野をはっと移した。すると、アディーの後ろから人影が見えた。
それはビーナスの姿だった。
「アディー! 後ろ! ビーナスがいる!」
言って、ロキはアディーの方へと走りだした。ロキはそのとき、自分が武器を何も持って来なかったことに気づいた。しまった、と心の中で叫ぶと、アディーはロキの声で後ろを振り向いた。あと少し呼びかけが遅かったら、ビーナスの存在に気づいていなかったアディーは、「くそ! 今かよ!」と叫ぶと、イロハの方へと走って行った。が、ビーナスの方が反応が早く、アディーはビーナスの持っていたこん棒でゴツリと背中を殴打された。
「ぐはっ!」
アディーは口から血を吐いてその場で倒れ込んだ。ビーナスはその倒れたアディーの首元を掴み、起こさせた。
「死ね」
と、冷酷に告げるビーナス。片手でこん棒を大きく振りかぶる。終わったかとアディーは目を瞑ると、頭上から声が響いた。ロキだ。
「待て!」
そのとき、ロキがビーナスの腕をしっかりと止めた。
「……やめてくれ」
ロキは顔をしかめ、ビーナスに言う。ビーナスは腕をなんとか振り下ろそうとするも、ロキの力でそれができず腕を震わす。ビーナスはイロハの姿を目視すると、
「おい、そこのビーナス。お前が殺せ!」
言って、イロハのことを睨み付けた。イロハはそれを見て、ビーナスに銃口を向け、じっと動かない。ビーナスはその銃口が自分に向けられていることに顔を歪めた。それからアディーの首元から手を放すと、アディーはその場で「かはっ」と倒れ込んだ。身体をよじって何度も咳き込む。
ビーナスはしばらくイロハのことを舐めるように見ると、
「……お前、洗脳されているな。このことはあの方に報告する」
言って、空いた手でサーマルセンサー装置を操作すると、
「No135,discover traitor to boss」
そう言うと、アディーがなんとか声を振り絞り、
「ロキ! 殺せ! そいつを殺せ! じゃないとイロハが!」
ビーナスが裏切り者を発見したと通報したのをロキも耳にした。しかし、目の前にいるのはどう見てもイロハと同じ容姿のビーナスだ。ロキは頭ではわかっていても、けん制するだけで身体が動かない。
「ロキ! 分かれ! イロハを守るなら殺すしかない!」
言われて、ロキはイロハを見た。イロハは固まって震えているように見える。しばらく考えを巡らせるも、ロキはそれから目を瞑り思いきりビーナスの腹を蹴り上げた。ビーナスは「ぐあっ」と、唸り声をあげて倒れると、手からこん棒を落とした。ロキはそれを拾い上げると、
「うあああああああああ!!」
と、大声を上げ、ビーナスの身体目掛けて振り下ろした。すると、ビーナスは「ぐえ」とカエルを潰したときのような醜い声を上げ、ぱたりと動かなくなった。
ロキはその場で蹲った。それから目の前で動かなくなったビーナスの死体を見ると、もう一度、大声で泣き叫んだ。
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